4 メイドが人型である必要性を証明せよ。ただしメイドはAIである。
空は果てしなく青かった。
朝10時。
部屋からは街全体を見渡すことができて、目を細めるとたくさんの人が往来しているのが見えた。どことなく、休日にショッピングを楽しむ彼らを見ると、羨ましくて、恨めしくて。俺も友人たちと街へ繰り出すのは当たり前のことだというのに、その当たり前が、眩しくて、貧しくて。
「AI、か」
人ならざるモノに教育を受けている俺たちは果たして正常なのだろうか。人に似て非なるモノが管理する社会は普通なのだろうか。
嫌な気持ちだ。
昨日、雨之瀬しずくと話したことは、これといって特別なことではなかったのに。俺が昔考えたような、頭の中にあるようなことだったのに。何が哲学の持つ危険性に晒されている、だ。その毒に当てられているのは雨之瀬ではなく俺自身じゃないか。
当たり前を考えた時には思わなかった。自身が考えたことを再認識させられること、それを理解していたはずなのに。
くそ……どうして。
「……腹減ったな」
そういえば冷蔵庫の中に昨日の朝作ったカレーがあったはずだ。
雨之瀬と別れてから家へと真っ直ぐ帰ってきたが、カレーを食べることすら忘れてベッドへと倒れ込んだ記憶がある。昨日のことを考えたくなかったから、すぐ眠れるように予め睡眠欲求を高めていた。
しかし結果はこれだ。起きてから昨日のことばかり頭に浮かんでくる。かえって記憶に刻まれてしまったみたいだ。俺ができるのは、この気持ちのバックアップを取らないということだけである。
ホームワイヤードからロボットメイドにカレーを用意するよう命じた。
金属の身体を持った無骨で無機質なロボットメイドは流暢な手つきでカレーを加熱し、白飯を用意していた。感情もなく、ただ命令に従ってセンサーを頼りに動いているだけ。
俺が有機AIを搭載したAIメイドではなく、あえて無機AIを搭載したロボットメイドを家に置いているのは何故だろう。
性能的にもAIメイドの方が格段に良い。会話もできるし、可愛いタイプであれば目の保養にもなる。金銭的には苦労していないのだから、より良い物を買えばいい。
それは誰かと一緒にいたくないだろうか?
家では一人になりたい? たとえAIであっても邪魔だから? ロボットなら人間ではないから? AIは人間だから一人になれない? 有機AIと無機AIの違い? 根本的には同じ機械なのに?
例えば部屋で素っ裸になるとする。この無骨メイドのセンサーに目撃されても、俺が恥ずかしがる必要はない。しかし顔立ちが整っていてナイスバディである20代女性の姿をしているAIメイドだったらどうだ。俺は最低限局部を隠すくらいの行動に移るだろう。
それがたとえ機械と理解していても。
「ドウゾ」
部屋に響く機械的な声。
アツアツのカレーがスプーンと一緒にテーブルの上へ置かれた。湯気がもくもくと立って、温かいことは目に見えてわかる。自分で作ったのに言うのもなんだが、とてもおいしそうだ。
「ありがとう」
「ドウイタシマシテ」
お礼を言うとロボットメイドは機械的な反応を示してくれたけれど、すぐに掃除を始めた。“彼女”にとってこれが“イ”きる意味であり役割である。家事を行い続けるだけに意味を見出す。
しかし彼女はどう思っているのだろう?
有機AIは意志表示をいくらでもできるが、彼女は『ドウゾ』といった記録されている決められた音声のみしか発することはできない。そもそも意志というもの、感情というものがあるのだろうか? 有機、無機に関わらず、AI、いや機械がそれらを持ちうるのか。
発することはできずとも、もしかしたら思うことはできるのかもしれない……なんて。無機AIに限ってはないだろう。ただの機械なんだ。生き物じゃない。作られたモノにすぎない。
だが有機AIはどうだろうか。自由に表現することができる。その表現を眺めることが「ああ、感情がある」という認識になるのだろうか? 思考を感情に変換し、表現する。AIがこの処理過程を経ているか、俺にはわからなかった。
……やめよう。
「今日は、どうしようか」
スプーンはカツンカツンと音を立てながら口へとカレーライスを運び続けていた。無機質な音で一道具としての役割を淡々と立派に果たしている。
カレーを食べ終わって、ロボットメイドに食器を預けた。彼女が食器洗い機に皿を放り込む姿を見ながら、これからのことを考えた。
夏休みと言っても特に予定はなかった。
暑いのは苦手なので正直外出はしたくない。しかし家にいてもワイヤードに潜っているか本を読むくらいしかしないだろう。頭の中はずっと同じことを考えているし、こんな時は身体を動かした方が良い。
網膜のタスクバーに常駐している天気予報を開いた。それと同時に脳内へ音声が流れる。
『蓬区、本日の天気は快晴、現在の気温27度、湿度50%。風も弱く、お出かけ日和です! 夕方ごろに気温は下がりますが、上着は必要ないでしょう』
と言っても、どこへ行こうか。
そうだ、お金は十分あるから、美味しいものでも食べよう。身体を動かすとは何だったのか。
ワイヤードで検索をかけようとした瞬間、とある店が脳内に挙げられた。昨日行った喫茶店のコーヒーはとても美味しかったことを思い出す。料理もぜひ食べてみたい。
無機AIが昨日の視覚情報を記録してくれている。講演会が終わったあたりから遡れば良いはずだ。目を瞑り、無言で雨之瀬に店へと連れられる映像を見ていた。
見直してみると雨之瀬の後ろ姿は、どことなくはしゃいでいるようにも見えた気がする。