第3話 甘い出会い③
会場に戻って食事を終えると、招待客は思い思いに過ごすようになります。
小サロンでお茶を飲みながら一息吐く方、遊戯室でビリヤードやチェスに興じる方、意中の相手や一夜の相手を誘って人目のない場所へ向かう方。
お食事会場に残る方も多いですが、片付けに奔走する多くの侍従たちの目がありますから、私が見ている必要はありません。
ここでトラブルが起きたとしてもすぐに解決されることでしょう。
ですから私は大サロンへやって来ました。飲み足りない方々がお酒やダンスを楽しむ場所です。
会場をつぶさに観察し、体調の悪そうな方がいらっしゃれば誰かを呼び、食べ物や飲み物が少ないようならそれをこっそりと依頼する簡単なお仕事。
「おや。楽しそうですね」
よく通る軽やかな声が聞こえて来ました。
先ほどお会いしたハリル・キャラック様ですね。目立たないように瞳だけ動かして様子を伺います。
「別に」
「相変わらずつれないですねぇ」
ハリル様の背中に隠れて見えづらいですが、恐らく彼の目の前に立つのは黒髪の彼でしょう。その心地いいバリトンは、しばらく忘れられそうにありませんから。
そこへ予想通りと言うべきかわかりやすいと言うべきか、華やかに着飾った女性たちが集まって来ました。
黒髪の男性がどこのどなたか存じ上げませんがイケメンですし、ハリル様は容姿も地位も申し分ありませんものね。
「とっても素敵な披露宴ですわね!」
「アテクシもこんな結婚式に憧れますわ」
「ヴィー様のプロデュースだそうよ」
お、いいですね。私の名前はどんどん出してほしいものです。そして願わくば、結婚式の演出は私にご用命を!
「私も今日はそのヴィーさんに助けられました。彼女の演出が人気なのも頷けますよ」
ハリル様の言葉に大きく頷きそうになるのを、必死にこらえます。是非もっと褒めちぎってほしい。そしてさっさとお相手を見つけ、私に仕事の依頼をしてほしい。
そう、ハリル様はまだ婚約もなさってないのですよね。だからこうやって女性が群がるわけですが……。
「北のマリ教会をご存じ? 天空の教会と呼ばれているのですけれど」
「あー! わたくしそちらの教会で式を挙げるのが夢なのです」
そのうちに、話題は「それぞれの理想の結婚式」へと移っていきました。
マリ教会での結婚式も、私が最初にプロデュースしたものです。空の上で挙式を、と言われたときにはどうしたものかと悩みましたが、今では超人気のスポットに。
「マリ教会というと、断崖絶壁の?」
「ええ、ええ! 周囲が崖に囲まれているものですから、天空に浮かんでいるように錯覚するんです」
「そこで結婚式ができたら夢のようですわ」
ハリル様は大袈裟に驚いて見せながら、身振り手振りも使って、彼女たちの発想がいかにロマンティックでハイセンスかを讃えていらっしゃいます。
紳士の嗜みではあるのですが、お顔が整っているせいかプレイボーイっぽい空気もかんじてしまいますね。
「ハリル様の理想はどんな結婚式ですか?」
女性のひとりが瞳を潤ませながら見上げました。それに倣うように他の女性たちも上目遣いをして、ぱちぱちと瞬きをしています。
いいですね、狩りって感じがします。肉食女子!
一方で、黒髪の彼はまるで発言をしていませんが大丈夫なんでしょうか。
気になって一歩ズレてみると彼らの様子がよく見えるようになりました。が、黒髪の彼、すごいそっぽ向いてます!
この話題にまるで興味がないと体中から伝わってきますね。なんだかんだ理由をつけてさっさと席を外したらいいのに。
ちょっと面白くなって笑いそうになるのを、広げた扇で隠しました。
「ははは。結婚式の主役は美しい女性です。私は妻となる人には好きなようにしてもらいたいと思っていますよ」
ハリル様の回答に女性たちがキャーと歓声をあげます。彼女たちにとっては百点満点だったようですね。
でも、私はそれが正解だとは思いません。
ハリル様はお優しく紳士的でレディーファーストが板についていらっしゃいますが、結婚式というのは……。
「だがハリルはマリ教会で挙式などできないだろう? 高いところが苦手な父親がいるんだからな」
冷たい声音で盛り上がった話題を切って捨てたのは、黒髪の彼。
私も噂程度には聞いたことがあります。高所恐怖症というのでしたでしょうか。我が国の宰相は、二階以上の室内では窓際に寄ることすらしないのだと。
そう。そうなのです。
結婚式は、夫婦が力を合わせて超えるべき最初の試練。
お互いの理想を尊重し、お互いのために集まってくださる列席者に思いやりを持ち、人々と神々から祝福される式にしなければいけません。
「ええ確かにそうです。これじゃあ天空の結婚式を望まない女性を探さないといけませんね」
「あら、建物の中にいる分には怖いことなんてありませんわよ」
「さすがにお父様では参列をお断りすることはできませんわね」
ハリル様が苦笑しながら頷きました。細かいことを言えばその答えは正解ではありませんが、回答のひとつではあるのでしょう。
一方で相槌を打つ女性たちの言葉には同調できません。
もし彼女たちが私のもとに挙式の演出を依頼にいらしても、きっとお断りするような気がいたします。
さてさて。よそのお話を盗み聞きしている間に、屋敷全体の活気も落ち着いてきたようです。さあ、後のことはマリーンに任せて、私は帰りましょうか。
「お待ちください、素敵なレディ。私は貴女とどこかでお会いしませんでしたか?」
扇を畳み、サロンの扉に向けて一歩を踏み出したとき、ハリル様がぱっと顔を上げてこちらへやって来ました。
まるでずっと様子を窺われていたかのようなタイミングです。
「い、いえ……」
上手に困惑した表情を浮かべてみせました。
お会いしたのはヴィーです。赤毛で、シンプルな紺のツーピースを着た黒縁メガネの地味な女。
たまにこんな風に勘の鋭い方がいらっしゃるので、その度に寿命が縮む思いです。
まさか娘が平民として、ブライダルプランナーのお仕事をしていると知れたら、ダルモア伯爵家の名に傷がつきますから。
絶対にバレないようにするからという約束で自由にさせてもらっているのです。
「そうでしょうか、こんなに美しい方を忘れるはずがないのだけれど」
助けを求めて周囲を見回すと、黒髪の彼と目が合いました。庭でお会いしたのとは打って変わって冷たい瞳。
女性が困ってたら助けるのが紳士だと思うのですけど!
さっきはあんなことをしておきながら、なにをお考えなのか全くわかりません。ちょっと顔がいいからって調子に乗って!
「周りをご覧になってください。美しい方ばかりではないですか、勘違いですわ。ではごきげんよう」
イケメンに声を掛けていただくのは嬉しいですが、今は恋愛に興味ありませんし他の女性に嫉妬されるのもノーサンキュー。
にっこり笑ってハリル様の脇をすり抜けます。
通り過ぎざまに、黒髪の男がクスっと笑う気配がありました。もう! なんなんですかっっ!