第1話 甘い出会い①
本日より40話をぽちぽち投稿していきます。よろしくお願いします。
お屋敷中に甘い香りが漂っています。
窓から外を覗けば、教会での結婚式から戻っていらした参列者の皆様がエシャーレン伯爵家の門の前に列を作っているのが見えました。侍従たちはキビキビとやるべきことをやっています。
ふむ。特に問題なさそうですし、私もそろそろ着替えましょうか。赤毛のカツラは毛質の問題なのか他のより重くて肩が凝るのですよね。
「マリーンを呼んでもらえますか」
近くにいたメイドにお使いを頼みました。実はこの披露宴にはブライダルプランナーのヴィーとしてだけでなく、伯爵令嬢ヴィヴィアンヌとしても招待状を頂いています。
二役が必要なときには準備が終わり次第こっそり休憩室で着替え、しれっと招待客としてパーティーに参加するのが通例です。しれっとね。
ですからマリーンにドレスを持ってきてもらって、着替えを手伝ってもらい、さらにこの後のパーティーの監督をしてもらわないといけません。
教会での結婚式も人知れず中座して屋敷に一足早く戻ってるし、ヴィーとして侍従たちに指示を出してるし、半端なく忙しいので出来ればやりたくない二役。
「……ほんとにいい匂い」
マリーンを待つ間、お客様方の反応を見ようかと扉を小さく開け、伊達眼鏡をおでこに乗せて会場を覗きます。
今回のご依頼は『スィート・ブライダル』でした。文句のつけどころのない甘ぁい結婚式にしたいのだとか。ですから会場はチョコレート尽くしのチョコレートパーティーなのです。
何と言っても目玉は会場中央に置いた特大の蒸気式チョコレートファウンテン! スチーム式の動力で、生クリームを加えて溶かしたチョコレートを噴水のように吹き出し続けてくれます。
その周囲にはたくさんの果物やスコーンが並べてあって……。
「あれはどなたかしら」
会場の奥にいらっしゃる長身の男性。黒髪をかっちりセットして後ろへ流したその方を、会場内の若い女性がこぞって取り囲んでいらっしゃいます。なんだか砂糖に群がる蟻のよう。
遠目に見てもイケメンなのがわかりますし、お話してみたい女性の気持ちはよーくわかるのですが……男性のお顔はまるで感情がないみたいに無表情ですね。
「わ!」
慌てて扉を閉じてしまいました。
まさかあのイケメンと目が合うとは思わなくて。宝石のような青い瞳は冷たいのに吸い込まれるような魅力があります。
整ったお顔立ちの男性はお金の次に大好きですが、行き過ぎると鼓動が停止する危険性を伴うことを知りました。気を付けましょう。
「ヴィー様!」
パタパタと小走りで歩み寄っていらっしゃったのは、この屋敷のメイド長です。メイドたちを取り仕切る方がこれだけ焦るだなんて。
黒縁の伊達眼鏡をかけ直してメイド長の到着を待ちます。
「どうかなさいましたか?」
「キャ、キャラック伯爵様のご子息ハリル様がいらっしゃいまして」
慌てて走っていらっしゃったようで、息をきらしています。いえ、これは緊張で息があがっているようにも見えますね。
キャラック伯爵家は当主のギレーム様がこの国の宰相というお立場にあり、さらに現王妃のフェデラ様もキャラック家のご出身。権力、実力ともに申し分のないお家です。
「伯爵と夫人のお二人だけのご参加という予定だったのは間違いないですが、ご子息がいらっしゃったくらいでそんな……」
「違うのです。ハリル様はリンゴのアレルギーをお持ちで」
「あー、それはいけませんね」
今日はチョコレートパーティーなのです。あらゆる果物にチョコレートをまとわせ、そのお味の違いを楽しんでいただこうという趣旨です。
会場内のリンゴ全てを撤去しても良いですが、空白を埋めるのが難しい。
「ええと、ハリル様は大人ですし中央のテーブルのフルーツはそのままでも問題ないですよね?」
「はい。お召し物を汚しやすいのでファウンテンの側には給仕を多く配置しています。誤って口になさることのないよう目配りもさせていただきます」
記憶が確かなら彼はもう立派な外交官であり、小さな子どもではありませんから心配する必要はないでしょう。
問題はコースの最後のデザート、フルーツの盛り合わせです。小さなチョコレートファウンテンを各テーブルに設置し、会場の中心へ行くのが恥ずかしい方にもチョコレートフォンデュを楽しんでいただく予定になっています。
盛り合わせからリンゴを減らすとボリュームが無くなって貧相になってしまいますし、ハリル様だけ貧相なものをお出しするわけにもいきません。
あ。
貧相にするのではなく豪華にしてしまえば良いのでは?
スィート・ブライダルですし。豪勢に甘くする分にはパーティーの趣旨にも沿いますね!
「ではこの際ですからデザートは全て小さなパンケーキにしませんか? リンゴ以外のフルーツとたっぷりの生クリームを添えて、そしてリンゴジャムをかけて! お好みでチョコレートをかけたり浸したりして楽しんでいただけばいいわ」
胸の前でパチンと手を叩きます。我ながらナイスアイディア!
「ジャム、ですか」
「熱を加えればアレルギー症状は出ませんから! せっかくですからリンゴも味わっていただかなくちゃ」
ジャムを作るのは一時間もあればどうにかなるでしょう。忙しい調理場の方には恨まれてしまうかもしれませんが、仕方ありません。
メイド長は深々と頭を下げると、また小走りで厨房へと向かいました。
出席者だけでなく、そのご家族の好みやアレルギーまでリサーチしてらっしゃるとは、このエシャーレン伯爵家……なかなかやりますね。有力貴族を多くご招待できるのも頷けます。
うんうんと小さく頷いていると、陽気で軽やかな声が聞こえました。気が付かないうちに、身なりの良い男性がすぐそばにいらっしゃったようです。
「こんにちは、お嬢さん。ハリル・キャラックです。私の名前が聞こえたのでつい聞き耳をたててしまいました。細かなお心遣いをありがとう」
「あっ、えっと、いいえ。それが私の仕事ですから」
明るい茶色の髪はクセ毛なのか緩くウェーブがかかっています。琥珀色の瞳は王妃様とよく似て温かみがありますね。
イケメンはかくあるべし。先ほどの冷たく青い瞳と違って、心停止の心配がないイケメンです。神様ありがとう。
「またどこかでお会いできたら嬉しいです」
私の手をとり、指先に唇が触れるか否かの挨拶をして去って行かれました。その流れるような動作はまさしく紳士ナンパ師。
どこかで会えたらと平民であるヴィーに囁くのは単なるリップサービスに他なりませんが、その一言があるかないかで彼への印象は大きく変わりますものね。
心停止の心配、やっぱりしたほうがいいかもしれない。
そう思いながらボーっとする私の元へ、見慣れた顔が大きな荷物を持ってやって来ました。
「ヴィーさまぁー。 お待たせしました!」
「マリーン、ありがとう」
あとはマリーンに任せて、私はヴィヴィアンヌとしてチョコレートフォンデュを楽しみたいと思います。
社交界の最新ニュースなども仕入れないといけませんしね!
……でもその前に、ちょっと休憩ましょうか。さすがに朝からバタバタしすぎて疲れてしまいました。
今は会場内が盛り上がるタイミングですから、着替え終わったらお庭に出てゆっくりしましょう。そうしましょう!