ファドールの町 五日目
いかん。寝過ごしてしまった。
目を覚ますと真っ暗だった。ぼやけた視界に十秒あれば数えきれそうな星が瞬いている。
街道と雑木林の間の段差に腰かけて仮眠を取っていたのだが、どうやら高校生になると少しだけ眠るつもりが平気で二、三時間寝てしまうようになるというのは本当なんだな。老化と言うやつをしみじみと実感する。
溜息を一つついてまだ重い腰を持ち上げ、俺は町へ急いだ。
ファドールの町に来てから四日が立っていた。生活費を稼ぐために中年男からもらっていた仕事も順調にこなし、今では十クラウンばかりの所持金がある。幸いにも、事件らしい事件は起こっていない。安心して眠れるのもファドールのみなさんのおかげだ。どこぞの北の町ではわけのわからんクリスタルが取り付けられ、一日中ローブの男達が見張っていてギスギスした空気が流れ、噴水を利用できなくなってしまった。ダウングレードもいいところだ。
部屋の中にはいつもの中年男がいた。軽く会釈をする。
「今日は何ですか?」
「閉めろ」
いつになく強い口調で即答された。質問に対する答えでないと理解するまで数瞬。入って来た扉を閉めると男はわざと低い小さな声で言った。
「今は仕事がない」
「…………」
この町にも不況がやってきたのか。いつも仕事があるっていう考えは間違っていたのかもしれない。だが所持金はわずか十クラウン。二回宿屋に泊まればなくなる金額だ。仲介所に行って仕事を探した方がいいのか。
「どうした?」
「お金が足りなくなるかもしれません。次に仕事が入るのはいつですか?」
「……日が暮れたらもう一度来い」
というのが今朝の話だ。
日が暮れたらというアバウトな時間帯ではあったが、太陽なんてとっくに行方不明になっていて、町を歩く人ももう見当たらない。いささか遅れてしまったかもしれない。しびれを切らして帰ってないといいが。
いつもの小屋に向かって走っていると、突然暗闇から男が現れた。
「どこにいたんだ」
小太りの中年男だった。
「すいません遅れました」
「いいんだ。行くぞ」
もっと怒鳴り散らすものかと思っていたが、あっさりと許してくれた。
民家の窓から明かりが見えている。男は人目を気にしてか、路地裏に入った。方向的に、小屋へ向かっているのではないようだ。
男の後をついて路地裏を進んでいたつもりだったが、町の外まで来てしまった。こんなところに一体何の用があるのか。
「仕事ですよね?」
「そうだ。運んでもらいたいものがある」
段々と町から離れていく。夜しか運べないということはそれなりの危険物なのだろう。俺も周りを確認してみるが人影は見当たらない。
「安心しろ。報酬はたっぷり弾む」
やがて植物の群生する森に入っていく
すぐ傍の長い植物の茎の陰に、見たことのある動物が佇んでいた。白い顔。立派に育った二本の角。真っ黒な瞳。そして真っ白な体。山羊だ。どう見ても山羊だがこの世界での通称は……
「馬ですね」
「よく知ってるな。話は早い」
何の変哲もない、ただの山羊だ。時折気づいたようにこちらを見たかと思うとすぐにまたそっぽを向き、地面の草を食べる。
「これなら朝でも昼でもいいじゃないですか」
「チッ。わかってねえな素人は。夜だからいいんだ。夜だから雰囲気が出るんだろうが」
謎の理論をぶちかましてきた。
拍子抜けだった。この時のために体力を温存しておいた俺が馬鹿だった。昼に汚部屋の掃除でもして稼いでおけば少しは足しになったのに。
「二十クラウンはくだらないだろうな」
「…………」
今日まで受けた中で一番高い金額だ。男の言っていることが本当なら、所持金と合わせて六日分の宿だ。ひとまずゴールインじゃないか。あまりもったいぶって関係が悪くなるのも避けたい。俺の中で謎の社畜精神が暗躍し始めた。
「どこへ運べばいいんですか?」
「よくぞ聞いてくれた。ここから北東に一時間半ほど歩いたところだ」
「目印とかは?」
「ない」
自慢げに言い切ってくれた。それじゃ困るんだが。
「全くもって何もない場所だが、依頼人はいる。下手に探し回らない方が見つかるかもな」
ノーヒントなのかよ。と思いはしたが、そこで三平方の定理が頭に浮かんだ。
「ここから北東に一時間半ってことは、エルミナードの町からちょうど東に一時間行ったところですよね」
「それはやめてくれ!エルミナードに寄るのはやめてくれ。」
エルミナードから行くとも言っていないのに大袈裟に捲し立て始めた。
「どうしてです?」
