イップス
「スライダーは親指、チェンジアップは小指、人差し指でストレートで、二本指でスローボール。…だよね?」
わざわざ一つづつ順番に実践した双葉さんは、それを教えた本人である私に問いてくる。
「はい、それでお願いします。コースはミットを構えてくれたら、そこに」
…結局、ここに戻ってきてしまった。
私は、ふへへと体を震わせ自嘲する。確かに望んでいたことのはずなのに、夏休み最終日ぐらいの憂鬱感が脳を埋め尽くす。
「えっとさ…」
マウンド上に立つ私に、恐る恐るといった様子で話しかけてくる双葉さん。
その理由は、先ほどの私の態度によるものではない。
なぜなら、私が投手としてこのマウンドに立つことが確定してから、ずっとその表情だから。
「…どうしました?」
「無理は、しないでね」
言いたいことを私に一方的に告げた双葉さんは、ホームベースの方へと軽く駆ける。
…やはり、彼女は私の現状を知っている。
そりゃそうだ、彼女には公園で"投げようとしている様子"を見られているのだから。よほどのバカでもない限り、私の状態を推察できるだろう。
…敢えて言うなら、よほどのバカでない限り気付かれてしまうほど、私は"投げられない"わけだが。
ともかく、それなら良かった。
"あの日の彼女の表情"を思い出した私は、心からそう思う。無駄に期待させて、失望させるような真似だけはしたくない。
だけれど、私の心はもう一つ意見を持っていた。
"見放されるのは、嫌だ"
公式戦での投球練習は10球も投げさせてくれないが、お相手さんの寛大な精神で5分ほど時間をくれることになった。
それだけあれば、通常の肩慣らしには十分。
マウンド上で、グローブの中にある白球を強く、強く右手で握りしめる。
あの日のキャッチボールのように、"軽く"投げるぐらいなら大丈夫なんだ。
自分自身にそう強く言い聞かせた後、ど真ん中に構えられたミットに対して、ボールを持つ腕を振る。
スパンっとミットの乾いた音が聞こえた。…これぐらいなら、大丈夫。
自分の意図した通りの動きができていることに、幸福感と不快感の相反する情動を同時に得る。
…半年。それは、ここまで状態を戻すために使った時間だ。
それ以前、"あの日"の直後は白球を直視できない状態で、野球の中継を見ることすら苦痛だった。
野球に関わろうとするだけで、どうしても"あの日"がフラッシュバックしてしまっていたのだ。
そこから、ゆっくりとゆっくりと、"マウンドに上がるための努力"をした。直視すらできない白球をどうにか受け入れるために、家にいる時も寝る時も、ずっと右手でそれを握りしめていた。
少し慣れてきた時は、復帰した時に新しい変化球を投げてみたいなと、フォークの握りを試したこともあった。
そして、春の訪れを確かに感じられた、3月の中旬。半年の時間をかけて、ようやくその日は訪れた。
私の状態を唯一伝えていた、中学の時の監督に学校のグラウンドを少しの間だけ貸し切りにしてもらい、マウンドで投げることにしたのだ。
この日、私の心は致命的なほどに折れてしまったのだ。
観客も、ランナーも、審判も、バッターも、"相棒"も、いない。これだけあの時と状況が違うのにも関わらず、私は投げられなかったのだ。
確かに、マウンドに上がった瞬間から強い違和感を覚えていた。背中に直接冷風を当てられているかのような感覚が、ずっとまとわりついていたのだ。
それでも、踏み込みまでは一応問題なかった。その日の二ヶ月前から、毎日壁相手にキャッチボールをしていた甲斐があったというもの。
だけど、防具を付けてミットを構えていた監督には、ボールを届けられなかった。
投球モーション中、私の手は金縛りにでもあったかのようにガッチリと動かなくなった。だから、ボールが意図したタイミングでリリースできず、地面に叩きつけるような格好になる。
決して、私自身の状態を侮っていたわけではない。実際、時間をかけてゆっくりと治していこうと、1年近くかかっても良いと、当時は本気で考えていたと思う。
だけど、その時を堺に、現状を受け入れる続けることに対して私は拒否反応を示すようになった。野球に関わる全てを断ち、いつのまにか三ヶ月もの時間が経っていたのだ。
響かないミットの音と同時に、背中に棘が刺さっているような不快感を抱き始めた。
このチームのメンバーは、私の投球に対してどう思っているのだろうか。きっと、"この程度のものか"と考えているに違いない。
一つ、ため息を吐いた。
そして、余計な思考を遮るように、私は双葉さんに対してボールを"送る、渡す、届ける、寄越す"。
それでも、5分以内に"投球の準備"なんてできるはずがなかったので、試合はこの状態のまま挑むしかない。
募る不快感は、五回を無失点で切り抜けられなかったことで、更に悪化した気がした。




