三十六話
泣きじゃくった兄と妹は、泣き腫らした顔のまま語り続ける。ぱちぱちと爆ぜる薪の音と、時折混ざる鼻をスンと鳴らす音。
悲しくて、辛くて堪らないのに、二人は話す事をやめようとしなかった。
修道院での生活の事。両親がどのようにして囚われの生活を送り、死んだのか。兄がどんな生活をして、国から脱出して生きて来たのか。八年もの長い時間を語らうには、時間がいくらあっても足りなかった。
「生きる為なら何でもした。盗みもしたし、物乞いだって。元は貴族だったのに、人生何が起きるか分からないな」
そう言って静かに笑うローガンは、レイラの頭をぽんと撫でた。お揃いの金色の髪。さらさらと手入れの行き届いた髪。今でこそ良家出身の人間らしい見た目をしているが、以前は身なりに気を遣う余裕など無かった。
「胸を張って妹の前にいられるような男じゃなくなった。でも死ぬわけにはいかなかったんだ」
「生きていてくださるだけで、それだけで良いのです。私はもうこの世に血の繋がった家族は誰もいないと思っておりましたもの」
かつての行いを恥じているのか、悔いているのか、ローガンは目を伏せる。だが、レイラからしてみれば、何をしてでも生き延びてくれた事が嬉しかった。物を盗まれた側の人には何だか申し訳ないが、それでも兄が生きてくれていた喜びの方が大きかった。
「肉体労働ってやつもしたよ。レンガを幾つも、抱えきれない程の量を一度に運んだりね。そんな重たい物持った事が無かったから、すぐにあちこち痛めて…情けなかったな」
「立派なお仕事ではありませんか」
「使い物にならないからってすぐクビになったけどな」
重たい物なんて持たなくても良い生活をしていた。レンガなんて持った事も無い。砂埃に塗れる事も無かった。優雅な貴族令息としての生活から一変した逃亡生活。
ダラム伯に見つかれば、家を継ぐ筈だった男は殺される。生きていては困るからだ。ソルテリッジの人間の殆どは、ライトリー男爵を慕っている。愛する男爵が無実の罪で囚われた。憎きダラム伯の息子より、愛するライトリー男爵の息子を求めるのは当然の事。それを防ぐ為に、ローガンは命を狙われた。
「もう国には戻れないんだろうな」
「伯爵が死ねば戻れます」
レイラの隣で黙って話を聞いていたロナルドが、静かに告げた。目を見張るローガンは、狼狽えたようにレイラの顔を見つめる。
「あのお方はもう長くはありません。もしかすると、既に…」
「…だとしても、もう戻れない」
「何故ですか」
一緒に帰ろう。そう誘うように、レイラはローガンの手を取った。妹の細い手を握り返しながら、ローガンはゆるりと首を横に振る。
「戻りたくないんだ」
家族と共に過ごした愛おしい記憶。
家族を奪われた忌まわしい記憶。
家族を奪った憎き男。
無実だと知っていながら助けてくれない国。
大嫌いな祖国へ、どうして戻ろうと思うのか。
そう唸るローガンに、レイラは何も返す事が出来なかった。ローガンはレイラよりも辛い経験を沢山したのだろう。まだ幼かったレイラよりも、殆ど大人として生活していたローガンならば、忌まわしい記憶も色濃く残っているに違い無い。
「レイラは国を出る気は無いんだろう?それなら頼みたい事があるんだ」
レイラの隣に座るロナルドに視線を向けながら、ローガンは言う。
「両親の墓なんだが、隣同士にしてやってほしいんだ」
「何処に埋葬されているかも分かりませんのに」
「探してくれ。両親の願いなんだ。死んでもずっと、二人で並んで眠りたいと言っていたから」
無念の死を迎えたのだから、せめて死後の願いくらいは叶えてやりたい。自分にそれは出来ないから、妹に託す。その夫にも。
