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氷の魔女

「そろそろ行くわ」

 魔女と呼ばれた老婆は無言で返事をする。

 アナスタシアが扉を開けると、外は霧で覆われていた。いつまで経っても晴れそうにない。

「その霧は西の国境にあったものさ」

 餞別代わりにそういって魔女は口を閉ざした。

 

 外に出ると、俺はまたアナスタシアと手をつなぎ、歩き始めた。

「これからどこに行くんだ?」

「国を出ようと思う」

 正論だ。この危なっかしい国から出ようだなんて反論しようがない。魔法使いのうじゃうじゃいるエルミナードや敵地のローランドにわざわざ向かおうものなら説得するのが関の山だ。老婆同様、あるいはそれ以下に足手まといな俺が何か言ったところで聞き入れてもらえるわけがない。俺を残してでも行くだろう。

 空を見上げてみても霧のせいで何も見えない。アナスタシアが機転を利かせて手を繋いでくれなければ迷っていたかもしれない。


 六本目の木を通り過ぎる。幹にはやはり切り傷がついていた。

 最初の内は目印だと思っていたが、あれこそが人を惑わすトリックなのかもしれない。 

「なんていうか……変な婆さんだったな」

「昔から普通の人間が嫌いなのよ」

 なんとなくそんな気はしていたが、お前もなのか?

「魔法が使えるというだけで周囲は変わらざるを得なくなるわ。そして自らも」

 例えを出すまでもない話だ。俺だってアナスタシアに敵意がないのはわかるが、一般市民からすれば何をしでかすかわからない脅威なのだ。そんな魔女がごく普通の村で平々凡々と暮らせるはずがない。

 しかし、誰もやってこないような霧の中で老婆は何を頼りに生きてるんだろうね。


 浮浪者のようにかきむしったボサボサな頭の男が霧の中から現れた。

「化け物!!!」

 男は俺達を見た途端、泣きながら逃げ出した。

 謎の霧に幻惑されてさまよっていたのだろう。俺達二人が怪物にでも見えたのかもしれない。


「助けなくていいのか?」

 問いかけてみたが、彼女は答えなかった。男の悲鳴が聞こえなくなるまで見送ったあと、再び歩き出した。

……森の中をさまよい続けて餓死しなければいいのだが。幸い、未だに人どころか動物の死骸すら見かけていない。謎の生物が遺体を処理してしまったのか、霧ができてから日が浅いのか、あるいは希望的観測をするなら霧が広範囲に及ぶものではないということだが、それでも夜までにはこの霧を抜け出したい。そして順調に国境を越えて宿をとるのだ。野宿だけは流石にごめんだ。

「国境を超えたらどうするんだ?」

 返事はない。聞こえなかっただけならまだいいんだが、それにしてももう一度聞くか迷う。私的統計によれば、この場合は後から質問に気付いて返答するというパターンが少なくない。

 気長に返事を待っていると、霧が晴れてきた気がした。

 空いた右手で目をこすると、緩やかに流れる川と対岸にかかる吊り橋があった。川のほとりには農夫姿の男が立っている。何か落としてしまったのだろうか。川底を見つめてずっと動かない。


「どうしたんですか?」

「助けてくれ……」

 農夫の顔は思っていたよりも深刻だった。吊り橋を渡ろうとしていたアナスタシアも足を止める。

「化物が突然襲って来たんだ。見たことないオレンジ色の体だった。俺は逃げ出したけど、家畜はみんな殺されているかもしれない……もうお終いだ」

 肩を落として重いため息をつき、辺りをうろつき始めた。俺達にも助けようがないと思われているようだ。

「あんた、様子を見てきてくれないか? 退治しろとは言わねえ。せめて家畜の一匹でも生きていてくれれば……」

「そりゃまあ……ちょうど通るところでしたけど」

 アナスタシアを見ると、眉一つ動かさずに話を聞いていた。


 見るも無残な光景だった。家畜を囲う柵は破壊され、柵の内も外も家畜の死体がごろごろと転がっている。家畜小屋にも既に人の気配はなく、静まり返っている。

「もう化物はいないみたいだな」

 化物も家畜も見かけずにここまで来てしまった。どこかへ逃げ……。

 バンッ!!

 板が張り裂ける音がした。次の瞬間、小屋全体が歪んだかと思うとオレンジ色の猛牛が小屋の入り口を壊し飛び出してきた。その血走った眼は明らかにこちらを狙っている。血管の浮き出た重々しい図体で走るというよりも飛んでいる。ものの三歩でこちらに届き得る跳躍。そして突如地面から荒々しい氷柱が生成され、生々しい衝撃音が響いた。

 閃光のような時間の中で、俺はどうすることもできなかった。肉体に対する痛みを案じた時、猛牛の動きは止まっていた。氷塊とでも呼ぶべき氷柱によって。二本の薄汚れた角だけが前に突き出し、何かから抗うように猛牛は身動きしていた。

 これが氷の魔女の力か……。

 やがて氷塊に触れた頭から尻尾にかけて凍っていき、猛牛は瞬く間にオブジェと化した。

 

 それからしばらくして、農夫たちが戻って来た。

「ありがとう。助かった。この恩は一生忘れねえ」

 俺は何もしていないのだが、深々と礼をされる。

「いやいや、俺じゃなくて彼女がやったんです」

「そうなのか。ありがとう。国境の霧が消えたと思ったら、突然化物が来て滅茶苦茶にしやがったんだ」

「化け物を退治したはいいが、これからどうするよ。家畜ももう全部駄目だ」

「仕方ねえ。他所から連れてくるしかない」


 全てが破壊された高原に、国境から強い風が流れ込む。

「さて、じゃあ行くか」

「…………」

 

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