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十八話

ロナルドが言うには、レイラは嫁いできてから人が変わったと言う。

長い間修道院に閉じ込められ、罪人の娘として扱われていたのだからある程度は仕方ないのだが、レイラはお世辞にも社交的な性格とはいえない。それは今もあまり変わってはいないのだが、以前ほど頑なに外に出ようとしないわけではなかった。


また、ロナルドも絶対に一人で外に出るなとレイラに言いつける事は変わらないが、屋敷に人を呼ぶことは許してくれるようになった。レイラの友人は殆ど居ないが、ロナルド経由で知り合った人と仲良くするのは、今後社交の場に出るようになるためには必要な事だからだ。


「お会いするのは久しぶりね、レイラ様」

「はい、お久しぶりですアイリス様」


にこにこと互いに嬉しそうに微笑みながら、二人の女性は穏やかにテーブルを挟んで座っている。

アイリスに会いに行ってからというもの、レイラはアイリスと手紙のやり取りをするようになっていた。お茶のお礼をする為に手紙を出しただけのつもりだったのだが、そのやり取りは途切れる事なく続き、いつの間にか友人のような関係に落ち着いていた。


今日は久しぶりに会いたいと言い出したアイリスに、是非来てくれと喜びの返事をした事で、ネルソン邸での優雅なお茶会となったのだった。


「ロニーとはどう?仲良くやっているかしら」

「ええ、良くしていただいています」


相変わらず人の夫を愛称で呼ぶアイリスに、レイラは気分を害する事すらない。アイリスは気を遣って「ご主人」と呼ぼうとしていたのだが、気にしないで欲しい、今までと同じようにしてくれと頼んだのはレイラだった。


「良くしてもらうのは当たり前だわ。だって貴方はロニーの奥様なんだもの」


可笑しな事を言うのねと笑うアイリスは今日も可愛らしい。よく手入れされた艶やかな黒髪は、手紙の中でも自慢だと言っていた。

毛先をくるくると弄びながら、アイリスは小さく溜息を吐く。もっと夫婦らしく、妻らしく可愛らしく甘えたら良いのにと零されても、レイラは甘えるという事をよく知らない。


「甘えると言いましても…自分からこうしてほしいとお伝えするより先に旦那様が先回りされるのです」

「ロニーったらそんな事出来る人だったの?」


ぱちくりと目を瞬かせるアイリスは、幼馴染の知らない一面に驚いているらしい。

レイラの知っているロナルドと、アイリスの知っているロナルドは違うようだ。


「前はもっと怖かったわ」

「そうなのですか?」

「そうよ。前にも話したけれど、彼と仲良くなりたい女性は多かったの。でも全員相手にもされなかったわ」


どんな美女にも興味を示さず、実家の商売の為になるであろう縁談であろうと見向きもせず、ただひたすら、何かの為に必死だった。

子供の頃はもっと笑っていた筈だったのに、いつの頃からか笑顔を見せる事すらなくなってしまった幼馴染を心配していたのだと、アイリスは零した。


「うちに来てくださった時みたいに、ゆっくりお茶をする事も無かったし、あんなに幸せそうに微笑んでいる所なんて初めて見たわ」


レイラからすれば、それはいつもの事だ。

二人でゆっくりとお茶を楽しむのはロナルドの好む事だし、幸せそうに微笑んでいるのはいつも見ている顔。それが、自分よりも付き合いの長いアイリスからすれば今まで見た事の無い姿だというのだから信じられなかった。


「旦那様は…私の実家に、コリンズ家に多大な恩があると仰っていました。その恩を返す事が出来なかった事を恥じ、唯一生き残った私を助け出す為に奔走していたとも」


静かに目を閉じ、レイラは夫の顔を思い浮かべる。今頃仕事をしているであろう多忙な夫が、今まで仕事をしながら自分を修道院から助け出す為にどれだけ無理をしていたのだろうと想像した。

きちんと食事は摂れていたのだろうか。眠れていたのだろうか。恩を返す為だと言っていたが、たったそれだけの理由で莫大な金と時間を使って助け出す程の価値が自分にあるのかは未だに分からない。


