第32話 押しかけ王子
髪はまとめてお団子に、紺色のツーピースと黒縁メガネ。慣れ親しんだヴィーの装いで、私は狂戦士だった誰かと対面しています。
ここはブライダルショップ・アンヌ。
ウルサラ様とジョーディー様の披露宴を終えて二週間が経過し、いつもの日常に戻っています。新聞さえもデロアで行われた王太子の結婚の儀に関するニュースを報じなくなりました。
以前と違うところがあるとすれば、まず第一に暇になったことが挙げられます。やはりヴィーがヴィヴィアンヌであるという事実が社交界に広まるのは一瞬のことでした。
多くの新婦様は「それでもヴィーに」とおっしゃってくださるのですが、スポンサーである父親や、お相手の新郎様とそのご一家は良い顔をしません。
最近のお客様はほとんどが貴族ではないブルジョワなお家ですね。
財布の中身を知られたくないのは貴族だけですから。
そしてもうひとつ。なぜかアーベル王子殿下が毎日のようにこの店にやって来るということです。もう日課ですよ日課。デロアから戻って今日までずっと。
最初は、ウルサラ様の結婚の儀が無事に終わったというご報告でした。翌日は、誘拐されたときのことを聞かせてほしいという調査目的でした。
三日目からはもうよくわからないのですよね。ただ世間話をしているだけなので。
「お気持ちはありがたいのですが、店を花畑にするつもりですか?」
来るたびにダリアを買って来てくださるのですが、おかげさまでショーウィンドウがダリアで埋もれそうになっています。
今年は特に高騰してるでしょうに一体なんのために。
「半分は俺から。残りの半分はラシャードから。叔父上のところから直接買ってるんだ、黙って受け取れ」
「まぁ、そういうことなら。トルーノ様は大事な時期に身銭を切ってくださいましたしね。たくさんお金を落としやがってください。それで、本日はどんなご用ですか?」
「用がないと来てはいけないのか? 手の怪我はどうだ」
「もうだいぶいいです。ていうか、私はもう王族に拝謁できるような立場ではないんですけど」
「それは違う。レディズコンパニオンもブライダルプランナーも、ウルサラの依頼だろう。そうではなく、俺はおまえに話し相手になれと言ったはずだが」
勝ち誇った顔でコーヒーを飲むアーベル様を凝視します。
さも当然のことのようにおっしゃってますが、そんなお話はウルサラ様とのご契約が終了した時点でこちらも終わったものと思っていました。
「そのお話、まだ有効だったのですか?」
「異例の大出世をした人物が二人もいたな?」
「待ってください、それは殿下が女性からのアプローチを避けるためでしたよね。その点において、私はこれ以上ないほど貢献したと思いますけど」
だって刺繍まで渡してるんですからね。
おかげさまで、以前はちょこちょこお話をいただいていた縁談も、刺繍事件から四ヶ月まったく音沙汰ありません。
結婚願望は無いとはいえ、本当に結婚できなさそうだという状況に直面してちょっと後悔し始めてるくらいです。
「言っただろう、時期が悪いと」
「はい?」
「キュリオにも誠心誠意対応すると約束したしな。今は目下の懸念事項について対応を考えているところだ」
ものすごい笑顔で何か言っています。
話が見えません。というか、向き合ってはいけない気がしています。
「ええと、なんの話ですかね」
「婚約」
「誰と誰の?」
「俺とおまえ」
「はぁぁああああ?」
コーヒーを飲もうと伸ばした手が止まります。カップを持ち上げる前で本当に良かったです。
予感は正しかった。向き合ってはいけない話題でした。一体全体どういうことですかね?
階下から「うるせぇです」とマリーンの罵声が聞こえてきました。王子殿下がいることを知っててよくあんな言葉遣いができるものです。
「考えるべきことは多いが、それと同時にふたりでたくさん話をして、たくさん出掛けたいんだ。おまえのことをもっと知りたいし、俺のことも知ってもらいたい」
「私の知ってるアーベル様ですか? 中身別人だったりします? 頭ぶつけました?」
だって、私のよく知るアーベル様は結婚しないと断言なさっていましたから。こんなに甘い表情もしなかったし、相手を思いやるようなタイプでも……。
しかし目の前の美貌は苦笑しながら頷きました。俺だ、と言いながら。なんか調子狂っちゃうな。
「だから話そう」
真っ直ぐな目で見つめられながら対話を求められることにドキドキしてしまって、私は当たり障りのない話題を探してしまいます。
お互いを知りたいと言われて、素直に相手のことを聞いたり自分のことを話したりできる人は、コミュニケーション力がカンストしていると思うのです。
「えっと……。えと、あ、ハリル様はどうなりましたか?」
「なんでそこでハリルが出てくる。本人は無言を貫いている。ギレームは帝国に脅されたとかハリルの指示だとか支離滅裂なことを言っているがな。サラの誘拐を企てたんだから、このままなら二人とも反逆罪だ」
「反逆罪って死刑ですよね……。それどうにかなります?」
「刑について言ってるか? 無理に決まってるだろう。大体、おまえだって通算四回も命を狙われてるんだぞ」
アーベル様が目を真ん丸にして大きな溜め息を吐きました。王位簒奪、王女の誘拐未遂、コンパニオンの殺害未遂、恐らく他にも細々したことがたくさん。余罪は十分あるでしょう。
だけど。
「暫定三回です。アーベル様に助けていただいたとき、彼は命どころか傷つけるつもりも本当になかったと思います。あなたもそれがわかっていたから死なせなかったのでは?」
剣を抜いて私に向けた切っ先は、でも確かに力なく下におりたのです。すぐにアーベル様が蹴っ飛ばしてしまいましたけれど、話に聞く彼ならそのまま剣を抜いていてもおかしくない。
理由があれば国家を混乱せしめていいわけではありません。でも、一瞬だけ見せた彼の切なそうな表情が気になります。
しばらく黙っていたアーベル様は、窓から見える空を眺めながらポツリと話し始めました。
「ハリルと俺は成人したばかりの頃、一緒に帝国へ外遊したことがある。留学が主目的で、外交も少し。俺はそこで第二皇子のノアと意気投合したんだ」
「第二皇子って、視察中に亡くなったっていう」
「世間一般の評に違わず、知力も武力も普通の域を出ない人物だった。だが、誰よりも家族と平和を愛していた。息子や夫人の自慢話を一晩中聞かされたし、属州をいかに栄えさせるかで熱く語っていた」
先代が賢帝との呼び声高い人物だったために、第二皇子の評価は普通より悪かったと聞いたことがあります。
でもアーベル様の瞳はそうは言っていませんね。信頼と友情が浮かんでいます。
私は聞き役に徹することにして続きを促しました。
「一方で、ハリルは皇帝の弟であるシルキウスとその一家と親交を深めていた」
「それは意外ですね」
新聞や人の噂から得られる情報によると、シルキウスは先代皇帝の意を汲む保守派です。だからこそ、武力による侵攻を是とする幼帝一派と対立して、内乱状態になっているのです。
ハリル様はその武力侵攻派と連携を取っていたはずですが。
「ヴィヴィ、デートしよう」
「は?」
突然話を切り上げたアーベル様が、寂しそうに笑いました。




