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7.間宮マナはイレギュラーである

 間宮マナはイレギュラーである。

 なにせ、唐突に言い出す言葉が理解し難い。


「野暮用が出来た。私は肝試しを辞退する」


 4組目、新入部員らの増田(なにがし)と染矢某が屋敷へ入っている最中に言う台詞である。

 何が理解し難いかと言うと、その突拍子の無さだろう。通信機器の類いは既に預かっている為、外部との連絡によるものではない。だというのに、彼女はそんな事を言い出したのだ。


「怖いのか」

「は? 怖くないが?」


 真っ先に確認すべき事項を指摘すると、真顔が返ってきた。これはどちらに判断するべきなのだろうか。憤慨する様子が見られない為、本当に怖がっている訳では無いのだろうと「MeKA壱Central Processing Unit」は判断を下した。


「どういった用件か確認したい」

「貴様に話す義理は無い程度のものだ。後田には適当に言っておけ」


 マナとペアになっている逆文は、様子見と称して内部の仕掛けを動かすために屋敷の周囲をうろちょろしている。演出家としての才があるのか、なかなかの頻度で叫び声や悲鳴が聞こえてきている。

 逆文に直接伝えない、というのもMeKA壱には分からない。


「副部長という立場がある以上、せめて役職に就く者には連絡すべきと思うが――」

「ええい、うるさい。一番面倒が無いと思って貴様に言ったんだがな」


 頭を掻き、心底面倒そうにするマナ。

 それを不審に思ったのか、岡里が近寄ってきた。


「どうしたの? 増田くんと染矢ちゃん、そろそろ出てくると思うから、私達も準備しないと」


 岡里とのペアはMeKA壱である。逆文がくじに細工しなくとも想定していた組み合わせになったのは、作戦立案者達に先見の明があったのか。ともあれ順番含めて想定通りに場は動いていた。


「ああ、岡里か――よし。すまないが、少し耳を貸してくれ」


 即座に岡里の耳に手を当てて何かをささやくマナ。みるみる内に表情が変わっていく岡里。

 話し終えた後、すすすとその場から離れるマナを岡里は止めようとしない


「岡里累書記、間宮マナ副部長が――」

「賽野くん、いいから」


 岡里にしては珍しく重々しい口調で制止する。


「いいのか?」

「いいから、もうあんまり追及しちゃダメ」


 一瞬に吹き込んだ言葉がこれほど効力を持つとは、一体どのような文句を言ったのだろうか。

 それを解析出来れば


「理由を是非――」

「女の子には色々あるから! ほら! 順番も来るし行こう!」


 有無を言わせないと言った様子でMeKA壱の手を掴んで屋敷入口へと岡里は進む。

 そこまでされてしまえば、MeKA壱も口を噤まざるを得なくなった。

 丁度良いタイミングで屋敷の入り口から、這う這うの体と言った様子の二人組が帰ってくる。


「お疲れ様。ちゃんと木札は取ってきたかな?」


 場にそぐわない朗らかさのまま、嘉良は二人を出迎える。屋敷から笑い声が聞こえる度に、何が面白いのか嘉良は笑い転げている。どうやら他人が怖がっているのが相当面白いらしい。その趣味に内部で付き合わされた菅吉は未だに青い顔で座り込んでしまっているが、これは本人の気質の問題だろう。


「部長、この屋敷絶対ヤバいですって。何か居ますよこれ」

「そんな事無いって。事前に『下調べ』はしてるんでしょう?」

「いやマジですよ。めっちゃ怖かったんスから。階段はめっちゃ揺れるし鳴るし、あそこ重量制限付けないと」

「ん? いま私が重いって話してる増田くん?」

「いや染矢さんがどうこうじゃなくて。けどあんな鳴るのは――と、とにかく、危ないですよアレ!」


 増田某の必死の嘆願を、嘉良は笑って受け流す。


「大丈夫大丈夫、次はロボットで最後は馬鹿だから、これ以上の被害は出ないって」

「俺はロボットではないが」

「あーでも心霊現象と電化製品って相性悪いんだっけ」

「ロボットではないが」

「まぁ故障しても岡里が引き摺ってこれるから大丈夫。もう手は繋げるみたいだし」

「ロボットではないが」


 MeKA壱による繰り返しの否定は何故だか無視され続ける。手を繋いだままにしている様子を指摘された岡里は、暗がりでも変わらずに発色を良くするが、手を放す様子はない。MeKA壱からも、放される訳でなければそれに従うよう手を握る。


