クリスタル
それっきり、兵士が階段から降りてくることはなかった。
「いつかこんな日が来るとは思っていたが……」
「もうお終いだ……」
「…………」
珍しく囚人たちが落ち込んでいる。それもそうだ。突然の死刑宣告。明日から処刑が始まる。たった一日という猶予期間はあまりにも短すぎやしないか。
せめて更生の見込みある囚人は他所の施設に連れていかれるみたいな制度があってもいいんじゃないか。
なあ、アナスタシア、助けてくれよ。今回も全部お前が悪かったじゃないか。俺はとばっちりを受けただけなんだ。それともあれか? ファドールで五日間も放置プレイをかましたことの腹いせか? 氷の魔女と言えど、激怒することはあるんだな……。
夜が明けるまで、どうしようもない俺の思考は世界を十周ほど駆け回っていた。その内に、俺は氷の魔女に関わったとかいうとばっちりでギロチンにかけられるという思考に収束してしまったし、案外一日の猶予というのは長すぎず短すぎず、よかったのかもしれない。
鉄格子越しに朝飯の残飯が置かれた。今日は喉を通らないことを考慮してか家畜から絞ったミルクだけだ。何の家畜から絞ったのかは他の囚人たちでも知らない。はっきり言ってまずい。それにこんなものを口に含んだところで処刑されてしまえば違いはないのだ。
階段から兵士が降りてくる足音がする。もう残飯を回収する時間か。金属のヘルムを被った兵士が鉄格子の前で立ち止まった。
「おい」
兵士は声のした方を振り返る。
「石畳をファドールまで敷いたのは何か意味があったんだろ? どうせ最後なんだから教えてくれよ」
「お前に教える事は何もない」
即答だった。これから死にゆくものに答える必要はないという目。その質問は俺も気になるところだったが、兵士は俺の牢屋を開けた。
「出ろ」
先ほどと変わらない冷たい口調。まさか、もう処刑が始まるのか? 兵士は俺が出るのを待っている。
素直に出る以外に選択肢はなかった。仮に兵士を殴り倒せたとしても階段の上にもまだ見張りがいるはずだ。
「ついて来い」
一体何があるのか。いや、何かの間違いじゃないのか。鼓動が高鳴る中、階段を登って行くと信じられない光景が待っていた。
狭い小部屋に、三人の兵士が倒れている。生きているか定かではないが、ピクリとも動かない。
兵士はあたかもそれを知っている体で突っ立っている。この惨状を前に全く動じない人物に一人心当たりがあった。
「アナスタシアか?」
言うが早いか、金属製のヘルムが、しなやかな金髪ブロンドに変化していく。
三日ぶりだろうか。兵士に化けていた金髪の魔女。
「準備が出来るまで外で待っているわ」
何とも彼女らしくない一言を置いて、扉から出ていく。
ほっと一息つく。どうやら間一髪間に合ったようだ。
しかし、準備と言っても何をすればいいんだ? 何とも窮屈な部屋で、見張りの兵士たちも退屈していたのだろう。机の上には飲みかけのグラスやサイコロが散らかっている。床には三人の兵士。他には……椅子の下に黒い服が投げ捨てられている。俺の服だ。どんな扱い方をされたのか、足跡が付いている。持ち上げてはたくとホコリが宙に舞った。まるでボロ雑巾だな……破れていないだけマシか。
学ランを羽織って外に出ると、威圧的なまでに成長した針葉樹林が立っていた。全長十メートルはあろうそれのおかげで、視界は極端に狭まっている。四角く切り取られた空。高くそびえ立っているはずのローランド城さえ見えない。
「準備は出来た?」
「ああ」
扉の隣で待っていたアナスタシアが動き出す。
「指輪は?」
言われた瞬間気が付いた。何か足りないような気がしていたが、一番重要なものを忘れていた。すぐさま体を翻す。
「その必要はないぜ」
針葉樹林の方から声が聞こえた。顔だけ振り返ると、一人の青年が立っていた。
「指輪ならここにある」
男はあまりにひどく黒ずんだ白生地の服を着て、重量感のある剣と分厚いマントを背負っている。その姿にどこか既視感を感じる。そして、男が右手を見せつけると、人差し指に紅の指輪がはめられていた。
「それを返しなさい」
