不法侵入者
門をくぐって丁寧に手入れされた和風の庭を通り、池をぐるっとまわるように歩いて雑木林の中に入っていく。木々の隙間から微かに月明かりが差しているものの、薄暗くておどろおどろしい雰囲気だ。
こういうところによくオバケが出ると本には書いてあったが、さっき門の前で見たきりオバケは見ていない。家の敷地内には、オバケはいないのかもしれない。
門から見えていたはずの古民家風の屋敷は、今は見えない。
ついでに、門も見えなくなった。
……これは、迷ったのでは。
「ふえぇ……」
部下であるニャルに捨てられ、行くあてもなく、不意に入った古民家で迷った僕は、ついに心細くなってきて涙目になった。
もしかしたら僕は、一生ここから出られないのかもしれない。
人間はご飯を食べないと死ぬと本に書いてあったから、僕も食べるご飯がなくて死ぬのかも。
アザトースから人間に転生してから数日。短い命だった。
「……誰かいるのか?」
体育座りをしながらめそめそと泣いていると、誰かに声をかけられた。日本語だ。人間の言葉だ。人間がいる!
「助かった!」
「うわあっ!」
僕は勢いよく立ち上がって、目の前にいる人間に抱きついた。
なにこの子。すごくいい匂いがする。さっき門の前で感じた魅惑的で甘美な気配がより一層濃くなる。発生源は、この子なのかもしれない。
あまりのいい匂いに、僕は人間さんの胸に顔を埋めて息を吸い込んだ。
「離れろ! この変質者が!」
人間さんは、抱きついた僕を思い切り突き飛ばした。地面にうつ伏せに倒れた僕の背中を、人間さんは思い切り踏みつける。
「警察か、死か。どちらか選ばせてやる。この痴漢野郎」
「ご、誤解だよ! 僕、痴漢じゃないよ!」
痴漢というのは確か、相手の意に反して猥褻な行為をする犯罪者だ。僕は断じて痴漢ではない。
「じゃぁ、こんな夜中に人の家で何してやがった? 泥棒か?」
「泥棒なんてしないよ!」
泥棒とは、他人の家に忍び込んで物を盗む犯罪者のことだ。僕は断じて泥棒ではない。
「ただ、えっと……僕は、迷子だよ!」
「……」
断罪するような気配だった人間さんが、突然哀れむような気配になった。
古民家の敷地内に入って、屋敷の場所も門の場所もわからなくなったのだから、今の状況の的確な表現は迷子で間違いない。
「……迷子って。いい歳した成人男性が、迷子って」
人間さんは呆れた声でそう言う。
僕の外見年齢は三十歳前後だとニャルが言っていたので、「いい歳した成人男性」という表現は間違っていない。
「まだ、人間生活が不慣れで」
「人間生活が、不慣れ……三十年以上生きてそうなのに?」
「えっと、色々あって」
現代日本ではオバケや神を信じる人は少ないと本で読んだので、アザトースから人間に転生したばかりだから不慣れだという事情は話さないでおいた。
「まぁ、いいや。迷子なら、送ってやるよ。家はどこ?」
「それが……家はなくて」
「家がない? ホームレスなのか?」
ホームレスというのは、路上で生活している人間のことだ。いわば、野宿のエキスパート。
「そんな高等な生き方は僕にはできないよ」
「ホームレスが高等……? 変わったことを言う奴だな。じゃぁ、今までどうやって生きてきたんだ?」
「えっと……部下と一緒に暮らしてて」
「じゃぁ、その部下の家がお前の家じゃないのか?」
「ううん……。僕、捨てられちゃったの」
「……」
ニャルに謝って帰るべきなのだろうか。
でも、僕が拾ってきた大事な物をゴミって言ったニャルのところには戻りたくない。
「あのね、人間さん」
「人間さんって、俺のことか」
「うん。あのね、お願いがあるの。今日、僕をここに泊めてくれないかな?」
「得体の知れない不法侵入者を泊めるわけないだろ」
普通、そうですよね。
しかし、人間さんは腕組みをして何かを考えている。
「まぁ、納屋くらいだったらいいけど」
優しい!
僕、どう見ても怪しい不法侵入者なのに。いや、違うけど普通そう見える。
そんな僕を泊めてくれるなんて!
この際、納屋だろうが小屋だろうが、外じゃなければ十分だ。
贅沢を言うなら布団は欲しいけど。