第6話 恋に落ちたふたり
当ショップのエレベーターは小型で三人乗りですから、お見送りは失礼させていただきました。
窓から下を眺めると、フード付きのローブで全身をお隠しになったお三方が質の良い馬車に乗り込むのが見えます。
馬車に家紋は見えませんから、お忍び用の自家用馬車でしょう。
「やる気がみなぎってますね」
茶器を片付けるマリーンが苦笑します。
「それはもちろん。だってお花畑でと仰ってたのよ?」
「ああ、憧れの」
「私がこの仕事を志したきっかけもまた、幼い頃に出席したお花畑での結婚式だったの。あれを超えるものを作り上げることができたら幸せだわ!」
思わず鼻息も荒く手を握ってしまいます。
幸せという言葉をカタチにしたら、きっとああなるのだろうと思わせてくれるような式でした。
あれは六歳になるかどうかという時期だったと思います。
ダルモアは中堅の宮中伯家で、王弟であるトルーノ――現コベット公爵様のご結婚式にはギリギリ列席が許される程度の家格だったのですが……。
トルーノ様直々のご指名で、私がご新婦様のベールガールを拝命したのです。ドレスのトレーンよりもずっと長いベールをお持ちする役割を。
なぜそんな大役を任されたのかわからず、家族一同震えてしまいました。
けれどトルーノ様は少しだけ照れた様子で「夢だったんだ」とおっしゃったのです。
『銀色に煌めくふわふわの髪の天使が、愛する妻のベールを持ってバージンロードを歩く様子を見るのがね』
その言葉が忘れられません。
父をはじめとしてグレーの髪は少なくありませんが、色素の薄いプラチナシルバーは確かに珍しい髪色です。
きっとどこかで私の髪の噂を聞いて指名してくださったのでしょう。
みんなには内緒だよと人差し指を唇にあてて見せたお茶目な表情も、奥様の姿を追うクリクリの茶色い瞳も、幸せそうに笑う大きなお口も、全て覚えています。
きっと私はあの時、恋に落ちたのです。
理想の結婚式を実現した殿方の表情と、ご夫婦が力を合わせて作り上げたセレモニーそのものに!
「ヴィーさま、そろそろお仕事してくださーい」
マリーンが半ベソで私を呼んでいます。ついつい、懐かしい思い出に浸り過ぎてしまいましたね。
あの日私の心を奪ったセレモニーを、この手でもう一度実現するためにも気合を入れなくてはいけません!
勢いをつけてソファーから立ち上がり、すでに階下へ下がったマリーンに大きな声で呼びかけます。
「がんばるのでコーヒー淹れなおしてくださーい」
「いやでーす」
チッ。
仕方ない、自分でコーヒーを淹れるところから始めましょうか。
◇ ◇ ◇
「同行いただきありがとうございます。お兄様」
「いや……」
馬車の中で、妹のサラが小さく頭を下げる。
先ほどブライダルショップで店主に名乗ったルシェもユジンも、二人のミドルネームからとった偽名だ。
ルシェことウルサラ・メリルーシェ・エッセルはエスパルキア王国の王女。ユジンは隣国の王太子ジョーディー・ユージーン・デロア。
二人の婚約が決まったのは随分と昔だが、国内で送別の宴と披露宴を兼ねたパーティーを開催したいというサラの願いが聞き入れられたのはつい最近だった。
「ヴィー様にお願いするには、新郎の同席が必須でしたので。ジョーディー殿下の振りをしてくださって本当に助かりました」
「ジョジーは俺にとっても大事な友人だからそれは構わない。が、ダンスが理想とは恥ずかしくないのかアイツは!」
いずれ俺がジョジーではないと伝えるにしても、いま現時点ではダンス好きだと勘違いされているのだ。俺のイメージに関わる大問題だ。
横で笑いを噛み殺しているラシャードの足を蹴り飛ばすと、ラシャードは呼吸も絶え絶えに口を開く。
「そういえば、狂戦士と恐れられるアーベル王子殿下にも理想の……ぷっ……結婚式とかあるんですか……くっふふ」
「うっせぇわ。黙ってろ」
ついに我慢しきれなくなって腹を抱えて笑いだしたラシャードを無視して目を閉じる。
結婚すら考えてなかった俺に、理想の結婚式などあるわけがない。
王太子である兄にもまだ子がいないというのに、そのうちどこかの戦場で野垂れ死ぬ俺が妻子など持ったら、死後に争いの種になりかねんのだから。
「……夫婦の最初の試練か」
その言葉には聞き覚えがある。
あれは叔父のコベット公爵の結婚式のことだ。郊外の歴史ある教会での挙式後、裏の花畑で披露宴が催された。
今思えば警備にどれだけのコストがかかっていたかと頭を抱えるところだが……子どもだった俺は、肩の凝るパーティーを抜け出して近くの小川へ向かった。
水音に誘われるように草を分けて進んだ先にいたのは、濡れたように輝く銀髪が波打つ天使だ。
『パーティーに飽きたのか』
俺は確かそう問いかけた。天使は振り返って首を振ると、体を横にずらして足元の小川を指さして言う。
川にはオレンジやリンゴの入ったカゴが沈められていた。
『いいえ。これを見て。あの冷たいデザートはここで冷やしていたのよ。何から何まで、ほんとうにすごいわ。飽きるなんてとんでもない!』
『女はみんなこういう結婚式を挙げたいのか?』
自分にはのどかすぎて刺激が足りないと思っていた披露宴を手放しで褒める天使に、意地悪がしたくなってこぼれた言葉だ。
怒らせることには成功したが、天使の言葉は俺が予想したものとはだいぶ違っていた。
『女とか男とか関係ないわ。お互いに思いやりを持って作り上げた最高に優しい式よ。結婚式って、夫婦にとっての初めての試練なのかもしれない。そしてトルーノさまと奥さまはやり遂げたんだわ!』
年下に見えた彼女の言葉は大人びていて、もしかしたらやっぱり天使なのかもしれないと思った。
神から遣わされた天使が叔父夫婦に祝福を与えにやって来たのかと。
きっと俺はあの時、恋に落ちたのだろう。銀色の天使に。
彼女はあれから二度と俺の前に姿を現わさなかったが、……いや、そうだ。やはりディグズローは試練に合格していたんだろう。
ゆっくり瞳をあけると、ラシャードとサラが心配そうにこちらを見ていた。
「なんだ」
「いえ、理想の結婚式について思いを馳せていらっしゃるのかと思って。ぷっ」
「黙ってろと言っただろう。だがラシャード、ひとつ調べものを頼まれてくれ。銀髪の貴族令嬢についてだ」
調べてどうするんだと思う一方で、俺は頬が緩むのを抑えきれない。
銀色の天使をサラの披露宴に招待したらどうなるのだろう。大人になって、政治とも戦とも違う別のことに興味をひかれたのは初めてだ。