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調教

 それから一時間は経っただろう。みっちり農作業をさせられた腰は少しでも動こうとすれば途端に悲鳴を上げる。筋肉痛と腰痛で宴を開いている最中だ。

 我ながら驚くべきことに、「用を足しに行く」と言って抜け出してきたのが約二十分前。四十分しか労働してないのに俺の体は木の下から動きたくないと言っている。全て体内時計で測った記録だが。

 まさか自分がここまで体力のない人間だとは思わなかった。シャトルランだって至って平均的な記録のはずだ。

 そもそも運動不足の高校生に農作業をやらせるなんて酷じゃないか。俺の頼りない体を見て即座に素質がないと見抜けなかったのだろうか。

「おい、何してんだ」

 悠長に一服していると、見つかってしまった。

「休んでないで動け、ホラ!」

「いや、無理だ。そもそもまともに寝てないんだぞ」

「…………」

 またどつかれるのかと思ったが、急に黙り込んでしまった。

「わかった、じゃあ今日はもういい。家に帰って休め」

「え?」

「こっちだ」

 そう言ってレムは村の方に向かって歩き出した。

……何だろうな、この不思議な罪悪感は。

 睡眠不足のせいにしてしまったが、1日中農作業をする体力がないこともいずれバレてしまうのだろう。

 子供の癖に俺よりも体力があるなんて卑怯じゃないか?許せん。

 村に帰ったら、また貶されるんだろうな……。


 別段そんなことはなかった。村に帰った俺達を、レムの母親らしき人物は笑顔で出迎えてくれた。

「お帰りなさい。今日はパーティーよ。ちょうど今呼びに行こうと思ってたの。さあ、二人とも上がって」

 何ともせわしなく招かれる。

 どうやら俺のことは既に聞いているようで、意に介さない様子だ。

 しかし、いくら余所者にも寛容だからって礼儀を失うのはまずいだろう。

「初めまして。姉堂マコトと言います。これからよろしくお願いします」

「あら、マコト君ね。聞いているわ。今日は君のために料理を作ってあるの。さあ上がって」

 壊れかけのブリキじみた体で何とか取り繕うと、愛らしい微笑みが帰ってきた。おさげの髪形に、左目の泣き黒子がなんともチャーミングだ。

 レムの家の中は、母と娘の2人が住むには十分広い。奥にキッチンがあり、窓から外の景色が見える。裏庭なのだろうか、緑が生い茂っている。

 家に帰って落ち着いたのだろう、早速レムが木製の座椅子に座って伸びをした。

「ただいまお母さん。本当はもっと頑張るつもりだったんだけど、こいつが途中でへたっちゃって」

「まあ……本当なの? 困ったわねえ。畑もできないとなると、何に使えるのかしら?」

「ハハハ……冗談はやめてくださいよ。その内慣れますって」

 視線が痛い。最悪の第一印象からのスタートだな。

 腰を労るべく、レムの隣に俺は座った。

「なあレム、お前のお母さんはなんて呼んだらいいんだ?」

「エリーって呼んであげて」

 エリーはテーブルの奥に立ち、俺たちに向かって両手を広げて見せた。

「ジャジャーン。これが今晩の食事でーす」

 落ち着きのある容姿から繰り出された天真爛漫な動作が、俺の脳天を直撃した。恐るべき破壊力だよ……。

「マコトのために頑張って作ったのよ」

 さらなる追撃が胸に深く突き刺さる。勘違いしてしまってもいいのだろうか?