「旦那様は私以外に考えられなかったと仰せでしたが、私はどうにも自分にそのように仰っていただけるだけの価値が無いと思ってしまうのです」


だが、夫の隣は居心地が良い。

春の陽だまりのように優しく包み込んでくれるような温かさ。柔らかい羽毛布団に体を預けているような、そんな安心感。

このまま隣にいたいと思ってしまうのは、ロナルドに甘えてしまっているのだろうか。


「どれだけ良くしていただいても、どれだけ愛してくださっても、私は何も返す事が出来ません。それが、心苦しくてならないのです」


レイラの素直な本音。

少し俯いた顔を見つめるアイリスは、呆れたように小さく溜息を吐いた。


「何か返したいと思っているだけで良いじゃない。ロニーなら、その思いだけで天にも昇れると思うわよ」


にたりと笑うアイリスに、レイラはきょとんと小首を傾げる。

何も差し出せないのは今までと何も変わっていない。だが、それでも良い、その思いこそが喜ばれる事なのだと豪語するアイリスは自信満々だった。


「そうね、ちょっとロニーに歩み寄ってみたらどうかしら。名前で呼ぶだけで大喜びするわよ、きっと」

「そうでしょうか…?」

「そうよ!今日帰ってきたら早速呼んでみると良いわ!」


悪戯を思い付いた子供のように笑うアイリスは楽しそうだ。美味しそうにお茶とお菓子を楽しみながら、あれこれと作戦を提案してはニヤニヤと笑う。

黙って座っているとクールな美人に見えるのに、喋ってみると悪戯好きで快活な女性であるアイリスに、レイラは心を許していた。


手紙でのやり取りも、いつだってレイラを気遣ってくれていた。何か困った事があれば頼ってほしい、喧嘩をしたら全面的に味方になる等、とても優しい人なのだなと嬉しく思っている。


「レイラ様は控えめすぎるんだわ。もっと我儘を言ったら良いのよ」

「我儘ですか…」

「そうよ。傲慢は良くないけれど、遠慮がすぎるのも良くないわ」


ドレスの一着でも強請ってみろと笑うアイリスに、レイラはぎゅっと拳を握りしめながら口を開く。


「アイリス様に、お願いがあります」

「私に?何かしら」


カラカラと口の中が渇く。

耳まで熱くなってきた顔が真っ赤になっていない事を祈りながら、レイラはぎゅっと目を閉じ俯きながら言葉を絞り出した。


「私と…お、お友達になってくださいませんか!」

「あら、ごめんなさい。私もうお友達だと思っていたのだけれど…」

「え?」

「じゃなかったらこんなに砕けた口調でお話出来ないわ。そうそう、お友達と言ってくれるのならレイラって呼んでも良いかしら?」


ぺらぺらと嬉しそうに話すアイリスに、レイラは黙ってこくこくと頷く事しか出来なかった。

友人になってほしいとお願いしてなる関係じゃないと笑われても、レイラは友人の一人すらいないのだ。どうすれば友人になれるかなんてとっくに忘れてしまった。だが、目の前で嬉しそうに微笑んでいるアイリスは、確かに「友人だ」と言ってくれた。それがとても嬉しくて、レイラは口元を綻ばせた。


◆◆◆


アイリスとお茶を楽しんだ日の夜、レイラは

普段よりも饒舌だった。

日課となった夫婦の時間、いつもならロナルドが話をリードしてくれているのだが、今日はレイラがよく喋る。


「アイリスが教えてくれたのです。今若い女性の間で流行っているのですって」


嬉しそうに微笑みながら、レイラはアイリスが持って来てくれた本をロナルドに見せる。恋愛小説なのだが、少し古臭い話が今人気らしい。まだ読んではいないが、読み終えたら感想を話し合おうと約束をしているのだ。


「主人公が着ているドレスを真似する方も多いそうですよ。花柄の紫色のドレスなんだそうです」

「へえ、最近よく見ると思ったらそういう事だったのか」


ニコニコと話し続ける妻の話を、ロナルドは仕事で疲れているだろうに相槌を打ちながら聞いてくれる。

本の話以外にも、アイリスとこんな話をした、あんな話をしたと続けるレイラは、まだ話したりないとばかりに隣に座るロナルドに笑顔を向けた。


「随分仲良くなったんだね」

「はい!私のお友達です」


満面の笑みを浮かべるレイラの頭を、ロナルドはそっと優しく撫でる。もう寝る支度を済ませているレイラの髪をさらさらと指の間に通しながら、ロナルドはほんの少しだけ複雑そうな顔をしてみせた。


「紹介して良かったよ。アイリスはちょっと言葉が強い事もあるけれど、とても良い人だから」

「存じております」


手紙のやり取りを続けている中でそれはよく知っている。今日も会話している中で少しだけ言葉が強いなと思う場面はあったが、アイリスに悪気は無く、言っている事は間違っていなかった。それがアイリスの魅力なのだと、レイラは感じていた。