「道具は持った? じゃあ、準備は万端の様だし、いってらっしゃい」


 懐中電灯を岡里に。ナイフを二人に。嘉良の陽気な声に背中を押され、MeKA壱と岡里は屋敷へと足を踏み入れた。

 暗闇。岡里の持つ懐中電灯が、それに穴を開ける。

 木製の廊下には赤い絨毯が引かれていたようだが、時の経過はそれをゴミ同然に変えてしまった。何人もの足で踏まれ、ボロ布と呼ぶのが相応しい。

 壁には電気の通らない灯りが等間隔に置かれているが、埃の積もった蜘蛛の巣がレースの様に折り重なっている。そのまま天井にまで延びた巣は、白い天幕の様になっていた。

 鼻腔を刺激するカビと埃は不快感を引き摺り出すが、少し呼吸をする内に段々と感覚が麻痺していくのが分かる。


「ふ、雰囲気ある、ね」


 岡里が呟きながら、足をそろそろと動かす。それに従い、MeKA壱も歩く。

 二階と地下一階の構造になっている屋敷の内、一階では食堂と厨房、それと物置が三部屋、上下の階に行く為の階段がある。

 本来であれば廊下を真っすぐ進むと上下階への階段が見える筈だが、事前の調査の際に順路を作るため、廊下に古びた家具をバリケードのように置いていた。その為、廊下から食堂を通り、厨房を抜け、また廊下に戻るという道順を辿らなければいけない。

 『既にどういうルートを辿る必要があるかを知っている男子達は先には進まず、敢えて女子を先行させて怖がる姿を見たい――もとい、新鮮な恐怖を味わって欲しい』とは逆文の言葉だ。

 それに従い、MeKA壱も岡里が進んでいくのを待つ形にしている。決して先行するのを恐れているという訳ではない。


「先に進むにはこの部屋、かな?」


 そう言いながら岡里が開いたのは、食堂ではなく物置の一室。袋小路になっている。

 元は家財道具などが積まれていたが、今は男子、主に逆文の手によって驚かせる為だけの部屋になっている。


「――ひゃああぁ!? くっ、首ぃ! 首がぁ!」


 先に部屋を覗き込んでいた岡里が、悲鳴を上げて後ずさる。手を握る力が自然と強くなった。

 岡里が首と呼んでいたのは、室内中央に投影されている老人の首の映像だ。青白い光によって蒸気へ投影される様子は、見るものに尋常ならざる不気味さを抱かせる事だろう。

 近付き床へ荷重を掛けると恨み言のようなものを発するように設置されているが、岡里はこれ以上足を踏み入れるつもりはないらしい。


「あ、あれ、あれ何!?」

「先に進もう」


 落ち着いてみれば、以前逆文が作成していた機器だという事にはすぐ気が付くだろう。しかし、このように場が整い過ぎた状況で見せられたものでは、岡里もすぐには気付かない。混乱している様子のまま、先に進むのを促す。これも逆文の策だ。相手にまともに思考させる隙を与えないのが良いのだと言う。

 本来の順路、食堂へと入る。懐中電灯で照らすと、大きな食卓テーブルが部屋の中央に置かれ、その上には皿とパンのようなものが置かれている。まるで朝食の準備が整っているかのようだ。

 順路に近い皿を見ると、幾つか落ちて割れてしまっているのが分かる。おそらく先ほどまでに入った組で、気が動転して落としてしまったのだろう。


「足元に破片がある。気を付けて」

「えっ? あ、うん」


 足元を灯りで照らすよう誘導する。そして――天井から落ちるこんにゃくが、岡里の首筋に触れた。


「~~~~~~!!??」


 金切声の音節を全て飛ばしたような声を上げ、危うくその場にへたり込みそうになる岡里。破片がある上で座らせるわけにはいかない。体を抱えるように支え、なおかつこんにゃくが岡里の目に入る前に天井へと戻す。