魔女の敵意が男に向けられる。だが、男はそれをものともせず挑発的な笑みを浮かべた。
「嫌だと言ったら?」
「あなたには使いこなせない」
そう言ってアナスタシアが男を睨むと、急に空気が冷えだした。気のせいじゃない。肌が痛みを感じるレベルまで気温が低下している。そして、男の周囲に小さな光の粒子が現れ始めた。ダイヤモンドダスト――
男はマントに手をかけたかと思うと、周囲を振り払った。ジッという音と共に光の粒子が消えていく。
「俺に同じ手は二度通用しない」
それは既に少年の純粋な目つきではなかった。金髪の美少女に敵意をむき出しににらみ続ける。しかし、アナスタシアは攻撃の手を緩める気はなかった。
ダイヤモンドダストが集まり指の形になったかと思うと、弾丸のように男へ放たれる。
対する男も何もしていなかったわけではない。アナスタシアの存在を否定するかのように指を横に一線すると、指の通った後から溶岩のごとく赤い液体が伝うように落ち始めた。
氷の弾丸が液体に当たり、同時に蒸発する。指輪の力によって湧き出た液体。それは魔法と言うよりは呪いに見えた。
「少しはやるようね。指輪を手に入れてからずっと練習していたのかしら?」
金髪の美少女が初めて男に送る称賛だった。確かめるように次々と弾丸が放たれるが、やはり指を水平に移動させるだけで無力化されてしまう。防御という点においては、氷の魔女でさえも凌ぎうる力を持っているのかもしれない。
アナスタシアの顔を見ると、どこか喜びを感じているような顔で笑っていた。
「少しは練習の成果を見せてちょうだい。このままじゃ期待外れに終わってしまうわ」
「…………」
気が付けば氷の弾丸はより小さな粒子に変わっていた。ダイヤモンドダストをほとんど圧縮することなく放っているのだ。一つ一つの威力は小さくなるが、数は異常なまでに膨れ上がり、滅茶苦茶な光景になっている。
「くっ……」
灼熱の液体の隙間から光の粒子が直撃し始める。やがて男は指を動かすことを止め、体を丸めて必死にダイヤモンドダストを耐えていた。
「これでお終い」
一際大きい弾丸を作り出し、男に向けて放った。男がとっさに灼熱の液体を作り出したところで防ぐのは難しいだろう。と、男は背負っていた剣に手をかけ、氷の弾丸を一瞬で叩き斬った。その勢いのまま剣が地面に叩きつけられると、亀裂が走り、アナスタシア目がけて伸びていく。とても自然現象とは呼べない。まるで生き物のように地面に黒い線を刻みながら金髪の美少女を襲う。はずだった。
世界が止まった。亀裂は動くことをやめ、何かを忘れたように止まっている。
「惜しかったわね」
違う。厳密には亀裂がそれ以上進めなかったのだ。彼女の周囲に張り巡らされた絶対零度の空間が、地割れでさえも止めてしまっていた。
その場にいたアナスタシア以外は何が起こったのかわからなかったのだろう。あっけに取られていた男の周りでダイヤモンドダストが煌きだしたかと思うと、指輪をはめた右手と顔を除いてたちまち凍り付き始めた。
「何だッ……これは……!?」
氷漬けにされた体で必死にあがこうとするが、やはりどうにもできないらしい。
「指輪は返してもらうわ」
と言いつつ、動く気がない。どうやら俺が取れってことらしい。わかったよ。取ればいいんだろ。それくらいなら俺でもできる。
男の体に近づいていくと、肝心の右手が強く握りしめられている。流石にそう簡単に渡してはくれないか。
自由の利かない首を精一杯動かし俺を睨む。体の九割が凍っているが、下手に取ろうとすれば何されるかわからんな。
「素直に負けを認めなさい。どうせ使いこなせない指輪を持っていても、すぐに奪われるだけよ」
男は鬼のような形相で睨んだ。そしてひとしきり睨んだ後、目をつむり、力が抜けたようにに右手を開いた。
……取っていいってことだよな? 恐る恐る近づき、指輪を外す。
「行きましょうか」
「あ、ああ」
右手に取り戻した指輪を見る。カーマインレッドの宝石が設えてある。どうすればあんな液体を生み出せるのか、不思議でならない。俺でもやろうとすればできるのか?
