5.邦家インディは教師である
まず、私を単純に教師という括りに入れるのは止めてもらおうか。邦家インディという人物を知っている者であれば尚、その表現が正しくない事が理解出来るだろう。分かるかね? なので、邦家教諭、などと呼ぶのは止めろ。インディ先生ならまだいい。
なに、私がどの様な人物か知らない? なんという不勉強。若さとは恐ろしい。いや、しかし嘆く事は無い。何の因果か君らの教師として生きてしまっている私は、人に物を教えるというのが生業となっている。物を知らなかろうが慈愛の手を差し伸べるのが、教師というもののあるべき姿。その職務を果たそうではないか。尤も、うちのクラスの生徒であれば全員知っているべきだが、まぁ、いい。その程度は些事だ。何度でも教えてやろう。
改めて名乗ろう。私は邦家インディ。今でこそ高校の歴史教師として雇われてはいるが、かつては考古学研究の第一人者として世界的に活動していた。マヤ文明の遺跡や、黄河に残る古い王朝の霊廟など、地球のあちらこちらを探索していた。冒険家と言ってもらっても良いぞ。エジプトのかのピラミッドの調査隊に入った事もある。その頃はまだ駆け出しだったが、一人また一人とファラオの呪いで倒れる中、私がただ一人、懸命にムネモシュネの石板を運んだ時は――
何? ムネモシュネはギリシア神話の神? ……まぁそう表現しているのが主流らしいな。私ほどにもなれば、学会でも討論されるほど最先端の論説を元に話してしまう。なるほど、悪かった。話のレベルを合わせるとしよう。
とにかく、私は考古学者だ。それもフィールドワークに出る。私は凄く出ていたぞ。私の調査と言えば7割はフィールドワークと言っても過言ではない。図書館から出なければ、本当の事は分からないからな。うむ。
情報こそが大事であると説くのか? ふん。お前は何も分かっていない。いいか。考古学的価値のある史跡はこの一瞬でも数百と失われている。残された文明、人々の痕跡を追い求めるということは、時間との戦いなのだ。時間と共に劣化し、朽ち果てた跡には何も残らない。それではダメだ。朽ち果てる前に我々が研究し、朽ち果てた跡にも我々が見つけ出す。その信念が考古学。図書館に籠りきりであれば、今この時崩れ落ちていく神殿の外壁すらも調査出来ない。知識など後から習得できる。行動に起こす事が重要だ。
……少し熱くなってしまったな。まぁ、学生の内にも同じことが言える。後悔はしないように。学びも、遊びも、恋も、気ままに出来るのは今しかないと思え。時は有限だ。しかも手元には残らない。賭けるのならば慎重に、だが決めたのなら大胆に使え。どうせ最期は皆素寒貧だ。笑う者などいやしない。
それで、賽野。用件は一体なんだ? 無駄話をしている暇は無いんだが。
◆
部室の鍵を借りるだけで何故あそこまで話されなければならないのか。MeKA壱には理解が出来なかった。
無限に作られた「新しいフォルダ」を消すのと同じような処理落ちを抱えながら手の中の鍵をじっと見る。第二情報機械室と書かれたラベリングが今にも剥がれ落ちそうだ。
邦家インディ。MeKA壱が邦家教諭と呼ぶ彼は、歴史の授業を受け持ちつつ、情報技術部の顧問でもある。
何故歴史教師が情報技術部の顧問になるのか。合理性に欠けると判断せざるを得ないが、他の部活動も似たようなものである。体育の大木教諭が背中を丸めて必死に演劇に関する本を読み込んでいたのを見れば、大抵の部活動は何も文句を言えなくなる。
邦家教諭も部活動に対して取り組みをしていない訳ではない。情報源の知れない怪しげなサイトを部員に開かせてはそのページの構造を解説したり、明らかに保存状態が悪いだけのメモリーカードを古代ペルシャの超技術と嘯き読み込ませてはパソコンをよくクラッシュさせている。
