5 食がもたらす幸福の存在を証明せよ。
家から駅は非常に近い。わずか2分。
蓬駅から紅葉駅までモノレールで7分。
駅から喫茶店も同様に近かった。こちらは5分。
身体を動かすという目的は果たされないだろうと思いながら、紅葉駅の自動ドアをくぐった。
潮風が吹き込んでくる紅葉駅前は高層ビルや大型ショッピングセンターがたくさん建っている。
また、ジオフロント内のすべての学生が夏休みを謳歌しているため、途轍もなく人が多い。いやそれにしても今日は多すぎる! 人気アーティストのライブでもあるのだろうか。
ペデストリアンデッキから色々なお店に入ることはできるが、全てスルーして階段を下りた。駅前のTHE都会と言える場所からは少し離れ、裏路地へと入る。
喫茶店は駅近だが、立地はあまり良いとは思えない場所だった。
お昼時はとうに過ぎ去り、時計は15時を示していた。家でダラダラと準備していたら、こんな時間になってしまった。
昨日と同じくらいの時間帯だ。店主には申し訳ないが、喫茶店に閑古鳥が鳴いていることを切に願っている。いや鳴いているはずだ。なぜなら立地が悪いから!
まさに知る人ぞ知る、といったところか。
喫茶店は裏路地であって、やはり異質な雰囲気を出していた。木造建築の建物は本当に珍しいため、物好きな人には堪らない場所だと思う。
カランカラン
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
昨日の店主が昨日と同じ言葉で迎えてくれた。
「あ」
「あ」
閑古鳥は確かに鳴いていた。客は一人しかいなかった。
カウンター席に座る、水色の髪を両結びにしている見知った顔だけが、そこにいた。
「おう、雨之瀬」
「影宮君! 昨日振りだね」
俺はできるだけ平静を装ったけれど、どことなく声が弾んだ。もしかして、心の中で少し期待していたのかもしれない。
ここなら雨之瀬しずくに会えることを。
「隣いいか?」
「いいよ!」
快く受け入れてくれた彼女の隣に腰を掛けた。
店主が手渡しでメニューをくれたので、じっくりと眺めた。大体の店はワイヤードから網膜上に表示するメニューが主流なので少し物珍しかった。
全体的に少し割高だと感じた。しかし店は所々に拘りが見られて、俺としてはこのぐらいの値段でも満足できるレベルだ。
サンドイッチやオムライス、パンケーキ……どれも美味しそうだったが、隅にとんでもない文字列を見つけてしまった。
「スペシャルデラックスアルティメットパフェをください」
「えぇ……」
雨之瀬はドン引きしていた。恐らくこの反応からしてパフェの存在は知っているのだろう。
いいじゃないか! 男子高校生だってパフェが食べたいんだから! 何よりも俺は甘い物が大好きなのだから!
でも声には出さず、ジト目で睨みつけるくらいにして心の中に留めておく。
「ところで、雨之瀬はここの常連なのか?」
雨之瀬は今日もコーヒーを飲んでいた。店主と談笑でもしながら過ごしていたのだろうか?
「うん。学校帰りによく寄ってる。雰囲気が好きだから。休みに入っても来ちゃうんだ」
その意見には激しく同意できる。こんな店は滅多にないのだ。人が少ないと、割と簡単に潰れてしまったりする。人が多い所が嫌いな俺は、ここの常連になりたいと思った。
自動調理機によってパフェができるのを見守る店主が「ほっほっほ」と高笑いした。
「ここに来てくれるのは雨之瀬さんくらいだよ。他のお店より値段が高いからねえ」
「そうかなぁ?」
雨之瀬は疑問符を浮かべていたが、どう考えても立地が悪いのと宣伝が足りていないのと立地が悪いからだと思った。
俺は「ふふ」と適当に鼻を鳴らした。余計なことを言ってしまうのが俺の悪い所だと思っているため、あえて口には出さないようにした。
「俺も常連になりますよ。コーヒー美味しかったです」
「ありがとうございます。紅高校の学生さんは太っ腹で助だねえ」
「一応進学校ですし、たくさん貰えますから。勉強ばかりで、みんな持て余しているんですよ」
紅高校は区内で有数の進学校なので、俺のようにテストで平均点を取っていてもかなりの収入が得られる。成績優秀な雨之瀬なら間違いなく富裕層と言えるレベルだ。
ただ授業時間が長く、テストも大変なためにお金を使う時間がない。なので長期休みになるとみんな豪遊する。例に漏れず俺もそうなのだ。
「そうなんだねえ。学生さんのほうが私たちより羽振りがいいよ」
「あまりそういう話は聞かないので意外です」
AIもAIの生活があるってことか。彼らも仕事をして、お金を貰い、普通に生活しているのだ。教師たちにプライベートの話を聞くことはまずないため、AIの生活についてはあまり知らなかった。
それにしても、この店を経営して果たして生活できるのだろうか……心配である。
