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十五話

兄が生きている。それが嘘か真か分からないが、もし本当に生きているのなら今頃どこで何をしているのだろう。

生きていてくれているのならそれで良い。生きていたのなら何故会いに来てくれなかったのかと気にはなるが、きっと何か理由があって来てくれないのだろう。それならば、どうにかして自分が会いに行けば良い。


「旦那様、あの方はどういったお方なのか詳しくお話くださいませんか」


クラリスを見送りに行っていたロナルドが応接間に戻って来るなり、レイラはじとりと夫を睨んだ。

客人が来ることは聞いていたが、クラリスがどういう人間で、何をしに来るのかまでは聞いていなかった。何も知らないままああして睨まれ、失礼な態度を取られていたのだ。大人しくしていたというよりも、怯えていただけだったが、流石に少々腹が立っていた。


「隣国の…バーウィッチの男爵令嬢だよ。この間話した通り、男爵に連れられて宝石やらドレスやらを探しに来ていると聞いたんだ」

「男爵令嬢ならば、お屋敷で大人しく待っているだけでいくらでも手に入りますわね」

「そうだね。だから気になった。だから我が家に来ると言い出しても受け入れたんだ。ただの顧客で一見なら迎え入れたりしない」


レイラの隣の席に座り直しながら、ロナルドはクラリスについて知っている事をレイラに話す。

自然豊かな隣国バーウィッチ。その王都のすぐ傍に領地を構えるピノア男爵家令嬢、それがクラリスである。

父であるピノア男爵と共にネルソン社に現れ、仕事を頼みに来た。それだけならただの客だが、クラリスはロナルドが挨拶をした途端目の色を変えたらしい。

恋人は?ご結婚は?から始まり、妻が居ると言えばどんな人なのか知りたがった。何故そんな事を?と聞いてみても、「貴方と仲良くなりたいの」としか言わなかった。


無視をしても良かった。だが、ピノア家はバーウィッチでも有数の金持ち。贔屓にしてもらえれば相当な稼ぎになる。そう考えると、無下にする事は出来なかった。

だから遅くまで接待されても嫌な顔をせずにいたし、屋敷に来たいと言われても内心嫌だったのを押し隠して良いと言った。


まさかここまで失礼な態度を取られるとは思わなかったとレイラに詫びると、ロナルドは大きな溜息を吐いた。


「ごめんねレイラ。嫌な思いをしただろう」

「構いません。旦那様が謝る事でもありませんから。それよりも、私クラリス様と仲良くなりたいのです。取り次いでくださいませんか?」

「はあ?!」


至極真面目な顔をしてみせるレイラに、ロナルドは目を見開いて大声を出す。

煩いと眉間に皺を寄せるレイラだったが、ロナルドは何故そうなるんだと頭をぐしゃぐしゃと掻き毟った。


「兄上が生きていると言われたからか?彼女から兄上の情報を手に入れたいのか?」

「そうです。もし本当に兄が生きているのなら、どこで何をしているのかよく知っているのはあの方でしょう」


近寄らない筈がない。そう口角を引き上げたレイラに、ロナルドは何も答えない。

妻の言いたい事は分かる。妻の望む事は何でもしてやりたい。だが、レイラの家族に関する事は下手に首を突っ込むと危険なのだ。


「レイラ、この件は俺がやる。君は…」

「お断りします」

「レイラ…」

「私の家族です。会いたいと、知りたいと思うのはいけない事ですか?」


じっとロナルドを見つめる真っ青な瞳。それを見つめ返すロナルドの黒い瞳。

二人が無言で見つめ合う中、遠くから何か作業でもしているのか使用人の声がしたような気がした。


「危険なんだよ」

「何が危険なのですか?」

「ダラム伯は目的の為なら手段を選ばない。君が修道院で生き延びていた事は奇跡なんだ」


馬鹿な事を言うなとレイラの肩を掴むロナルドは、普段よりも低い声色で凄んだ。


爵位と領地を奪う為にレイラの父を陥れた。直接手を下さずとも、命を奪う事を躊躇しなかった。レイラだけが助かった理由は分からないが、もし本当にレイラの兄が生きているのなら、ダラム伯がそれを知らないという確証がない。


もし知らなかったとして、知られたら今度こそ兄は殺されるかもしれない。

もし知っていたとして、大人しくネルソン家の妻として生きるだけでなく、コリンズ家の為に動こうとするレイラを気に入らないと思うのなら殺す事だって厭わない。


そういう人が相手なのだと、ロナルドは何とかレイラを説得しようと試みた。


だが、レイラは大人しくそれを聞きいれる気は無いらしい。


「頼むから!…頼むから、この件には関わっちゃいけないんだ」

「嫌です。私は自分の家族の事を知りたいのです。会いたいと思ってはいけないのですか?」

「そうだ。関われば今度こそ君は殺される。子供を殺すのが忍びないという理由だけで生き残ったのなら、君はもう子供じゃない。生かす理由が無いんだ」


ダラム伯の温情のつもりだったのだろうが、レイラにとっては苦しみを長引かせられただけだ。自分一人だけが、子供だからという理由だけで生かされた。八年間修道院に押し込められ、どうやったのかは知らないがネルソン家に嫁ぐ事になった。


