三十一話
初めてのお祭り。昼間ほんの少し嫌な事があったが、ずっと楽しい時間を過ごしてきた。ネルソン家主催のパーティーも、それなりに楽しく過ごしていた筈だ。
義父の挨拶をきちんと聞いて、帰宅したらお疲れ様でしたと言うつもりだった。
目の前で穏やかに微笑んでいる男は誰だろう。どうして夫はこんなにも殺気立っているのだろう。エドワードまで敵意を剥き出しにしている。どうして、こんなに緊張しているのだろう。痛い程抱きしめられながら、レイラはじっと男の顔を観察した。
特に印象のない、どこにでもいそうな顔。美形というわけでもないし、醜いというわけでもない。ただ穏やかに微笑んでいるだけ。
「レイラ、行こう」
小さく囁くロナルドの声は固い。いつもよりも低いその声が気に入らなかった。嫌だとロナルドを睨むと、レイラはぐいと夫の胸を押した。
「駄目だ、離れるんだ」
「嫌です」
「レイラ!」
言う事を聞いてくれと、ロナルドは小さいながらも厳しい声を上げる。眉間に皺を寄せ、早く離れようとレイラの手を引くと同時に、会場は割れんばかりの拍手で包まれた。
「ほら、君たちも。君にとっては御父上だろう?」
穏やかに微笑んでいた男は、ぱちぱちと拍手をしながらロナルドの顔を見つめていた。
すっと細められた目。その目が恐ろしいとは思わなかった。周囲が徐々に会話に戻っていく。ざわざわと騒めく人込みの中、四人はじりじりとした緊張感に包まれたままだ。
「挨拶をしただけだ。これ以上近付かないし、君たちが警戒しているような事は何もしないと約束するよ」
「それを信じられるとお思いですか?貴方方が何をしたか!」
「忘れていないよ。忘れられる筈も無い」
男に噛みつくように声を荒げるロナルドの腕の中から、レイラは男を見つめて口を開いた。
「こんばんは、ジェフリージュニアさん。沢山の贈り物をありがとうございます」
口をきくんじゃない。きつく睨むロナルドに不満げな顔を向けながら、レイラはまだ男に向かって声を掛けた。
「私レイラ・ネルソンと申します。コリンズは実家の家名ですわ」
「ああ、知っているよ。そう呼びたかったんだ」
「では今後はネルソンと。私はこの方の妻ですので」
まだ離してくれないロナルドの腕に触れながら、レイラは言う。
困り顔で立っている男はジェフリージュニアこと、現ライトリー男爵ブルック・モーガンである。名乗られなくとも、これだけロナルドとエドワードが警戒するのなら察しがついた。
「失礼した、ネルソン夫人」
そっと頭を下げたブルックは、まだ警戒を解く気の無い男たちに順番に視線を向ける。どうしたものかと考えているようだが、彼の父がした事を考えれば無理は無い。
「話がしたかったんだ。ここでは人目が気になるから…その、別室で話が出来たら嬉しいのだけれど。勿論、君たちも一緒に」
「お断りです。行くよレイラ」
「ロナルド様、少しくらいお話をしても宜しいでしょう?男爵様に失礼ですし、私が構わないと言っているのですから」
「頼むから…」
「仇です」
じっとブルックを見つめ続けるレイラの瞳。真っ青なその色に捕らえられたように、ブルックはレイラの顔を見つめ続ける。
自分の方を見る事無く「仇」とだけ言ったレイラに、ロナルドは言葉を詰まらせる。
ダラム伯こそが最大の仇。だが、父の椅子を不当に占拠しているのは今目の間で立っている男だ。
もっと冷静でいられると思っていた。
どれだけ怒り狂っても、もう二度と元の家族は戻って来ない。元の生活には戻れない。それならば、怒ったところで無駄だと思っていたのだ。むしろ、家族の物を大切に保管し、少しずつ返してくれている事に礼をしようと思っていた。
それなのに、実際に目の前に親の仇が立っている。それがどうしても許せなかった。この場で穏やかに、「ごきげんよう」と微笑む事など到底出来る筈も無かった。
「特別室は今日は使っておりませんね。お借りしましょう。どうぞ男爵様、ご案内いたします」
「レイラ!」
