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8/8

8.Hazard/Seven Out

ここから後編。

 昼休み。学生たちが昼食に安堵する、あるいは級友たちが語らう時間。

 そのただ中、賽野MeKA壱と間宮マナは相争っていた。

 直接的な激突ではない。二人の間で繰り広げられるものは、端から見ればむしろ平和とも言えるもの。

 証左に、彼等の間に流れる空気は白熱どころか冷やかそのもの。かの二大国が戦争の果てに産み出した対立構造が如き関係性にて今日も一言も交わすこと無く、チャイムと同時に二人は席から立ち上がる。


「なぁ、メカ壱くん」

「なんだ」


 教室から飛び出す間宮。追う賽野を、後田逆文が呼び止める。それを賽野は律儀に振り返る。

 無論、あからさまな隙を間宮は逃さない。駆け抜ける足音は遠く、廊下に響かせた。


「一緒に昼飯食おうぜ。今日はなんと、累ちゃんのお手製弁当を預かってるんだなぁ~これが! まぁ本人は用事を済ませてから来るみたいだから遅れるっぽいけど」


 朗らかに話す後田は、大きな包みを賽野へ突き出す。


「俺も用事がある」


 賽野は何一つ表情を変える事無く突き出された包みを軽く押し返し、再び廊下を進み始める。

 その不作法に目を見開く後田。開いた口は戦慄きつつ、ゆっくりと言葉を選んだ。


「君とマナちゃん、いったい何があったんだ?」


 背に投げ掛けられる問い。

 一拍の間の後。


「何も無い」


 一瞬の無言という反語は、後田へ雄弁に語る。

 それを問い質す事は簡単だが、賽野が沈黙以上に無口な事を後田は知っていた。


 彼らの散らす火花は、決して双方が交わる事のないもの。

 彼が追う。彼女が逃げる。ただそれだけの、単純な図式。


 その場から離れようとする賽野の左手を、後田が掴む。未だに包帯で覆われている傷。僅かに賽野の体が揺れる。


「ここ一週間、昼休みに入る度に同じ事の繰り返しだ。さすがに誰だっておかしいと思うさ」


 確かめるように、賽野の行動を指摘する。事実、彼がおかしな挙動を取っているのは既に2-Aでは知れ渡っている。面と向かってそれを咎められるのが、後田の様な特異な人間に限られるというだけだが。

 実際いまこの時でさえ、廊下で話す二人の周りには決して人は立ち入らない。まるで見えない壁があるかの様に、遠巻きに遠巻きにと警戒している。


「この間の肝試しから、だよな」


 指摘ですらない、単なる確認。賽野は肯定しないが、否定もしない。

 沈黙に含まれる意味を介する必要も無い後田は、垂れ下がる賽野の右手を見る。絆創膏で覆われた、五本の指。


「あの時、マナちゃんが急に屋敷に入っていったから、倒れてる二人をすぐに見つける事が出来たけど」


 ――地下で発生していた異臭のせいで動けなくなっていた賽野と岡里両名。

 ――何かしらを感じ取った間宮が屋敷に突入。遅れて後を追う二年と顧問。

 ――幸いな事に発見の早かった二人は、重体化することなく復帰が出来た。


 今回の件は、そういう顛末になっている。

 しかし。それを後田鵜呑みにするには、その後の賽野の行動は奇妙過ぎた。


「オレらが屋敷に入るまでに、何かあった?」


 後田の懸念はそこにある。そこに何かあるべきだ、と確信している。

 事実として語られたものには目もくれず。追及を止める事は無かった。

 その姿に賽野は、自身と似たものを感じ取った。

 賽野が振り返る。何一つ動じていない瞳は、後田を真っ直ぐ見据えていた。


「何も、無い」


 賽野が己と同じと感じたのであれば。

 故にこそ、語られるべき真実は無い。

 真実と呼べるものは、求めたならば直ぐに与えられるものなどではない。

 虎穴へと身を投じる覚悟があるからこそ、得るべき真実が得られるというもの。

 事実、賽野自身も、半ば強制的に虎穴を潜り抜けたからこそ、本来知り得ぬ真実とやらを知る事が出来たのだから。

 後田の手を振り払い、賽野はその場を後にする。


「いつか、話そう」


 背中に掛けられる言葉を他所に、彼の意識は十日ほど前に馳せられていた。



 ◆



 常人ならば一寸の先すら見通せない、暗闇の中。間宮マナは平然と立つ。

 だらりと下げた両手。目尻を下げた不機嫌顔。風もないのに髪は揺れるが、毛先すらもが闇を裂いて在ろうとする。

 賽野の目にその姿は、まるで虚空に立つかのように映った。光がなかろうが、闇に視界を染め上げられても、彼女の姿は違わず在る。浮き彫りのように主張する。

 知覚全てを塞ぐ程度の闇では、間宮を覆うことは敵わない――異常のただ中において、確固たる法則を体現していた。


 間宮は自らの足元に転がった賽野に手を差しのべる事なく、ただ見下す視線を投げ掛ける。不満げに曲がる口元が小さく開いた。


「ポンコツが。そこで大人しく這い蹲っていろ」


 それだけ言い残し、間宮は闇を進む。身動きが取れない賽野は何も言い返せず、転がったままの姿勢でただ間宮を見送る。

 屋敷の地下にいたのだから、歩けるなんて当たり前の筈。しかし賽野には、指先で床を探り這い回る事すら出来ないでいた。

 この一時でこそ、体は床に着いている。だが、探る指先が床を触れられなかったら――延々と下まで、底の無い果てへと降りてしまうかもしれない。無明が故の恐怖を、拭い去る事が出来なかった。