傍迷惑さで言えば部員たちとは一線を画するが、その分良いところも無いわけではない。その一つが、今MeKA壱の手の中にある。
「お、メカ壱くん、借りてきてくれた?」
部室前で座り込んでいた逆文がMeKA壱に駆け寄る。差し出された手に部室の鍵を渡すと、わーいと分かりやすい声を上げながら扉へと走っていく。
「本当に貸してくれるんですね、邦家先生」
「と言うか休日なのに当然の如く居るってのが」
「理由とか訊かないから助かるけど」
待っていた他の部員たちが口々に言うように、邦家教諭の部活管理はかなり緩い。とりあえず部員であれば部室の鍵は何時でも貸し出してもらえるし、部員じゃなくても多分いけるとはもう口も利いていない西武理一の言だ。
勿論、普通の部活でも事前に届け出をすれば問題ないが、その為には顧問が出勤する必要が出てくる。邦家教諭は頼まなくともいつでも学校にいる為、非常にありがたい。
「あの人、保健室で寝泊まりしてるんじゃねえの」
「いや、宿直室が巣になってるとか」
「工作室の準備室で住民票出されてるんじゃないっけ?」
根の葉もない噂が飛び交うのも無理はない。ちなみにMeKA壱は歯ブラシを咥えた邦家教諭が校長室から出てきたのを目撃している。
「とにかく――さぁて、男子生徒諸君!」
逆文の声が良く通る。部室に散らばった部員たちが、椅子の上に裁ってふんぞり返る逆文を見上げる。
「わざわざ休日に学校へ集える暇人たちよ!」
「暇ではないが」
「暇人たちよ!!」
強調する声で封じられるMeKA壱。都合が悪い文句に対して逆文が行う行動パターンの内、3番目に多いものだ。これ以上主張しても無駄だという事は知れているので黙る。
「本日は男子生徒のみ集まってもらったが。その理由は分かるか? はい菅吉三等兵!」
「その呼び方は賽野先輩専用でしょう。……猥談でもするつもりですか?」
ックァーッ、と、文字に表しにくい類の感嘆符をあげる逆文。椅子の上で仰け反りながらも、優れたバランス感覚からかぐらつく様子はまるでない。
「男子はすぐそうやって集まるとエロい事しか考えない! ちょっと男子下品ー! 帰りの会で言ってやるんだから!」
「賽野先輩、あれは一体」
「発作だ」
何かの拍子にテンションが上がりすぎると逆文はああいったよく分からない挙動を示す。機械で言えば誤作動とでも称するのだろうが、生憎と彼は人間なのでとりあえず発作と表現していた。放置すれば勝手に収まるのであながち間違いでは無いだろう。
「仕方ない。では答えてやれ、メカ壱残党兵」
「俺はロボットではない。今度開催する校内肝試しの打合せと聞いているが?」
「その通り!」
威勢のいい掛け声と共に逆文は椅子から降り立ち、備え付けのホワイトボードへキュキュキュのキュとペンを走らせた。
大きく書かれた「夏季交流会の企画」という文字の前で、満面の笑みを浮かべる。
「今年の夏、来たる7月には忌々しい行事、定期テストが存在する。これは避けようが無い未来である。各人耐え忍んで欲しい」
「耐えるのは後田先輩だけでは」
「いや、この間の実力テストでは間宮先輩もかなりヤバい位置にいたとか」
先日、事前に勉強会を開催したテストに関しては、逆文は元より、マナも相当に真っ赤な点数を取ってしまっていた。結果発表に際して、散々逆文の点数をあげつらったマナが逆文に答案用紙を奪取され、校内を一周しながら言い触らしたというのが、彼らの成績を下級生が知っている顛末である。成績に関係無いと銘打たれたテストではあったが、それはそれとしてやはり逆文はお叱りを受けたと言う。
