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三十八話

兄と過ごす時間はどれだけあっても足りないのだろう。顔を合わせればどうでも良い事をいくらでも話していられたし、ほんの少しでも家族との思い出があるものがあれば、それについて兄は話してくれた。


「明日帰るのか」


とても寂しそうに呟く兄に、レイラは申し訳なさそうな顔をする。まだ帰らないで、もう少しローガンと一緒にいたい。そう縋りつきそうな顔をして、クラリスはレイラに向かって小さく首を振った。


「申し訳ない。俺も仕事があるから、そろそろ帰らないと」

「では奥様だけ残れば良いじゃありませんか」


それはどうしたって無理だろう。困り顔でレイラの肩を抱き寄せるロナルドに、クラリスは心底憎いと言いたげな目を向ける。ローガンは寂しそうにはしているものの、レイラが帰る事は受け入れられているようだ。


「あの、お暇する前にお兄様にお渡ししたい物が沢山ありますの」

「渡したい物?」


首を傾げるローガンの手を、レイラはぎゅっと握りしめる。こっちへ来てと誘う妹に大人しく従いながら、ローガンは君もおいでとクラリスを誘った。


「お部屋をお借りしていますわ」

「それは構わないけれど…」


四人でわいわいと歩きながら、レイラは借りている談話室へとローガンを引っ張る。

渡したい物は沢山ある。話したい事だってまだまだ沢山あった。両親の墓はどんなものにしようか。これからどう生きて行こうか。もっと楽しい事だって、これから先も沢山話したい事が出てくるだろう。そんな時、兄にはすぐに会えるわけではない。手紙のやり取りは出来るようになるのだろうが、実際に会って話すのと、文章でやりとりをするのでは違う事だろう。とはいえ、今まで手紙のやり取りすら出来ず、生きている事すら知らずに生きて来たのだが。


「そんなに引っ張らなくてもちゃんと付いて行くから」

「少しくらい良いじゃありませんか」


八年前、家族と引き離される前はきっとこんな風に兄の手を引いていたのだろうか。昔はどんな兄妹だったのだろう。

どれだけ兄の顔を見ても、話をしても、聞いても、昔の記憶は戻って来ない。

両親の絵を見たって懐かしい気持ちにすらなれないのだ。なんて薄情な娘なのだろうと自分が嫌になるが、ローガンは「それだけ辛い思いをしたんだよ」と慰めてくれた。


「随分沢山広げたな」


談話室のテーブルの上には、レイラが持って来た家族の品がところせましと並べられていた。朝からデイジーに頼んで並べておいてもらったのだ。

ぱちくりと目を瞬かせるローガンは、妹が何をしたいのか分からないようでぽりぽりと頬を掻く。


「お兄様にお渡ししようと思いまして」

「全部?」

「はい」


母の指輪や父のブローチ。小さな物だけではなく、父が持っていたらしい剣やら母のドレスやら、嵩張る物まで様々だ。


「剣はともかく、ドレスは俺が持っていてもなあ」

「仕立て直しても…着られませんわね」


いくら細身とはいえ、男性のローガンにドレスは着られないだろう。兄の頭の先から足の先までじろじろと観察してみるのだが、どう頑張ってもドレス姿の兄派想像出来なかった。


「想像しなくて良いと思うよ」


隣で同じようにローガンを見ていたらしいロナルドが、声を震わせながらレイラの背中をぽんと叩く。何故考えている事が分かるのだと夫の顔を見れば、ローガンは何かに安心したようにふわりと微笑んだ。


「それじゃあ…俺の物と、俺が持っていて役立てそうな物は貰っておこうかな。レイラ、一緒に選ぼう」

「はい、お兄様」


ネルソン家を出る時にあれこれ詰め込んできた家族の品。こんなに持ってこなくても良かったと改めて先日の自分を恥じたが、兄はとても嬉しそうだ。


「あの、これだけはどうしてもお兄様が持っていてほしいのです」


そう言って差し出した、父のブローチ。代々当主が受け継いで来た小さな家宝。それだけは、どうしても兄に持っていてほしかった。

本来ならば、父の跡を継ぐその時に兄が引き継ぐはずだったもの。兄の手の中にあるのが当然のその品だけは、何があっても押し付けて帰るつもりだった。


「どうして…」

「だってお兄様はコリンズ家の正当な跡継ぎですもの。もう私たちに帰る家は無いですが、一族の誇りだけでも受け継いでいて良いでしょう?」


受け取って。そう言うように差し出された緑色のブローチが収められた小さな箱。それをじっと見つめるローガンの目には迷いがあった。持っていたところで、継ぐ筈だった家はもう無い。尊敬していた父の思い出が手に入れられるだけ。

