魔法都市
城壁を通る前からそうだったが、町の人々は誰もアナスタシアのことを気にとめようともしない。国一つ違うだけで如何に氷の魔女の認知が認知されなくなるかということだが、まさかこの美少女に誰も見向きもしなくなるとは。畏れ慄かれるのもローランド領内だけだったか。
城壁内部にいるのは全員魔法使いというのは聞いていたが、見事に皆ローブを着ている。
「とりあえず中に入れたが、これからどうするんだ?」
「城に入りましょう」
見上げると、城の手前にはもう一つ壁がある。無理難題を軽く言ってくれるが、やはり今回も無理だろう。式典とやらが始まるまでの二日間、城に泊めてくれるなんていうお人好しがいたら国が滅びるぞ。むしろ俺はとっとと宿を探したい。風はなくなったものの空気の冷たさは相変わらずで、おまけに旅の疲れのせいか滅茶苦茶寒い。
城壁の中の城壁、と言えば何となくマトリョーシカを思い出すが、嬉しいのか残念なのかこれが最後の壁だ。開けている門から城の姿が露わになっているのが見える。
「通してもらえないかしら」
丁寧な物言いではあるが、やろうとしていることは無茶苦茶茶だ。氷の魔女を城に招き入れたらどうなるか。そこは仮にも兵士たるものが最終防衛ラインを抜け抜けと突破させるはずがなかった。
「駄目だ。式典の日まで関係者以外の出入りは禁止されている」
「ローランドの大使として来たのよ。これでも駄目かしら」
「普段から城に出入りしている者以外は認めん」
通行証を見せる暇もなく却下された。アナスタシアが門兵を睨む。瞬時に門兵が凍り付いてもおかしくない雰囲気だ。
「本当に大使なのであれば宿は好きに使っていい。特別に無料で開放されている」
そうだ。アナスタシア。頼むから引いてくれ。今はまだ怒りを爆発させるような時じゃない。
アナスタシアは無言のまま門兵を睨み続けている。会話が不自然に途切れてしまったせいなのか人の視線が集まってきている。ああ、嫌な汗が出てきた。
「行きましょう」
歯ぎしりのような音を残してこの場から去っていく。
どうやら何事もなく終わってくれたらしい。呆けたように見物している野次馬たちも魔法使いなのだ。下手に町中で魔法を使おうものならいくら氷の魔女と言えど蜂の巣にされたっておかしくない。
改めて城壁を見上げてみる。さほど老朽化したようにも見えない灰色の壁は無言の重圧を押し貫いている。あるいは、この壁すらも魔法を使えない人々に作らせたのかもしれない。
「早く来なさい」
「ああ」
何かに急かされるわけでもない。俺はゆっくりとアナスタシアの元へ歩いた。
「これからは好きに行動していいわ。ただし殺されない程度にね」
物騒なことを言わないでくれ。じゃあ俺は一足先に宿に戻らせてもらうことにするよ。
雨粒が窓にぶつかる音で目が覚めた。今が朝なのか夜なのか判別できないくらい外の天気は暗い。そうやってしばらくベッドの上でぼんやりしていたのだが、ドア付近にアナスタシアが立っているのに気づいた。
「どうした?」
なんで俺の部屋に勝手に入っているんだと聞こうとしたが、先に別の言葉が出てしまった。
彼女はローブの下で組んでいた腕を戻す。
「スパイがいるようね」
スパイ? 寝起きに意味不明な言葉をぶつけられても頭が回り始めない。五秒の熟考の末、人の部屋に許可なく忍び込んでいるお前がスパイだという考えに行きあたってしまった。
「ローランドのスパイがこの町に紛れ込んでいるということよ」
ひとまず頭を掻かせてくれ。つまりこういうことか? 俺達以外にもローランドからの大使が滞在してるってことか? why?
「そいつと合流すればいいのか?」
「信用されていないということでしょうね」
…………。
「気を付けなさい」
そう言ってドアを開けて出て行ってしまった。……何だったんだ。
大体、そのスパイとやらがどんな姿をしているのかも知らない。だから気を付けようもないのだが。
相変わらず外の雨は止みそうにない。パチパチと雨音が伝わってくる。
こんな雨の中じゃスパイでさえも出歩く気にはならないんじゃないか。しかし、昨日見た限りじゃ変な動きをしてるやつはいなかった。確かにいなかったが……!!!
ドアを開け、外を確認する。赤いカーペットが敷き詰められた細い廊下。朝だというのに、雨が降っているせいか天井のランプが点いている。別段、誰かがいると期待していたわけでもないのだが、まるでもぬけの殻のようだった。
「おや」
振り返ると、そこには恰幅のいい紳士がいた。寝癖の付いた髪を帽子で押し込んでいる。その紳士は見慣れない男だった。万に一つも心当たりがない。だが、恰幅のいい紳士は俺を見覚えがあるような目で見てくる。残念ですが、冒険の書1は消えてしまいました。
「大使の方ですよね?」
「え?」
俺が何者かということまで知っているらしい。
「そうですが……まさかあなたも大使ですか?」
「金髪の女性もおられましたよね」
「ああ、はい」
「あの人は今はいないのですか?」
矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。何やら随分とアナスタシアにご執心なようだが、あの女に関わってもいいことはないぞ。
「あいつならもうこの宿から出て行ったと思いますよ」
「ああ、そうでしたか」
特に落胆した表情も見せない紳士。ストーカーの類ではないのだろうか。それより、さっきからひっきりなしに飛び出そうになる帽子を押さえつけているのが気になる。
「まさか、あの金髪の女性は氷の魔女と呼ばれている方ですか?」
「ええ、そうですが」
「……ああ、申し遅れました。私はここより南の国から大使として遣わされた者です。氷の魔女を噂に聞いたことがありまして、透き通るような金色の髪。そして何者をも寄せ付けぬ風貌。一目見た時にピンと来たのですが、やはりそうでしたか」