「他には何を話したの?」

「ジェマの話を。名前を付けて飾っておりますと話したら、ウェンサム様にも伝えてくださるそうです」

「そうか。彼も喜ぶだろうね」


他所の男からの贈り物は気に入らないのだろうが、レイラがジェマと名付けたぬいぐるみを可愛がっている事はロナルドも知っている。気に入らずとも、今レイラが胸に抱いているのは、少し前に自分が買ってやった黒い熊のぬいぐるみである事を思えば、それくらいの事は許せてしまっていた。


「私の宝物の話もしたのですよ」

「宝物?」

「この子です」


抱いている熊を撫でながら、レイラは嬉しそうに目を細める。アイリスにも見せたが、可愛らしいと褒めてくれた。これくらい大きな兎が欲しいと言って、アイリスは婚約者におねだりをするつもりらしい。


「気に入ってくれているみたいで嬉しいな」

「でもずっと抱いているせいか毛並みが乱れてしまったのです。ブラシを通したら少しは良くなるでしょうか」

「あー…どうかな。柔らかいブラシで梳かすのは見た事があるけれど」


どうだったかな?と首を傾げて考えるロナルドに、レイラはふと昼間のアイリスの言葉を思い出す。

ドレスの一着くらい強請ってみろ。ドレスを強請るのは勇気がいるが、ブラシ一本ならば強請っても良いだろうか。


「あの…この子にブラシが欲しいのですけれど…」


言った。言ってしまったぞ。

ぎゅっと熊を抱き直しながら、レイラはロナルドの反応をじっと待つ。

ちらりとロナルドに視線を向けると、嬉しそうに頬を染めながら微笑んでいた。


「おねだり」

「そう、です」

「そっかおねだりか。良いね可愛い」


強請っているのがぬいぐるみ用のブラシなのは何だか可笑しな気もするのだが、ロナルドは初めて妻からおねだりをされたのが嬉しいらしい。

ぬいぐるみを購入したバロックス社には、手入れ用の道具も多く取り揃えられているんだよと微笑みながら、今度の休みにでも見に行こうかと提案してくれた。


「花柄の紫色のドレスも見に行く?」

「まだ本を読んでいませんもの。読んでからが良いですわ」

「じゃあ読み終わったら教えてね」


他におねだりは無い?と微笑むロナルドは、愛おしそうにレイラの頭を撫でる。温かくて大きなロナルドの手がするすると滑って行く感覚が気持ちが良い。

不思議と落ちつく感覚に、レイラはほうと小さく息を吐いた。


すっと下げた視線の先にあった自分の手。

指に嵌められたキラキラと輝く結婚指輪は、最近になって漸く馴染んできたように思う。


「…何でも宜しいのですか?」

「俺に出来る事ならね」

「では、私もロナルド様に何か贈り物をしたいです」


勇気を出せ。隣に座って頭を撫でてくれる夫は、きっと嬉しそうに笑ってくれる筈。

顔を向ける事は出来なかったが、きちんと言葉には出来た。なけなしの勇気を振り絞り、夫の名を呼ぶことに成功したレイラは、じっと夫の言葉を待った。


だが、いつまでもロナルドからの返事は無い。

調子に乗りすぎてしまっただろうかと不安になり、レイラは恐る恐るロナルドの顔を見上げる。


「あの…?」

「ちょ、っと…今こっち見ないでくれる?」


真っ赤になった顔を隠す様に、ロナルドは片手で自分の顔を隠しながらレイラから顔を背ける。

ただ名前を呼ばれただけで真っ赤になる夫に、レイラまで顔が熱くなってきた。


「あの…申し訳ございません、もう言いませんから…」

「駄目、名前は呼んで。これからも、いつまでも」


ぎゅっとレイラの肩を抱きながら、ロナルドは呼んでくれと繰り返す。

ただ驚いただけだからと詫びながら、ロナルドはそっとレイラの頭に頬を寄せた。


「最近若い男たちにも流行りがあってね」

「はい」

「パートナーに刺繍をしてもらったハンカチを貰うんだ。どんなデザインでも良いから、レイラが刺してくれたハンカチが欲しい」


そう呟くロナルドに、レイラはこくこくと頷いた。腕の中に閉じ込められるのはいつもの事だが、今日は何だか気恥ずかしくて仕方ない。

どんなデザインでも良いとは言われたが、一から考えるとなると難しい。書庫に刺繍の本はあっただろうか。探して見つからなければ、アイリスに相談するのも良いだろう。


「今日はもう休もう。今の幸せな気分のままレイラと一緒に眠りたいんだ」

「そうですね、そうしましょう」


気恥ずかしいのはお互い様だったようで、ロナルドはレイラから離れるとそそくさと布団の中に潜り込む。レイラが入りやすいように布団を持ち上げ待っていてくれるのはいつもの事だ。


抱いていた熊をソファーに座らせると、レイラは大人しく布団の中に潜り込んだ。


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