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二話

目の前に並べられた煌びやかな首飾りたち。どれもこれも大粒の宝石がこれでもかと飾られ、見ただけで相当高価な物だという事が分かる。

窓から注ぐ日の光を反射し輝くそれらの他にも、指輪やブレスレット、髪飾りにピアス…大金持ちの妻に贈られる物ならば、頼まれていた首飾り以外にも購入してもらおうという商人の下心が現れているように思えた。


「うん、レイラの瞳に合わせるのなら、こっちのサファイアが良く合うね」

「流石ネルソン様!此方は新作でして…奥様の白い肌をより一層美しく引き立てるかと!」


手を揉みながら目尻を下げて笑う商人は、ちらりとレイラを見る。

ネルソン家と言えば、爵位こそ無いものの国内で一、二を争う大金持ち。貿易で財を成し、親戚たちも会社を営んでいたり、貴族とのつながりもあるような家だ。中には貴族家に嫁いだ女性もいる。そんな家の次期当主であるロナルドの結婚は、新聞でも大きく取り沙汰されていた。


「奥様のお好みを存じませんので、何か気に入っていただける物があると宜しいのですが」

「旦那様がお選びください」


無表情のまま、じっとテーブルの上の装飾品を見つめ続けるレイラの冷え切った声に、商人は息を飲んで動きを止める。

普段ならば、これだけの量の品を持って行けば女性たちはキラキラと目を輝かせる。だというのに、レイラは全く興味が無いのか、面白くなさそうにつまらなそうな顔をして殆ど身動きすらしないのだ。


「妻は無欲でね。私は美しく着飾ってくれるのが嬉しいのだけれど」


困ったねと笑うロナルドは、慣れた手付きであれもこれもとレイラに首飾りを当てては「違うかなあ」と呟いてテーブルに戻していく。


別に欲しくもない物を選ぶのに、どれだけ時間をかけるつもりなのだろう。早く帰ってくれないかなとうんざりし始めたレイラは、ちらりとテーブルの端に置かれていた箱に視線をやる。


何処かで見た事のあるそれは、深い赤の布が張られた小箱だった。記憶の片隅、似たような箱を見た事がある気がした。だがそれが何処で見た記憶なのか全く思い出せない。


じっとその箱を見つめ、小箱の中身は何だろうと考える。

朧げな記憶の中、確かまだ家族と一緒に暮らしていた頃の記憶をぼんやりと思い起こす。母の部屋にこっそり入り、あの箱を見たのだ。それを思い出した瞬間、ロナルドはレイラが箱を見つめている事に気付き、ひょいと取り上げるとそっとレイラの手に握らせた。


両手に収まる程度の小さな箱。少しずつ思い起こされる記憶。確か子供の頃は、この箱の中に何が入っているのか知らずに開いた。開いた途端、目に飛び込んできたのはキラキラと輝く指輪だったのだ。


「気になるのなら開けてみると良い。気に入るかもしれないよ?」


似ている箱なんてこの世にいくらでもある。幼い頃住んでいた屋敷にも似たような箱があっただけ。

どくどくと早鐘を打つ心臓。落ち着け、これはあの箱じゃない。母の部屋にあった、あの指輪が収められていた箱では無い。これは似ているだけ。あれが此処にある筈が無い。そう言いかせながら、レイラは震える手で箱を開いた。


「…どうして」


収められていたのは指輪だった。

大粒のルビーと、それを囲う小粒のダイヤたち。あの日見たのと全く同じ指輪がそこに静かに収まっていた。


「何故これが此処にあるのです。この指輪の元の持ち主を貴方はご存知ですの?」


震える声で、縋るようにレイラは商人に問う。突然様子の変わったレイラに、商人は驚いたようだったが、その指輪は売られてきたのだとだけ言った。元の持ち主が誰なのかはよく知らないとも。


「元の持ち主を、奥様はご存知なのですか?」

「私の母の物です。これは父が母へ結婚の申し込みをする時に贈ったもの…何故これが此処に!母の指に嵌っていた筈なのに!」


あの日箱に収められていたのは、両親が親戚の葬儀に行くからだった。葬儀に真っ赤な指輪をして行くのは宜しくないからと、母は珍しくその指輪を外して部屋に置いて行ったのだ。

