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五限を挟んで六限目、本日最後の授業だ。その名も体育。恐れていた時間がついにやってきた。
「今日はシャトルランをやります」
体育教師の野上がそう明言した瞬間、生徒達から溜息が漏れた。
分かっていたことだったが、夏休みの宿題のように、できればずっと後回しにしておきたいみたいな……。それとも、今から腹が痛いといって保健室に逃げ込むのもありだろうか。
「それじゃあ男子から始めるぞー。位置についてー」
野上の一声で、脳内に張り巡らせようとしていた現実逃避回路が粉々になった。
恐怖の音階に合わせて小蝿達が苦しむ様を可及的速やかに見たいらしい。
男子全員がいやいや一列になり、早速調子の狂う音が流れ出した。ゾロゾロと足音が響き始める。
思ったよりもペースが速い。中学の頃は早歩きでも楽勝だった気がしたのだが。
二十メートルのラインを跨ぎ、折り返す。案の定、皆真面目にやっている。流石に早々リタイアする勇者はいないか。
「よう、調子はどうだ?」
「思ってたよりペースが早い。でも七十回は行きたい」
本当は喋るのに使う体力も温存したいところなんだが。
「俺は百回超えたらリタイアするわ」
言ってのけてくれる。百回だなんて俺が酸欠になっても到達できなかった記録だぞ。
最高記録は中学三年の時のシャトルランで八十六回。授業が終わって、立ち上がろうとしたら全身が麻痺したような感覚に襲われて酸欠になったのだ。
今はその時より体力も落ちてるし七十回行けたら十分だ。
百三十回目で最後の一人がリタイアした
「それじゃ女子シャトルラン始めー」
今まで体育座りで見ていた女子達が立ち上がり、また室内に音がゾロゾロと響き始めた。
別に誰かを意識していたわけでもなかったのだが、気づいたら井守を見ていた。アナスタシアはすぐ隣を走っている。
そもそもあの金髪美少女はシャトルランを知っているんだろうか? 外国にもこんな意味の分からんテストが存在しているのか?
一見しただけでは運動ができるのかわからない。万が一、百回を超えたり延々と走り続けるようなことがあれば、運動部に目を付けられるのは間違いないだろう。
お世辞にもスポーツが得意ではない井守に着かず離れず……まるで、井守の走りを参考にしているかのようだ。
「なあ、誰を見てんだよ?」
「別に……」
そう言われたら目を逸らすしかないだろう。言っておくがアナスタシアの体操着姿なんて目に焼き付いてないぞ。
「もしかしてアナスタシアさんか?」
なかなかしつこい。井守を見ていたらアナスタシアも目に入るのは仕方がない距離だろ。お前らが井守エンドを望んでいたんじゃないのか。
「逆に聞くけど、お前的にはアナスタシアさんどうなのよ?」
「別に何とも。タイプじゃねえし。俺はもっと年上のお姉さんが好み」
中学で知り合って以来、初めて聞いてしまった。あれほどの美少女に興味がないと言えるなら、クラスの女子全員ストライクゾーンに入っていないのだろう。
幸いにも、女子の中でこの会話に気付いた者はいないようだった。
それでもまだ裾川は何か言いた気で、こちらを見てくる。
「七十一回で止めた」
何となく、聞かれそうだったから先に答えておいた。
「俺は百三回」
チッ。俺が今まで酸欠になった回数を教えてやろうか? 二回だ。一回目はシャトルランの時。二回目は真夏の部活でスポーツドリンクを用意し忘れて代わりにペプシツイストを飲んでいた時だ。
それはともかく、井守の方に意識を戻すと、歩きながら汗をぬぐっている。アナスタシアもリタイアしていた。
思ったより早く終わったな。これで彼女が運動部から声をかけまくられるという未来は潰えた。