「黙って逃げる事が私に出来るとお思いですか?恨み言の一つや二つ言っても許されるでしょう!私の両親は不当に奪われたのですから!」
思わず張り上げてしまった声。何事だと近くにいた人々が此方を見た。レイラが顔を赤くしてロナルドに食って掛かっている。その目の前で立ち尽くしている男がブルック・モーガンである事に気付くと、人々は息を飲んだ。
罪人の娘、レイラ。
罪人を処罰した男の息子、ブルック。
親の仇を前にしたレイラが、じっとブルックを睨みつけているのだ。これから血を見る事になるのではと、気付いた人々は緊張しているらしい。
「おい、流石に場所を移そう。これじゃ招待客に気を遣わせるだけだ」
「…クソ」
苛々と舌打ちをし、ロナルドは普段よりも荒い手付きでレイラをエスコートする。何か騒いでいる事に気付いたルークとクローディアがレイラとロナルドの方を見れば、すぐ後ろをブルックがついて行くのが見えた。
「何てこと!」
小さく悲鳴を上げたクローディアの隣で、ルークは使用人に追いかけろと指示を出す。指示をされた男は慌ててロナルドの後を追いかけたが、既に招待客たちは徐々にこれから起きるであろう騒動にそわそわと落ち着かない。
「やっぱり参加させるんじゃなかったわ…」
「言うな…」
主催者夫婦が客人を放り出して離脱する事は出来ない。どうか何もありませんようにと祈りながら、夫婦は可愛い嫁の無事を祈った。
◆◆◆
「お前まで来なくて良い」
「何かあった時人手は多い方が良い」
「私はか弱いんだけれどね」
やれやれと笑うブルックの前で、レイラを守るように立ちふさがる男二人は、苛々とした表情を隠さない。
特別室に入るや否や、レイラはあっという間に目の前に壁を作られたのだ。これでは落ちついて話をする事も出来やしないと憤慨したのだが、これ以上は聞いてやれないとロナルドに言われてしまえば、もう何も言い返せなかった。
「改めて、ライトリー男爵を務めているブルック・モーガンだ。会えて嬉しいよ」
「初めまして男爵様。お会い出来て光栄ですわ」
レイラの声は普段よりも固い。冷静であろうと思っているのに、浮かんでくる感情は「難い」という感情ばかり。目の前に立ちふさがる男たちの背中を睨みつけながら、レイラはふーっと深く息を吐く事だけに集中した。
「きっと、君は私に恨み言を言いたいだろう。君にはその権利がある。罵倒し、詰り、殴り掛かったって良い。そうすべきだ」
「どれだけ無礼な物言いをしても、お許しいただけると?」
「その通り。この場にいるのは私たちだけだ」
詰られる本人が良いと言っているのだ。それならば遠慮はいらないだろう。
だが、冷静にと視線を向けるロナルドと目が合ってしまえば小さく頷くしかない。冷静に、冷静にと頭の中で何度も繰り返しながら、レイラは静かに口を開いた。
「何故、家族の物を保管してくださったのですか?」
「君のご家族が無実であると知っていたから。そして、君が私の妻とするため生かされているとも知っていた。だから、いつか君に全て返そうと思っていたんだ」
静かに答えるブルックは、座るよと声を掛けてからソファーに座る。君たちも座りなよと向かい側に置かれたソファーを手で示したが、誰もその場から動かない事で諦めたのか、小さく息を吐いた。
「貴方様の妻になる筈だったのなら、何故私がネルソン家に嫁ぐ事をお許しになったのですか」
「私が君との結婚を望んでいなかったから。親の仇の家に嫁ぐなんて、君だって嫌だろう?私だって、妻に憎まれながら生きるなんて嫌だ。跡継ぎを残さなくてはならないのに、憎まれている相手と夜を共にするんだよ?無理だよそんな事」
私には出来ない。そう言って首を横に振るブルックは、じっとロナルドを見つめる。
「何より、彼なら君を幸せに出来ると思ったんだ。せめてもの償いとして、少しでも幸福だと思って生きてほしかった。私の自己満足だとしても、少なくとも私と結婚するよりはマシだろう」
