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三十三話

胸がドキドキと高鳴って煩い。ガラガラと規則正しく響く車輪の音が耳障りだ。

静かにしていたいのにそれを許してくれない雑音たち。向かい側に座って窓の外を眺めるロナルドは気を遣ってくれているのか黙りこくったままだが、きっと気まずいと思っているのだろう。

ちらちらとレイラの方に視線をやっては、まだ何も話さない方が良いと思い直して何も話さない。


互いに無言の狭い馬車の中。その気まずさが、今のレイラには丁度良かった。何か考え事をするには静かで良いのだ。耳障りな雑音たちに時折集中力を持って行かれるが、同じ事をぐるぐると考え続けてしまうのならば、時折思考を途切れさせてくれた方が良い。


真夜中に夫婦二人で屋敷を出てから丸一日経った。義理の両親たちが祭りとパーティーの進行に追われているのを良い事に、レイラとロナルドは簡単な書置きを残して黙って屋敷を出て来たのだ。


必要最低限の着替えと、レイラが必要だと思った物を大急ぎでデイジーに詰め込ませ、デイジーも付き合わせて屋敷を飛び出した。夫婦が乗っている馬車の後ろから、デイジーとロナルドの世話係であるフランクが乗った馬車が付いてきている。


突然仕事を放り出してついて来いと言われたにも関わらず、世話係二人は二つ返事で付いてきてくれた。後でお礼をたんまりと弾むようロナルドにおねだりをすべきだろう。


殆ど休まずに馬車を走らせて、ソルテリッジからどれだけ離れただろう。ダラム伯の住む屋敷まではもう少しだと聞いてはいるが、もう少しと言われてから随分時間が経ったように思う。

見慣れて来ていた海が見えなくなってどれだけ経ったのだろう。キラキラと輝く美しい海が恋しいと思ってしまうのは、これから家族の仇の元へ行くという不安から来る感情なのだろうか。


「…レイラ、声を掛けても良いかな」

「はい、ロナルド様」

「ダラム伯に…何を言うか考えた?」

「考えておりますが、何も浮かびません」


よくも、よくも、よくも。

そんな言葉しか浮かばず、顔も知らない家族の仇をどうしてやろうかなんて考え着く筈も無い。どれだけ繰り返したのかも分からない無駄な思案。

平手の一つでも入れてやれば良いのだろうか。

今のレイラは貴族では無い。ただの平民でしかなく、ソルテリッジから出てしまえば罪人の娘としか見てもらえない小娘が、伯爵位を持つ男、しかも死にかけの病人に平手など入れれば、それこそレイラ自身が罪人となるだろう。


「ただ…逃げ続けるのが嫌なだけですので」


逃げ、隠れ、守られるだけの人生なんてもう御免だ。黙って大人しくしていても、そう遠くない未来自由になれる。そう言われても、何もしないまま、守られるだけのか弱いお嬢様のままでいるのは気に入らない。


何も出来なかったとしても、死の間際に殺さずにいた小娘が目の前に現れるというイベントを起こしてやるくらいの悪戯はしてやっても許されるだろう。ただ穏やかに、家族に囲まれて死ぬという最期になどしてやらない。

まだ何も浮かばない。浮かばずとも、ただ目の前に立って笑ってやる事だけは今決めた。


◆◆◆


「お引き取りを」


屋敷に入る事すら出来ないレイラとロナルドは、深々と頭を下げ、頑なに門を開こうとしないダラム伯邸の使用人の前で立ち尽くす。

まあそうだろうなというのが二人の感想だったし、目の前の使用人はきちんと自分の仕事をしているだけだ。


「駄目なら駄目で構いません。ですが、一度このお屋敷の主に私が来たとお伝えいただけませんか?」

「お伝えする事はいたします。ですが…」

「レイラ・コリンズ…と仰っていただければ、すぐにでもお分かりになられますわ」


さあ行け。使用人如きが私に逆らうな。

冷たく突き刺さるレイラの視線に気圧されたのか、使用人はぐっと言葉を詰まらせながらもう一度頭を下げる。


「私の名を出しても駄目ならば、大人しく引き下がりますわ」


にっこりと微笑むレイラの隣で、ロナルドはお願いしますと使用人に小さく頭を下げる。早くしろと笑顔でしっかりと威圧するレイラと、その隣で少々申し訳なさそうにするロナルド。よくわからない客人が来てしまったと嫌そうな顔をする使用人の後ろから、慌てた様子で走ってくる初老の男ががちゃんと鉄の門に手を掛けた。