「しかぁし! 定期テスト最終日の午後には、ちょっとした打ち上げを行うという恒例行事が我が校には存在している。クラス単位でも話は出ているのではないかな? ちなみに去年の1-Bでは流しそうめんを行った!」
「あ、今年も同じですね。毎年やるんだ」
「なんでテスト終わりで流しそうめん?」
「水に流してやりたい結果とかそういう」
問題用紙をトイレに流そうとした生徒がおり、激怒した先生がどうせ流すならそうめんを流せと校舎の雨どいを外してやり始めたのが切っ掛け、とまことしやかにささやく上級生はいたものの、真実は定かではない。
「で、だ。勿論クラスでの打ち上げは重要だ。団結力と言うものはそういう場によって培われるからな。であれば、運動部と違って一丸となる場の少ない文化部にもまた! 団結する場が必要なのではないかな!?」
「それで、肝試し?」
うむ、と逆文が肯首する。菅吉を含む新入部員四名には、いまいちピンと来ていない様子。MeKA壱は既に部活モードに入っている為、書記という立場にいる逆文の言葉に逆らう事は無い。
「肝試しって、団結力とは違うんじゃ……」
「というか、夜の学校って入れるんですか?」
「あまり遅いと親が心配するんで、自分不参加で……」
「ッカァーッ! この現代っ子! 親が怖くて部活出来るか!」
至極まっとうな反応をする新入部員たちに、またもや発作を起こす逆文。今日のは少し長いようだ。
「ここに男子しか呼ばなかった意味が分からんのかね? ん? 君はどうだ? 分かるか増田三等兵?」
「後田先輩が女子生徒に嫌われて話しかけても無視されるどころか脇目も振らず逃げられるという噂が本当で、仕方が無いから集められる人間だけ集めて慰めてもらいたかったとか?」
無形の拳を食らったかのように、逆文の体がつんのめる。増田と呼ばれた新入部員は、他の二名に口を押えられて後ろに下がっていった。
後ろから「事実を言ったまで」「国家機密漏洩罪だぞ」「現実を告げてやるな」という声が聞こえながら、菅吉が手を挙げる。
「発言の許可を、後田曹長」
「なんだよ……どうせ俺は空気の読めてないバカでクズで学年最下位だよ……」
「女子生徒を呼ばなかったのは、男子生徒のみで何かしら結託する必要がある行動を肝試し中に起こすという事でしょうか?」
菅吉の言葉に、恨みつらみのような泣き言を言う逆文も、後ろでわちゃわちゃとしていた新入部員たちも、誰もが静まり返った。
黙り込んだ逆文を見て、唾を飲み込みながらも言葉を続ける菅吉。
「今回の肝試し、2人がペアになって行うとのこと。幸いな事にも、我らの情報技術部の男女比はきっかり6対6。二人組になって先生と組む可能性もありません。つまり、誰も不幸にならない状態」
「……続けろ」
「普段の学校生活とは異なる恐怖心を煽る肝試しであれば、吊り橋効果が如く互いを意識させる事もともすれば可能。そうでなくても暗い夜道にピカピカの懐中電灯一つであれば、自然と互いの手は取り合わなければいけないような状況になる筈」
おお、と新入部員たちがどよめく。突っ伏していた逆文も起き上がり、演説家のように語る菅吉を見つめていた。
「そこに我々が恐怖を煽る演出を仕込めば――そしてその恐怖を予め知っておけるのであれば――」
「――我々は共に歩く女子生徒に“男”として! 毅然とした態度を振舞う事が出来る!!」
菅吉の言葉を引き継いだ後田が、再び椅子の上に立ち上がり締め括る。自然と起こる拍手。MeKA壱もそれに倣い、とりあえず手を叩く。
「つまり女子生徒を怖がらせて頼れる男アピールがしたいと」
「そういう事だ、菅吉三等兵、いや、菅吉伍長」
「いやそこでの昇格はいらないです」
固い握手を交わす両者。ひとまずの合意を得たらしい。
しかし、MeKA壱には分からない事が一つあった。