 菅吉が考えた仕掛けであるが、彼自身が入った際には嘉良を引っ掛ける事は出来ず、自分が引っ掛かったようだった。その証拠に、彼女は屋敷を出る際にこんにゃくの切れ端をMeKA壱へと押し付けてきた。


「いま、くび、くびに、くび」

「何も無いぞ。先に行こう」


 思考力がだいぶ削がれたようだ。気にせずに先へと進む旨を伝えるMeKA壱。

 ここ辺りで先導を交代し、男子が前に出るべし、というのが逆文の指示だった。ここからは頼りがいがある男の姿を見せるようにすればイチコロとの事だが、先ほどまでの四組を見る限り、イチコロになったのはどちらもだったようだ。何をそれだけ畏怖したのか。MeKA壱には理解出来ない。

 食堂から厨房を抜け、廊下に出る。厨房でも肉がひとりでに動き出すなどの仕掛けがあり岡里はMeKA壱に縋りつく形になっていたが、それは割愛とする。


 廊下に出たMeKA壱は、まず音に気付いた。

 階段、それも地下の側から響く音。事前の調査の際には、木製で簡素ながら、不思議と痛みが見られない階段だった事をMeKA壱は記憶している。それが、鳴いている。

 足元からの音に似ていた。つまり、木が踏まれる音。ぎぃ、ぎぃ、と、人の一歩を知らせる音。それが、地下から聞こえていた。


「どうしたの、賽野くん?」


 唐突に止まったMeKA壱に、岡里は不安げな顔で覗き込む。どうやら気付いていないらしい。MeKA壱に懐中電灯を渡して空いた手は、両とも手を重ねるように縋りついていた。ぬくもりと共に、手汗の艶かしさがMeKA壱の指を擦る。

 この様な様子の岡里に、下手な情報を伝えればどうなるか。「MeKA壱Central Processing Unit」は賢明ではないという判断を下す。


「先に進もう。上の階段がすぐそこにある」


 音について何も言わないまま、岡里を連れてMeKA壱は階段へと向かう。

 近付けば近付くほど、MeKA壱は階段が鳴っている事に確信を抱く。その物憂げな音の鳴り方は、腰の曲げた老人が、無心に階段を上り下りしている様子を思い浮かべさせる。無論、この場にそんな存在がある筈が無い。ちらりと見た地下側の階段には、当然の様に何も無かっ――


