死霊の種
「……ふぅ……」
白く濁った湯の上に薄い煙が立ち込めている。
村からやや離れた場所にある温泉で、姉堂マコトは湯に身を浸からせていた。
「ちょうどいい湯加減だな」
煙の向こうには小高い山が見えている。眺めも良い。他所者にこんなに贅沢をさせていいのか、と我ながら思うほどだ。
世界一の温泉、村人が口を揃えて言った。世界中を見てきた移民しかいないのだろうから、そう簡単に突っ込むことはできない。
「あつっ!!!」
少女の声が聞こえた。
「!!!!!!」
やわな肢体が目に映り込んだ瞬間、俺は目を逸らしてしまった。
靄がかかっているとは言え、脳裏に、すらっとした肢体、主張を始めた胸、小ぶりな臀部が焼き付いてしまった。総合的に小さく綺麗にまとまったスタイルだ。
「何であっち向いてるんだ?」
だが、ネットで集めた知識が織りなした絶対の法衣は、現実でさえそう簡単に破ることはできない。
「お前には恥じらいがないのかよ」
「恥じらい?」
そっと振り返ってみると、少女は既に肩まで湯につけていた。
「村の皆ともよく一緒に入るぞ。毎日見てるから気にならないんだって。家族みたいなもんだ!」
「そういうものか……?」
俺を家族と認めるには早すぎる気がするが、少しこそばゆい。
「そうだ。あ、お前のことは何て呼べばいい?」
そう言えばこの村に来てまだ自己紹介が一つも起こっていなかった。
「俺は姉堂マコト。マコトって呼んでくれ」
クラスの奴にも姉堂と呼ばれているのに、なぜ下の名前で呼んでくれと言ったのか、自分自信わからなかった。でも、家族同然の人間に姉堂と呼ばれ続けるのもおかしいだろう。
「あたしはレムだ。レムさんって呼んでくれてもいいぞ」
自己紹介が終わったところで、話は途切れた。
その内、レムは泳ぎ始めた。
こっちの世界では泳いでいても誰にも怒られないのだろうか、とも思ったが、他に誰もいない時間だから泳げるのか。
「なあ、入浴してもいい時間って決まってるのか?」
「ん、決まってない。でも大体は、男は狩りから帰ってきたら入るし、女は男がいない時に入ってるよ」
なるほど。うかつに入ろうとしたら、ろくでもないことになりそうだ。村の男達と一緒に入るのが一番安全なんだろう。
気が付けば、レムはまた近くまで寄って来ていた。すっかり頭まで濡らしている。
「マコトは温泉好きなのか?」
「好きってわけじゃないけど、昨日入ってなかったから」
「そうか。あたしはもう上がるぞ」
レムは背中を向け、立ち上がらずに岸に向かって泳ぎ始めた。
「ふう……」
ようやく誰もいなくなって、落ち着くことができる。
俺はこの村でしばらくの間、住まわせてもらう代わりにタダ働きをしないといけないらしい。いつまでになるのかわからない。帰る手がかりすら掴めずにずっとこの世界をさまよい続けるのかもしれない。
そう考えると、急に元の世界が遠く思えてきた。
裾川や井守はどうしているだろうか。俺が突然いなくなっても、アナスタシアの時みたいに誰も気づいてくれなかったら寂しいよな。
部活動を作るなんてことも三センチメートルくらい考えていたな。裾川は野球部だから無理だとして、井守を誘って後は誰がいるだろう。五人集まらなければ同好会に格下げになるんだよな確か。
なんて妄想してみても、結局は全部後の祭りだ。
頼むから俺が帰って来た時に皆、よぼよぼの爺婆になっていたなんて浦島効果だけはやめてほしい。
思いを煮詰めて、立ち上がる。十分に体は温まった。
温泉から上がり、下着を身に着けようとすると、木の陰からレムが顔を出した。
「今日からそれを着て過ごせ。もうマコトは村の一員だ」
地面には古びた木籠が置いてある。その中には畳まれた布の服が一枚。
広げてみると、蜜柑色の質素な衣服だった。村人が着ていた物と同じだ。
手に取って羽織ると、以外にも体にフィットしていた。
「ぴったしだ」
「うーん。それ、男が着る服じゃないんだよな。さっきから思ってたけど弱そうだな」
はばからず言ってくれる。だが、言い返すのはやめておこう。確かに俺は村の男たちに比べると貧相だよ。でもな、流石にお前よりは体力があると思うぞ。
「じゃあ早速行くぞ」
「どこに?」
「働きに行くんだよ。さあ、付いてこい」
ずいぶんと強制的だ。年下の上司に働かされる前世を思い出してしまったよ。
急いで靴を履き、レムを追いかける。
子供のくせにやけに歩くのが早い。今更のように睡眠不足が体に鞭打ってくる。
「その服は、前に盗人が着てたんだ」
「はあ?」
気になって鼻を近づけてみると、わずかに汗臭さが残っている気がする。脱いでいいか?
