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ファドール

 家々の窓から明かりが漏れている。もう陽は落ち切ってしまい、人通りはまばらだ。


 ちょうど店の前に立っていた看板を見つめる。何やら文字が書かれている。読めない。レム達と過ごしていた頃はこっちの世界の文字なんて使わなかったから気にしなかったのだが、どうやら話す事は出来ても文字を読み解くことは出来ないらしい。平仮名に似た簡素な字形。わずか三行しか書かれていない物を、右から読むのか左から読むのかすらわからない。まさか下から読むなんてことはなさそうだが。


「じゃあ」


 アナスタシアがそう言い残して去っていく。花を摘みに行ったのだろうか。まあ、ずっと男と二人だったし言い出しづらいよな。あるいはこれから自由行動だって意味なのかもしれない。この町でしばらく情報収集をするって言ってたし、しばらくゆっくりすることだろう。

 家並みの中に一人、また一人と消えていき明かりが灯り始める。町の住民でもないのに、心なしか急かされている気分になる。このままだと本格的な夜とご対面することになりそうだ。知らない地域で夜中に気を付けないといけないことはなんだろうね。コウモリか? 山賊か?


 いつまで経っても戻ってくる様子のないアナスタシアに痺れを切らしてしまった俺は一旦店の中に入ることにした。

 扉を開くと、何ヶ月ぶりかもわからない眩しい光が目に入ってきた。ランプから放出される柔らかな光が、味のある木材でできた壁や床に融和している。

 カウンターの向こう側に立っている店主らしき人物は俺を一瞥したかと思うと、また視線を下に戻した。

 他に客はいないようだ。もう閉店の時間なのかもしれない。

 しばらくの沈黙を破り、俺は聞いてみた。

「どこか泊まるとこはないですか?」

「五クラウンだよ」


 五クラウン?

 無愛想に返された言葉に俺は戸惑った。

 冷静に考えればクラウンというのは通貨なのだろうが、俺はそんなものを持っていない。もう少しアナスタシアを待つべきだっただろうか。


「冷やかしなら帰ってくれ」

 店主の声が聞こえなかったかのように店内を歩き回っていると、そう吐き捨てられた。無愛想にも頬杖をつき、顔を歪ませている。

「どうやったらそのクラウンってのは手にはいりますか?」

「……隣で聞いてこい」

 ドスの利いた声を左の壁に向けた。その先、おそらく隣の店らしい。

 雰囲気が気まずいままだが、仕方なく体を翻し、入って来た扉を開ける。

 通りにはざっと人が五人。歳老いた婆さんにせわしなく窓を拭く筋骨隆々の男。少しばかり彼らを観察しても金髪の美少女をにおわせるような人物はいない。でもあいつのことだから町の住人に化けている可能性もある。それなら付いていけばよかった。後の祭りだが、魔法を使えない人間になら何だってし放題じゃないか。やろうとすればタダで宿屋にも泊まれるだろうし、何だかんだで衣食住には困らないんだろうな。


 扉を開き、件の店に入ると、今度は気の抜けた声で店主が迎えてくれた。

「いらっしゃい」

 初老の店主は帽子を中途半端に被り、眼鏡越しにこちらをちらっと見たかと思うと、また視線を下に戻した。


 カウンターに何か書かれている。……ああ、読めないんだった。書かれている数字が十進数なのかなんて考えることも放棄して店主に視線で助けを求める。

…………。ここは放任主義の町なのか。

「もう夜だから仕事はないよ? 明日にしなよ」

 と思ったら口を開いてくれた。

「もしかしてここは仕事の仲介所ですか?」

「うん」

「一つもないんですか?」

「うん」


 俺の聞き方が悪かったのか、店主が人情味あふれる返事をしてくれない。困った。このままじゃ野宿決定だぞ。

「お金がなくて宿に泊まれないんですよ」

「ほぇ!?」

 口を大きく開けて謎の悲鳴を出した。……威嚇しているのだろうか、その顔のままずっとこちらを見ている。

 焦燥感から私事を抜け出ない理由を説明してしまったがこんなに驚かれるとは思わなかったよ。もしかして謎の合い言葉でも口に出してしまったか?


「兄ちゃん、泊まるところがないのか?」

 横から小太りの中年男が品定めするような顔で見てくる。殴られでもしたのか、目頭に青アザができている。

「そうなんですよ。このままじゃ野宿かもしれません。どこか泊まれそうなところ知ってますか?」

 男はニヤリと笑いを浮かべた。

「付いてきな」

 木目の床を軋ませながら中年男は歩き始めた。

 

「おおっと危ねえ……」

 仲介所から出るなり中年男は石につまづき、転びかけた。

「ったく、ローランドの奴ら、仕事するならもっとまじめにやりやがれ!」

 そう言い捨てて石畳から出っ張った石を蹴る。

「へへっ、すまねえ。じゃあ行こうか」

 外を出歩いている者はもう誰もいなかった。うっすらとだが、他にも石が出っ張っている箇所が見える。何とも歩きにくそうで、まるで図体のでかい怪物が通った跡だ。

「知ってるかもしれねえけどよ、ここもローランドの領地になってよ、それで石畳が敷かれちまったのさ。知ってた?」

「知りませんでした」

 人為的なものだったらしい。ローランドといえば確かこの辺り一帯を支配する国だ。兵士が常駐するほど裕福な町にも見えないし、道がガタガタなのは手抜き工事でもあったのだろう。

「宿代が無駄に高いのもそのせいだ。と言っても、金持ってるやつらはわざわざこんなとこに来ねえんだけどな。俺たちにとっちゃ何とも暮らしにくいこと」

 頭の後ろで手を組み、星を見上げる姿は何の邪気も感じられなかった。

「大変なんですね」

「おうよ。ところで兄ちゃん、あんたはどこから来たんだ? 金もないってことは食う物もないんだろ? あんたこそ大変だったな。ええ?」

 どことなく俺の不幸を楽しむかのようにヒッヒと上ずりながら笑っている。

「そうなんですよ。この辺りの草はどうも俺の口に合わないみたいで……」

「ハハッ!お前さん草を食べてたのか。そりゃいい!!」

 何がいいのか、口から吹き出しそうなくらいに喜んでいる。


「ここだ」

 未だに笑いの余韻を残しながら扉を開く。やはり中も真っ暗で、様子がわからない。

「入っていいですか?」

「おう、入れ。変な物はないから安心しろ」

 恐る恐る足を踏み入れてみる。八畳ほどだろうか、寝るには十分広い。窓からは藍色に月明かりが射し込んでいる。

「何もなくてすまんが、今日はここで泊まっていってくれ。よけりゃ仕事を明日紹介してやる。仲介所の塩っぱい仕事なんかよりよっぽど上等な仕事だ」

「いいんですか!?」

「おうおう。ただ、明日はしっかり働いてもらうぜ」

 男は鼻歌を歌いながら扉を閉めた。

 助かった。明日からはまともな寝床で寝られるかもしれない。

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