西ローランド領
俺達はローランドの城下町を歩いていた。西へ向かうというのに、わざわざこの町に立ち寄る必要はない。あるとすれば、ローランド国王に謁見しに行くくらいか。勝手に送り込んでくれたスパイのせいで式典が潰れたのだ。文句の一つも言いたくなるさ。
「あの式典は一体何だったんだ?」
「聞いていなかったの? クリスタルを見せびらかすためよ」
前を行くアナスタシアの顔は見えないものの、どこか冷淡な口調に違和感を覚える。
「いや、それは聞いた気がする」
「そう。馬鹿な国ね。一度阻まれたのだから内密にしていればよかったものを」
何となくだが、いつもより機嫌が悪い気がする。当分は何も言わない方がよさそうだ。
エプロンドレスを着た女性が、また来たのかという顔で俺達を見ている。別に俺達も好き好んでやってきたわけじゃないのだが。
女性はすぐに目を逸らした。当然の反応だ。どれくらい当然なのかと統計を採ってみてもいいんだが、生憎そんな時間はない。
狭い通路に門兵が二人立ち並んでいる。二人は危険物を見るような目でアナスタシアを睨んでいた。
「通してもらえるかしら」
「それはできない。お前たちを通すなという命令だ」
「…………」
隣に立つ魔女の顔は見なくてもわかった。瞬時に辺りの空気が張り詰める。
「ひっ」
魔女の顔つきの変化に驚いたのか、それとも魔法を使われたことになのか。兵士がみっともない声を出して崩れ落ちる。嫌な予感がする。
すぐにも兵士の足先が凍り付いていく。だが俺にはどうすることもできない。
「それでいいのかよ」
「…………」
思ってもいない言葉が出てしまった。別に俺はローランドの兵士がどうなろうと知ったことではないのだ。アナスタシアには気が済むまで煮るなり焼くなり暴れるなりしてもらえばいい。その方が自然だったはずだ。
しかし、氷の魔女は何を思ったのかそこで手を止めてしまった。
「…………!!ッ」
歯ぎしりの音が聞こえてくる。兵士の足先は半分凍り付いたままで、あっ気に取られたまま俺たちは彼女を見つめることしかできなかった。
今までやりそうでやらなかった。こいつにだって絶対的なブレーキが存在するんじゃないかと思ってた。ローランドの法律がどうなってるかなんて知らないが、善悪の判断くらいはつくもんだって思っていたんだが。
「まさかお前があんなことするとは思わなかったよ」
「そうね」
それとも、この得体の知れない魔女もストレスが溜まっていたのだろうか。魔女の内にこもった葛藤やら憎悪なんてものは別に考える気にもならないが、少し聞いてみるくらいならいいだろう。
「兵士を殺すつもりだったのか?」
「そうではないわ。ただ、少し魔がさしただけよ」
「…………」
それっきり口を開くことはなかった。俺からも魔女からも。
明かりの灯った村が見えてきた。あそこで一晩泊まれるだろうか。
「騒ぎを起こせば魔女が住めなくなってしまう。釘を刺されているのよ。人を殺すなとね」
「じゃあ、殺さないんだな?」
「そうね、目の届かない内は」
駄目だ。眠れない。体は疲れているのに、脳みそが寝かせてくれない。アナスタシアのせいだ。あいつがあんなことを口にしてからずっともやもやしている。
アナスタシアが殺人鬼なのかという議題で天使と悪魔が渦巻いている。あいつが人を殺しているのは見たことがないが、実は前科があるのかもしれない。国に追われていたくらいだし、そうであってもおかしくない。どこかのお姫様をさらって監禁でもしていたのかもしれない。
本当は寝なければいけない。いつアナスタシアがやってきてたたき起こされるかもわからないのだ。なるべく早く眠っておきたい。
思考を捨てて改めて横になる。
それでも体は寝かせてくれなかった。どうすれば眠気がやってくるかという深刻な問題に、突如ビールという答えが現れたのだ。
酒場に足を踏み入れるのはこれで二度目だった。少しは抵抗がなくなったとはいえ、そこはエンリケの酒場とはまるで違い、活気に溢れていた。この世界に来てこれだけの人口密度は初めてかもしれない。
「どうぞー」
おさげを垂らした茶髪の看板娘が笑顔で皿を差し出す。無料で食べてもいいということなのだろうか。皿の上には一口サイズの肉と黒めかしく輝くメタリックな食器。言うなれば二股に分かれたフォークだ。
空いている席を見つけ、皿を机の上に置く、これで席取りは完了だ。さて、どうするか。ビールを飲めば寝つきがよくなると思って来てはみたものの、未成年が実際に頼むのは勇気がいる。
そんなことを席にも座らずに考えていると、横からふっと手が伸びた。一口サイズの肉に音もなく二股フォークが突き立てられる。端正な顔立ちの魔女だった。
「危なかったわね」
どこから持ち出したのか、ナイフのような物を右手にフォークの突き立てられた肉に切り込みを入れて行く。そしてアナスタシアは肉を見つめたまま固まったように動かなくなった。何があったのかと恐る恐る肉をのぞき込むと、肉の割れ目から黒い球体が顔を出し、球体から生えた触手をゆっくりと動かしている。まるで肉から這い出んばかりに収縮と拡大を繰り返す球体に、俺は息を詰まらせた。
アナスタシアが無言でナイフを放り出し、席から去っていく。急いで俺も後を追おうとすると椅子から立ち上がる音が聞こえ始めた。




