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本鈴が鳴った。教科書を開く音、椅子の動く音、全てがいつもと変わらない。
生徒はおろか教師でさえも、俺の前に座っている少女に何の疑問も抱いていない。まるでずっと前からいたかのように、授業が進んでいく。
金色のブロンドから甘い香りが漂って来る。
女の子って良い匂いするよな……。
「では次、姉堂君、読んでください」
「!? はいッ!」
いつの間にか俺まで回って来ていた。というか、俺の前のアナスタシアはいつ読んだんだ? 記憶がない。
「えーっと……」
「十五ページだよ」
井守が小声で教えてくれた。ありがとう、と俺も小声で返す。
音読を終え、席に座っても、目の前の転校生の存在を振り払うことが出来ない。どうやら俺はおかしくなってしまったらしい。
あるいは、この金色ブロンドが俺の後ろの席に転校してきてくれていたらまだマシだったかもしれない。追う者と追われる者、スナイパーだって神様だって、後ろに人を持ってこないのが相場だろう。それとも、そういう関係じゃないということか?
見惚れるような後姿で、蕩けるような香りのする謎の転校生。俺の頭からはUFOの考察なんてとっくに消えていた。
「それでは今日の授業はここまでです」
もう一限が終わってしまった。結局、UFOについて一ミリも考えられなかった。
アナスタシアは休み時間が始まると、そそくさと教室の外へ行ってしまう。それこそ教師よりも早いくらいに。
不思議なのは、それについて誰も突っ込まないこと。風が通り過ぎたかのような目で見るだけなのだ。
そして授業が始まる直前になって彼女は教室に戻ってくる。
というのが昼休みまでに得られた観察結果だ。
「なあ、アナスタシアさんは転校生なのか?」
「らしいぞ。っていうかお前も昨日のホームルームいただろうが」
いやいやいや……昨日は何事もなく終わったはずだぞ。
裾川が机をくっつけてきた。
「おい、その机って、アナスタシアさんのじゃないのか?」
「おう。使っていいか聞いてみたらお許しが出たんだ」
……少し意外だった。なんとなく、他人を拒絶しているものだとばかり思っていた。っていうかいつ聞いたんだよ。
裾川が弁当箱を取り出す。俺の弁当の二倍くらいはでかい。
「何か今日でかくないか?」
「シャトルランあるだろ。夕べ、そのことを親に話したら張り切って作りやがってよ」
「そう言えば今日の体育はシャトルランか」
生徒の自主性が求められるテストだ。この高校は進学校とは言ってもズバ抜けて頭のいい奴らが入ってくるわけじゃない。だから変に真面目な奴が多くて、体力が果てるまで走らないといけなくなるのではないだろうか。
それにしてもよく食うな裾川。普通に全部食ってしまいそうなペースだ。
「アナスタシアさんはどこへ行ったんだ?」
裾川の手が止まった。
「知らん。お前、もしかして興味あんのか?」
ちょっと唐突すぎたかもしれない。俺の中ではずっと気になっていたのだが。一人ぼっちで昼飯でも食っているのだろうか。
「いや、興味があるかないかって言われて、ないって言ったらそりゃ嘘になるが……」
「へえ……お前いいのかよ? 井守さんは?」
「だからそういうのじゃないって」
なかなか痛い所を突いてくれるじゃないか。
高校に入学してまだ一ヶ月。しかし、井守香住と俺はこのクラスで公認の仲になりかけている。周りが無駄に持てはやしているだけで、実際は付き合ってもいないのだが。
ふと気になって井守の方を見ると、仲良く友達と弁当を食べている。
一瞬だけ目が合った。
だが、教室の端から端だ。流石に聞こえているはずはない。
「わかった、この話は止めにしよう」
何とも海外ドラマのような台詞で片づけてしまった。それでも裾川の怒りは収まらないらしく、冷めた目でじっと見てくる。
やめてくれ、俺の弁当まで冷めてしまう。