十二話
港町として栄えたこの地は、良くも悪くも賑やかだ。
そこかしこで作業をしている男たちの怒声が聞こえたし、遊んでいる子供たちの楽しそうな声が響いている。
海を見たいとは言ったが、レイラが想像していたのは砂浜が広がる場所だった。
しかしロナルドが連れて来てくれた場所は、歩き易い様に舗装された場所。思っていたのとは少し違っていたが、普段見慣れない作業風景を眺めるのは何だか新鮮で面白い。
「坊ちゃん、仕事はお休みじゃなかったです?」
「妻が海を見たいと言うから連れて来たんだ。それから、坊ちゃんはそろそろやめてくれよ」
恥ずかしそうにはにかみながら、ロナルドは声を掛けて来た男にそう返す。
日に焼けた顔で豪快に笑う男は、ネルソン家の会社で働くうちの一人らしかった。
ぺこりと小さく頭を下げたレイラをじろじろと観察し、男は品定めをするような素振りを見せる。
何処に行ってもこれだ。
ネルソン家の妻になったレイラだが、世間では罪人の娘として認知されている。ネルソン家の財産を狙って妻の座を手に入れたのだろうなんて言われる事にも慣れて来たし、言いたいなら好きに言えば良い。現実は、ロナルドが妻にと望んだのだから。
「綺麗な人だろう?」
「何だか坊ちゃんには勿体ない程美人じゃないですか?」
「お似合いだってよく言われるんだけどな」
「初耳ですわね」
男の軽口に気を悪くする事無く、機嫌の良いレイラはにっこりと笑ってみせる。
嫌味を言ったつもりだったであろう男は面食らった顔をしたが、レイラ・ネルソンですと名乗ることまでしたレイラにぺこりと頭を下げた。
「あー…奥様に仕事場を見せたらどうです」
男の提案に渋るような顔をして、ロナルドは小さく唸る。
海を見たいと言うから連れて来たのだから、仕事場に連れて行ってしまえばその願いがかなえられないとでも思っているのだろう。
レイラはそう察すると、つんつんとロナルドの腕を突いて小さくこくこくと頷いた。
「何だか好感触みたいだ。あんまり面白くないかもしれないけれど、行ってみようか」
苦笑するロナルドに連れられ、レイラはまた歩き出す。
少し強い海風に髪が踊り、レイラの金の髪が踊る。それを目を細めながら見つめるロナルドは、あれは何、これは何と細かく説明してくれた。
砂浜の広がる海を想像していたレイラだが、連れて来られたのは港だった。歩き易い様に舗装された道。想像とは違っていたが、それでもキラキラと輝く水面を眺めるのは新鮮で楽しい。港で働く人々の賑やかな声。漁師は朝獲れたばかりの魚をせっせと運び、荷物が届いた船からは商人たちが満足げな顔で降りてくる。
皆が楽しそうに、威勢よく働いている。なんて素敵な光景だろう。
見た事の無い世界が今目の前に広がっている。それがとても嬉しかった。
「すぐそこに市場があるんだ。この町の住民は皆そこで買い物をするんだよ。我が家もね」
「まあ、そうなのですか?」
「獲れたての魚が一番美味しいからね。野菜も豊富だし、食事に関しては王都よりも上なんじゃないかな?」
あんまり王都に行った事は無いけどねと付け足し、ロナルドはあっちだよと市場の方向を指差して笑う。
差された方向には、沢山の出店が出ているのか沢山の人が買い物を楽しんでいるようだ。
「行ってみても良いんだけど、俺が行くとちょっとした騒ぎになるから…」
金持ちで有名なネルソン家の息子が市場に買い物に来たとなると、商人たちは遠慮なくあれもこれもと勧めるし、こっちにも来いと大騒ぎになるのだとロナルドは困ったように眉尻を下げて言った。
行きたい時は、店仕舞いをし始める夕方頃にこっそり行くのだと笑うと、ロナルドはレイラの手を引いて歩き出す。
向かう先にあったのは、他の建物よりも大きく立派な建物。
ネルソン家が所有する建物の一つらしく、会社の事務所兼交渉場所になっているそうだ。
この港の主はネルソン家。そう誇示するように大きく立派なそれは、引っ切り無しに人が出たり入ったりを繰り返している。
そのせいか、建物の入り口には警備の男が仏頂面で立っていた。
「やあ。今忙しいかな」
警備担当の男ににこやかに声をかけると、男は恭しく頭を下げた。
今はそう忙しくないと答えると、男は中に入るのならとにっこり微笑んで促した。
海を見に来た筈なのに屋内に入ってしまうのが残念だが、ロナルドにはロナルドなりの考えがあるのだろう。
「普段俺が仕事をしている場所だよ。二階は事務所、一階は商談をしたり、外国から来た商人の一時的な宿にしたりしているんだ」
「随分広いのですね…」
「昔はもっと小さい建物だったみたいだけどね。確か四代前の当主が作ったんだったかな…」
生まれた頃からあるのが当たり前で、詳しい事はよく知らないのだと言いながらも、ロナルドは建物の中を案内してくれた。
すれ違う人々は、皆レイラとロナルドに頭を下げたり挨拶をしてくれた。次期当主となるロナルドは既にこの会社で働いているし、その妻であるレイラはいずれ仕事に関わるようになるだろう。
