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「無責任で過剰な()()は、時に人を押しつぶすのさ」


 誰かからの()()を背負い込むとき、いつもこの言葉を思い出す。中学の監督が、たった一度だけ寂しそうにそう呟いたこの言葉を。

 …今の私に、彼女の()()は重すぎるだろうか。

 いや、そんなことは決してあり得ない。

 

 私が求めていたのは、スカイツリーのガラス床に恐る恐る足を乗せる疑り深い審判員ではない。

 真に求めていたのは、その景色を堪能するために、無遠慮に自分の全体重を乗せてくる無垢な信仰者だったのだ。


 だから、彼女の目つきや言葉、態度の全てが"投げられない私"にとって重荷になる()()()()()()()()




 目をミットの方へ向ける。すぐさま視線は左バッターボックスの方へと吸い込まれる。そこには左バッターが立っていた。

 しかし、中堅校の五番とは思えないほどの風格を、私は"対戦打者"から感じとってしまった。


 目線は、勝手に三塁へと向かった。

 しかし、そこに走者はいない。当然だ、今はワンアウト一二塁の盤面だから。だけれど、"不可視の存在"に対して、私は私自身に強い警戒を促している。顔の向きは変えられても、そこから視線を外すことができない。

 

 やはり、"あの日の夢"は未だに私を呪ったままだ。



 ここで、目を強く瞑った。白くぼやけた景色を晴らした、3回裏の打席の感覚を再現できるかもと、呪いを振り切れるかも知れないと、藁にもすがる思いで。

 


 すると、あの夢の光景がまぶたの裏に映った。そこには確かに三塁走者がいた。あの球場と、歓声は聞こえないが観客も映っている。


 私自身が首を動かすより先に、まぶた裏の映像はキャッチャーの方へ向いた。遅れて、その動きの帳尻を合わせるように、私自身がそちらを向く。

 すぐさま、映像のピントがミットだけに合わさった。


 …しかし、顔を大きく動かしても視界に一切の動きがないとは、かなり不思議な感覚だな。


 

 さて、ここにきて私はようやく呪いを消し去ることよりも、()()()()に注力する覚悟を決めた。

 何度も、何度も、何度も見たあの夢の景色は、脳裏にきちんと刻み込まれている。ツーアウト満塁の場面から、投げて打たれるまでの間のあの景色が。

 だから、目を瞑っただけでその一幕や、自分の一挙手一投足を鮮明に回想することができる。


 ならば、"あの日打たれた最高の球"を彼女に投げることだってできるはずだ。




 どくん、と心臓が大きく跳ねた。続いて、体が震え始める。たくさん勉強をした科目の期末テストで、解けるか自信のない難問にぶつかったような、そんな感覚。

 十中八九、ここは()()()()()()()()()だ。私の()()()()の。

 だから、この体の震えは当然であり、必然だ。

 自分の人生がかかった場面で涼しい顔をできる人間なんて、そうそういるはずがない。




 ここでようやく、私は目を開いた。しかし、瞼の裏の景色が瞳に薄く張り付いてしまったのだろう。当時の景色が現在のものと重なっている。

 ただ、私はそれをどうにかすることよりも、右手で握りしめている白球を"投げる"ことを優先した。


 一つ、ため息をつく。強張った体の力を抜き、映像と視界とで上下にブレのあるミットの内一つを鋭くにらみつける。当然、その対象はど真ん中に構えている双葉さんの方。


 もう一度、ため息をつく。踏ん切りがつかない自分に苦笑したことで、身体のこわばりがその一瞬だけふっと消えた気がした。


【セットポジションから左足を浮かした後、右腕のテイクバックをできるだけ大きく、大きくとる。自然と、腰は二塁方向へと捻られた。

 そして、浮かした左足を地につけて、そこに全体重を預ける。それと同時に、捻られた腰と後方へと引っ張った腕が、ミットへ向かって強く反発する】



 何度も、何度も見たあの日の自分が、今の自分と完璧に重なったと確信できた。だから、双葉さんの構えたミットに、今の身体で出せる()()を投げ込めると確信を持てた。

 高揚感が体を包み込む。もう、私の体は私自身にも制御できない。


 …彼女が私の球を取れるかどうかなんて、今更知ったこっちゃない。



 止めろ、止まれ。


 心が、脳が、私に対してそう叫んでいる。

 少なくとも、双葉さんの身を案じるような理由ではないだろう。だとしても、もう遅い。


 右腕は、とうとう白球をミットへ放ってしまった。勢いを止めることができないそれは、左脇を通って私の体にきつく巻き付く。

 





 それに遅れて、着弾音がグラウンド上に響き渡った。人差し指と中指の痺れが、それが現実であることを嬉々として語っていた。



 電線に留まってグラウンドを眺めていた黒い観客たちが、バサバサと大袈裟に飛び立つ。

 それには、コンサートホールの残響を遮る、興ざめで、しらける拍手を思い起こさざるを得なかった。












 シューと、お肉が焼けるような音が聞こえる。それは、私のミットからだ。


 カラス達が電柱から消えたのを、ミットのボールが静止してから気づいた。

 銃声と勘違いしたのかな。だとしたら、怖がって飛び去ってしまったのも納得できる。


 少しだけ、頬と涙腺が緩む。当然、桜花ちゃんのストレートが怖かったわけではない。


「…ッ。ナイスボール、桜花ちゃん!」


 声の振動のせいか、瞳から涙がこぼれ出しそうになった。それでも、グッと我慢する。

 インプレー中にマスクは外せないし、目元を拭うためだけに二度目のタイムは取りづらい。


「なに、今の」


 ボールを桜花ちゃんに投げ返して少ししてから、尻もちをついていたバッターが震わせた声を小さく呟いた。

 つい、二年前の試合を思い出してしまう。私がバッターで、桜花ちゃんと対戦したあの試合を。

 


「大丈夫ですか?」


 未だに立ち上がらないバッターを見かねて、心配八割でそう言った。

 …きっと、今の私はどうしようもなく性格が悪いお調子者なのだろう。桜花ちゃんのプレーを、自分のように誇らしく思ってしまっているから。


「…すみません、大丈夫です」


 二割のほうを感じ取られてしまったのか、言葉の節々から怒りの感情が漏れ出ていた。

 

 …虎の威を借りた狐って、最後に酷い目に遭ったりしてないよね?


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