第4話 新規受注①
職場に到着したら、先ずは執務室のカーテンを開けます。秘書のマリーンが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、窓から往来を眺めるのが日課です。
たくさんの馬車に紛れて、白い蒸気を噴き上げる自動車が縫うように走る朝の大通りは、活気に溢れていて元気をもらえる気がするのです。
大きな荷物を持った郵便配達員が、私のショップに向かって来るのが見えました。
ああ、これぞ働く女性の理想の朝の過ごし方というもの。
「ヴィーさま! こちらがお礼状です。ほかのお手紙はわたしが一次対応しますね」
「ええ、お願い。いつもありがとう」
マリーンが私の机にお手紙の束と新聞を置くと、また蒸気式昇降機に乗って階下へ戻って行きました。
私の弟子で秘書のマリーンはもういつ独立しても問題ないほど仕事ができます。とはいえ彼女がいなくなると困ってしまうのですが。
――ブライダルショップ・アンヌ ヴィー様。
机に広がったお手紙の宛名は全てこれ。
マリーンが差出人のお名前と顧客リストとを照合して、お礼状と判断して持ってきてくれるのです。毎年記念日になるとお手紙をくださる方もいるので、年々こういったお便りも増えて行きます。
そろそろ記念日にパーティーをするという新たな流行を仕掛けてみても良さそうですね、金づる……いえ顧客様も増えましたし。
私の名前はヴィヴィアンヌ・ダルモア。ダルモア伯爵家の末娘です。
このブライダルショップ・アンヌでは『ヴィー』という通称を用い、身分を隠してプランナーとして働いています。
新聞の一面はこの国の第二王子殿下の凱旋について。
帝国との国境沿いで熾烈な戦いがあったそうですが、殿下が陣頭指揮を執る部隊がそれを退けたのだとか。
「ヴィーさま!」
よほど急いでいるのか、マリーンがエレベーターではなく階段で二階へやって来ました。いつも疲れるからイヤですと階段を拒否するのに、どうしたことでしょうか。
「マリーン、帝国はお家騒動でしばらく諸国への侵略行為ができないかもしれないって新聞に――」
「ヴィーさま、そんなことよりお客様です!」
午前中には来客の予定は無かったはずですが。
不思議に思いつつも、マリーンの慌てた様子からかなりの上客が来たのだろうと推測し、執務室へお通しするよう伝えます。
隅の鏡に映る自身の姿を確認しましょう。
頭頂部でお団子にした銀色の髪、化粧の薄い顔の真ん中で存在感を放つ太い黒縁の眼鏡。短めの丈の濃紺のジャケットは肩が少しだけ膨らんで、同色のフレアスカートは足首まで。
来客の予定はなかったのでカツラがありませんが、今回は諦めましょう。ブラウスのフリルを直し、ブーツの爪先の泥を払って準備は完了です。
鏡の中の自分に頷いて見せたとき、エレベーターが歯車を軋ませながら二階へ到着しました。
鉄製のゲートは錆もなくスムーズに開き、三名が降りていらっしゃいます。
「ようこそおいでくださいました、店主のヴィーでございます」
「突然の訪問、お許しください。わたくしはルシェと申します。こちらは婚約者のユジン」
指の先まで洗練された美しいお辞儀を見せた女性の横で、明後日の方向を見つめている黒髪の男性。新婦であるルシェ様が無理に連れて来たのでしょうね。
三人目の男性は恐らく従者でしょう、一歩下がって控えていらっしゃいます。
ファミリーネームを名乗らないのは、まだ結婚のお話が表沙汰にならないようにしたいのだと推測します。時期が来るまで内緒のまま話を進めるのは、貴族のご依頼では少なくありません。
もちろんルシェもユジンも国内にそれらしい名前の貴族はいませんから偽名ですね。社交の場には滅多に顔を出しませんが、貴族名鑑だけはしっかり読み込んでいますので間違いないはずです。
が、もはやそんなことはもうどうでもいい。
このユジンと呼ばれた男性、先日のエシャーレン邸でのチョコレートパーティーにいた黒髪イケメンなんですけど!
え、結婚するんですか? この素敵な女性と?
なのに先日は私に、私の髪を、えっ?
……と、取り乱してはいけません。平常心でいきましょう。爽やかで完璧でキャリアウーマンにふさわしい朝をぶち壊されてはたまりません。
新郎新婦のお二人に、中央のソファへ座るよう促します。
「本日はどういったご用件でしょうか。資料集めでしたらマリーンが……」
「いいえ、わたくしはヴィー様にお願いしたいと考えておりますの。どんな理想も叶えてくださるとお聞きして」
艶々した栗色の髪はうっとりするほど真っ直ぐなストレートで、いたずらに傾いだ首からこぼれ落ちて肩を流れました。瞳は太陽のような琥珀色。お人形さんのようです。
ふむ。お二人とも所作は美しいのですが、ユジン様はどうにも苛立っているように見えます。大丈夫かしら。
私は頷いて小さく咳払いしました。
エレベーターがまたブシューと音をさせながら下へ降りて行きます。マリーンがお茶の準備をしてくれたのでしょう。
「理想を叶えるお手伝いはいたしますが、大前提としてご新婦さまとご新郎さま、双方ご納得の理想でなければなりません。それが当ショップの決まりでございます。失礼ですがユジン様はプランナーが私であることに問題ありませんでしょうか?」
突然話を振られて驚いたのか、少しだけ目を見開いてユジン様がこちらをご覧になりました。
サラサラで癖のない黒髪は耳が隠れる程度の長さ。切れ長の瞳はサファイアのように澄んだ青色をしています。人を寄せ付けない美しさに、孤高の騎士――そんな言葉が思い浮かびました。
「ああ、問題ない」
「ありがとうございます。それでは、他にも決まりがございまして――」
「料理や警備など責任者がいるなら直接やり取りをしても構わないが、決定事項の全てを書面にし、新郎新婦が確認の上サインすること。着手金に三十万ゴールド、残金は挙式の内容が決定され次第請求」
ルシェ様が落ち着いた声音で私の言葉を引き継いでくださいます。
当ショップのことはしっかり下調べしてくださっているようですね。説明が省けて助かりました。大きく頷いて話を続けます。
「ええその通りです。ではこのまま理想をお伺いしても?」
ルシェ様が嬉しそうに笑い、ユジン様はまた窓の方へ目を向けられました。
マリーンが音もなくテーブルへお茶やお菓子を並べ、慣れた手つきで私にメモ帳を手渡します。そうそう、これがないと仕事になりませんからね。
「お願いしたいのは披露宴だけなのです。まだぼんやりとしたイメージしかないのですけど、できればお外……お花畑で開催できないかしら」
「挙式は個人でご対応されるのですね、わかりました。日取りはいつ頃のご予定でしょうか。それによってお花が変わりますから場所選びに関わります」
ルシェ様とお話をしながら横目でユジン様を確認しますが、やはり我関せずといった様子で窓の向こうのお空を見上げています。
「お外でのパーティーは制限も多くなりますが、ユジン様もお外をご希望でいらっしゃいますか?」
「ルシェに任せ……ああ、いや、そうだ。外を希望する」
危ないところでしたね、ナンパ男め! 任せるなんて言おうものなら、私はきっと怒り狂います。
私はこの言葉が最も嫌いと言っても過言ではありません。当事者意識を持てと百回叫びたいくらいです。下調べをなさっているだけあって、私の地雷を踏まないように気を付けていらっしゃるみたい。