二十一話
風は冷たくとも、日の光はとても暖かい。少し厚手のストールを肩からかけ、レイラは一人のんびりと庭を散歩していた。
普段あまり一人で散歩をする事は無いが、今日は何だか一人になりたかった。クローディアと過ごす時間はとても有意義なのだが、流石に長時間、それも連日ともなると流石に疲れてしまう。ほんの少し、そうほんの少しだけ休憩をするつもりで部屋を抜け出し、気楽な一人の時間を楽しんでいた。
ふらふらと、何を目当てにするでもなく歩く。のんびりと、ただふらふらと。
頬を撫でるひやりとした風。本当に冬が近くなってきた。先日は調子に乗ってクローディアにあれこれと提案してしまったが、気を悪くされたりしなくて良かった。もう少し寒くなったら、使用人たちにも冬支度をさせなくてはならない。ネルソン家に嫁いできてから初めての冬。修道院にいた頃は、部屋に押し込められているうちに支度は済んでいたが、これからはそうではない。クローディアの手伝いをして、ロナルドの帰りを待つ事になるのだ。
何をするのかは簡単に説明をしてもらってはいるのだが、実際にやってみない事には想像する事も出来なかった。屋敷の中を整え、厳しい寒さに耐えるべく支度をする。今年の冬は穏やかだろうと言われてはいるが、それでも寒いものは寒いだろう。
本格的な冬となれば、社交シーズンも終わりだ。王都に出たりあちこちに出ていた各地の領主たちや貴族、金持ちたちが本邸へ戻る時期。このソルテリッジにも戻って来る人々が多いだろう。そういえば、現ライトリー男爵は王都に出ていてそろそろ戻って来る筈と聞いた。会う事は無いだろうが、向こうから接触してこないとも言い切れない。もし会うとなったらどうしよう。会いたくないな、ロナルドの背中に隠れてしまおうか。
ぼんやりとあれこれ考えながら、レイラはふらふらと足を進める。庭のあちこちを歩き回るつもりでいたのに、ふと気が付くと猫の置物が飾られた一角で止まっていた。
いつだったかロナルドが寝ぼけて呼んだ、かつての愛猫の墓標。つるりとした滑らかな石で出来たそれを撫でながら、レイラはそっとその場にしゃがみ込んだ。
石で出来ていても、とても美しいその猫が生きていた時は、どれだけふかふかと柔らかい毛並みをしていたのだろう。この家の優しい人達に囲まれ、愛され、幸せな一生を過ごしていたのだろうか。
「ベル、今日は良いお天気ね」
ふと、本当に生きている猫に話し掛けるように声をかけてみた。何となくそんな気分だったというか、ふいに出て来ただけの言葉だったのだが、何処かで小さく「にゃあ」と返事が聞こえたような気がする。
「此処は素敵なお庭よね。あなたはいつも素敵な景色を眺めているのね」
冷たくなってきた空気に冷やされ、物言わぬ ベルはじっと真直ぐ前を見据えたまま座り続けている。美しく整えられた庭をじっと見つめるその目は、何色をしていたのだろう。
「素敵だけれど、これからは少し寒くなりそうね」
何かかけてやれるものでも持ってこようか。そんな事を考えて、相手は本物の猫ではなく石で出来た墓標である事を思い出してふっと口元を緩ませた。それ程、この猫は本物そっくりなのだ。
どこの職人が手掛けた作品なのだろう。悲しくとも家族の一員であった猫をいつまでも愛し続けているネルソン家の人々の愛情なのか、ベルの周囲には可愛らしい花がいつも咲いている。
「…気のせいかしら」
そよそよと流れる風の音。その中に、微かに猫の鳴声が聞こえるのだ。何処から聞こえるのか分からない。きょろきょろと周囲を見回し、レイラは立ち上がる。
小さく弱弱しい鳴き声。まだ小さな子猫なのだろうか、みゃあみゃあと不安げに泣いているように聞こえた。