ぎゅっと唇を引き結び、目を閉じたローガンの背中に、クラリスはそっと手を添えた。


「持っていても宜しいではありませんか。捨てることはいつでも出来ます」

「捨てられる筈…無いだろう」

「では持っていましょう。身に着けるもしまっておくも、ローガン様の自由ですわ」


ね。小さく付け足された言葉に、ローガンは小さく頷いた。ゆっくりと目を開くと、固く握りしめていた手をレイラの手に収まっていた箱に伸ばした。


「分かった、俺が持っているよ。レイラは母上の指輪を持っていてくれないか。自分が死んだらレイラに受け継いでもらいたいって言っていたから」


本当に死んだ後に受け継ぐ事となった指輪。テーブルに載せられていた小箱を手に取ると、ローガンはそれをレイラの手に乗せた。

この調子ではいつまで経っても終わらない。夜まで終わりそうにないと笑ったロナルドは、ゆっくりやってくれとソファーに腰かけ見物する事にしたようだ。


帰るとは言ったが、まだ兄と離れるのは寂しい。国に戻る気の無い兄と次に会えるのはいつになるだろう。もう少し、もう少しだけ兄との思い出が欲しい。昔の記憶を思い出せないのなら、せめて新しい思い出を胸に刻み込んでおきたかった。


◆◆◆


家族の品物を全て分け終えると、レイラはぐすぐすと鼻を鳴らし、ぼろぼろと大粒の涙を零す。ローガンは困ったように笑いながら、泣きじゃくる妹の頭を撫でた。泣くんじゃないよと優しく頭を撫でてくれる兄の手の温もりが、余計に離れがたい気持ちにさせていた。


「帰りたくないです…」

「それは困る…」

「お兄様、お願いですから私と一緒に帰りましょう?ソルテリッジがお嫌なら、他の土地でも構いませんから…」

「ソルテリッジ以外の土地で、俺がまともに生活出来ると思うか?」


罪人の息子として国を逃れた男。素性を隠して生きる事も出来るのだろうが、もしバレれば再び囚われる。レイラは修道院に囚われていた元令嬢、罪人の娘として扱われているが、まだ幼かったが故に罪人としては扱われていない。

だがローガンは違う。跡継ぎとして教育をされ、父の跡を継ぐべく勉強をしていたし、成人していたのだ。大人として扱われ、父と同じように囚われた。そんな男が国に戻れるはずが無いのだ。


「どうにかして、我が家は罪など犯していないと証明しますから!」

「どうやって?父を裁いたのは王だ。俺たちに何が出来るんだ」

「それは…」


王を相手にして何か出来るような権力などない。それくらいレイラにも分かっている。自分がどれだけ願っても、何の力も無い女がどれだけ騒いだところで無駄であることくらい。


分かっていても、納得出来るかは別の問題だ。

何故家族を奪われなければならなかったのか。

何故無実を証明する事も出来ないのか。

何故帰る場所を取り戻せないのか。


ぐるぐるといくら考えても仕方のない事を考え、悔しさに奥歯を噛み締めた。


「良いかいレイラ、俺たちは無力だ。奪われたものを取り戻す事は出来ない。それなら、これから先を生きるんだ。レイラも分かってるだろう?」

「分かってはおりますけれど…でも家族と一緒にいたいと思うのはおかしな事ですか?」


これからの人生を生きていく。それはレイラ自身も分かっているし、ネルソン家の妻として生きていくとも決めている。だがそこに兄も一緒にいてくれたって良いと思うのだ。むしろ、一緒に居てくれたらどんなに心強いだろう。どんなに嬉しいだろう。

強く生きようと覚悟を決めた筈だったのに、兄に再会した途端あっという間に弱くなってしまった。なんて情けないのだろう。

泣くんじゃないと抱きしめてくれるローガンに縋りつきながら、レイラは嫌だと泣いた。


「あの日と同じだ」


そう呟いたローガンは、レイラを抱きしめる腕に更に力を籠める。

行かないでお兄様。一人にしないで。レイラも行きます。

家族が離れ離れになったあの日も、レイラはローガンに抱き付いて離れなかった。両親が先に連れて行かれ、妹を守ろうと必死だったローガンが連れて行かれる時、レイラは絶対について行くと言って聞かなかった。

それを思い出し、ローガンはぽたりと涙を落とす。


「お前が泣くから、俺まで泣けてきた」

「ハンカチならありますわよ」

「拭いてくれ」


苦笑するクラリスに差し出されたハンカチ。それで拭いてくれと冗談っぽく笑うローガンは、クラリスの方に顔を向けた。仕方ありませんねと溜息を吐きながら優しくローガンの顔を拭いてやるクラリスは、ほんのりと頬を染めている。そんな場合かと呆れるロナルドは、どうやってレイラを自分の元へ取り戻すかを考える。だが、兄に縋りついて離れないレイラを引き剥がすのか何だか可哀想になってしまう。もうこうなってしまったら、気が済むまで好きにさせてやるしかないのだろう。


「今夜は兄上と一緒に眠ったら?」

「そうします」

「えっ」


ロナルドはちょっとした冗談のつもりだったのだが、レイラはそれを本気にした。しっかりとローガンの服を握りしめると、ローガンの顔を見上げながら「構いませんよね」と凄んで見せた。


「子供じゃないんだから…」

「今夜だけです!明日には帰ってしまうのですから」


次はいつ会えるか分からない。それなら、もう少しだけ一緒に過ごしたって良いじゃないか。もう少しだけ、甘えたって良いじゃないか。

何を言ってくれたんだとロナルドを睨むローガンの視線には気が付かないふりをして、レイラはぐいと涙を手の甲で拭った。


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