じっと二人を見つめるローガンの茶色い瞳が、断ってくれるなよと言いたげに力強い光を帯びた。
「お任せください。墓の場所は既に見当が付いていますから。他にお二人は何か願いを仰っておりませんでしたか?墓石に彫ってほしい言葉とか、モチーフとか」
何でも言ってくれと微笑むロナルドに、ローガンの隣に座っていたクラリスが小さく溜息を吐いた。ずっと黙ったままだったが、クラリスもいた事を今になって思い出し、レイラは恥ずかしそうにローガンの手を離した。
「父は家訓を彫ってほしいと言っていたかな。母は…どうだっただろう」
永久の眠りはもっと先の話だと思っていたのだろう。詳しい話を聞くより先にいなくなってしまった両親を思い浮かべながら、ローガンは考え込む。しかし、母の言葉は思い出せなかったようだ。
「手を繋いで眠れる程、隣り合わせにしてやってくれ」
「わかりました。必ず」
顔も覚えていない両親の願い。ローガンは寂しそうな顔をしているが、正直レイラは今どんな顔をすれば良いか分からなかった。
ずっと会いたかった両親には二度と会えない。それはとても悲しく寂しい事なのだが、ローガン程の感情は無いだろう。
「新しいお墓が出来たら、一度だけ帰りませんか?」
「いや…行きたくないんだ、本当に」
「そうですか…」
両親の墓に行く事も出来ない程、ローガンにとって祖国は恐ろしい場所なのだ。
今生活しているネルソン家に招きたい、可愛がっている猫を抱いてほしい。そんな楽しい事を考えられるレイラよりも、ローガンの心の傷の方が深いらしい。
「そろそろお休みになりません?もう空が明るくなってきましたし」
長旅をしてきたレイラとロナルドを気遣っているのか、黙ってローガンの隣に座っていたクラリスが声を上げる。眠いと欠伸をしてみせるクラリスに、ローガンは小さく笑った。
何となく良い雰囲気の二人だなとまじまじ見ているレイラに、ローガンは何かを思い出したように首から下げていたロケットを外してレイラに手渡した。
「部屋で開けると良い。俺がずっと、肌身離さず持っていた物だよ。少し休んで、起きたら今度は楽しい話を聞かせておくれ」
「我が家の庭も自慢ですから、お散歩しましょうね」
にっこりと微笑んで、ローガンとクラリスは揃って立ち上がる。座り込んだままのレイラの手を引くと、ローガンは最後にもう一度とレイラを抱きしめた。
夫の前だろうが関係はない。兄と妹なのだから。記憶には無い、優しい温もりに包まれたレイラは、再び熱くなった目頭とツンと痛む鼻を誤魔化す様に、兄の背中に腕を回した。
◆◆◆
与えられた客室はとても広く豪奢だった。すぐに休めるようにベッドは整えられていたし、持って来ていた荷物も丁寧に置かれていた。
すっかり空は白んでいるが、流石に長旅で疲れていた二人はすぐさま着替えて眠りに落ちたい。
「何かお腹に入れてから休む?」
そう問いかけるロナルドは、衝立の向こうで着替えている。使用人の手を借りずに着替えていくのは、普段仕事で屋敷を離れている時は自分で着替えをしているから慣れているんだという言葉通り手早い物だ。
「いえ、起きてからにします」
「そっか。ほら、レイラも着替えよう。デイジーを呼ぶ?」
「いいえ、疲れているでしょうし、もう休んでいるかもしれませんし」
主を差し置いて先に休む事はないだろうが、レイラなりにデイジーを気遣っているのだ。それを分かっているロナルドは、それ以上言わずにレイラを立たせるとくるりと背中を向けさせる。
きつく締められた紐やボタンをさっさと外し、するすると服を脱がせるロナルドの手慣れている様子は何なのだろう。恥ずかしいと思いつつ、大人しくしている事しか出来ないレイラは、ただ黙って俯くしかなかった。
