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四話

ロナルドは忙しいらしい。朝起きると既にロナルドは身支度を済ませ、行ってきますとキスをしてすぐに出て行く。

帰りは遅く、眠たい目を擦って待っていてもなかなか帰ってこない。耐え切れずにベッドで夢の世界へ旅立ってしまう日が多かった。


「今日も遅いのかしら」


そう呟いたレイラに、傍で世話をしてくれていたメイドは困った顔をしながら教えてくれた。


「本日もお帰りは遅くなられるそうです」

「そう」


ロナルドが居ない事は構わない。気楽だし、構われない時間が長い事にも慣れている。

ただ、あれだけ毎日のように構い倒され、愛しているよと微笑んでくれる夫が毎朝の行ってきますのキスしかくれない事が、何となく面白くなかった。


「デイジー、その服袖が解れてしまったの。裁縫道具を持って来てくれないかしら」

「レイラ様、繕い物は私共の仕事です。ネルソン家の妻がする事ではありません」


洗濯物として持って行こうとしていた普段着のドレスを抱えながら、デイジーという名の若いメイドは首を横に振った。

この屋敷に来てから退屈な時間が多い。修道院でも退屈している時間は多かったが、それ以上にやる事が無い。服が解れたら自分で繕っていたし、寄付された古着をリメイクして自分の服にする事もあった。


針仕事は得意だ。時間を忘れて没頭出来たし、余計な事を考えずに済む。だが、この屋敷ではそれを許して貰えない。


許されるのは、社交に関わる事と、義理の母とのお茶とお散歩。読書や昼寝くらいなもので、最初の頃はのんびり出来て良いなと思っていたが、すぐに飽きてしまった。

退屈だ。外に出たい。何処にも行く宛てなど無いし、ロナルドから一人で外に出てはいけないと言いつけられているせいで、外出する機会に恵まれなかった。


「旦那様が居ないと静かね」

「お寂しいのでしたら、お手紙を書いては如何でしょう。きっとお喜びになりますよ」

「同じ家に住んでいるのに手紙?」

「暫くすれ違いの生活になりますし、同じお屋敷にお住まいでもお手紙のやりとりをするのは楽しいかと」

「…そうね」


レイラが小さく頷くと、デイジーは洗濯物を抱えて頭を下げた。静かに部屋を出て行く背中を見送ると、レイラは机の引き出しにしまわれているレターセットを引っ張り出した。


ペンを握っても、何を書こうか全く思い浮かばない。ロナルドが笑っている顔はいくらでも思い浮かぶのに、何か話したい事がある筈なのに何も浮かばない。


何を書いたら、夫は喜ぶだろう。

何を書いたら、夫は早く帰ってくるだろう。

寂しいと書いたら、喜んでくれるだろうか。無理をしてでも急いで帰ってくるだろうか。


そこまで考えて、レイラはふと我に返る。


寂しいのか。夫が居なくて寂しい。

毎日鬱陶しいと思っていたのに、いざいないとなると寂しいと思ってしまうのか。

本当に寂しいと思っているのか、それとも守ってくれる人が傍に居なくて不安なのか。自分の感情がよく分からなくなってきた。


夫の事も良く知らない。

彼が何を好み、何を嫌い、何をしたら喜ぶのかも。何も知らない。

ただ毎日、自分の事を愛してくれる人というだけ。


『貴方は何が好きですか』


サラサラと書かれた一文。

好きな物を聞いてどうしようというのだろう。自分で書いたくせに、これをどうすべきか分からず、レイラはペンを置いた。


◆◆◆


結局何もする気になれず、レイラはたった一文書いただけの便箋をそのままにして一日を過ごした。何か書きたい事が思い浮かんだら書こうと、レターセットもペンも出したままだった。


同居している義理の母に誘われ、お茶をしたりネルソン家と縁のある家や人間の話を聞き、頭に叩き込んでいるうちにすっかり忘れてしまっていた。


夕食を食べ、眠る支度をして夫の帰りを待っていた筈なのだが、気が付けば朝日に照らされながらベッドの上だ。


また夫の帰りを待ってやれなかった。なるべく頑張ると言ったくせに、ほぼ毎日寝てしまっている。よく怒らずにいてくれるなと夫の心の広さに感謝しながら、レイラは眠い目を擦りながら部屋を見渡した。


漸く出しっぱなしにしていたレターセットを思い出し、仕舞わなければとテーブルに近付いた。


「あら…」


昨日書いた一文。その文に沿うように、別の文が書き込まれていた。


『君が好きだよ』


夫の字である事は分かる。

出した覚えのない、出したままにしていた便箋に気付き、返事を書いてくれるなんて。きちんと毎日帰宅して、眠っているであろう妻の部屋を覗き、寝顔を見るだけ見てそっと出て行っているのだろう。


胸が苦しくなった。

忙しくて疲れている筈なのに、ロナルドは毎日きちんと約束通り戻って来てくれているのだ。


「それは知っているわ」


夫の字を指先でなぞりながら、レイラはゆったりと口元を緩ませる。

今日は何としてでも夫の帰りを起きて待とう。少しだけでも良いから話をしよう。きっと夫は、二人で話す時間を何より喜んでくれる筈だから。


「レイラ様、お目覚めですか」

「起きてるわ。入って」


ノックをして声を掛けて来たデイジーに、レイラは入ってこいと返事をした。

入って来たデイジーは、機嫌よさげに便箋を眺めているレイラに小首を傾げる。いつも無表情で物静かなレイラが、口元を緩めている姿を初めて見たのだ。


「何か良い夢でも見られたのですか?」

「さあね。でも…少し楽しい事があったの」

「お手紙のお返事があったのでしょうか」

「手紙は出していないの。でもお返事はあったみたい」


どういう事だと言いたげなデイジーに向き直ったレイラの顔は、いつも通り無表情に戻っていた。

デイジーはいつも通りに戻ってしまったレイラをベッドに戻すと、持ってきた食事をせっせとセッティングし始めた。ベッドテーブルの上に並べられた食事たち。小食なレイラに合わせ少々少ない量だが、パンと果物、温かいお茶を腹に詰め込めばレイラの腹は満足した。


「旦那様はもう出てしまったかしら」

「いえ、まだお休みになられています。昨晩はいつもよりお戻りが遅くなりましたので、本日は午後からお出かけになられるとの事でした」

「そう」


さあ召し上がれと微笑んだデイジーの前で、レイラはもそもそとパンを齧る。バターがしみ込んだ柔らかいパンはほのかに甘く、眠気を覚ましてくれるような気がした。


最近いつも遅いというのに、午後に出掛ける程遅くなったとは何時に戻ってきたのだろう。もしや朝方になったのではと考えた所で、どうしてそんなに遅くなるのだろうと疑問に思った。

ネルソン家は貿易で財を成した家だ。義父は現当主として仕事をしている為忙しいのは当たり前だが、ロナルドは次期当主とはいえまだ若く、連日帰りが遅くなる程仕事が忙しくなるとは考えにくい。何より、あの優しい義父が新妻を家に置いて遅くまで息子に仕事をさせるとは考えにくかった。


「お口に合いませんか?」

「…いいえ、美味しいわ」


考え事をしていて完全に動きが止まっていた。デイジーの心配そうな声にハッと意識を戻し、レイラは再び咀嚼を始める。

にやにやと口元が緩んでいるデイジーの表情の意味は分からないが、今は考え事よりも目の前の食事だ。


食べ易いようにカットされた林檎を見つめながら、レイラはひたすら胃の中に食事を詰め込んだ。


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