第9話 現地調査②
風に乗って、「お気を付けてー」というマリーンの声が聞こえました。
本当に、本当によくわからないのですが、なぜか私は今、ユジン様に抱きかかえられるようにして馬に乗っています。
やっぱりこの男は新郎失格です!
私だったらぜったいぜったい、婚約者が理由もなく別の女性を自分の馬に乗せて走るなんて嫌ですから。あああルシェ様ごめんなさい、本意じゃないのです許してください。
ラシャード様の馬に乗るって言ったんですよ、私は。なのに……。
しかも。
「寒くはないか?」
「……大丈夫です」
無駄に優しくて余計に腹が立つ。ちょっといい香りがするのも腹が立つ。服の上から見るのと違ってしっかり筋肉があるのも、腕の中に私がすっぽり収まってしまう体格も腹が立つ。
そろそろ私のポーカーフェイスが崩れそうで不安です。
屋敷から現地まではそう遠くありません。この農場で働く農夫たちは徒歩だったり、荷馬車に揺られたりして向かうのだと聞きました。
一本道ですし、屋敷の周囲は広範囲に渡ってお花畑。会場にしたいと考えている場所は農場の端のほうなので、森が近いのが警備する上で気になる点でしょうか。
「どのあたりだ?」
「えっと。あそこから草丈が変わるのわかりますか? 背が高いほうがダリアです」
植えられた植物の種類が変わるあたりを指さして説明します。
コベット公爵からいただいた資料によると、手前はサルビアが植えられているはずです。サルビアの草丈は高いもので女性の足の付け根くらいまででしょうか。ダリアはもう少し丈があって、腰より高くなったりします。
「近いな」
手綱を繰りながら速度を落としてくださいました。
ラシャード様も横に鼻を並べ、三人できょろきょろしながら馬を歩かせます。
「資料によると農夫の作業用スペースがあるそうです。あと、植え替えを検討中の場所があるとか」
「作業用スペースというとあれではないでしょうか」
ラシャード様が指さした先に、確かにぽっかりとあいた空間がありました。そこだけ道幅が大きく広がったように開けた空間は、荷馬車を何台も並べて作業ができそうです。
ただ送迎の馬車をターンさせるためのスペースを確保すると、もう余裕はありません。
「ここは難しそうだな」
ユジン様も同意見のようですね。
であれば、植え替えのために土を休ませている区画が良いでしょうか。
「ふぁっ」
ユジン様の腕の中で首を伸ばしてグルリと見回すと、腰に回された手の力が一段強くなって私の心臓が跳ねました。
「あんまり動くと落ちるぞ」
「はい、すみません! 直ちに降ります!」
「降りたら見えないだろう」
ここにいるともっと見えない気がするんですけどね!?
下から思いっきり睨んでやったのですが、ご本人は気づいていないようです。ままならない感じがモヤモヤしますっ。
ラシャード様はまた肩を震わせています。笑ってないで主人を窘めてほしい。
「ヴィー様、あちらの区画には何も植えられていないようです」
口元を大きな手で覆って表情を隠したラシャード様が、視線だけでどこかを指し示しました。赤茶色の瞳が映す先を探すと、確かにサルビアの南側に大きく空いた土地があるように見えます。
「あっ! そうですね、間違いありません」
「こら、ちょっと待て」
「わっ」
逃げ出すチャンスとばかりにユジン様の腕から抜け出ようとしたら、より一層力強く抱き締められてしまいました。ごめんなさい許してください。
「ほら」
「ちょっ、一人で降りられますから!!」
大人しくなった私を置いて軽やかに馬から降りたユジン様は、流れるような動作で私を抱き上げます。
私、もうルシェ様のお顔を真っ直ぐ見られないかもしれません。帰りは絶対ラシャード様の馬に乗ろう……。
ユジン様が作業スペースを囲うように立つ柵に手綱をくくりつける横で、私はばくばくと自己主張する心臓を落ち着かせるため、大きく深呼吸をします。
肺の中の空気を出し切ると同時に、背後で大きく砂ぼこりがたちました。ユジン様が「気を付けろ」と叫んでいます。
え?
あれ?
ラシャード様、どっか行った。
「あの、ラシャード様はどちらに?」
「警備のチェックで森の中を見に行かせた」
なるほど。ラシャード様は一体どんな立場の方だろうかと考えていたのですけど、……どういう方なんでしょうね?
事務方を任されている秘書的なお立場のようにも見えたのですが、警備に関しても確認、判断ができるとなると相当ハイスペックですよね。
「有能な方なんですね」
「そうだな」
走り去るラシャード様を眺めていたら、腕を引っ張られて体勢を崩してしまいました。支えてくださったからいいですが、……いや良くないわ。
「行くぞ、確認」
「手を離していただけるとありがたいのですが」
一瞬だけ睨みつけるようにこちらを見てから、私の腕を掴んでいた手を離してくださいました。
すっごい扱いづらいですね、この人!
大事なお鴨様ですから、扱いは丁重にと心掛けているんですが……ルシェ様に対してありとあらゆる感情が沸き上がってきます。ご結婚は考えなおしたほうが……コホン。
さあ私情は一旦どこかに置いておいて。仕事をしましょう。
開けた場所へ向かいながら、私はジャケットの内ポケットに入れていた絵葉書を二枚取り出してユジン様にお渡しします。
「今はシーズンではないのでこちらをお借りしました。手彩色のポストカードですが参考になるかと」
名産品であるダリアが満開に咲き乱れたものと、屋敷を中心にいろいろな種類の花が咲く様子が印刷されたものと。
ユジン様がそれをしげしげと眺めています。
「それから、交渉次第ではこの空いた場所に芝を敷いていただけるかもしれません」
「ここは公爵直営のはずだが。どういう手を使えばそんな魔法みたいなことができるんだ?」
足を止め、顔をあげて懐疑的な色を帯びた青い瞳を見せました。
「大事なのは、コネクションとお金です」
「半年先までこの区画を借り続けることになるんだぞ。想定される利益分まで払える貴族がどれだけいると思う」
瞳も表情も鋭いですが、不可能だとは思っていないようです。
コネがない状態で正攻法でこの区画を借りた場合の、農場に対する支払金額というのはちょっと考えたくないのですが……動じていないところに興味がそそられます。
「少ないでしょうね。でも可能だと思ったのでご提案しています。難しいようでしたら、お屋敷のお庭に変更いたしましょう。ダリアを多く購入する必要はありますが、費用は雲泥の差です」
「それでは意味がない」
「そうなんでしょうね」
風がやみ、静かな時間が訪れました。
交渉というほどの交渉にもなっていませんが、私の勝ちです。欲をかかなくても、とんでもない金額を請求できるでしょう。
しかしこのクラスの貴族でしたらご友人もご紹介いただきたいですし……ほどほどにしておきましょうか。
「必死に金を稼ぐのはなんでだ?」
虚をつかれて思わず、見つめてしまいました。