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二十八話

結局ブランサム教会について話す事が出来ないまま数日。レイラもロナルドもバタバタと忙しい日々を過ごし、時々アイリスもそれに混じる。若人がそれぞれ忙しくしながら、家の仕事を覚えようと必死になっている姿を優しく見守りながら、クローディアはまた贈られてきたレイラ宛の荷物を腕に抱えている。


「お義母様、どうかされたのですか?」

「貴方宛よ。ジェフリージュニアから」

「まあ、随分沢山お持ちですのね」


やれやれと呆れた溜息を吐きながら、レイラは手渡された小さな箱を開く。粗末な木箱。腕に抱えるどころか片手で持てる程の軽いそれをそっと開くと、中に収められているのは何通かの手紙のようだ。


レイラ、ローガンと書かれた封筒が入っただけの箱。誰からの物だろうと首を傾げ、レイラは自分の名前が書かれた封筒を一つ手に取った。


細い線で書かれた文字。何となく震えてしまう指先で、そっとその文字を辿る。誰からの手紙なのだろう。浮つき動揺する心を必死で落ち着かせながら、レイラは封筒を開き、手紙を取り出した。大きく息を吸い込み、深く吐き出す事を繰り返す。


レイラ、今頃どうしているのかしら。きちんと食事を摂れているかしら?好き嫌いの多い子だから、出された物を大人しく食べるなんて事が出来ているのかしら。修道院に行ったと聞いたけれど、この手紙を届けてもらえるような、寛容な所にいてくれたら安心なのだけれど。


母だ。記憶の中に母の文字は無いが、こうして幼い娘を心配する言葉ばかり書き連ねるのは母に決まっている。

自然と溢れて落ちていく涙。カサカサと紙が擦れる音をさせながら、レイラはゆっくりと母からのものであろう手紙に目を通す。


元気にしているかしら。

きちんと食べているかしら。

ゆっくり眠れているかしら。

酷い事はされていないかしら。

会いたい、抱きしめたい。

私の可愛い子。愛しているわ。


次々と読み進める他の手紙にも、必ず書かれている言葉たち。それら全てが、レイラの胸を締め付けた。殆ど何も思い出せなくとも、こうして書き残された母からの愛は受け取る事が出来た。


母に直接言ってほしかった。抱きしめてほしかった。名前を呼ぶだけでも良いから、母に、家族に会いたい。


「レイラ…」

「もう、し、申し訳ありませ…っ」


ひくひくと引き攣る喉で、呼吸も乱れてしまっていてはまともに義母に返事をする事すら叶わない。

今はもうコリンズ家の令嬢では無い。ネルソン家の妻として生きるなんて言っておきながら、こうして母を想って泣いてしまう。それが何となく申し訳が無かった。


「お母様からね。大切に取っておきましょう。箱はこのままにする?それとも、何か素敵な箱を用意しましょうか」


忘れる必要は無い。そう言ってくれるクローディアは、レイラが落ち着くまで優しく背中を摩ってくれた。


◆◆◆


「どうして早く言わないの!」


レイラの前で仁王立ちになるクローディアは、ぶつぶつと小言を言っては大きな溜息を吐く。

大泣きしたレイラが落ち着いた頃、ブランサム教会に行けというメッセージがあった事を話したのだ。


「何があるのかは分からないけれど、これだけコリンズ家の物を贈ってくる相手なのだから何かあるのでしょう。誰か行かせるから、暫く待って頂戴ね」


すんすんと鼻を鳴らすレイラは、きょとんとした顔をクローディアに向ける。

言わずにいた事は叱られたが、家族に関する情報が何かあるかもしれないのなら、いくらでも手を貸してくれるとクローディアは言う。


「宜しいのですか…?」

「貴方を直接行かせることは出来ないけれど、協力くらいはさせてちょうだいな。レイラは私の可愛い娘なんだもの」


二人目のね。そう付け足したクローディアは、まだ涙目のレイラの頭を優しく撫でた。実の娘は既に嫁に出てしまったと前に言っていたし、レイラはその娘にまだ会った事が無い。ソルテリッジから遠く離れた場所に屋敷を構える伯爵家へ嫁いで行った事しか知らないのだ。


