十四話
夫の容姿は悪くない。とても目を引くというわけではないのだが、優しく穏やかに微笑んでいるととても安心するし、妻を心から愛し大切にしてくれている事もよく知っている。
家柄も良く、素行も良い。誰もが羨む理想的な夫だろう。
そんな男に近寄ろうとする女性が居ない筈が無いとは思っていたが、ここまで堂々と近寄ってくる女がいるとは思わなかった。
目の前でにこにこと微笑みながら、じろじろと頭の先からドレスの裾までレイラを観察する女を前に、レイラは気まずそうに顔を背ける。
「貴方がロナルドの奥様?聞いていたよりも美しい方ね」
「はあ…」
「あー…彼女はクラリス。この間話した…」
気まずそうに客人を紹介するロナルドは、クラリスと紹介した女性の前でどうしたら良いのか分からないと言った表情を浮かべる。
二人の女性の間でおろおろしている姿はなんとも滑稽だが、妻を観察する客と、その客に気圧されている妻の間ではこうなるのも無理は無いだろう。
「レイラさん…だったかしら?私クラリス・アンネ・ピノアと申します。貴方の旦那様の顧客の一人よ。まだ予定だけれどね」
「レイラ・ネルソンと申します。どうぞ御贔屓に」
夫の仕事の相手なのならば、じろじろ観察される無礼に怒る事も出来ない。
ただ黙って、観察に飽きるのを待つだけだ。
「ずっと気にはなっていたのよ。社交界でもネルソン家の新しい妻は罪人の娘だって話題だから」
ふふんと鼻を鳴らし、見下すような視線を向けるクラリスの言葉にレイラの胃が冷たくなる。きりきりと痛むような感覚に顔色を青く刺せる(させると)と、ロナルドはそれに気付いたのかそっとレイラの背中を摩った。
「ピノア嬢。妻への侮辱はやめていただけますか」
「あら、私は気になったからそう言っただけだわ。それでどうなの?本当の話なのかしら」
「…噂の通りかと」
「そう。では貴方は相当な物好きね、ロナルド」
馴れ馴れしく夫の名を呼ぶ女に怒っても許される場面なのだろうが、今のレイラにその余裕はない。
分かってはいたが、やはりレイラは罪人の娘として認知されている。名家であるネルソン家の名に傷を付けている事を再確認し、自然と苦しくなる胸をぎゅっと抑える事しか出来なかった。
いつも客人を通す応接間。何も変わらないいつもの家だというのに、今は何だか居心地が悪かった。今すぐにでもここから逃げ出したい。逃げる先など何処にもないというのに、今は安心できる筈のこの屋敷にいるのが何よりも恐ろしく思えた。
というよりも、クラリスという女性が怖かった。
金色の髪に深い青の瞳を持った、作り物のように美しい女性。見た目はとても美しいのに、その視線が突き刺さるように痛い。
「ネルソン家なら女は誰だって嫁ぎたがるでしょうに。何故わざわざ罪人の娘を妻にしたのかしら」
「私が妻以外を望まなかったからです。妻は私の我儘で修道院から引き摺り出されたんです」
それ以上やめろと庇うように、ロナルドはレイラの前に立つ。
要約(漸く)クラリスの視線から外れる事の出来たレイラは、細く息を吸い込んだ。
大丈夫、ロナルドがいる。だから大丈夫。この人は守ってくれる。漠然としているが、絶対的な信頼がロナルドにはある。夫の背中をぼうっと見つめながら、レイラは呼吸を繰り返す事だけに集中した。
「何か理由があるのではなくて?」
「理由はありますよ。ですが、それを貴方に話す理由はありません、レディ」
「ふうん…まあ良いわ、それはそこの奥様から聞くから」
まだ標的にするつもりかと肩を震わせるレイラに、クラリスは一旦落ち着くべくレイラとロナルドが来るまで座っていた椅子に座り直す。
しれっとしたすまし顔でカップを傾け、まだ座らないのかと横目で若い夫婦を見た。
「レイラ、部屋に戻っていて良いよ」
