9 AIが人間であること、AIが人間でないことを証明せよ。
――――――――……。
「ゃ…ぅ…かげ…ゃぅ……かげみ…ゅぅ……影宮悠!!」
ふと、空を見た。
そこにあったのは満開の花火。
ただ決して散ることはなかった。光を失わず、星空に溶けることもない。
「あ……れ?」
時間が、止まっている。
波の音も、潮の匂いも、海の動きも、なにもない。ただ花火が空を無意味に照らしながら静止しているだけの世界。不気味な沈黙が包み込んで、まるで何もかもを消してしまうような闇。
黒い、どす黒い、なにか。
さっきまで静かだった海が今の俺にはくろいなにかにしか見えなかった。
さっきまで綺麗だった空が今の俺にはくろいなにかにしか見えなかった。
さっきまで満開だった花火が今の俺にはくろいなにかにしか見えなかった。
わずかな思考すらも止まる。訳の分からない恐怖が、俺の中で蠢き続けていた。“くろいなにか”は決して危害を加えようとしないが、俺の身勝手な受容がそれを恐怖へと変換された。
そして。
ただ。
ただ一人。
雨之瀬しずくだけが、そこにいた。
「私はね。全部本物だと思うの」
俺が雨之瀬を認識した瞬間に、この止まった世界は雨之瀬と俺だけのものになった。
くろいなにかは何もしない、ただそこに“ある”だけ。そして雨之瀬は俺に言葉を投げかけて、そこに“いた”。
「偽物なんてものはない。それぞれが色んな要素を持っている。被っている要素が多いと、あとに作られたものは偽物と言われるかもしれない。でも実際は少しだけ違う。完全に同じ要素を持ったら、それは本物が2つになるだけで、偽物は決して生まれない。同じ名前のものだとしても、それは種類として、オリジナルとして生まれるだけなんだと思う」
この世は本物しか、ない。
雨之瀬の言っていることはスゥっと俺の中へと浸透していった。理解して処理した段階で止まる。思考へと昇華することは決してなく、俺はただ黙って雨之瀬の姿だけを目に捉えていた。それ以外のものは存在しないかのように。
「人間とAIも同じだと思うの」
気づかぬうちに距離が縮まっていた。物理的な話である。雨之瀬が俺の手を握っていたのはいつからだったのか、わからなかった。
「人間も、AIも。同じ要素をたくさん持ってるだけで、人間の本物と人間の偽物ってわけじゃない。ただ要素が似ているだけの本物同士」
人間……。
「影宮君はAIが人間であることを証明できる?」
発言権が与えられて、初めて思考が蘇った。でも、すぐには言葉として表現されることはなかった。
「じゃあAIが人間でないことは証明できる?」
「ぁ……あ、ああ。生物学上ヒトではないから」
「その“ヒト”ってカタカナで書いたヒトだよね? じゃあ漢字で書く“人”って何だと思う?」
「“人”?」
「人間の要素として最も大事なことが漢字で書く“人”があると私は思うんだ。何というか、中身みたいな。文化的な生活をしていて尊厳を持っている、なんてちょっと辞書臭いかな。“人”は影宮君にとって何?」
「“人”か。……うん、そうだな。哲学をするもの、かな。哲学を考えること、それは人間にしかできないことだと思う。“人”という人間の根幹をなすものが形成されて、初めて哲学に耽ることができる」
「それはAIもできる?」
「できる。“人”ではあるが“ヒト”ではないのがAIだと俺は思う」
「人間と人とヒトとAI。じゃあこの関係性でAIが人間であることを証明できる?」
「人間という大きな存在がある。その中に漢字で書く人という要素がある。さらに人はカタカナで書くヒトの要素もAIの要素も持っている。こういう関係性ならカタカナで書くヒトとAIは別物でありながら、人間という括りの中にAIは存在していることになる」
「同じような感じでAIが人間でないことは?」
「それなら……漢字で書く人という括りとカタカナで書くヒトという括りが持つ共通の要素が人間だ。AIは漢字で書く人の括りに入ってはいるが、カタカナで書く人の括りには入っていない
「影宮君らしくなってきたね」
「結局俺はどっちも証明してしまったんだ……。人間、AI……。もう、意味がわからないよ……」
「じゃあどっちが良いと思った?」
俺は花火を見た。
「人間であること、かな」
それはただの感性から来るものだった。
一瞬の判断である。……いや、一瞬であっても判断は経験という足場が介入してくるんだったな……。これが俺の総意なのかもしれない。これが辿り着いたゴールの一つなのかもしれない。
「そっか」
雨之瀬は微笑んだ。
「ありがとう」
俺は感謝の意味がよくわからなかった。
月明りに照らされた時とは違って、今は雨之瀬の表情が至近距離ではっきりと見える。笑っている顔は素敵だったけど、なぜか脆さを感じる。今にも泣いてしまいそうな、そんな表情。
でも、そんな顔は一瞬で見えなくなった。
代わりに訪れる刺激は唇同士の触れ合い。
「またね」
爆発音が俺の耳へと届いた。満開のまま静止していた花火がすぐに消えていった。同時に波の音も潮の匂いも海の動きもすべて感じられた。
花火は再び上がり続けた。今は決して徒花ではない。その意味のある本物たちの一つ。本物たちとあえて差別化するならば、オリジナルという要素を持った本物。
とても、綺麗。
そんな純粋な気持ち。
理解して初めて至る場所がある。人間の脳には関所のようなものがあって、それを越えなければ真理に手が届かない。無機AIは演算の補助は行うが、その関所を超えるに役立つものとは思えない。
自分の手で。自分の力で。自分の頭で。
理解して、処理して、思考する。
そんな……。
そんな……なんだろう?
?
あれ?
「あれ……」
何か忘れちゃいけないものが……。
何を忘れちゃいけなかったんだっけ?
花火を見ながら俺は……?
俺は?
―――――― 一人で何をしていたんだろう?