「奥様、レイラ様失礼いたします」


二人で話していたサンルームの扉を、執事が軽くノックしながら入ってくる。何事かと二人で振り向けば、来客だと告げられた。


「約束は無かったと思うけれど」

「はい。突然の来訪をお詫びすると仰せでした」

「そう。何方かしら?」

「…コリンズ社副社長、オズモンド氏です」


少し迷ったような口ぶり。クローディアはぱっとレイラの手を取ったが、レイラはその名前に聞き覚えが無い。だが、コリンズ社の副社長であるという事だけに反応した。


「船の修繕なんて頼んでいないわよ」

「レイラ様にお目通りをと」

「私にですか?」

「駄目よ。お帰りいただいて」


クローディアの厳しい声に、執事は恭しく頭を下げる。この家の女主人宛の客人では無いが、女主人が帰らせろと言うのならばそれに従うしかない。


「お義母様、私会いたいです」

「レイラ、駄目よ。今のコリンズ社は男爵家の傘下なんだから」

「私のお客様です。私一人で会うのが心配なのならば、お義母様も一緒にいてくださいませんか」


それなら良いだろうという思いを込めて、レイラは握られた手をぎゅっと握り返す。

コリンズ家に関わる人にはいつか会ってみたかったのだ。会いたいと思っていた人がわざわざ来てくれたのだから、これを逃がしてはならない。いくら義母が反対しようとも、レイラは譲る気は一切無かった。


「お義母様、私はいつまでも守られるだけの子供でいたくはないのです。お義母様と一緒に、気軽に街にお買い物に出る事だって出来ないのですよ?いつまでもそんな生活をしていたくはありませんもの」


今よりも楽しい日々を一緒に過ごせたらどれだけ素敵だろう。にっこりと微笑み、一緒に行こうとクローディアの手を引きながら立ち上がると、レイラは執事に案内しろと小さく頷いた。まだ執事は迷っているようだが、大人しく手を引かれるクローディアの様子を伺いながら、玄関ホールのすぐ脇にある応接間に二人を案内した。


「お茶の支度をお願いね。オズモンドさんがお好きなお茶菓子もあったら良いのだけれど」

「はい、最高のおもてなしをさせていただきます」

「それでこそネルソン家の使用人だわ。流石ね」


にっこりと微笑むと、執事は「使用人を褒めすぎです」と窘めつつも嬉しそうな顔をしていた。きっとこの後使用人エリアに降りたらレイラの言葉を皆に伝えてくれるだろう。そうして、褒められた使用人たちはまた張り切って仕事をしてくれるのだ。


「お待たせいたしました」


応接間の扉をノックし、執事はそっと扉を開いてレイラとクローディアを促す。

中で待っていた初老の男は、二人の姿を見るなりすぐさま立ち上がって頭を下げた。貴族でもない女二人に向かって、深々と。


「お約束も無く、突然の訪問大変失礼をいたしました」

「こんにちはオズモンドさん。どうぞお掛けになって」


固い声色で、クローディアはオズモンドを座らせようと声を掛ける。頭を下げていたオズモンドがそっと頭を上げると、その視線はレイラに向けられ動かなかった。


「初めましてオズモンドさん。レイラ・ネルソンと申します」


ドレスをちょんと摘み、ゆったりとお辞儀をするレイラに、オズモンドは唇をふるふると細かく震わせる。


「トラヴァー・オズモンドと申します」


そう名乗ったオズモンドの声は震えていた。うっすらと目に涙を溜め、泣き出さないように必死で拳を握りしめ耐えているようにも見えた。


「私にご用事でしょうか?」

「ただ…お会いしたかったのです」


しゃがれた声を震わせるオズモンドは、今度こそ耐え切れないとばかりにぽろぽろと涙を零す。

自分よりも随分年上の男が泣き出した事に狼狽えたレイラがちらりとクローディアの顔を覗き見ると、クローディアもどうしましょうと困ったように眉尻を下げていた。


「お嬢様、申し訳ございませんでした」


泣き出したと思えば、今度は謝罪をしだすオズモンドは深々と頭を下げる。頭を上げてくれと懇願しながらレイラが肩に触れると、オズモンドは何度も小さな声で「申し訳ございません」と詫び続けている。