「質問。肝心の校舎の使用許可がまだ取れていない筈だが、それより先に企画する意味はあるのか?」
「そこはほら、ノリというか。とりあえず用意してますって言えば、先生方も無下には出来ないだろうし」
「それはどうだろうなあ」
唐突な声。部員全員が、その元へと顔を向ける。
それは、部室の扉に寄りかかっていた。MeKA壱のセンサー類にも検出されずに現れた彼は、部員全員の視線を受け止め尚、憮然とした表情を崩さずにいる。室内であるというのに中折れ帽を被り、無造作な恰好で寄りかかる姿は、往年の映画スターの様に絵になるものだ。
「イ……インディ、先生……」
逆文が震える声で名前を呼ぶ。その怯えた様子に、邦家教諭は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「どうした、後田。さっきの演説の気概は何処に行った。続けてくれたっていいぞ」
「い、いや。先生は、どうして」
「私か? 何、たまには教え子たちに世界の神秘を説明してやろうと思ったんだが……馬鹿みたいに大きい声が良く響いていたぞ。戸締りはきちんとしておけ」
菅吉が気絶しそうな顔になっている。万年生徒指導の逆文はまだ耐性があるだろうが、入学したての者には邦家教諭の眼光は厳しいものがあるのだろう。
「それで? 学校で肝試しだって?」
「は、はい。そうです。疚しい思いなどはなく、純粋に皆と楽しもうと……」
「今更そんなお為ごかしいるものか。全部聞こえていたぞ」
肩で息をする菅吉。倒れるのは何秒後だろうか。パイプ椅子をさりげなく動かし、対処をしておく。
「しかし。いくら企画を立てたところで、お堅い頭の奴らが夜の校舎を解放してくれると思うのか?」
「それは――」
「安全性に警備、そもそも学業にも部活動にも関係ないような、一個人のお祭りごとに、協力してもらえると思うのか?」
邦家教諭の言葉が、逆文を徐々に追い詰める。言葉に詰まる逆文が、その視線を揺らす。
重苦しい空気に包まれる場。だが、邦家教諭は小さく笑い、両手を上に挙げた。
「安心しろ。別にお前らの楽しみを奪おうという話じゃあない」
打って変わって、明るい声になる邦家教諭。その雰囲気の変化に着いていけず、誰もが疑念の目を向ける。
「テストとかいう楽しくもないものを受けるんだ。それ位の希望が無ければ、やっていけないだろう。校舎内っていうのは難しいが、まぁやりようはある」
邦家教諭はそう言うと、胸ポケットから何やら古びた鍵を取り出す。
「それは?」
「私が持っている屋敷の鍵だ」
は?
部員の口全てから、同じ音が響いた。
「悪霊が棲んでいると聞いて安く買い叩いたはいいが、持て余してしまってな。殆ど手付かずになっている。その分、雰囲気抜群。どうだ?」
「ど、どうだ、とは?」
「肝試しには丁度いい場所だろう?」
不器用なウインク。逆文はそれを泣きそうな笑顔で受け止める。
他の部員たちもようやく状況を飲み込めたようで、互いに顔を見合わせて歓声を上げる。
気絶しかけていた菅吉も、なんとか意識を取り戻せたようだ。
「場所は学校からバスで2時間ほど。計画は見直しておけ。何なら下見しに行くか?」
「行きます! インディ先生! 大先生!」
皆が喜び勇んで荷物を持って部室を出ていく。MeKA壱はその中で、邦家教諭に声を掛ける。
「邦家教諭。何故、わざわざ自身の屋敷を提供まで?」
「インディと呼べ。別に、ただの善意だ。悪ガキどものガス抜きでもあるがな」
ただ、と。付け加える顔は、MeKA壱ではなく、だれか、別のものを見ていた。
「お前らにはやらない後悔をして欲しくはない。やらかした後悔だけ背負って生きていけばいい」
邦家インディは教師である。
教師である筈だが、生来の根っこはどうやら別にあるようだ。