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 結局、江崎は本当に説教で昼休みを半分近く潰してくれた。説教の内訳の大半は、現れるはずのない犯人をただ待つだけに使われてしまった。

 そこかしこから怨恨の声が聞こえてくる。江崎の心証はだだ下がりだ。

「あれ完全に俺らのこと疑ってんな」

 俺らというのがこのクラスのことを指しているのか知らんが。

「確かに長かったな」

 20分もの拘束で既に1日分の体力を使い切った虚弱な生徒も多いんじゃなかろうか。俺もあの中年体育教師にささやかな復讐でもしてやりたいところだが、絶対安全圏から攻撃する手段が思いつかない。

 そんなことを考えている場合ではなかった。アナスタシアは確かにいたのだ。

 裾川が弁当を開こうとしているのを尻目に、俺は教室の外へ歩き出す。

「おい、どこ行くんだよ」

 教室から出ると、階段の前に人だかりができていた。

「皆考えるのは同じってことか」

 いつの間にか裾川が付いて来ていた。

 野次馬の大群に近づくと、階段の上には立入禁止の看板が立ててあるのが見えた。

 中堅進学校である所以なのか、こんな看板があるだけで立ち入ろうとする輩は全くいない。

「おっす霧谷! どうなってんだこれ?」

 野次馬の内の一人が振り向いた。

「屋上の落書きを先生が消してる。消えないって滅茶苦茶キレてるぞ」

「はははは。落書きってどんなだ?」

「俺もまだ見てないんだ。でも消しゴム持ってたな。裾川、お前見てきてくれよ」

「いや無理だっつの。うちは江崎の説教が滅茶苦茶長くてよお……」

 落書きっていうのはおそらく地面に張り巡らされていた黒色の曲線のことだろう。あれならそう簡単に消えるような物ではないだろう。

……でも、ちょっと待て。何で俺はリスクを犯してまで屋上に行こうとしてるんだ? もうアナスタシアはいないのに。

「お前達、すぐ教室に戻りなさい。次の授業が始まりますよ」

 キーンコーンカーンコーン

 気が付けば昼休みが終わってしまった。野次馬が散り始める。

 教室に帰って来ると、教師は既に教壇に上がっていた。

「はい、では挨拶お願いします」

「起立、礼」

 五限目が始まった。挨拶が終わっても少しざわついている。皆ある程度は事件に興味があるらしい。

「えー、昨日の内に屋上に誰かが忍び込んだという話は聞いたと思いますが、先生方は皆、この学校に事件の犯人がいるとは思っていません。逆に、学校の関係者じゃない人の方が恐ろしいです。ナイフを持って暴れられても困りますよね。早く犯人見つかってほしいですね」

 そうだ、俺が犯人だと疑われても大して大事にはならない。シラを切り通せばいいだけだ。第一、本当の犯人はもういないんだ。でも、そこまでして俺が屋上に行く意味はあるのか? 屋上で何をするんだ?

 別に今すぐ考えるようなことではないのかもしれないが、心臓が落ち着いてくれない。

 見てくるだけなら何も授業中じゃなくとも、休み時間や放課後に行ける。じゃあ、仮に休み時間や放課後に行った場合のデメリットは何だ? 野次馬がいる可能性があること。それと、時間が経ちすぎても屋上が封鎖されてしまう。特別な用でもないと、屋上には行けなくなってしまう。