何をそんなに詫びる必要があるのだろう。そう声に出してはいけないような気がした。


「オズモンドさんはね、貴方のお父様の時代からコリンズ社にいらっしゃる方なのよ」

「そうなのですね。父が大変お世話になりました」


この挨拶が正解なのかは分からない。だが、他になんと声を掛ければ良いのか分からなかったのだ。ぐしぐしと服の袖で涙を拭ったオズモンドは「失礼」と零して鼻をすんと鳴らす。


「私に謝罪する為に会いに来てくださったのですか?」

「いえ…はい、お詫びはいつかさせていただきたかったのです。ですが、我らのお嬢様がネルソン家に嫁いだと聞いてからずっと、ご結婚のお祝いをしたいとも」


我らの、とはどういう事なのか。昔の記憶を殆ど失っているレイラは、オズモンドの話がいまいちよく分からない。もしかすると、かつての自分はこの男に会った事があったのだろうか。可愛がってもらっていたのだろうか。


困惑するレイラを見つめるクローディアは、使用人がお茶の支度をしに入って来た事でさっさと自分の席を陣取る事にした。


「お二人共、立っていないでどうぞお掛けになって。昔話をするのなら、座ってお茶を楽しみながらにしましょうよ」


オズモンドの突然の訪問に警戒していたクローディアは、レイラに自分の隣に座れと手招きをする。レイラもクローディアが心配している事は理解している為、大人しくクローディアの隣へ座った。


「奥様の仰る通り、私は前ライトリー男爵様の時代からコリンズ社に努めております。現在は副社長を名乗らせていただいておりますが…お嬢様、レイラ様が幼い頃はまだ設計部門の長でした」


使用人に出されたお茶を飲みながら、レイラは黙ってオズモンドの話を聞く。

幼いレイラは時々父親に連れられて遊びに来ていた事。お嬢様お嬢様と誰からも可愛がられ、レイラはいつでも嬉しそうに微笑み、あれは何だこれは何だと様々なものに興味を持っていたらしい。そして、大人たちは知りたがりの幼子を邪見にする事無く、丁寧に教えてやっていたそうだ。


「旦那様が罪人などと呼ばれ、ご家族があんな…私共は何も出来ませんでした。お嬢様をお助けする事も、何も」


申し訳ない、お詫びしてもしきれない。そう頭を下げ続けるオズモンドを前に、レイラはどう反応すれば良いのか分からない。どれだけ詫びられたところで、家族が戻って来ることは無いし、記憶が無い以上今目の前で頭を下げる男は初めましての赤の他人なのだ。


「ねえオズモンドさん。私子供の頃の記憶が殆どありませんの。家族の顔も思い出せません。ですから、オズモンドさんの覚えている家族のお話を聞かせていただけませんか?」


にっこりと微笑むレイラに、オズモンドはぽかんとした表情を向ける。

どうして何も出来なかったのだと詰られるとでも思っていたのだろうか。レイラにオズモンドを責める気はさらさらなかった。貴族ですらない、ただ経営している会社の社員たちに何が出来ると言うのだろう。何も出来なかったとこうして詫びてくれるだけで、それだけで充分だった。


「お嬢様は…奥様によく似ておられます」

「そうなの?」

「はい。お美しくなられました」


また涙ぐみ始めたオズモンドは、沢山の話をしてくれた。レイラの容姿が母に似ている事。レイラの兄であるローガンは父に似ていたが、今生きていたらもっと似ていたかもしれない事。