仕事に関わるようになるのだろうと思ってはいるが、今のレイラは何も出来ないだろう。知識も無ければ経験など勿論無い。何をすれば良いのかさえ分からないのだから、これから勉強するのだろうが、どんな事を学べば良いのかすら検討が付かなかった。
「旦那様、お聞きしてもよろしいですか?」
「どうかした?」
「あのお部屋は何をするお部屋でしょうか」
「あそこは待合所。うちで仕事したいって人は多いから、よく面談をするんだけど数が多くてね。待たせる時間が長いんだよ」
一際大きな部屋を指差したレイラに、ロナルドはさらりと答える。
そっと中を覗き込むと、ロナルドが言う通り中で待たされている人が数人いた。
まるでサロンのように整えられた部屋。お茶と茶菓子を出されているようで、ほんのりとバターの香りがする。
「ちょっと寂しい部屋だから、少し改装したいんだけど…毎日使う部屋だからなかなか手が出せなくてね」
ロナルドの言う通り、部屋は少々殺風景だ。
椅子やテーブルが数多く並んでいるが、事務的な部屋というか、飾り気のない必要最低限の部屋といった印象。
花でも飾れば多少変わるのだろうが、そういった事に気が回らない程忙しいのだとロナルドは言った。
「人を雇えば宜しいのでは…」
「雇うのは簡単だけれど、それだけ人件費もかかるからね。それに、改装するとなると必ず出費する。そこまでする価値がこの部屋にあるかと問われると、そうでもないんじゃないかと思うんだ」
「そういうものですか」
「商人って損得で物事を考えるから」
ネルソン家は貴族ではない。あくまで商人なのだから、考え方もまた商人のそれなのだ。
簡単に人を雇えば良いと考えてしまったレイラは、殆ど覚えていなくとも貴族の娘なのだ。
「出過ぎた事を申しました」
「いいや、興味を持ってくれたのが嬉しいから良いんだ。他に気になる事があったら何でも言って」
「宜しいのですか?」
「勿論。レイラは俺の家族だし、いつか会社の仕事にも関わってもらうつもりだから」
そう笑うと、ロナルドはレイラを連れて廊下を進む。
沢山の扉が並ぶ長い廊下の突き当り。そこにある扉には、特別室と札がかけられていた。
ロナルドはその扉を開くと、レイラの背中をそっと押して中に押し込む。
入っても良いのかと狼狽えるレイラを置いて、ロナルドは閉じられていたカーテンを勢い良く開いた。
「まあ…」
大きな窓。そこから見える真っ青な海。
キラキラと輝いていたあの海が、まるで絵画のように窓枠の中に収まっていた。
「特別な客人を通す部屋なんだけど、ここは海を眺めるなら一番の場所なんだ。ここなら日に焼ける事を気にせず楽しめるだろう?」
ロナルドなりに考えてくれていたらしい。
出かける前にデイジーから日焼けをするなと口煩く言われていたし、こうして屋内で海を眺められるのならのんびりしていられるだろう。
「窓を開けば風も入ってくるし…外で直接眺めるのも良いかなと思ったんだけど、どっちが良いか分からないから先にこっちに来てみたんだ」
せっせと椅子を移動させ、レイラが存分にのんびりと海を眺められるようセッティングをしながら、ロナルドはにこにこと楽しそうにしている。
座ってと指された椅子に腰かけると、本当に絵を眺めているような気分だった。
「素敵…」
「気に入ってくれたなら良かった。お茶でもどう?歩き疲れただろうし」
そう言うと、ロナルドはここで待っているように言いつけて部屋から出て行ってしまう。
一人きりにされてしまったが、レイラはそっと立ち上がって窓へと歩み寄る。窓の向こうはテラスになっており、そこに出ると潮の香りのする風が頬を撫でた。
少し高くなった場所に建てられているのか、テラスから眺める景色は視界が高い。
少し離れた場所にある大きな建物は何だろう。あれもネルソン家のものなのだろうか?外に積まれている巨大な木材たちは商品なのだろうか。
何だか気になるその建物をぼうっと眺めていると、ロナルドは二人分のティーセットを乗せたカートを押して部屋に戻ってきたらしい。
それに反応せず、外を眺め続けるレイラの背中を、ロナルドはじっと眺めた。
「本当に絵みたいだ」
「あ…申し訳ございません。お戻りでしたのね」
「窓枠が額縁みたいで良いね。今度一枚描かせてみようかな」
そう微笑みながら、ロナルドはテーブルを椅子の傍に寄せてティーセットをセットし始める。
良家の息子のくせに自分でお茶を淹れるのだなとぼんやり眺め、レイラはそっとテラスから部屋へと戻る。
軽く食べられるように用意されているものなのか、クッキーが数枚。真っ白なティーセットは、ロナルド曰く綺麗な仕事をしましょうという心意気らしい。
「何か見たい所とか、気になるものはあった?」
「いえ、特には…また連れてきてくださるでしょう?」
「勿論」
にこりと微笑んだレイラに、ロナルドは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