私の人生はなんなのだ。

勝手な理由で家族から引き離され、勝手な理由で家族は死に、勝手な理由で閉じ込められた。

漸く外に出られたのに、どうして生きているかもしれない兄に会いに行く事も、兄の事を知る事すら出来ないのだ。


「良いかい、何もこの先ずっと関わるなという訳じゃない。もし本当にピノア嬢の言う事が本当なら、兄上が生きているのなら絶対に再会させてみせるから」

「それを大人しく待て、と」

「そう。分かってくれるね?」

「分かりませんので好きにさせていただきます」


にっこりと微笑むと、話は終わりとばかりにレイラは立ち上がる。腕を掴むロナルドの手を振り払い、振り返る事もせずに応接間を出た。


頭の中がいっぱいなのだ。どうすれば、クラリスに本物のレイラ・ネルソンであると信じてもらえるだろう。証拠とやらを提示出来るだろう。


実家から持ち出せたものは殆ど無い。

たった一冊の、古ぼけた本が一冊だけ。たったそれだけが、コリンズ家に居たという確かな証拠だった。


◆◆◆


レイラの自室には、嫁いで来た日に持ってきた僅かな荷物がそのまま置かれている。

ボロボロの着替えと、粗末な靴。そして、修道院に連れて行かれる時に持って行った本が一冊。

本は何度も読んだが、内容が支離滅裂で全く理解の出来ない本だ。

子供だから難しくて分からないのだと思っていたのだが、大人になってから読んでみても内容は理解出来ない。


大昔にコリンズ家初代当主が船を作り始めた時の話を書いている事は何となく理解出来たのだが、古くなっているせいなのか、所々頁が抜けていたり、文字が掠れて読めない所もある。同じ内容を繰り返し書かれている部分もあるし、読むのに苦労する割に読み物としてほぼ成立しない代物なのだ。


だが、母はこれを家宝だと言っていた。

最初に父が囚われ、次に兄が連れて行かれた。母が連れて行かれるのと同時にレイラも屋敷を出る事になったのだが、「この本は絶対に手放してはいけない」と母に言われ、他の宝石類たちを衛兵に渡す代わりにこの本だけは胸に抱えて屋敷を出たのだ。


「相変わらず、これが家宝だとは思えないわ」


そうぼやきながら、レイラは久しぶりに荷物の中から本を引っ張り出していた。

古い造船技術が記されていたり、当時のコリンズ家の代表作である船について書かれていたりするのだが、今となっては時代遅れの化石のようなもの。今更作ったところで、速度は出ないし役には立たないだろう。


何度も繰り返し読み、途切れていたり繰り返されている内容を繋ぎ合わせて理解したのは、役に立たない古ぼけた船の知識だけ。


溜息を吐きながらベッドに寝転がると、置いたままになっていた真っ黒なテディベアがぽすりと倒れ込んできた。


夫は何故あんなにも必死で自分を引き留めるのだろう。

ダラム伯とやらがどんな人間なのかはよく知らないが、憎き仇だという事は分かる。

もし対面したら怒りに我を忘れるのかもしれないが、今のレイラはダラム伯に復讐したとしても死んでしまった家族が戻って来ない事は分かっている。


無駄な事はしないに限る。

もしもレイラがダラム伯に復讐などすれば、婚家であるネルソン家に多大な迷惑を掛ける事が分かっているからだ。

罪人の娘と言われるレイラを助け、妻として迎え入れ、何不自由なく生活させてくれる。大事にしてくれる人達に迷惑を掛けるのは嫌だ。


頭に血が上っていた事は認める。ロナルドに止められた事でムキになった事も認める。だが、兄が生きているのなら会いたいと思うのは自然な事だろう。どうにかして、クラリスから情報を引き出したいと思うのはそんなに危険な事なのだろうか。