 まして、闇に潜む何かを感じた後ならば。今ある場ですらあやふやに溶け去る未来を、容易に想像させた。


……aaaa~~~~Aaaa~~~~……UuuuAaaa~~~~……


 その蕩ける暗黒を、音が揺らした。震わせせた。半ば融けていた賽野の指先が、その振動に甦る。


………… RaaaAaaa~~~~………… LllllOooo~~~~…………


 意味を成さない音。間宮の声。唸りと呼ぶには麗しく、唄と言うには無粋な猛りが宿っている。

 闇の中をただ一人、在る事を許される者が、己の爪牙を研いでいた。


LuuuuGiiii~~~~…………RrrrAaaa~~~~AaaaGiiii~~~~


 闇が張り詰める。研ぎ澄まされる本能の音が、無形の筈の空間を満たす。

 震える。悶える。振動。果てが満ちる。膨張する。

 緊張した闇が輪郭を作る。目を逸らさずにいた賽野にも、黒に深い闇を見出せるほどに。


 手。

 手。

 賽野に理由なく分かる、先まで自分が掴んでいた手。

 自分を掴んでいた手。

 肉の無い痩せさらばえた手。

 指が根元から切り落とされた手。

 何の変哲もない手。

 間宮から遠のくようにして、あるいは取り囲むようにして、闇に浮かんでいた。


Agililu


 間宮が呟く。唐突に、逆巻く唸りが止まっていた。


Agililu


 意を含むと言う意味では、間宮の呟きは言葉と呼んでもいいのだろう。通じはしない音でありながら、唸りとは画したものを読み取れる。

 だが、その音は。凡そから外れた声は。人とは異なる様相のみを思わせた。


Agililu!


 間宮が吠える。立ち上るは獣性。牙を剥き出し、その獰猛を翳す兆候。

 あるいは挑発とも取れるそれに、囲む『手』が呼応して蠢く。指先が戦慄いた。


Agili! Agili! Gili! Gili!


 吠え続ける。数分前の姿とはまるで異なる、常なる者としての姿を脱ぎ捨てた叫び。

 賽野には、『手』らに囲まれた者が、本当に間宮であるのか疑わしく思えてきた。

 短い叫びは絶え間ない。ただ直立するのみの間宮から、延々と響くのみ。その背だけを見る賽野が、間宮の様相を窺い知る事など出来る筈もない。


Agililu! Agililu!


 一際大きい叫びが大気を揺らした時。賽野は、場にそぐわない音を聞いた。

 硝子――あるいは、陶器の破砕音。二度と戻らない有形が最後に鳴らす、命の音色。

 張り詰めた闇の中で、一つの『手』が最期に残したものだった。

 僅かに動いた間宮の足だけが、どうやら『手』を叩き落としたのだと言う余韻を残していた。

 賽野の目に留まる事無く破砕された『手』は、その輪郭が朧に紛れる事もなく、残骸を虚空へ散らばらせた。

 天を仰ぎ見る間宮。闇を拒絶するその顔を、賽野は見る。

 叫びに見合う、魔性と獣性を称えた嗤いを。


Ke! Kehl! Kehililu!


 猛る。猛る。猛り、爆ぜる。覆い隠せない渦。逆巻き、荒振る。

 嵐の如き暴力が舞う。残骸を雪吹く様に舞い散らす。

 間宮の脚が空をなぞるほど、『手』達が残滓を残して失墜する。

 舞踏の如き蠱惑が誘う。魔性が容易く散華する。

 人であるなら舞踊だろう。獣であるなら暴乱だろうか。

 しかし。獣でありながら踊り、乱力を尽くす人というものを、如何に形容するべきか。


「化け物」


 唯一、該当すると思しき単語が、賽野の口から滑り落ちた。

 捻りの無い、修飾されない、面白みの欠片もありはしない文句。

 それ故に、彼女を実直に表す言葉として、これほど相応しいものは無い。


 砕けた『手』が一つ、賽野の傍に飛来する。

 血肉の通らない、骨片に革が被さったが如き異形の手。

 人であれば親指の付け根があろう個所は、丸く抉り取られていた。間宮の仕業である事は当然に見て取れる。驚きは無かった。

 賽野が注目したのは、そこではない。抉り取られた輪郭が、蒼黒く変色――変質していた。闇の中であるというのに、間宮以外のものがはっきりと知覚する事が出来た。

 生物的なしわを残した指がありながらも、その断面は滑らかに波打っていた。水面の光沢を持ちながら、何本もの不規則な直線が刻み込まれている。丸状の抉れの様に見えていたが、よく見れば複数の円弧が連なって大きな円状の痕跡となっているのだ。単に強い脚力がこれを成したとは到底考えられない傷痕だ。