当たり前のようにレイラがまた一緒に出掛けてくれる事を嬉しいと思っているのだろう。愛してもらえなくても良いとは言ったが、愛してもらえたら嬉しいとも言っていた。レイラなりに、夫婦に、家族になろうと歩み寄ってくれている事を察しているロナルドは、距離を更に詰めるわけでもなく、結婚当初と変わらない距離感を維持していた。
「次期社長とはいえ、突然来て特別室を使って問題無いのですか?」
「良いんだよ。今日は使う予定は無いし、昨日海が見たいって言っていたから朝のうちに使うかもしれないって言ってあったんだ」
根回しは商人の得意技。そう笑うと、ロナルドはポットを傾けお茶を注いだ。
ネルソン家で普段飲んでいるお茶よりも香しい香り。
差し出されたカップを手に取り一口飲むと、爽やかな香りが鼻を抜けていった。
「美味しい…」
「良かった。今商談中で、売り込まれてる商品なんだ」
レイラの隣に座ると、ロナルドも自分のカップを傾けて一口含む。
何度か香りを確かめたり、数口分けて飲む仕草を繰り返すと、ふむ、と小さく声を漏らした。
「美味しいけれど、これは商品として扱うのは難しいな」
「何故ですか?」
「運ばれてくるまでの間に劣化してるみたいだ。多分原産地では最高級品として扱えるだろうけれど、輸送能力があまり良くないのかも」
妻が美味しいと褒めているからと、すぐに取引をするような事はしないらしい。
妻を溺愛している男だが、それはそれこれはこれ、というやつなのだろう。デート中でも仕事をするのかと怒るべきなのか、それとも仕事に真摯に向き合っている事に感心すべきなのか分からないが、レイラは大人しくお茶を飲むだけだ。
「そっちのクッキーも食べてみて」
差されたクッキーを一枚取り、レイラはさくりと小さな音を立てながら一口齧る。
素朴な小麦の香り豊かなクッキー。普段食べているネルソン家のクッキーの方が好みだが、これはこれで美味しい。素直にそう伝えると、ロナルドは満足げに微笑んだ。
「それじゃ、そのクッキーも取引はしない」
「こちらも商品だったのですか?」
「そうだよ。俺の仕事は会社経営もそうだけれど、出来る限り自分で商品を見て、どれを扱うか決める事も仕事の一つなんだ」
だから、大きな商談がある時は帰りが遅くなる。出来るだけ自分の目で見て、気に入ったものを自信を持って客に提供したいから。そう微笑みながら言うロナルドの表情は、普段とはまた違う穏やかさに見えた。
「でも…私の意見で決めて宜しいのですか?」
「良いんだ。レイラも我が社の大事な人だからね。それに、味の好みって人それぞれだろう?レイラの他に何人かに食べさせてみたんだけど、町のモンテクリス店の方が美味しいって言う人が多かったんだ」
町で有名な菓子屋。金持ち相手ではなく市民向けの店だが、そこに劣る商品ならば扱う気は無い。だが、普段食べなれている味と大きく異なるから受け付けないという事が理由ならば、普段から上質な材料を使った菓子を食べている人間にも食べてみてほしかった。自分だけでなく、他の誰かに。
「レイラは気を遣う事が多いけれど、嘘は言わないだろう?」
「お仕事に関わる事を私が決めるのは如何な物でしょうか…」
「どうしても仕事に関わりたくないならそれでも良いよ。興味を持ってくれたら嬉しいなって思っただけだから」
ロナルドはそう言うが、何の知識も無いレイラが軽々しく口出しをして良いとは思えないのだ。
もごもごとどう返事をしようか迷い、口を開こうとしてまた閉じるを繰り替えすレイラに、ロナルドは困らせてしまったねと小さく詫びた。
「私にも、何かお手伝いできる事があるのでしょうか」
「勿論。レイラにしか出来ない事は沢山ある筈だよ。それが何かはまだ分からないけれどね」
「例を出すことはしないのですね」
「だって言ったらレイラはそれをやろうとするだろう?それに、俺はレイラの事を愛しているけれど、レイラに何が出来るかなんて分からないから」
しれっとそう言うロナルドに、レイラは何も言い返せない。
夫婦になってまだ日が浅く、そもそもレイラはあまり深い事をロナルドに話したりしない。日がな一日、散歩をしたり昼寝をしたり自堕落と言われても仕方のない生活をしていて、夫の為になるような事を何もしていないのだから当然だ。
「…何だか恥ずかしくなりました」
「何故?」
「秘密です」
少しは夫の為に出来る事を探してみるべきだろう。最近何度か考えて、何が出来るか分からず考える事をやめていた。
いつまでも修道院に押し込められた元貴族令嬢ではないのだ
今のレイラは、ネルソン家次期当主、ロナルド・ネルソンの妻だ。
ネルソン家の恥にならないように生きなければならない。助けてくれた、愛してくれるこの人の為に何かしなくてはならない。そう思うと、明日から忙しくなりそうな気がした。
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