一度で良いから指輪を嵌めてみたくて、母に何度も強請ったが、母はそれは駄目だと決して外してくれなかった。でも外しているのだからとこっそり部屋に入り込んだのだ。何処にあるのだろうと部屋のあちこちを探して回った。

赤い小箱を見つけ、これは何だろうと開いて見つけたのが目当ての指輪だった。大きすぎて綺麗に嵌る事は無かったが、こんなものかとすぐに飽きた幼いレイラは、元に戻して部屋を出た。

あの時の指輪が、またこうして手の中にある。大事にしていた指輪を一緒に埋葬してもらう事すら出来ず、母は何処で眠っているのかも分からない。


ボロボロと涙を零すレイラに、商人はどうしたら良いのだと言わんばかりに視線をうろつかせる。レイラの隣に座ったロナルドは、落ち着かせようとレイラの背中を摩る。


「折角来てくれたのにすまないね。この指輪だけ貰えるかな?レイラ、指輪と一緒に部屋にお戻り」

「はあ…」


商人の戸惑いの声と共に弾かれたように立ち上がり、レイラは指輪の収められた小箱を胸に抱えて走り出す。止まらない涙が頬を濡らす。

母親譲りの金の髪が、濡れた顔に張り付いて不愉快だ。優しかったお母様。お母様今何処に居るの。どうしてこの指輪を嵌めていないの。どうして、どうして、どうして。

どれだけ泣いても、指輪の主は現れてはくれなかった。


◆◆◆


小箱を抱きしめたまま、レイラはベッドに倒れ込んで動かなかった。

商人を帰したロナルドがそっと部屋に入って来ても、全く構う事無くぼうっとシーツを見つめ続ける。


「少しは落ち着いた?」


張り付いてしまった髪を優しく退かしながら、ロナルドは優しく声を掛ける。虚ろな青い瞳を覗き込み、起きている事だけ確認すると、満足したのかすぐに隣に座り直してレイラの頭を撫でた。


「お母上の指輪だったんだね。勝手に買い戻してしまったけれど…良かったかな」


ロナルドの問いに言葉を返す事は無いが、レイラは僅かに頷いた。ぎゅうと手の中に収まる箱を握りしめ、また溢れて来た涙を堪えるようにシーツに顔を埋める。

すんすんと鼻を鳴らすレイラの背中が小刻みに震える。妻が泣いている事を分かっていて、ロナルドはただ黙って頭を撫でるだけだ。


罪人として裁かれた家族。幼かったからという理由だけで、一人生き延びてしまった。もう二度と家族には会えない事を再確認してしまったような気がして、胸が苦しくて堪らない。きっと、昔住んでいた屋敷はすっかり空にされて売りにでも出されたのだろう。母のドレスや宝石だけでは無い。父が大事にしていた剣や嗅ぎ煙草入れも。兄の本や可愛がっていた馬も。何もかも無くなった。八年前のあの日から、もう何も無くなってしまったのだ。


何も無い。あるのは罪人の娘というレッテルだけ。元貴族令嬢ではあるが、本当に何も無いのだ。持参金すらない痩せこけた娘を、ロナルドもその両親も優しく受け入れてくれた。何不自由なく生活出来るようにしてくれたし、それが当たり前なのだとさえ言った。


恐ろしいのだ。

何も返す事の出来ないレイラに、ここまで優しくしてくれる意味が分からない。腫物に扱うように、余所余所しくされる事にも、一人きりで退屈な時間を過ごす事にも慣れている。罪人の娘となじられるのは不愉快だったが、よくある事だったしそれにも慣れた。


だが、優しくしてもらえる事には慣れていない。何かしてもらったらお礼をしなさいと両親に言われて育った記憶はあるが、今のレイラは「ありがとう」と言葉にする事しか出来ない。見返りは何も差し出せない。夫に縋らなければ生きる事も出来ない。

それがどれだけ苦しい事か、頭を撫で続けるロナルドには分からないだろう。


「何か飲んで落ち着こうか。顔も拭いて。起き上がれる?」


起きなさいと体を抱き起こすロナルドに逆らう事なく、レイラはゆっくりと体を起こした。泣きすぎて気分が悪い。コルセットで締め上げられた体で走ったり泣いたりしたのだから仕方ないだろう。酸欠状態でくらくらとする頭を持ち上げながら、レイラは恨めしそうな目をロナルドに向けた。


