クリスタル
デコボコだった街道も町に着く頃にはすっかり整備されていた。ガタガタだった石畳一つないし、奇妙な歩き方をする人間だっていない。むしろ気品を感じさせるような輩までいる。肩にかかるセミロングの黒髪に紺色のツバ広ハットを被り、紫の重苦しいコットをものともせず優雅に歩く人種。さっきまでいた町じゃ見かけないようなのがチラホラいる。
今民家から出てきた飴色のローブを着ている男もそうだ。アナスタシアもローブを身に着けていたし、魔法使いなんじゃないかって予感しているんだがどうだろう。まあ、無意味に警戒する必要もないのだが。
通りの先に噴水らしきものが見える。目のよくなった俺にはわかる。あの噴水は休憩するには最適だ。牛のような台座の口部分から出ている水は緩やかで、縁までは十分距離があり、濡れる恐れもない。縁の高さも膝ほどで、座るのにはちょうどいい。そして汚れもほとんどない。誰も座ろうとしないその様子に、宝の持ち腐れという言葉が思い浮かんだ。
今すぐに使ってもいいのだが、別段そこまで疲れているわけでもない。そんなことより、目的の家を探さなければ。確か青い屋根の家で、すぐ見つかるはずなんだが。
あった。体操ごなしに凝り固まった首を回していると、すぐに見つかった。ローブの男が出てきた隣の家だ。
両手の鳥カゴを地面に置き、扉をノックすると間もなく青年の家主が扉を開けてくれた。
「どちら様です?」
「頼まれて鳥カゴを持って来ました」
鳥カゴを両手で持ち、差し出すといぶかしげだった青年の顔が輝いた。
「おお、ありがとう! ファドールから持ってきてくれたんだね?」
「え? ファ、ファドール?」
「ファドールだよ。ここから南にある町さ。」
さっきまでいた町のことか。ショッピングセンターみたいな名前だな。ちなみにこの町の名前はなんて言うんだ?
「ちなみにここはエルミナード。西のエルミナ鉱山から付けられた名前だ。僕も最近知ったんだけどね」
「へえ……」
「お金に困っているなら行ってみるといいんじゃないかな」
「いい儲け話があるんですか?」
「いや、知らない。思い付きで言っただけ」
……何となくそんな予感はしていた。
「さっき隣の家からローブの人が出てきましたよね」
「あの人は何なんだろうね。僕も知らないんだよ。さっきも言ったけどここに来てあまり長くないから。君は知ってる?」
「何となく知り合いに似てるなって」
「そっか。君の知り合いも変な人なんだね」
「も」と言うからには俺の学ランも含まれていそうだ。
「やっぱり変ですかね、この服」
「うん!」
細目の青年はにこやかに笑った。
思った以上に会話が弾んでしまった。そろそろ打ち切ってお金をもらわなければ。
「じゃあ鳥の代金もらえませんか?」
「ああ、いいよ」
ファドール、だったっけ。まあいいや。二匹目の鳥も渡し終えて町に戻ってくると事は起こっていた。
突然、エプロンドレスを着たガタイのいい女性が男をどついた。どつかれた男はバランスを崩しよろけるが、なんとか体勢を立て直し、女性に殴りかかろうとする。だが、それを後ろの男が後ろから羽交い絞めにし、必死にもがく形になってしまった。
今が好機と見たのか、元々ボコボコだった男の顔に容赦なく平手打ちを食らわせていく。パチッと小気味のいい音がこっちまで聞こえてくる。
助けた方がいいのだろうか、知り合いとして。男の方は俺には気づいていないようだ。
「あちゃー……」
隣で見ていた男が顔をゆがめて嘆息した。
「いったい何があったんです?」
「森で何かしてんだよ」
「またやってるのか」
続々と野次馬が集まって来た。
「森っていうのは?」
些細な質問のつもりだったのだが、男は舐め回すように俺を見てきた。
「あんた、あいつに付き合うのはやめた方いいよ」
「…………」