絶対にブルックと結婚だけは無理だ。お断りだ。眉間に皺を寄せている顔は、恐らくロナルドとエドワードに隠れて見えてはいないだろう。きっと見えていてもブルックは気分を害したりはしないだろうが、今は姿を隠して貰えている事に安堵した。
「父は私を馬鹿息子だと思っているから。実際そう思ってもらっていた方が動きやすいから、金遣いの荒い駄目息子をやっているんだけれど…おかげですんなり君を金で売ったと思わせる事が出来て安心したよ。バレている可能性はあるけれど一応腕の骨を折る程度の折檻で済んだよ」
ぺらぺらと話し続けるブルックに、ロナルドは不快感を露わにする。どうやって囚われていたレイラを妻にしたのか知らなかったらしいエドワードが驚いたようにロナルドの横顔を見るのが見えたレイラは、フンと小さく鼻を鳴らした。
「駄目息子は本当の事ではありませんか?男爵家が行うべき仕事を我が家に押し付けて…不当に我が父の椅子を奪った癖に、すべき事をしないだなんて」
じりじりと頭に血が上る。どくどくと煩い胸をぐっと抑え、堪えろ、冷静になれと必死で頭の中で繰り返す。だが、レイラの頭は徐々に冷静さを失い、隙間から見えるブルックに向けて叫んでいた。
「よくも私から家族を奪ってくれたわね!お父様は何も悪い事なんてしていなかったのに!お前たちのせいで死んだのよ!」
「…そうだ。その通りだ」
掠れたブルックの声。深々と頭を下げているのがちらりと見えた。
頭を下げられても、家族は戻って来ない。もう二度と会う事も出来ない。父を、母を奪ったのは目の前で頭を下げているブルックではなくその父親だ。それくらい分かっているのに、今のレイラは怒りをブルックにぶつけるしかなかった。
「お父様が何をしたと言うの!何故死ななければならなかったの?お母様もそう!どうして!」
「何もしていない。全て我が父の欲深さのせいだ。申し訳ない」
「返して」
そう呟いたレイラの声は震えていた。
泣くものかと思っていたのに、堪える事が出来ないのだ。顔も思い出せない両親。兄はピノア家で世話をされているようだが、元気にしているのかも分からない。会いたい、家族に会いたい。寂しい。悔しい。難い。
様々な感情が次々に溢れて止まってくれない。それが苦しくて堪らない。
「男爵位を、君に返したいんだ」
ブルックのその言葉に、今度こそレイラは堪えきれずにロナルドとエドワード腕を押しのけた。完全に頭に血が上っているのだ。
ふうふうと荒い呼吸を繰り返し、奥歯を噛み締め、額に青筋を浮かべるその顔に、ロナルドは小さく息を飲んだ。
「そんなもの私に必要無いわ。家族を返して欲しいだけよ!」
「私に出来るのは、君の実家である屋敷と、爵位を返す事だけだ」
「爵位は王が与える物!貴方に決定権なんて無いじゃない!住んでいた記憶すら残っていない屋敷にだって価値は無いわ!」
怒りに我を忘れ、喚き散らすレイラはぐっとロナルドの腕を握りしめる。細い指の何処からこんな力が出てくるのか分からないが、只管痛みに耐えるロナルドは息を詰めながら表情を殺し続けた。
「どう詫びたら良いのか分からない。返せるもの全てを返すことしか…」
「一番返して欲しい物を差し出せもしないのによくも言えるわね」
レイラの言葉に、ブルックはぐっと唇を噛んだ。死んだ人間を生き返らせる事など出来やしない。そんな事は神の御業だ。それくらいレイラにも分かっている。だが今は、返してくれと喚く事しか出来ないのだ。
「詫びてどうしたかったのかしら?私が許すとでもお思いでしたの?許す筈が無いでしょう!許してほしいのなら貴方と貴方の父も、私の両親と同じように死んでちょうだい」
「レイラ」
そっとロナルドがレイラを嗜めるように声を掛ける。一瞥すら向けないレイラに、ロナルドはそっと背中に手を添えた。握りしめられていた腕はしっかりと服に皺が刻まれているが、きっと肌は痣になっているだろう。
「レイラの言う通り、詫びてどうされるおつもりだったのですか?気が済んだのならどうぞ会場にお戻りを」
「…伝えたい事があったんだ。父は…もう長くない」