「何処かしら、猫ちゃん?」
驚かせないようそっと声を掛けながら、レイラは近くの草木を掻き分ける。昼間はまだ温かさが感じられるが、朝晩はそれなりに冷えるようになってきた。これだけ弱弱しい鳴き声を上げる猫が、明日の朝温かいままでいてくれるとは思えない。
そう思うと、レイラは徐々に焦りを覚える。何処に居るの、出ておいで。何度もそう繰り返し手を突っ込んだユキヤナギの根元に、鳴き声の主は縮こまっていた。
「見つけた…」
ぶるぶると震え、顔は目やにでべたべた、誰が見ても綺麗だとは言えない見た目をしながらも、子猫は生きる事を諦めていないように見えた。ぎらぎらと瞳を輝かせながらシャーとレイラを威嚇していた。
「さあいらっしゃい、怖くないわ」
そっと手を伸ばしたレイラに、子猫は一瞬動きを止めた。レイラの手の温かさに縋るように、ぶるぶると震える体をそっと摺り寄せる。
助けて、生きたい。
そう言っているように思えた。
◆◆◆
散歩に出た筈のレイラが小さな猫を抱えて戻ってきた事を知ると、クローディアは大慌てで子猫の世話用品を揃えてくれた。使用人たちは任せてくれと訴えたが、レイラは頑なに自分がやると言い張った。
固く絞った布巾で顔を拭いてやったり、暖炉の傍で体を温めてやったりと、出来そうな事をあれこれ試した。クローディアが手配してくれた温めたヤギのミルクを小さなスプーンで口元に差し出す事を繰り返し、子猫も少しずつミルクを舐めた。
「頑張ってね、生きなさい」
そう何度も繰り返し、レイラは昼過ぎから子猫に付きっ切りだ。既に窓の外は真っ暗で、少し前にロナルドとルークも戻って来ている。レイラが自室に籠り切りで猫の世話をしていると聞くと、男たちは二人で顔を見合わせていた事を、レイラはまだ知らない。
コンコンと小さなノック。どうぞと簡単に返事をすれば、細く開かれた扉から顔を覗かせるロナルドが遠慮がちに手をひらつかせた。
「ただいま。どう?子猫の様子は」
「おかえりなさいませ。まだ…分かりません」
暖炉の前で床に直接座るレイラの膝の上で、子猫は小さく丸まっている。温まったのか震えは止まっているが、ぐったりとしていて今にも冷たくなってしまいそうだった。
「朝を迎えられると良いんだけれど」
「この子、私の手に擦り寄ったのです。まだ生きたいと思っているのではないでしょうか」
生きようとしているのなら、出来る限りの手助けをしてやりたい。まだこんなにも小さいのだ。生まれてからまだ一か月程度ではないだろうか。まだまだ死ぬには早すぎる。この子はまだ生きるべきだ。そう思うと、どうしてもレイラはこの子猫から離れる事が出来なかった。
「ミルクは飲んでいるのかな?」
「ええ、少しだけですが舐めてくれました」
「そっか。それならきっと大丈夫。この子は強い子だよ」
綺麗にするより先に温める事を優先したせいで、子猫は泥だらけのままだ。元々の毛色も分からない程汚れている猫が、うっすらと目を開く。キトゥンブルーの瞳が、じっと暖炉の炎を見つめているように見えた。
「おはよう可愛い子。寒く無いかしら?」
そっと猫の背中を撫でながらレイラは問う。その問いに答えられる程の体力が無いのか、それともその気が無いだけなのか、子猫はまた目を閉じてか細い寝息を立て始めた。
「ロナルド様」
「うん?」
「私、この子と一緒に暮らしたいです」
「良いよ。俺との時間も大事にしてくれるのならね」
暖炉の前で若い夫婦は並んで座る。レイラの膝の上で眠っている子猫を優しく見守りながら。
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