「この町の東に変な植物がうじゃうじゃ生えてる森があるだろ。あれは元々ローランド城の庭に植える予定だったんだが、余っちまってこの町に送られてきたんだ。それが予想外にでかくなって、今じゃ森みたいになってる。それだけならいいんだが、あの男が森で何かやってるらしい。気味がわりいよな」
「いっそ焼いちまうかって話すると血相変えて飛び出てくるんだぜ」
この町に来る前に通り過ぎた森のことだったのか。
俺は一旦、男に見つからないように来た道を引き返すことにした。
今日はもう会わない方がいいんじゃないか。会ったところで、絶対に気まずい雰囲気になってしまうだろう。それを上手く処理する自信はない。
ポケットの中の金貨を取り出し、数えてみると四クラウンしかない。いくら確認しても四クラウンだ。このままでは宿屋にすら泊まれない。
天使と悪魔どっちが勝ったのかもわからない速度でけりがつき、俺はカゴの置いてある小屋へ歩き出した。
通りを迂回するように小屋へやって来たつもりだったのだが、扉を開けると、中年男が立っていた。どうやら遅かったらしい。
中年男は俺に気付き、振り返る。
その顔は試合後のプロボクサーのようで、事情を知ってはいるものの流石に顔をしかめずにはいられなかった。咄嗟に目を逸らし、眉を元に戻す。
「見るんじゃねえ」
そうしてまた向き直ったところに、しゃがれた声がむなしく響く。俺には聞けなかった。どうしたんですかその顔? とか。
「持っていくんで」
それだけ言って部屋を出た。
…………。朝だ。カーテンの隙間から抑えきれない光が溢れている。一瞬、元の世界に戻って来たのかとも思ったが違う。ここはエルミナードの宿屋だ。久しぶりによく眠れたおかげで昨日の事もすぐに思い出せる。仕事を終えてファドールまで戻るのが面倒くさかった俺はそのまま町の宿を探すことにしたのだ。既に三時間歩いて精神的にも肉体的にも疲れていたし、中年男と鉢合わせするのも気まずい。
そうしたらなんと六クラウンで泊まれてしまったのだ。やはりファドールの五クラウン宿屋はぼったくりだったんじゃないだろうか。所持金に余裕ができれば泊まり比べするのもいいかもしれないな。
たった十日の猶予ではあり得ない妄想を学ランにしまい、部屋から出る。
階段を下りていると、ありがとうございましたという声が受付から聞こえてきた。どうやら俺に向けられたものではなかったらしい。もう一人の受付とぺちゃくちゃ喋っている。
俺がお得意様ではなかったせいなのか、階段を下り切っても何ら見向きもされない。
それなら今度から他所の宿屋を使わせてもらおう、と挨拶もせずに朝から薄暗い気持ちで扉を開けた。
「な……」
俺は目を疑った。昨日まで噴水があったはずの場所に、巨大な物体が立っていた。
噴水の台座の部分は取り除かれ、代わりに五メートルはあろうかという氷柱が鎮座していた。周りには四人のローブを着た男が立っていて、静かに見上げている。その男達を遠目に、大勢の野次馬たちが囲んでいる。
氷柱に近づいていくと、野次馬の中に、昨日会話した鳥カゴの青年を見つけた。
「何があったんですか?」
喧噪の中、背後から声をかけたにも関わらず青年は振り向いた。
「ああ、昨日の夜遅くに、エルミナ鉱山の方からあのローブを着た男たちが運んできたんだよ。何をしているのか聞いても答えてくれないし、噴水の上にあれを立ててからずっとあの調子なんだ。」
男達は何を考えているのか、氷柱を見つめたまま一向に動こうとしない。
「誰に聞いても知らないって言うし、近くへ行こうとしたら男達に『近づくな!』って怒鳴られるし、近寄るのはやめた方がいいよ」
細目の柔和だった青年の顔から微笑みは消え、不安一色だ。
直方体の氷柱を見上げると、中にクリスタルのような形のものがうっすらと赤熱しているのが見えた。