ぽつりと零された言葉に、ロナルドとエドワードは目を見張る。どういう事だと凝視されている事に気付いたブルックは、簡単に状況を説明してくれた。
「父は元々持病があってね。最近悪化していて、もう殆ど寝たきりなんだ。死ぬまで秘密にしておけと言われているんだけれど、君には伝えなければならないと思ったんだ。きっと、君たちは父を警戒しているだろうと思って。父が死ねば、君は本当に自由だ」
父以外に君を狙っている人間はもういない。父が死ねば、きっと我が家は権力を失っていくだろう。父のようになれないし、なりたくない。そう呟くブルックは、力なく項垂れた。
「私は父のした事が恐ろしくて堪らない。君の御父上は、罪など無いのに無実の罪で裁かれて死んだんだ。貴族の処罰は王が決める。何故王が君の父上を処罰したと思う?」
じっとレイラを見つめる茶色の瞳。どこか疲れたような顔。かさかさと渇いている唇。顔を歪ませるようにして笑ったその顔は、誰かに苦しい感情を吐き出したいように思えた。
「私の母はね、王の愛人なんだよ。妻を愛人として差し出す代わりに、我が家は恩恵を得ている」
妻を使って権力を手にした男は、妻を使って王にねだった。邪魔な男を男爵位から廃し、ずっと欲しかった土地を手に入れた。伯爵領から離れる事が出来ず、馬鹿な息子を男爵として据え、自分の思うままに動かそうと目論んだのだと、ブルックは言った。
父が母を女として利用した。母は王の寵愛を求め、息子には興味を向ける事すら無かった。それがどれだけ悲しかったか。力なく笑うブルックは、もう一度深々とレイラに向かって頭を下げる。
「我が家の踏み台にされたんだ」
「くだらない…」
「そうだ。くだらない事で、コリンズ家の皆様には本当に申し訳のない事をした。どれだけ詫びたって、私の命を差し出したって許されない。それだけの事をしたのに、父はこれから家族に囲まれて死んでいくんだ」
同じ父親であった筈なのに、レイラの父は冷たく薄暗い牢で死んだ。ブルックの父は温かく柔らかい布団の中で死んでいく。
神はなんて残酷なのだろう。不平等なのだろう。どうして、なんの罪も無い父が牢の中で死ななければならなかったのだろう。
「どうか、苦しみぬいて死んでいただきたいですわ」
「そうなると思うよ。今でも痛みに苦しんでいるから」
「それは良かった。少しは気が晴れるかもしれません」
持病とやらがどんなものかは知らないし知りたくもないが、苦しんでくれるのならその方が良い。少しでも長く苦しみ、苦しみぬいた後に死んでほしい。そんな感情を抱いてしまう事は嫌だったが、どうしてもその気持ちが拭えない。
「神に誓うよ。レイラ、君を狙う人間は父しかいない。誰も大金持ちのコリンズ家令嬢を狙ってなんかいない。父に命令されて仕方なく動いている人はいたけれど、私が全てやめさせる。やりたくないと散々訴えられているしね」
「…では、私はもう屋敷に閉じこもらなくても宜しいのですか?」
「そうだ。自由に出歩ける、普通の女性のようにね。だから父が死ぬまでのもう少し、待っていてほしい。すぐに報せを出すから、それまでは待っていて」
ゆっくりと冷静さを取り戻しつつある頭では理解が追い付かない。どうにかして自由になりたい、夫と共に明るい日の光の元を歩いて行きたい、何にも怯える事なく生きたい。そう思っていたのだが、まさかこんなにも簡単に話が進むとは思わなかったのだ。
「…帰ります」
「うん。折角の楽しいお祭りだったのに、こんな話をして申し訳ない。君たちも、話をさせてくれてありがとう。気を付けてお帰りよ」
ひらひらと手を振るブルックに背を向け、レイラはふらふらとする足を必死で動かして歩き出す。
何故、どうして、許せない。
ぐるぐると回る感情がこみ上げ止まらず、レイラの目からはぽたぽたと涙が零れて止まらなかった。
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