「別に他の女性で慣れているわけじゃないよ。商品の中に女性物のドレスがあるから、構造が分かっているだけ」
「そんな心配はしておりません」
「本当に?」
クスクスと小さく笑うロナルドは、耳まで赤くなっているレイラの項にツンと指で触れる。びくりと揺れた肩が面白かったのか、それとも何をするのだと振り返ったレイラの顔が面白かったのか、ロナルドはうっすらと涙を浮かべる程笑う。
「ごめんごめん。ほら、もう少し」
「あとは自分で出来ます!」
これ以上脱がされてなるものか。夫とはいえ男性に脱がされるというのはなんとも恥ずかしくて堪らない。ロナルドの手から寝間着を奪うと、レイラは慌てて衝立の向こうへと隠れた。
今更だろうと笑っているロナルドの楽しそうな声が何だか恨めしいが、着替えを手伝ってもらえたのは正直助かった。
火照った顔を手でぱたぱたと仰ぐが、大して意味は無い。
もぞもぞと寝間着を頭から被り、袖を通せばもう御終い。服の中に入り込んでしまった髪の毛と一緒に、先程兄に貰ったばかりのロケットを引き出す。開いてみろと言っていたが、まだ開いていない。銀で出来たそれは、細やかな装飾が施された重たい物。
少しかけていただけでこんなにも肩が重たいのに、どうして兄は肌身離さず身に付けていたのだろうか。
衝立から出ながら、レイラはロケットを手で弄ぶ。ちゃりちゃりとチェーンが擦れる甲高い音が小さく鳴るのが何だか面白い。
「ロケット?俺にも見せて」
レイラの首から下がったロケットを手に取ると、ロナルドはまじまじとロケットを観察する。
蔦が絡み合うような、立体的な彫り物。その中心に、小さな黄色の石が埋め込まれている。裏面はつるりとしていて何も彫られたりはしていないようだ。
「開けてみよう」
「そう、ですね」
何が入っているのか全く想像が出来ない。何故か小刻みに震える手で、レイラはカチリと小さな音をさせながらロケットを開いた。
そこに収まっていた小さな絵が二枚。本体部分と蓋の部分に一枚ずつ男女の絵が収められていたのだ。それが誰なのか分からないレイラの目の前で、ロナルドが小さく息を飲んだ。
「どなたかご存知ですか?」
ロナルドによく見えるようロケットを差し出したレイラが小首を傾げると、ロナルドはそっとレイラを抱きしめる。耐えられないとばかりに、小さく首を振っているようだ。
「君の、ご両親だ」
二人共横を向いている絵。向かい合うように収められたそれは、ロナルド曰くレイラの両親だという。そう言われても記憶に無い両親の姿。何度まじまじと見ても、懐かしいという感情すら浮かんではくれない。それがとても悲しかった。
「お兄様の大切なものだったのではないでしょうか」
「貰っておくんだ。きっとそれが一番良いから」
これだけ小さく、精密な絵を描ける画家はどれくらいいるのだろう。それを二人分注文できる人がどれだけいるのだろう。かつてのコリンズ家は、それが出来る程の家だった。もう既に無くなってしまった実家。それを感じられる数少ない物。顔も覚えていない両親との繋がりが、もう一つ増えたような気がした。
「帰ったら俺たちも絵を描いてもらおう。兄上に贈ったら喜んでくれるかも」
「そうですか?」
「可愛い妹の絵はきっともうこの世に一枚も残っていないだろうから。これから少しずつ増やしていこう」
悲しい話は沢山した。これから先の楽しい事を考えよう。そう言いたげなロナルドの腕の中、レイラはじっと手の中に収めたロケットを見つめ続ける。互いに愛しい相手を見つめているような両親の絵は、やはり懐かしい気持ちにはさせてくれなかった。
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