「レイラ・コリンズ様ですね、ようこそいらっしゃいました」

「えっ」

「良いからそこを退け馬鹿者!若様からの手紙が届いているんだ、その方々は我が家の正式なお客様だ」


恐らく走ってきた男の方が上役なのだろう。先程まで対応していた使用人は、良いのかなと小さくぼやきながら渋々門を開く。


乗って来ていた馬車を先導しながら、若い使用人はチラチラとレイラの顔を見る。何を見ているんだと再び冷たい視線を向ければ、慌てた様子でパッと顔を背けて仕事に戻って行く。デイジーたちが乗った馬車も屋敷の玄関の前に付けられ、中からわらわらと出てくる男性使用人たちによって、荷物があっという間に屋敷の中へと運ばれていった。


「大変なご無礼を…申し訳ございません」

「構わないわ。罰なんて与えないでちょうだいね。私の事を知らない事は罪ではないわ」


先程から様子の可笑しな妻を前に、ロナルドは内心困惑していた。どちらかというと大人しい性格をしている筈なのに、今の妻は強気に出ている。

まるで、由緒正しい貴族令嬢のように。


「寛大なお言葉、感謝致します」

「良いのよ。此方こそ、突然の訪問をお詫びするわ。伯爵様へご挨拶をさせていただきたくて」


そう言うと、レイラはさっさと一人で歩き始める。使用人は慌ててその後を追いかけ、こちらですと案内をし始める。

あれは本当に自分の妻か?と首を傾げながら、ロナルドもその背を追う。レイラの隣に追いつき、ちらりとその顔を覗くと、うっすらと口角を上げて機嫌よさげに微笑んでいた。


「ああそうだ、馬車での長旅になるからこんな格好だったの。伯爵様にお会いする前に着替えがしたいわ。私の世話係と着替えを寄越して。それからゆっくり着替えが出来る部屋を二つ貸してちょうだいね」


レイラの口から途切れることなく、つらつらとよく言葉が出てくる。命令する事に慣れているわけでもないのに、どう振舞えば良いのか分かっているような気がした。


「すぐにご用意いたします」

「それにしても、貴方は私を知っているのね?」

「存じております。私は男爵様にお助け頂いた一人ですから」


使用人の言葉に、レイラは小さく唇を噛んだ。何故こんな場所にそんな人間がいるのだ。何故敵の屋敷で使用人なんてやっているのだ。何故、何故、どうして。


「ローガン様は、ご無事です」

「知っているわ。貴方が助けてくれたの?」

「数人のうちの、一人です」

「そう…ありがとう、助けてくれて」


心からの礼。ダラム伯側に紛れていた味方のうちの一人だったのならば、この場所で使用人をしている事にも納得がいく。あの日から八年経ってもまだこの屋敷で働いている意味は分からないが、それは彼なりに事情があるのだろう。それを聞く必要は無い。


「恐らく今は薬が効いてお休みになられているかと思います。お目覚めになりましたらお呼びいたしますので…暫しの休息を」

「そうするわ。お腹も空いているの」

「ではお食事もお持ちいたします」

「いらないわ。その代わり厨房を貸して。デイジーに作らせるから」


信用すると思うなと固い声でぴしゃりと跳ね除けると、屋敷の扉を開いた使用人はほんの少し口角を引き上げ、笑った。


「そこの貴方!デイジーとフランクを呼びなさい!」


玄関ホールで待ち構えていた使用人の群れに向かってレイラは声を張る。

敵陣にたった四人で乗り込んだのだ。何があるか分からない。ダラム伯のした事、やっている事に賛同している者は少ないだろうと先日のブルックとのやり取りで判断してはいるが、警戒しておく方が賢いだろう。そもそも乗り込んだ時点で賢いとは言えない。


「さあロナルド様、参りましょう」


キラキラと輝くサファイアの瞳が、ロナルドの瞳を射抜いた。


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