 そんな謎の苦闘に十秒間を費やし、改めてテーブルの上を見渡すと、並べられているのは謎の肉、謎の野菜だった。

「村の男がわざわざお前のために狩ってきた獲物だぞ。さあ食え」

「あ、ああ」

 見たこともない物を食べるのは多少勇気がいるが、初日からいきなり豪勢だな。

 肉の表面に鳥肌の様な物がある。鳥に近い動物なのだろうか。スプーンやフォークは見当たらないので手でつまむ。

「……うまい。ちょっと辛めですね」

「うまいだろ? お母さんの料理なんだ。当然だよ」

「初めて食べたでしょ? 味付けはしてないわよ」

 確かな弾力がのどの奥に吸い込まれていく。ピリッと辛さが効いてくる。味付けなしでこの味とは……食べられるために生まれてきた動物なのか。

「さあレム、私たちも食べましょ」

 2人も同じように肉に手を付け始める。

……ふと気になったのだが、レムには父親はいないのだろうか。

 家も、テーブルも、母と娘の2人だけで使うには広すぎる。

「マコトもその内狩りに出かけないといけないんだぞ。ま、そんなヒョロッちい体じゃ無理だろうけど」

「悪かったな」

 父親がいないかなんて直接聞いていいんだろうか。もし死んでたら気まずいよな……。

 思考が巡り回ってるうちに、ドミノ倒しの様に巨大化して手が付けられなくなってしまった。

「なあ、レムの親父さんはどうしてるんだ?」

「お父さんはこの村にはいないよ。北の町が人手不足だからそっちに行ってる」

 俺は心の中でほっと胸を撫で下ろした。

「寂しくないのか?」

「んー……たまに帰ってくるから。本当は今日一緒だったらよかったな」

 呑気に謎の肉をほおばりながらレムはそう言った。


「ふー。食った食った」

 荒い木目の床に倒れ込むように寝そべる。ヒンヤリとした感触が気持ちいい。

 俺のために多めに料理を作ってくれたそうなのだが、俺が全く食えなかったせいで、エリーとレムがまだ食べ続けている。申し訳ない。

 まどろむ様な心地よさがやって来た。段々とまぶたが落ちていく……。

 と、その時、背中に急に重さを感じた。

「うっ……」

「こら、怠けるんじゃない。畑もできないなら一生懸命食うんだ」

 少しだけ眠りから引き戻された。どうやらレムが俺の背中の上に乗って足踏みしているらしい。

「よっと……」

 両足を乗せてバランスを取り始めた。残念だが、体重が軽いせいでマッサージ以外の何物にもならない。

「なあ、マコトがいた世界ではどうやって暮らしてたんだ? そんなに体力ないのに」

 ちょっと馬鹿にしすぎじゃないだろうか。俺だって好きで体力がないわけじゃない。

「子供は大人になって働けるようになるまでにモラトリアムがあるんだよ」

「何だモラトリアムって?」

 しゃくに触ったので理解できないであろう単語を使ってやった。

「おーい起きろー。モラトリアムだぞー

 本当に意味をわかって使っているのか、俺の肩を揺すりだした。

「…………」

 しばらく黙っていると、レムは諦めたのか食卓に戻ってしまった。

 そして俺はそのまま眠りに落ち、一日は終わってしまった。


「よし! 今日も畑仕事頑張るぞ」

 翌日、村の男達が狩りに行くのを見送ってから、畑にやって来た。

 俺が狩りに行くには、まだまだ体が貧弱だと判断されたらしい。二日目にして地獄の労働作業がルーチンワークとなることが予感される。

 たかが農作業とは言え、長期間続けていれば俺でもそれなりに筋力やら体力が付くんじゃないだろうか。むしろ、下手したら俺よりも力が強いレムが、なぜあの華奢な体型でいられるのか不思議だ。