「あら駄目よ。私は奥様に話があって来たのだから」
「妻に話とは何ですか?まずは私にお話しください」
完全に敵意を滲ませたロナルドの声色に、クラリスは怯む様子すら見せない。
良いから二人共座れと向かい側の席を指差し、ただ黙って待つだけだ。
見ず知らずの人間が、自分に何の用があって訪れたのか全く見当がつかない。
何故こんなにも怖い思いをしなければならないのだろう。
夫に気が合って(気があって)纏わりついているのかと思っていたのだが、どうやら目的はレイラだったようで、何が目的なのかも分からず、威圧されるだけだった。
「逃げても良いけれど、貴方には不利益しか無いわ」
「不利益?」
クラリスの言葉に反応したロナルドは、肩眉をひくりと動かす。仕事柄、利益だの不利益だのという言葉に敏感なのだろう。
「私は奥様にとって有益な情報を持っているわ。でも、タダで教えてあげるなんて優しい事はしない。それに、貴方が本当にレイラ・コリンズなのかを知る為に来たのよ」
クラリスのその言葉に、レイラは静かに足を進める。
止めようとするロナルドを無視して、レイラはそっとクラリスの向かい側に座った。それに満足げに微笑みながらクラリスはテーブルの上で手を組んだ。
「有益な情報とは何でしょうか」
「貴方のご実家に関わる話」
にっこりと微笑みながらそう告げるクラリスに、レイラは息を飲む。
コリンズ家の話を知っている。レイラの知らない何かを知っている。それを知りたい。
「ではどうすれば教えてくださるのでしょうか」
「そうね、まずは貴方が本当にレイラ・コリンズである事を証明してもらうわ」
ふふんと不敵に笑うクラリスの前で、レイラはきょとんとした顔をするしかない。
何をどうやって証明しろと言うのだろう。隣に座ったロナルドも、何を言っているのだと言いたげな顔をクラリスに向けた。
「コリンズ家についてお話すれば宜しいのでしょうか」
「それが証明になるのならね」
「はあ…ですが、私はコリンズ家で過ごしていた時期の記憶を殆ど失っております。証明にはならないかと」
さてどうやって証明をしよう。
うんうん唸りながら考えるレイラの隣で、ロナルドは同じように困った表情を浮かべていた。
クラリスは冷めてしまった紅茶を飲み干すと、お代わりを寄越せとばかりにパンパンと手を叩いた。
すっかりこの屋敷の主かのように振舞っているクラリスに呆れながら、ロナルドは遠慮がちに入って来た使用人にお茶のお代わりを用意するように言いつける。
無遠慮で傲慢な客人に、誰もが不快感を抱いていた。
「証明が出来ないのなら貴方に用事は無いわね。帰るわ」
お代わりを要求しておきながら、用事は無いと言い放ち立ち上がるクラリスに、レイラは焦る。
今この場でこの人を帰してしまったら、きっともう家族の事を知ることは出来ないだろう。クラリスの持っている有益な情報とやらがどんなものなのかは分からないが、少なくともレイラの知らない話である事は確かだろう。
「お待ちください!証明になるかは分かりませんが、母の形見があります!」
思わず声を張ったレイラに、クラリスは「ふうん?」と小さく声を漏らしながらもう一度椅子に座り直す。
たったひとつ、ロナルドが取り戻してくれた母の持ち物。部屋に大事にしまっている母の形見。
それが証明になるのなら、今この場で差し出したって良い。
「お母様の形見である証明が出来るのなら、この場に持って来てもらおうかしら」
そう言い放つクラリスに、レイラは眉間に皺を刻みつけながら立ち上がる。
段々と、クラリスの偉そうな態度に腹が立ってきたのだ。
夫に纏わりつき、仕事の話かと思えばレイラに喧嘩を売るような態度。
何がしたいのか、何が目的なのかも分からず、ただこの女性に怯えるのが嫌になってきた。