「賽野くん?」


 地下へと懐中電灯を向けたまま固まるMeKA壱と、岡里はまた心配そうに声を掛ける。だが、MeKA壱はそれにすぐ応じる事は出来なかった。

 ――手を見た。

 確たる証拠である自分の記憶に、あり得てはいけないものを、焼き付かせてしまった。


 言葉も無いまま、MeKA壱は岡里を引っ張り上げるように二階へ上る。道中の仕掛けを問答無用に先に潰し、最速で血判状の置かれた部屋へと入る。


「ちょっ、待ってよ! いたたっ、痛いよ! 賽野くん!」


 岡里からの不満の声を無視し、部屋の中央に置かれた机、その上の血判状へと走るMeKA壱。置かれた赤インキに目もくれず、入る前に渡されたナイフで左手の甲を切る。

 あまりにも唐突な動作に、岡里は丸くした目を更に丸くする。


「何してるの――!」

「副部長は血判と言っただろう」


 血を流す程度では、自己を守る定義には反しない。溢れ出る赤い液体をMeKA壱は指で拭い、素早く書面に名を記した。


「血判って言うのは比喩表現でしょ!? ああ、ほら血がいっぱい……」


 慌てに慌てを重ねた状況でも、人の怪我は見過ごせないらしい。どこからともなくポシェットを出した岡里は、中から可愛らしいイラストの描かれた絆創膏を取り出した。


「こんな廃墟で怪我したら、大変な病気になるかもしれないのに。とりあえず傷口は触っちゃダメだからね! あとで水で流したり消毒したりするから!」

「……了解した」


 先ほどの怯えた様子は何処へやら、睨みさえも利かせる様子で岡里はMeKA壱へと言い含めた。

 そこまで言われてしまえば、MeKA壱も自身の行いが正しいものではなかった事を理解出来る。

 もう少し人からの発言を精査するべきだ。「MeKA壱Processing Unit」のバージョンアップを更新リストに書き加える。


「……」


 赤インキで血判状を書き終えた岡里が、黙り込んだMeKA壱の顔を覗く。

 また叱責が飛ぶのかと身構えるMeKA壱だが、岡里にその様子は無い。怯えも、顔を赤らめる事も無く、勿論怒るでもない顔で、ただMeKA壱の顔を見つめていた。


「……どうした?」


 MeKA壱が問う。だが、それに岡里は答えない。穏やかな双眸は、時間が経つ事を悟らせないほどMeKA壱の顔を見つめていた。


「――賽野くんも、落ち込むんだ」


 そう言って笑ったのが、岡里の観察が終わった合図だった。

 どういう意味か、と問い質す前に、岡里は懐中電灯を持って、部屋から出てしまってしまう。

 ……数秒もしない内、屋敷に悲鳴が響いた。


 廊下に残っていた仕掛けに慄き、またもMeKA壱に縋りつく形になる岡里。


「あとは、地下だね」

「ああ」


 はぁぁ、と溜め息を吐く岡里。その心境は、MeKA壱にも少しだけだが理解出来た。

 先に見てしまった何か、に関して。それが潜むであろう地下に行くのは、気が引ける。

 だが。「MeKA壱Central Processing Unit」が正常に働く今であれば、先ほどの何か、というものが、単なる映像認識のエラーであるという想定を導く事も出来る。むしろ、そう考えるのが妥当であった。

 今から地下に向かうのは、その検証作業であると考えれば、MeKA壱の機能促進にもつながる事にもなる。躊躇は徐々に無くなり、地下へ行く足取りが軽くなる。


「あー行きたくない行きたくない行きたくない……」

「諦めろ」


 ぶつぶつと呟く岡里を無視し、二階から一歩ずつ階段を下りる。そのまままっすぐ下へと進めば、地下へと行き着く。

 足元を照らしながら、ゆっくりと進む二人。MeKA壱は再び音を聞こうとするが、岡里の声と自分たちが鳴らす木の音に遮られてしまう。

 一階へと到着。岡里が立ち止まるような抵抗を見せるが、無視してMeKA壱は地下へと進む。

 一歩、二歩。足を乗せる度に、木が鳴く。

 ギィィ、ギィィ。岡里と共に、段を踏む。

 絶え間なく鳴る木の音は、生き物の声を思わせた。

 そうして地下へと向かう様が、まるで巣窟へと身を投じるかに見えたせいだろうか。


 明かりは何も照らす事無く、地下室の床へと足を付ける。

 コンクリートが打ちっぱなしになっている床には、4枚の木札が転がっていた。


「さっさと拾って帰ろう、帰ろう」


 一目散に木札へと向かう岡里。MeKA壱はその後ろで、周囲を懐中電灯で照らす。

 ちらりと見えるものは何もない。異変も怪異もありはしない。それならばやはり、自分の誤認識だったのだろう。暗所での映像認識は、より精度が求められる。

 己に対しての考察を深めていたせいか。その瞬間に気付く事は出来なかった。


 唐突に、明かりが消える。闇が周囲を飲む。一切の光は無い。宙に放り出されたかのように幻視する

 硬直する体。それと同時に、MeKA壱は指先で懐中電灯のスイッチを探す。程なく見つけて何度も押すが、明かりが戻る様子は無い。


「岡里、身を屈めてじっとしていろ」


 故障と断じれば行動は早かった。懐中電灯を服の裾に押し込み、岡里に声を掛けた様にMeKA壱自身も身を屈め、岡里が向かったであろう木札の方向へと少しずつ進む。

 MeKA壱自身の視覚も、光に依存するものだ。しかし、一瞬前まで照らされていた光景を記録する事は容易い。そこから岡里が直前までいた距離まで移動するのは難しい事では無い。