「何が飲みたい?」

「何も」

「うん、レモネードにしようか。持ってくるから、顔を拭いておくんだよ」


要らないという言葉を聞き入れる気が無いのか、ロナルドはさっさと部屋を出て行く。入れ替わりに部屋に入ってきたメイドは、水を張った盆と布を手にしている。


サイドテーブルにそれを置くと、メイドは手早く布を濡らして絞り、どうぞとレイラに差し出した。


「いらないわ」

「私が旦那様に叱られます」


自分のせいで使用人が叱られる。それはレイラの嫌がる事の一つだった。渋々布を受け取ると、レイラは大人しく顔を拭いた。冷たい水を持って来てくれたのか、火照った顔をひやりと冷やしてくれた。


「ありがとう」


一通り顔を拭き、控えていたメイドに向かって礼を言いながら布を返す。にっこりと微笑んだメイドは、布を受け取ると「ご用はありませんか」と聞いた。それに首を横に振ると、メイドはぺこりと頭を下げ、盆と布を持って部屋を出て行った。


膝の上に転がしていた小箱。もう一度開けてみても、中には変わらず母の指輪が収まっている。

大きなルビー。深紅のその石が母の指で輝いていた事を覚えている。これは私のお守り、宝物なのよと嬉しそうに笑っていた母のことも。他にいくらでも指輪を持っていたのに、この指輪はいつだって母の指に陣取っていたのだ。


「お待たせレイラ。飲めそうかい?」


ノックとほぼ同時に入って来たロナルドの声に驚き、レイラはパタンと箱を閉じた。隠す必要は無いのに、両手でしっかり握って小箱を隠す。

ロナルドは持ってきたグラス二つと、レモネードが入ったピッチャーをサイドテーブルに置くと、そっとレイラの隣に腰かける。


目元が赤くなっていたりしないかと、レイラの頬に指先だけ触れた。


「ごめんね、辛い思いをさせたみたいだ」

「旦那様が謝る事ではありません」


何も知らない商人が、たまたまこの指輪を持って来ていただけの事。確かに母がもう何処にもいない事を再確認して辛い思いはしているが、誰も悪くないのだ。ロナルドが謝る必要もない。


「母の持ち物を一つ取り戻せました。ありがとうございます」

「良いんだ。他にもご家族の物が見つかったら、いくらでも取り戻そう。いつか屋敷も取り戻せるようにするから」


時間は掛かるかもしれないけどねと付け足し、ロナルドはそっとレイラの背中を摩った。

どこまでも優しい人なのだろうが、その優しさが恐ろしい。いつか飽きたら、また放り出されるのではないか。何も持たない利用価値も無い女を妻に望んだ理由も分からない。


この一か月、いつ放り出されても良いように、嫁いで来た時に持ってきた荷物をそのまま置いてある。たった三着の服。使い古した下着や靴も、たった一冊の本も。全て大事に仕舞い込んだまま、裸で追い出されても何とかなるように。


「何故そんなに良くしてくださるのですか?私は何も持たない、差し出せる物の一つさえありませんのに」

「君を愛しているからだよ。愛する人の為に何でもしてやりたいと思うのは、自然な事だろう?」


俯いたレイラの言葉に、ロナルドは穏やかに答える。愛していると言われても、結婚式の当日に初めて会った男だ。修道院に閉じ込められていたレイラと結婚したいと言い出した事も可笑しな話だが、会った事も無い女を愛していると言い張る理由が分からない。