 怖れを忘れ観察をする賽野。気がつけば『手』を掴み、その細部まで観察していた。

 雰囲気に呑まれる、と呼ばれる状態だろう。

 真の異常に晒され続け、無理解のみが蔓延る中、ようやく自分の手の届く範囲のものが現れる。それにすがり、把握に勤めようとするのは、一種の自己防衛と言える。

 知る事さえ出来れば、状況を変えられる――好転するなどあり得ないものを、希望的観測のみがただ独り歩きする。

 しかし、観察には意義がある。事実、『手』の異質を賽野が僅かばかりにでも知り得る事が出来たのは、 舐め回すような熟視によるものだ。被害に遭ったのもまた、観察の結果ではあるが。


 破断した影響からか、蒼黒く変質していた断面。その変貌が、徐々に『手』全体に蝕んでいる事に、賽野は気付いた。屍の肌だった箇所が、水晶や硝子を思わせる硬質的な何かに。異形に異形が浸透する。インクが染み入る紙の様に、変わってしまう。

 ゆっくりと。だが確実に変わりゆく『手』。賽野は結晶化した箇所には触れぬよう観察を再開しようとするが、触れた手のひらに粗い痛みが走る。

 爪が、賽野の手を掻いていた。痛み、と言うにはあまりに小さい。だが間違いなく、半壊した『手』は賽野の手へ己の爪を立てていた。

 途端、賽野は『手』を床――と思われる闇――へと叩きつけていた。

 『手』がもがく。指先に視線が向かう。剥がれていた自身の爪を思い出す。

 既に機能を止めたものと、賽野は思い込んでいた。あるいは、間宮の止まらぬ猛攻が、自然と『手』を下の程度と誤認させたのか。

 どうにせよ、『手』はまだ活動を止めていない。その事実は、賽野に行動を強いる。

 負傷した手で押さえ続ける事は出来るのか。どうすれば活動停止に追い込む事が出来るのか。

 これを解き放てば己はどうなるのか。間宮からの救助は見込めるのか。

 思索は巡る。だが時はそれを待たず、状況は加速する。

 抑え込まれていた『手』は、その指を上方へ指を逸らし始める。本来の構造なら、それ以上に動く事は無い。人間というものはそう出来ているのだから。

 だが。賽野の手の中にあるのは、人の部品と同じ形をしているだけであって。

 真の意味で人間と呼べるものではないという事を、彼は念頭に置いていなかった。

 賽野の手の中で、骨が砕けた。否、砕けた様な響きがした。

 同時に、賽野の両手に爪が付き立つ。逆向きに曲がる指が、抑えていた賽野の手を確かに捉えていた。

 賽野の思考は白くなり始めていた。考えられない。ただ目の前の状況をどうすればいいのか、それのみが泡の様に浮かんでは消える。

 唯一消えずに残った泡が、賽野の背を押した。

 右手を離し、左手に全体重を掛ける。傷と爪が左手を苛むが、もはや痛みで止まるところは越えていた。

 自由になった手が、仕舞い込んでいたナイフを取り出す。

 逆手に持ち、狙いを定める。切開されていた手の甲は、よく当たりやすそうだった。


 血を吸われた感覚を、賽野は覚えていた。

 皮膚を破る感覚も、腕を掴む感覚も、頬に当たる吐息も、覚えていた。

 これは、こちらに干渉するものだ。非現実であっても、それは認めなければならない。

 同時に、こちらからも干渉を行える。今この時、抑え込めているのも、それを表している。


 それならば――たとえ何の変哲もないナイフであっても、血を纏ったものであれば、貫く事が出来るのではないか。

 いや。血こそ与えていれば、これは止まるのではないか。そうに違いない。動きを封じるだけだ。躊躇う必要は無い――。


 賽野の手の下で、『手』は動きを止めていた。

 左手の甲にはナイフが付き立つ。傷口から漏れる筈の血は、そこにはない。


 手から走る熱の濁流が痛みである事に気付いた賽野は、己の行動の愚かしさを呪った。

 何に魘されこの様な行動に走ったのか。血を求めていたものが、血によって倒される筈が無いだろう。

 一時的な恐慌は、賽野自身に多大な被害を与えていた。それまでの痛みを忘れさせる程の左手の熱も、それを継続させるナイフも、それにより沈黙した『手』も。

 今すぐにも、ナイフを抜き取りたい。賽野はそう考える。だが、僅かばかりの理性がそれを邪魔する。下手に抜けば大量出血の恐れもある。今現在、賽野に傷を塞げるすべは無い。

 手の中で、『手』の結晶化は進んでいた。思えば、完全に結晶となれば動きが止まっていたかもしれない。我慢比べをしていれば、賽野には有利だった可能性もある。

 IFを考えても、今の賽野には何も役には立たない。人外めいた間宮の哄笑が、遠くに聞こえる。

 傷口が疼く。目には見えなくとも、血が流れていた。

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