「先にお伺いします。もし、貴方様の仰る有益な情報が私にとって有益でなかった場合、どうなさるおつもりですか?」
「どうもしないわ。だって、必ず貴女にとって素敵で有益な情報だもの」
静かに火花を散らす二人の女性を前に、ロナルドは動かない。ただじっと、クラリスを睨みつけるだけだった。
◆◆◆
母の形見。真っ赤なルビーが飾られた指輪。
それをテーブルの上に置き、レイラはじっとクラリスを見つめる。
指輪を見つめるクラリスは、「手に取っても良いかしら」と一言問う。
どうぞと返事をしたレイラに微笑みかけると、クラリスは大事そうにそっと指輪を手に取った。
じっと石を見つめ、ひっくり返して内側の刻印を確認する。
内側に掘られたレイラの母の名前。それを確認すると、クラリスはスッと目を細めた。
「これを何処で手に入れたの?」
「我が家のお抱え宝石商が手に入れたそうでね。たまたま持って来ていたのを見つけ、私が買い戻しました」
「そう。その商人はどうやってこの指輪を手に入れたのかしら」
「それは存じません」
嘘は言っていない。レイラは指輪を見つめているだけで、返事はロナルドがしている。動く事が出来ず、言葉を紡ぐ事も出来ないレイラは、小刻みに震える唇を噛み締める事しか出来ずにいた。
「コリンズ家から盗み出された可能性もあるわよね」
「疑う事は得意なようですね」
「我が家の財産を狙う輩は多くてね。人を疑う事には慣れているの」
うふ、と可愛らしく笑ったクラリスは、指輪を箱に戻すとそっとレイラの前に押し出した。
手の中に指輪を仕舞い込むと、レイラは大きく息を吸い込んだ。
どうかこれが証明になりますように。そう願ってみても、目の前で腕を組んでいるクラリスはまだ納得していないように見えた。
納得してもらえるだけの何かを提示しなければならない。そう分かっていても、これ以上差し出せるものは何も無かった。
「良いわ。この指輪がお母様の指輪だって事も、貴方が盗んだわけでもない事は信じて一つだけ教えてあげる」
一つだけ、ということは、他にも何か情報があるのだろう。それが幾つあるのかは分からないが、一つだけでも知れるのなら良い。
「貴方のお兄様は生きているわ」
「何だと!」
がたんと大きな音を立てながらロナルドが立ち上がる。倒れてしまった椅子に気を向ける事無く、ロナルドはわなわなと震えながらクラリスを睨みつけた。
「ローガン・コリンズが生きているなんて情報は入って来ていない。胸を患って死んだんじゃないのか!」
「あら、その男は本当にローガンなのかしら」
お代わりのお茶を注がれたカップを傾け、クラリスはじっとロナルドを見つめる。
まだ言葉が見つからないらしいロナルドは、震える拳を握りしめながらクラリスを睨む。知っている事を全て吐けと怒鳴る事は簡単だ。しかしクラリスは隣国の男爵家令嬢。貴族家ではないネルソン家は、ただ大人しくクラリスを受け入れ、丁重に持て成すしかないのだ。
「ローガンは今何処にいる」
「それは秘密。一つだけって言ったでしょう?」
そう告げると、クラリスは今度こそ立ち上がって帰ると告げた。
ロナルドは部屋を出て行くクラリスを追いかけていったが、レイラは動く事が出来なかった。
たった一人生き延びてしまったと思っていた。もしも本当に兄が生きているのなら、どうしても会いたい。何処で何をしているのか知りたい。元気にしているのか知りたい。
会いたい。
会って話がしたい。
その為には、どうにかしてクラリスに近付き聞き出さなければならない。
ならどうやって?どうすれば良いのか分からない。
与えられた情報の大きさに耐えられず、レイラはその場で呆け続けた。
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