もう少し、夫の意見を聞くべきなのだろうか。

修道院で八年過ごし、世間知らずなレイラよりも、世間を知って、商人として生活して人脈も持っているであろうロナルドの方が頼りになる。


頼ればきっと、夫は全力で妻の期待に応えようとするのだろう。

それが分かっていても、今のレイラは素直にロナルドに頼る気にはなれなかった。


「レイラ、起きているかしら」


コンコンと控えめなノックの音。義母の声がした事に反応し、レイラは起き上がりながらどうぞと返事をした。


「今良いかしら」

「はい、お義母様」

「昼間来たピノア家の御令嬢の事なんだけれど…」


客人が来る事も、それが隣国の貴族令嬢である事も知っているようだが、クローディアはそれ以上の事は知らないらしい。

部屋に入り、レイラのベッドに肩を並べて座りながら眉尻を下げた。


「あの方はどういう方だった?」

「正直苦手です」


すっぱりと答えたレイラに、クローディアはそういう事ではないと言いたげに口ごもる。

どう聞けば良いのか判断に迷っているのだ。


「その…会社の方であの子に、ロナルドに付きまとっていたと聞いたから。屋敷にまで押し掛けるなんてどういう事なのかと思って」

「ああ…お義母様が心配されるような事は何もありませんわ。あの方が旦那様に恋情を抱いているという事はありません」


そう微笑むレイラに、クローディアはあからさまにほっとした表情を浮かべた。

息子がどれだけ妻を溺愛していようが、外からちょっかいを出されるのは母として心配だったのだろう。


「それなら良いんだけれど…何をしにいらしたのかしらね?」

「私に会いに来られたようです。…兄が、生きていると仰せでした」


レイラの言葉に、クローディアは息を飲む。

小刻みに唇を震わせているところを見るに、クローディアもこの話は知らなかったのだろう。そして、恐らく義父であるルークも知らぬ話だ。


言葉を失っているクローディアに、レイラは昼間何があったのかを掻い摘んで説明した。

レイラがコリンズ家の娘である事を証明しろ、それが出来れば有益な情報を与えてやると言われた事。母の形見を見せたら、兄が生きている事だけを教えてくれた事。

それを話すと、クローディアは大きく息を吐きながら頭を抱えた。


「そう…そうなのね。それが本当なら…」


それ以上言葉は続かない。ぽたぽたと涙を流しているようで、レイラはそっとクローディアの背中を摩った。

何故泣くのか分からない。どう言葉を掛けたら良いのかも。


「兄の事を知りたいのです。どうすればクラリス様の望む通りの証拠を出せるかは分かりませんが、どうしても兄に会いたい。家族に会いたいのです。旦那様は関わってはいけないと仰せでしたが…」


レイラのその言葉に、クローディアはぱっと顔を上げる。ふるふると首を横に振り、「駄目」と何度も繰り返した。


「あの方は…恐ろしい方なの。貴方が修道院で生きていたのは、貴方が子供だったから」

「それは何度も聞いています。旦那様も、もう子供ではないのだから今度こそ殺されるかもと…」

「そうじゃないわ!あの方は今でも貴方を狙ってるわ!」


絶対に関わってはいけない。何があっても。

そう訴えるクローディアは、声を震わせながら言う。


「ダラム伯はね、自分の息子と貴方を結婚させるつもりなの」


何を言っているのだ。乾いて引き攣った喉で、どう言葉を絞り出せば良いのか分からず、レイラは黙ってクローディアの顔を見つめた。


既にレイラはロナルドの妻となった。この国では愛人を持つことは黙認されていても、重婚は認められていない。無理矢理離縁させられるならまだしも、もしレイラを手に入れる為にロナルドに危害を加えられたらと思うと、レイラの背がひやりと冷えた。


「貴方が大人になるまで修道院に押し込めた。あと二年もすれば、貴方はダラム伯爵家に嫁ぐ予定になっていたわ」

「お待ちください。コリンズ家はダラム伯によって没落したのでしょう?父を罪人としたのはダラム伯なのに、どうして私を…」

「それだけの価値が貴方にあるから」


理解が出来ない。

父が収めていたソルテリッジの地が金になるから、ダラム伯はどうしてもこの地が欲しかった。だから父を陥れた。

それだけで話は終わる筈なのに、どうして罪人の娘になり果てた女を望むのだろう。


「今でもソルテリッジの人間は、貴方のお父様をお慕いしているわ。修道院は聖域だから、武器を持って入る事が禁じられている。だから私たちは武器を取って貴方を無理矢理連れ出す事が出来なかったの。もし武器を取って押し入れば、関わった者全てが裁かれ処刑されるから」


どれだけ激しい戦争になったとしても、修道院は聖域として守られなければならない。そこに逃げ込んだ者を追ってはならない。捕らえてはならない。それがこの国での掟なのだ。


それを知っていて、レイラは修道院に幽閉される事が決められたのだと、クローディアは説明してくれた。


「ダラム伯は望み通りソルテリッジを手に入れたけれど、民の信用を勝ち得たわけじゃない。未だに良く思っていない者が殆どなの」

「そうだとしても、何故私を望むのですか?」

「本来の正当なソルテリッジ領主、ライトリー男爵令嬢だからよ。貴方になら民は従うわ」


訳が分からない。

世間ではレイラは罪人の娘として認知されている。この間ロナルドと出かけた時も、罪人の娘だとこそこそ噂されているのが聞こえていた。それなのに、どうしてクローディアは自信を持って「レイラにならば民は従う」などと言うのだろう。


「では…何故私は旦那様の妻になったのですか?どうやって、私を修道院から出したのですか?」


レイラがそう問うのと同時に、再び扉がノックされる。細く開かれた扉の隙間から、男二人が顔を覗かせていた。ロナルドとルークだ。


「きっとその話も必要になると思って…父が帰ってきたから、下で皆で話さない?」


遠慮がちにそう提案しに来たロナルドに、レイラとクローディアは顔を見合わせる。

涙で濡れた顔のまま、クローディアはそっとレイラの手を取りながら立ち上がる。また楽しくない話を家族でしなければならない。だがこの話から逃げる事は出来ない。

すっと息を吸い込み、レイラはクローディアの手を握り返しながら立ち上がった。


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