「替えはないから我慢しろよ。洗うの忘れてたんだ」
途端にレムは早歩きになる。避けているらしい。人に渡しておいていい度胸だ。
「そいつが着てたのは半日だけな。道に迷って食料がないから、一晩だけ泊めてくれって言うんだ。もちろん村の皆は駄目って言ったんだけど、爺ちゃんはすぐに情にほだされるからよー。そいつが苦労話しだすと、泊めてやる!って言い出して聞かなくてさ。そんなんだから盗人が後を絶たないんだよ。いい加減分かってくれないかなあ」
「その盗人は結局どうなったんだ?」
「夜に馬を連れ出そうとしてるのが見つかって、村の男共にボコボコにされたよ」
レムはその時のことを思い出したのかケラケラ笑い出した。
「男をボコボコにしただけで済ませたのか?」
「え?そうだよ。いくらなんでも火山に投げ捨てるようなことはしないって」
純粋無垢な即答だった。
盗人だからと言ってむやみやたらに殺したりはしないということだろう。なんとなく安心した。
「火山っていうのは?」
「ああ、あれだよ」
レムが指さした方向には小高い山が見えた。温泉に浸かっていた時に見えた山だ。
「捕まった奴の中にも、この村で暮らしているのがいるんだけどな」
「そうなのか。そう言えば移民の村なんだっけ?」
「ああ、そうだよ。遊牧の村だったんだ、色んな奴がいるけど皆、エリシア様と世界を旅してた」
「そのエリシア様っていうのは偉い人なのか?
「うん。でもマコトはすぐには会えないだろうなあ。村の一員として認められてないから」
さっき俺のことを家族だって言ってたよな。あの程度じゃ足りないのか。認められるための試練みたいなものでもあるのだろうか。
「着いたぞ、畑だ。今日からここであたしと一緒に働くんだぞ」
温泉から5分程歩いただろうか。レムの言葉通り、目の前には俺の知っている「畑」と大して変わらないものが広がっている。
「今日は種を蒔いてくれ。丁寧に、大きくなりますようにって祈りながら蒔くんだぞ」
レムはポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
「ほい」
差し出されたそれは、おそらく種なのだろう。だが手に持つにはあまりに不気味すぎる。色は黒く、脳みそのようないびつなしわが刻まれている。
まさか、考えたくはないがこの種が育ってあの混沌生物「馬」が誕生するんじゃないだろうな。
「…………」
俺は種をつまんで額の前で掲げた。我ながらぎこちなさマックスな祈りだよ。ちょうど全校集会で周りを伺いながらのリモコンお辞儀みたいなもんだ。
「ちょっと待て。そんなんじゃ駄目だ。ちゃんと言葉に出して言わないと想いは伝わらない」
そうだろうな。俺もどちらかと言えば帰りたいって思ってたよ。