 そう考えると、屋上へ行くチャンスがあるのは今しかない。

「すみません。トイレいかせてください」

「え、授業始まったばかりですよ?」

「すいません、昼休みに行ってる時間がなかったので……」

「わかりました。行ってきてください」

 ぎこちなく席を立つ。少し脚が震えはじめている。

 あっけに取られているのか、トイレに行きたいと言い出す奴は他にいなかった。

 授業中の廊下は人気がなかった。俺の足音だけが響き、罪悪感がせめぎ始める。

 階段付近には誰もいなかった。踊り場には相変わらず立ち入り禁止の看板が立っている。果たして今行ってもいいのか……。

 上から扉の軋む音が鳴り、人が降りてくる。

「姉堂か。何をしているんだ?」

 江崎だった。階段にかけた足を急いで戻す。

「あ、いえ、昼休みにトイレに行く暇がなかったので今行こうとしていたんです」

「そうか。まあ姉堂なら変なことはしないだろう」

 どうやら怪しまれなくて済んだらしい。

「さっきは長くなってすまなかったな。皆にはこんなことして欲しくないって思ってどうしても長くなってしまったんだ」

 江崎は階段に腰を下ろす。

 まさか、まだ話を続けようと言うのだろうか。冗談じゃない。

 江崎が次の言葉を発する前に早足でその場を去り、トイレに入る。

「お、姉堂だ」

 トイレの中にも先客がいた。こいつは確か……。

「霧谷?」

「そうだよ。覚えていてくれたか。屋上に何があるのか気になって、トイレって言って抜け出してきてしまった。」

 俺以外にも同じことを考えている奴がいた。伊達に裾川の友達やっているわけじゃないようだ。

 ところで、小便器を前に男二人が見つめ合っているのはなかなかシュールに思える。

「なあ、お前は落書きしたのは誰だと思う?」

「いや、分からない」

「そうか」

 会話と呼ぶには寂しすぎるやりとりを交わし、霧谷はトイレから出て行った。

「ふう……」

 静寂に溜息が響き渡る。

 抜け出しては来たものの、江崎が見張っているようではどうすることもできない。六限目に賭けるべきだろうか。しかし、二時間連続でトイレに行くのも相当怪しまれるよな。

 トイレから出ると、やはり階段には誰もいなかった。

「全然消えねえよ畜生」

 江崎が階段を下りてくる。俺はすぐさまトイレの陰に隠れた。

 江崎は俺に気付かなかったようで、そのまま下の階に降りていく。

 やり過ごせた。今なら誰もいない。衝動的に飛び出し、階段を駆け上がる。

 踊り場から見上げると、屋上の扉は開いていた。

 行くなら今しかチャンスはない。でも、ここから先で見つかったら終わりだ。心臓がはち切れそうで耐えられなかった。

 それなのに、なぜか俺は足を踏み出し、階段を登っていた。

 あの時見た風景と同じものが見えてくる。黒い曲線、澄み渡った午後の空。

 黒い曲線は以前と変わらず、まがまがしさが残ったままだ。

 どうやら教師達は消せなかったらしい。消しゴムや雑巾が散乱している。江崎は屋上の見張りで、それ以外の教師はホームセンターに買い出しにでも行っているのだろう。

 明日か明後日には、タイルが削られるか塗り替えられるかされているかもしれない。

 必死になって屋上を歩き回る。

 だが、どれだけ目を血走らせて見渡しても、アナスタシアの残していったような物はない。

 ああ、どうやら俺は未知のパワーとやらに期待しすぎていたんだ。最近は特に非常識なことが起こりすぎていて勘違いしていたらしい。そんなものがあったとしても、アナスタシアのような非常識がいなければどうにもできない。凡人一人が必死にもがいたところで、常識は非常識に変わらないのだ。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。名残り惜しいが、教師たちが帰って来る前に屋上から出なければいけないのだ。

 これからどうすればいいだろう。おそらく屋上に入ることはもう二度とないだろう。アナスタシアの方からやってくるのを待つしかない。

 あるいは、部活動を立ち上げるか? 凡人でも何人か集まれば非常識を呼び出せるかもしれない。部員は俺と井守と、それから……

 急に地面が赤く光り出した。あの時と同じ、黒い曲線が赤色に染まり、紅の光が地面を染めていく。

 姉堂マコトは考える間もなく光に包まれ、そこから消え去ってしまった。

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