「奴らに見つかっちまったら奪われるかもしれない。いいか、下手して朝までふらつけば仕事は失敗。夜が明ける前に見切りをつけて戻って来い」
滅茶苦茶な話だな。報酬は二十クラウン。北東に向かって一時間半とかいうアバウトすぎる待ち合わせ場所。目印もない。途中で誰かに見つかれば失敗。朝までに依頼人を見つけられなくても失敗。何度考えても滅茶苦茶な話だ。
「……帰って来なかったら馬を連れてどこかへ消えたと思ってください」
「お前はこれからどこに連れていかれるか知っているのか?」
返事はない。首輪をはめられたそいつがあまりにも大人しくて、ひょっとしたら人語を理解できるんじゃないかと尋ねたのだが、希望は潰えた。
それでも、時折星に照らされて見える漆黒の眼に、自分の未来を知ったうえで全てを諦めたような超動物的な何かを感じた。
比較的町に近いとはいえやはり夜は静かだ。山羊が鳴くわけでもない。どこに向かって歩いているのかも定かじゃない。景色がガラッと変わるわけでもない。ほとんど変化のない一時間半は長すぎた。
「さて、このあたりかな」
体感的におそらく一時間半。エルミナードの町が真西にかろうじて見える。テトリスの凸ブロックをさらに小さくしたような形だ。
三百六十度見回してもそれらしき人影はない。夜が明けるまでとはいってもまだまだ時間がある。座っていても見つかるだろうと腰を下ろそうとしたとき、遠くで何かが蠢いているのに気づいた。少しずつ大きくなってくる。
ローブを着た男だった。そのままこっちに向かってくる。
「お前か?」
低い声だった。
「はい」
ローブを目深に被ってはいたが、露出した顔と拳から、多少なりとも筋肉があるのをうかがえた。
「これだ。ありがとう」
男は山羊の背中をポンと叩き、乱暴に撫でる。くすぐったいのか、山羊は目を細めた。
「これを何に使うんですか?」
「特別に教えてやろう。こいつの眼をよーく見てみな」
「イヤイヤイヤいいです」
思わず後ずさる。なんとなく見ていた眼にやはり何かあったのか。
「まあ、世の中には知らなくてもいいこともある」
腰から吊り下げた巾着袋を俺に向かって投げた。意外に重い。
「百クラウンだ」
「ひゃ、!?……」
モブキャラみたいな驚き方をしてしまった。
「好きに使え」
ローブから覗けた顔は、思ったよりもフレンドリーな笑いだった。
俺はというと、モブキャラのように一礼してその場から去り、エルミナードの宿屋に泊まることにした。
起きた頃には昼過ぎだった。小鳥が鳴いてるなんて時間じゃない。睡眠時間は同じでも午後まで寝てしまったときの虚無感ってなんなんだろうね。
小綺麗な机の上に置かれた巾着袋は自重で形が崩れている。確かめてはいなかったが、本当に百クラウンもあるのだろうか。
体勢は変えずに巾着袋を取り寄せ、中を覗く。金色の貨幣が所せましと詰まっている。一、二、三……ざっと三十枚の三倍はある。
二十クラウンって話じゃなかったのか。百クラウンなんてまともな仕事じゃすぐに稼げるわけがない。かといって今更依頼人を見つけ出して返金するなんてことも不可能だ。得体の知れない罪悪感が湧いて出てきた。
俺は思考と巾着袋を放り投げ、再び白いベッドに体を沈めた。
それからというもの、俺は宿屋からの外出を極力控えていた。残り五日間泊まってもまだ金が余るという生来のニート気質が発現したのか、悪に手を染めてしまったからなのかは定かではないが、もう町に出る気はなかった。出ることがあってもそれは夜で、引きずり出したいなら天照大神にC4爆弾を持たせてから来い。そんな気力で十日目まで引きこもった。
そして十日目、ファドールの町の外れ――
そこには、既に魔力車はなかった。地面には確かに刺してあった跡が残っている。誰とも出くわさないように、人の少ない早朝に合わせて来たのに既にアナスタシアは回収を終えていたようだ。
「残念ながら失敗よ」
頭の上から声が聞こえた。
「五日目の時点で何者かによって抜き取られていたわ。魔力車に気付いた者がいたようね」
「そうなのか」
五日目と言えば、俺が犯罪の片棒を担いでしまったあの日か。まさか、俺が寝ていた五日間、ずっとアナスタシアは探し回っていたのだろうか?
彼女の顔を見ても、何らくもりはなかった。俺が読み取れないだけなのかもしれないが。
「すまん」
だがそれ以外には考えられなかった。じゃなければ残り五日間、他に何をしていたんだ。
だだっ広い草原に、風が吹いた。
「行きましょう」
アナスタシアは何事もなかったかのように歩き始めた。