「私たちはあまり話したがらないだろうねえ。あくまでAIという存在、人間と同一視してはいけないと思って欲しいんだよ。無意識下で、だけどねえ」
AI自身が人間として見られたくない、か。深く関わらないで欲しいということなのだろう。雨之瀬が講演会の時に言っていたが、AIと人間の交際は実際にあった。しかし数は極端に少ない。
どことなくAIと距離感を感じるのは俺たち人間側ではなく、AI側から拒絶しているからなのか。
それにしてもAIが思う無意識下ってなんだろう。
「無意識下……すごい不躾な質問なんですけど、AIから見て意識と無意識って何だと思いますか」
店主はヒゲをさすりながら、考えに耽った。
「難しい質問だねえ。んー……そうだねえ。人間の行動はほとんどが無意識に行われているっていうのは知っているかな?」
俺だけでなく雨之瀬も頷いた。やはり雨之瀬はこういう話に興味があるのだろう。
「その点を考慮して、無意識は経験、意識は判断だと私は思っているよ。AI的に言うなら経験、つまり情報を蓄積して、それを基に判断を下し行動する。無意識という巨大な土台の頂点が意識ってとこかねえ」
雨之瀬と大討論会をした愛情によく似た答えだと思った。
「なるほど……。あとAIも判断を迷うってことはありますか?」
「さっきのことを別の言い方にすると、経験という引き出しから関係のある材料を取り出して、どれが本当に必要か吟味する。迷うっていうのは吟味の最中である状態を指していると思うよ。頭の処理速度の問題だねえ」
「あのあの! 昨日影宮君が言ってたんですけど、判断の明確な基準ってありますか?」
今度は雨之瀬が質問をぶつけた。そういえば講師に止められる直前そんなこと言ったっけ。
「明確な基準? 取り出した材料を吟味した結果、どのくらいの量になったか。この量なら十分だ、と感じるラインは判断する人や状況によって変わるかな。明確に引かれているものじゃないと思うねえ。AIも自分の頭の中で何が起こっているかは、はっきりわかんないんだよ」
AIはどうも自分の思考を曝け出そうとしないため、こういう経験は滅多にできないことだった。AIも処理の過程はよくわかっていない、ここは人間と同じ気がする。客観的に見れば電気によって生まれる機械的思考だが、AI本人はそれを自覚することはできない。人間のシナプスにおける化学物質の移動のように、結果のみが提示され自覚する。
それだけの違いなのだろうか?
「さ、できたよ。スペシャルデラックスアルティメットパフェ」
パフェを目撃した瞬間、俺の思考にあったAIやら人間やら小難しいことが全て吹き飛んでいった。目の前の視覚情報を理解、処理し、思考へと昇華させる作業に数秒は要した。
「おおぉ……これは……」
感想は『でかい』。しかし『めっちゃでかい』わけではない。
底にはコーンフレークがあり、多量の生クリームとソフトクリームの上にチョコレートやイチゴ、バナナ、メロン、ブルーベリーなどが飾り付け、彩も綺麗だった。
ただ名前ほどのインパクトはなかった。
これは良い意味で言っている。適当な盛り合わせではなく、上品さが感じられ実に俺好みのパフェ。食べるのが勿体ないような芸術的な作品がそこにはあった。
「これ、SNSで広めてもいいですか?」
「どんどん宣伝していいよ」
是非高画質で撮影したいと思ったのでポケットから端末を取り出して、撮影した。すぐに端末を使って写真と位置情報をSNSへと投稿した。
そしてすぐにパフェスプーンを指に挟みながら、手を合わせた。
「いただきます」
「余ったらちょっと頂戴?」
俺と同じくキラキラした瞳で懇願する彼女に、気持ち悪い決め顔を見せつけた。
「安心しろ……絶対に余らん!!」
決め顔のまま、俺はソフトクリームから手をつけた。濃厚なミルクを味わいながら、身体に染み渡る冷たさを感じた。
「ンンンンンンおいしい!!」
決め顔で、眉毛をクイクイっと上げながら、次々と掻き込んでいく。クリームだけじゃない、果物もその辺のスーパーでは買えないような、超高級品! かかっているチョコソースも明らかに普通のパフェのものとは違った。量だけで見れば値段と割に合わないなぁと若干感じている節はあったが、これはもしかして質という点で見ればコストパフォーマンス最強クラスのパフェじゃないのか!?
なんだこれはァ!?
「影宮くん真面目に話してるときとのギャップがすごいね……」
「うまい!!」
「喜んでもらえて何より」
AIがなんだ。人間がなんだ。美味いものを食べることに幸福を覚えるのは生物として当たり前の本能である。理性を取り払えば本能は脳の処理に最優先で割り込み、上書きまでしてくれるのだ。哲学に現を抜かしているのが実にバカバカしくなる。
純粋に、ただただ美味しい!
早食い大会をしているわけでもないのに、俺は会話にも参加せず、10分程度であっさりと平らげてしまった。