 袋に詰められた種を取り出す。大きさ、形はクルミに近く、色は黒い。相変わらずグロテスクなしわだ。どうしてこんな形で世に出てしまったのか問いかけてやりたい。

「この種って何の花になるんだ?」

「それはさ、馬が食べる物なんだ。人間が食べてもおいしくないぞ。種を割ったら大切な力が逃げていくから気を付けてくれよ」

 なんともオカルトチックなことをさらっと言ってのけてくれる。と言うか、馬は死んでるから動かないんじゃないのか

「死んだ馬を操ってこの種を食べさせるんだ。そうすると操る精度が上がるらしいんだ。でも賞味期限が短いから、こうやって毎日種を蒔いておくんだ」

 思っていたよりも村人にとって大事な物だったらしい。

 やる意味があるのかわからないポーズを取り、土に種を埋める。一粒毎にこの動作をやらなければいけないらしい。

 レムは鼻歌を歌っている。

 俺もネクロマンサーに畏敬の念がないことはないのだが、はっきり言って時間の無駄だ。コツはレムが見てない間に二粒三粒まいておくこと。

「マコト、モラトリアムって何なんだ?」

 だるまさんが転んだの要領ですぐさまポーズを取る。

「そんなに知りたいのか。モラトリアムってのは簡単に言えば、畑をしなくてもいい代わりに、勉強をしなくちゃいけないんだ」

 というのも先進国での話だ。発展途上国ならレムみたいな子供はいくらでもいるし、こっちの世界でも、まともな国があるなら学業に勤しんでいる子供もいる可能性はある。

「勉強?」

 瞳孔が開いている。興味津々といった顔だ。泥沼にはまってしまったかもしれない。

「すまん。ちょっと用を足してくる」

 レムがここまで食いついてくるのは予想していなかった。別に質問されて困るわけでもないのだが、何となく抜け出してきてしまった。

 木陰で休んでいた虫を払い、腰を下ろす。

 レムも毎日の農作業に飽き飽きしていたのかもしれない。そりゃあ来る日も来る日も同じことをしていれば、他のことに興味が湧くのも仕方がない。でもな、勉強だって大変なんだぜ。教えたところで一生使うかもわからない。

 あまり無駄に考え事ばかりしてはいられない。そろそろ戻らなければ。

 腰を持ち上げ、立ち上がろうとしたその時、背中に激痛が走った。

「!!!!!!」

 昨日の腰痛がまだ残っていたようだ。

 立ち上がるのを諦め、再び地面に腰を落とす。

 痛みを我慢しながら農作業することはできる。だが、そうなると明日はさらに酷い腰痛で動けなくなるだろう。回復力には自信がない。

「困ったな……」

 このままだとまたレムに滅茶苦茶にけなされてしまう。不甲斐ない。

 俺なんかではなく、裾川が代わりにいれば遥かに役に立っただろう。完全なる人選ミスだ。

「何が困ったんだ? また休んでるのか?」

 顔を上げると、レムが立っていた。後を付けていたのか。

「すまん。ちょっと厳しいかもしれない」

「…………」

 しかめっ面で俺を見下ろしている。今にも雨が降りそうな天気の中、沈黙だけが続いた。

「わかった。無理に働かなくていいから、時々マコトの世界のこと教えてくれ」

「え?」

 てっきり怒鳴り散らすものだとばかり思っていたが、そんな様子もない。

 レムは何も見なかったかのようにそっぽを向いた。

「勉強するか?」

「いいのか?」

 即答に近い返事だった。

「ああ、そうだな。じゃあまずは日本語の平仮名から教えよう」

 レムははしゃぐ子犬のように目を輝かせている。

 近くに落ちていた木の枝に手を伸ばし、地面に「あ」と文字を書く。

「これが日本語の『あ』だ」

 ただそれだけのことに感動しているのだろう。口をぽっかりと開けたまま地面の文字を見つめている。

「何か意味はあるのか?」

「ないな」

 もっと意味のある文字を書くべきだった。「あ」の横に「の」の文字を書く。

「これは『の』だ。俺が持っている物とか、レムが持っている物、みたいな意味がある」

 レムが返事をしてくれない。どうやら意味をわかってないようだ。と言っても、俺も何から教えれば要領がいいのか全くわかっていないが。

 そうこうしている内に、一つ案を思いついた。

 俺に都合のいい言葉をレムに教えればいいのだ。

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