人差し指に指輪をはめ、水平に一線してみる。何も起こらない。やはり見よう見まねでやってもダメなのか。
「迷っているの」
不意に前を歩いていたアナスタシアが止まった。
「何がだ?」
そう聞いても彼女は一向に答えてくれない。全く見当がつかないが、先程男を苦しめていたとは思えない声音だった。
「どちらを選んでも、取り返しのつかないことになるかもしれない」
また独り言なのかもしれない。思えば魔女の家に着いた頃からずっとこんな感じだった。俺の言ったことを無視したり、上の空だったり。こいつらしくない。
何となくわかっているのだ。こいつが敵地のど真ん中で迷う理由。細かいことは想像できないが、大方エルミナードのクリスタルのところに行くのだろう。
いつもなら、どんなことでも歩きながら話していたが、今のこいつは完全に立ち止まっている。まるで俺に決定権を委ねているみたいだ。
こんな俺でも出来ることといえば、せいぜい背中を押してやるくらいだろう。
「行って来い。お前にしかできないことなんだろ」
金色のまつ毛が僅かに動いた気がした。こんな時に俺の言葉が通じるのだろうか。俺だって何が正しいのかわからなかった。彼女は何を思ったのか、ありがとうと小さくつぶやいて走り出した。
エルミナードの町、広場。そこにはローブを着た五人の魔法使いがクリスタルを取り囲んでいた。その遠方。街道の石畳の上にはローランド中の魔法使い達が配備されている。
「いいか、もう時間はない。チャンスは一度きりだと思え。これよりクリスタルの再構成を行う」
クリスタルを封印していた氷は既に取り除かれ、赤熱している。自らの不安定なエネルギーにより今も自壊が進んでいるのだ。
五人の魔法使いの中で最も優れた男が手を上げ、遠方に合図を送る。石畳に配備された魔法使い達がクリスタルに魔力を送り始める。
「ついにこの時が来たのだ。我々の手でクリスタルを完全な物にし、絶大なる力を手にする時が。並み居る隣国を蹴散らし、ローランドが世界を手中に収める時が!」
男がクリスタルに向かって両手を掲げると、周りの四人も一斉に手を掲げる。ローランド城に仕える全ての魔法使いを集め、莫大な魔力をもってクリスタルを完全な物へ昇華させようというのだ。五人の魔法使いは期待の目で見守っていた。だが、いくら経ってもクリスタルの様子は依然として変わらない。
「貴様ら! 本当に力を出しているのか!!」
そうではないことは男にもわかっていた。この計画に向けて、クリスタルの再構成方法も完璧に頭に入れた。物質と物質のつながりをより強固なものにするには、相応の魔力と結びつけるだけの魔法技術が必要である。全ての魔法使いから集約させた魔力が不足しているはずはなかった。とすれば、考えられる要因は一つ。男の技量が足りていなかったということ。
「私では駄目だというのか……」
「隊長。諦めないでください」
四人の部下が見守る。うまくできていれば見た目となって現れるはずである。だが、いくら魔力を与えようとクリスタルは赤熱したまま。男も焦りを感じ始めていた。
やがてクリスタルとも呼べないほどの形に溶けてしまえば、それはクリスタルとして成り立つのだろうか……。
「……やむをえん。中止だ」
成功する未来が全く見えなかった。おそらく、これ以上やっても無駄だろう。失敗してもいいとは言われているが、自分の独断でこの計画を潰すことはできなかった。このまま続けてクリスタルが塵と消えてしまうより、再び氷の中に封印して策を練るのが現実的だ。
遠方に向かって中止の合図を送ろうとする。
その時、肩に手が置かれた。
「どきなさい」
冷酷な声。一瞬、クリスタルが自分に向けて言い放ったのかとも思えた。
金髪の美少女、いや、それは氷の魔女だった。図らずもローランドを脅かしていた忌まわしき存在。
「な……」
魔女は男の体をどけ、手をかざした。赤熱するクリスタルが無色透明に変わっていく。余りにも衝撃的な光景だった。膨大な魔力をクリスタルにぶつけ、瞬時に凄まじい精度で再構築する。それを目の前に突然現れた女がやってしまったのだ。そこにいた物は誰もが夢か幻かと疑った。
やがて、魔女が腕を下ろすと、紛れもなく完全なクリスタルがあった。