黙り込んだまま何も言わないレイラに、ロナルドは口元を緩める。


「少し昔話をしようか。我が家はね、一度一家離散の危機に見舞われた事があるんだ。信用していた人間に騙されて、全財産を失う所だった」


現在国内一、二を争う大金持ちとして有名なネルソン家がそんな事になっていた事を初めて知った。

驚いて顔を上げたレイラの目に、懐かしい思い出を思い出すような顔をしたロナルドの笑みが映った。


「助けてくれた人がいるんだ。それが君の御父上だった。契約書を取り返し、不当な契約を破棄させ、奪われていた財産を全て返してくれた」

「お父様が?」

「そうだよ。見返りはたった一つだけ。我が家にあった絵画を一つ求められただけだった」


二匹の猫を描いた小さな絵。それだけを求められたのだとロナルドは言った。

家族と暮らしていた時の記憶は殆ど無い。家族の顔を思い出せなくなっている程、レイラにとって一家離散という出来事は辛い出来事だったのだ。

まだ子供で分からなかったが、修道院に一人で閉じ込められているのは安全な場所で家族を待っているだけで、いつか絶対に迎えに来てくれると信じていた。

一か月経ち、半年経ち、一年経つ頃には察していた。もう家族は自分を迎えに来ることは無いのだと。


「ご家族を助けられなかった事を、我が一族は恥じている。君を修道院から助け出すのに、八年もかかってしまった。待たせてごめんよ」

「話が繋がりません。その昔話と、私を…あ、愛しているという話は繋がりません」


父に恩があるから助けてくれた。そういう話ならばまだ納得出来る。だが、ロナルドが言う愛しているという言葉にはどうにも繋がらない気がするのだ。恩を愛情と勘違いしているのだろうか。いや、流石にそれには無理がある。


「覚えていないかもしれないけれど、約束の絵を渡す為に俺と父上はコリンズ邸にお邪魔したんだ。その時、レイラとも会っているんだよ」

「…覚えていません」


ロナルドと会った記憶どころか、貴族令嬢だった頃の事は殆ど覚えていない。家族の顔すら殆ど思い出せないのだ。

覚えていないというレイラの言葉に少しだけ寂しそうな顔をしながら、ロナルドは言葉を続けた。


「ずっと手紙のやり取りをしていたんだよ。覚えていないかもしれないけれど…もう一人兄が出来たようだと君は言ってくれた。五つも年下の女の子が懐いてくれたのが嬉しくて、俺は浮かれてたんだ」


手紙なんて覚えていない。兄が一人いたことは覚えているが、兄のような人がいたなんて記憶は無い。それがロナルドだと言われても、欠片も思い出せないのだ。


「君が可愛くて仕方なくて、手紙が来るのをずっと待ってた。何度か会った事もあるし、そのうちお互いの両親が決めた話だけれど、君が十五歳になったら婚約する事になってた」


残念ながらそれより前にコリンズ家は無くなり、話は無かった事になった。そして、レイラは記憶の殆どを失った。


「君を助け出す為、何度も修道院に行ったよ。一度も会えなかったけれど、遠くから見る事は出来た。行く度にいつも見守っていた。どんどん美しくなるのに、その表情はどんどん暗いものになっていくのが辛かった」


苦しそうに話すロナルドの眉間に皺が刻まれる。笑った顔は何度も見たが、こんな顔を見るのは初めてだ。

だが、話を聞いても愛しているという話には繋がらない。それは愛では無く、同情と加護欲だと思う。


「君が楽しそうに笑っている顔が好きだったんだ。また笑顔を見たい、笑顔にしてやりたい。辛い事なんて一つもない、幸せしか知らずに生活させてやりたい。愛してくれなくても良い。ただ君の笑顔が見たいんだ」

「それを、愛だと?」

「そうだ。これが俺なりの愛。駄目かい?」


駄目かと問われてもどう答えれば良いのか分からない。駄目だと言ったらどうなるのだ。レイラにとっての幸せがどういう事なのか知らないくせに、ロナルドは自分の手でレイラを幸せにしたいと望むのだ。


「私の幸せは、家族と共に暮らす事。叶えてくださるのですか?」


無理だという事は分かっている。もう既に家族は死んだ。死んだ人間は二度と戻らない。そんな事は知っている。

無理を言っている事を理解しながら、レイラはひくりと口元を引き攣らせた。


「それは…」


無理だと言いたくないのだろう。困り顔でレイラを見つめるロナルドに、レイラは泣きそうな顔で微笑みかけた。


「二度と家族と会えないのなら、家族の亡骸を集めてください。何処でも良い。私も同じ所で眠りたい」

「…分かった。それが君の望みなら」


生きていないとしても、また家族に会いたい。大罪人だとしても、レイラにとっては愛する家族なのだ。何処に眠っているのかも分からない家族を探し出せと夫に言いつけると、レイラはそっと立ち上がり、部屋の戸を開いた。


これ以上話したくない。さっさと出て行け。無言の訴えを聞き入れ、ロナルドは黙って部屋を出て行った。残されたレモネードは、翌朝メイドが回収するまでそのままになるのだった。


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