 触覚センサーのみを頼りに進む。幸い、岡里の荒い息が聞こえていた。目指すべき場所は分かっている。後は、そろそろと床を触る指先が、岡里の体を捉える事だけ。

 四つん這いに近い形で進むMeKA壱。不意に、床に置かれた木札に触れた。からん、と軽い音を立てる。岡里が近い。すぐそこから、息遣いが聞こえるほどだ。

 一歩、踏み出す。木ではない何かに指先が当たる。息遣いが大きくなる。

 もう一歩、踏み出す。指先に当たった何かを掴む。息遣いが目の前にある。

 掴んだものは、小さい手だった。こちらの手を何度も撫でる。暗闇の中で、形を確かめているのだろうか。


「動けるか」


 手の甲に、丸い形で指がなぞる。言葉が出ないのだろうか。MeKA壱は了承の意と捉える。


「行くぞ」


 力を込めて、掴んだ手を引く。今ならまだ、上に行く階段までの方向が分かる。ゆっくりとでもそちらに進んでいけば、帰る事が出来る。岡里の手を左手で掴み、右手で先を先導する。

 しかし。岡里は何故か動こうとしない。手を撫でる動作も止める事無く、ただそこに居ようとする。

 あまり無理矢理動かすのは、人への安全を害するだろうか。MeKA壱が基本原則と向き直る。しかし、今は特殊な状況下。動かさない方が危険になるだろう。そう判断し、より強い力で岡里の手を引く。

 だが。動かない。岡里が重いという問題ではない。その手は、その場に縫い付けられたかのように、動こうとはしなかった。


 気付いていなかった事に、MeKA壱は気付く。

 何故、岡里は声をあげなかったのか。

 声を出さなくとも、何故音を立てて場所を知らそうとしなかったのか。

 先ほどまで聞こえていた息遣いは、本当に岡里のものなのか。

 触るなと言っていた傷口に、何故岡里が触っているのか。


 この手は、本当に、岡里のものだろうか。


 気付いていけなかった事に、MeKA壱は気付いた。

 手を離す。――離れない。手首が掴まれる。

 足に力を籠める。――あっけなく滑る。

 凡そ人とは思えない力が、手首を引く。


 逃げる事を許さない。逃げられない。相手の意思と状況は、手首の力だけで表されていた。


 出した事の無い声が、彼の喉から響く。闇はただ、それを飲み込んでいく。

 絆創膏で覆われた傷が切開される。流れ出る感覚だけが、命の飛沫の跡を残す。

 目は開く。だが、闇は閉じたまま。牽引は止まらず、木札が頬に当たる。藁にも縋る想いで、木札を掴み、投げる。何かに当たる音すらなく、木札は闇へと消えていった。


 息遣い。岡里のものと思っていたものが、目前に迫る。今やそれは、彼に残された感覚を蹂躙する為の吐息になっていた。


 爪の禿げた右手。僅かに残る力が床を掻く。

 たとえ僅かでも、少しの間でも、何かから遠ざかるのであれば。根拠のない、理性でもない、本能的に忌避するものへの逃避が、指へと力を籠めさせた。


「■■■■――」


 声が闇に響く。闇からの声だろうか。彼にはそれを判別する術はなかった。

 声、と直感的に思ったからだろうか。それは、誰かの言葉の様にも思えた。


「■■■■■■」


 言葉が闇に響いた。彼の手首を掴んでいた何者かは、それに怯んだ様だった。一瞬ながら、その力が弱まる。

 爪すら禿げても諦めない彼、MeKA壱が、それを見逃す事は無かった。渾身の力を振り絞り、その拘束から転がり逃げる。


「■■■■――ああ、存外しぶといな。ポンコツとはいえ、ロボットらしく自己保存は完璧と見える」


 転がった先。頭の上から、聞き覚えのある声が聞こえた。


「俺はロボットでは――」


 反射的に答えるMeKA壱。だが、その姿を見て、言葉が止まる。

 そう、見えていた。闇の中である事は変わらない。光は無い。だというのに。

 そこに立つ女性の姿は、光らずとも照らさずとも、闇に穿たれた穴の様に、浮かび上がっていた。


 故にこそ、冠する言葉は決まっている。

 間宮マナはイレギュラーである。

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