両親はとても仲が良く、子供たちを見守りながら海辺で手を繋いで歩いている姿をよく見た事。


その光景を二度と眺められない事が、残念でならないとオズモンドは言った。


「今のコリンズ社は、社長は現男爵であられるブルック様がお勤めですが、実際は私が経営を任されております。社員たちの顔ぶれも、殆ど以前と変わっておりません」


いつか家族が戻ってきたら、すぐにでも元の会社に戻れるように守っていたかったのだと、オズモンドは言う。

両親が既に死んでいる事、跡継ぎだったローガンの死も既に知っている筈なのに、それでも唯一生き残ったレイラが戻って来てくれたなら、すぐにでも会社を取り戻そうと計画していると、オズモンドは拳を握りしめた。


「ありがとうございます、オズモンドさん。でも私はもうネルソン家の妻になったのです。コリンズに戻るつもりはありません」

「そんな…ご両親の遺した会社なのですよ?経営も順調ですし、職人たちの腕も落ちてはおりません。いつお戻りになられるかと我々は今か今かとお待ちしておりましたのに!」


絶対にレイラがコリンズ家に戻って来ると思っていたのだろう。理解出来ないと言いたげな顔で、ゆるゆると首を横に振るオズモンドに、レイラは申し訳なさそうな顔を向けた。


「ごめんなさい。思い出せなくとも、家族の事は大切です。ですが、私はこれから先を生きて行かなければならないのです。私の生きる道は、このネルソン家で、夫であるロナルド様と共に生きる道。手を取り合い、愛し合っていた両親のような夫婦になりたいのです」


穏やかな声で、静かにそう語るレイラの声に、隣に座るクローディアはそっと目を伏せる。元の家族をすっぱり諦めてしまったレイラに申し訳なく思う心と、息子と生きる道を選んでくれた嬉しい気持ちがせめぎ合っているのだ。


「ですが、私は我儘なのです。だから、これからするお話は私の我儘です」


にっこりと可愛らしく微笑んでいたレイラは、一口紅茶を飲み込むと、こんどは悪だくみをしているようににんまりと笑ってみせた。


すっと細められた目。

ぎくりと肩を強張らせたオズモンドは、僅かに怯えた目をレイラに向ける。大方贈り主から口止めでもされているのだろう。それとも、母に似ていると言っていたこの容姿で睨まれると、母に睨まれたような気分にでもなるのだろうか。


「コリンズ社に遊びに行かせてくださいませんか」

「それは…勿論、歓迎致しますが…」


レイラに返事をしながら、オズモンドはどうしますかと問うようにクローディアに視線を向ける。

大きな溜息を吐きながら、クローディアは頭を抱えているようだがレイラは気が付かないふりをして微笑み続ける。


「コリンズ社は私の実家でもあるのでしょう?嫁いで行った娘が実家に里帰りをするなんて、よくある話じゃありませんか。ねえお義母様?」

「レイラ…それをあっさり許せると思っているの?」

「許してくださるでしょう?」


自信満々に微笑むレイラに、クローディアは駄目だと小さく呟いた。だが、レイラはそれでめげる程大人しくなくなっている。本来のレイラは、可愛らしく我儘を押し通すような女の子だったのだ。長い修道院生活ですっかり大人しくなっていたが、ここ最近ネルソン家でのびのびと、愛情をたっぷり注がれて生活しているうちに、本来の性格を取り戻しつつあった。


「今日これから行くわ。構わないわよね?」

「はい、お嬢様。我々はいつでもお嬢様のお戻りをお待ちしております」


もうクローディアは止める事を諦めたらしい。出かける支度をするよう使用人に言いつけると、オズモンドにここで待つように言いつけた。


「私も一緒よ」

「はい、勿論」


もう迷いはない。

これから先共に生きて行くのはロナルドだ。だが家族を忘れる気は無い。それで良いときっとロナルドは言うだろう。コリンズ社に行って何をするかは決めていない。ただ、黙って大人しく守られているだけの生活には飽き飽きだ。

かつての家族を思い出せる場所、これから先守っていきたい場所の一つになるであろう場所にこれから向かう事が出来ると言う事に、レイラの胸は高鳴っていた。


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