家族会議と初出勤。
街から少しだけ離れた郊外に俺の愛の巣がある。蛍が幼稚園に上がるときに思いきって建てた一戸建ての北欧住宅で、デザインも可愛いらしい。
しかし、今日は次の仕事の宛は出来たとはいえ、十年以上勤めた会社をリストラされた事実を愛しい妻に話さなければならないと思えば、マイホームが魔窟にみえる。
「よっ、よし!」
道路と庭を遮る煉瓦の壁に隠れて気合いをいれる。
先ずはいつも通りに挨拶をしてそれから……。
「あら? 一成さんお帰りなさい。今日は随分と早くお仕事が終わったんだね」
いっ、いつからそこにいたんだ美枝子!
脳内で予定していた行動シュミレーションが、美枝子の声を聞いた途端全て頭から吹き飛んだ。
「たっ、ただいま。美枝子、今日は蛍はいつ帰ってくるかわかるか?」
落ち着け、落ち着くんだ。俺が動揺してどうなる。
リビングのソファーに座り込むと香ばしい薫りを放つ珈琲の入れられたカップを受けとる。
「蛍なら高校のお友だちとお出掛けしてから帰るって言ってたからそろそろ帰ってくるはず 「たっだいまぁ~! お腹すいたぁ。ご飯なに?」」
美枝子の言葉を遮るように家のなかに入ってきた蛍はリビングの中に入るなり高校の制服を脱ぎ捨てた。
どうやら歩きながら脱いで来たのかブレザーの上着が無造作に俺の座るソファーに掛けられた。
「あれ、パパが居る。どうしたの? 具合でも悪くて帰ってきたの? それともサボり?」
冷蔵庫から牛乳のパックに直接口をつけて腰に手を置き煽る娘の姿のなんと男らしい事だろう。行儀が悪いからやめなさい……コップがあるだろうに。
「いや実はな……二人に報告しなければいけない事があるんだ……。すまないが、座ってくれないか?」
「えっ、どうしたの本当に。パパ変だよ?」
「パパが変なのは昔からよ。どうしたのあなた」
蛍と美枝子がソファーに座るのを確認するなり、俺はソファーから立ち上がると、二人の前に移動して土下座した。
「すまない……失業しました……」
「えっ!?ちょっとパパ、冗談でしょ?」
狼狽える蛍と異なりいまだに動かない妻の沈黙がグサグサと心に突き刺さる。
住宅ローンやら何やら背負ったままでの失業だ、二人の不安はよくわかる……、四十歳間近での失業は若かった頃よりも再就職の難易度が格段に上がる。
「なんでいきなり? 一成さん今までそんな話一度も無かったのに……」
「俺も今日初めて聞かされたよ……。」
俺では頼りないかも知れないが、明には出来れば廃業が決まるより早く相談して欲しかった。
「はぁ、分かったわ……もう失業してしまったんでしょう? なら悩んでも仕方がないわ。 どうしたら良いのか皆で考えましょう? 会社都合の失業ならすぐに保険も下りるわ。 色々大変だけどこんなときこそ皆で乗り越えなくちゃね。 私の収入もあるし、きっと大丈夫よ。 確かに年齢的に探すのは大変かも知れないけど一成さんは一生懸命だからきっとどこかで良い仕事が見付かるわ。さぁ。ご飯にしましょう?」
悲壮感漂う俺を引き上げるように、つとめて明るく振る舞う美枝子の気持ちが有り難い。話をまとめて立ち上がりかけた美枝子の腕を引っ張ってもう一度ソファーに座らせた。
「実はな、帰り道にバイトを決めてきた。 きちんとした次の仕事が決まるまでの間だけ雇ってもらえることになったんだ。 明日は色々とやらなければいけない手続きが有るから明後日から早速行ってこようと思ってる」
リアルな猫娘のコスプレ幼女とか、幽霊屋敷の話はこの際伏せておく。只でさえ今後の生活を一変しかねない重大な報告をしたばかりだ。これ以上家族の不安要素を増やさないためにも世の中知らない方が幸せな事もある。
「一成さんが決めたことなら妻としてできる限り協力するわ。ただ無理はしないでね?」
「あぁ、わかってる……」
「なら良いわ。さぁご飯にしましょう!蛍、準備手伝ってね?」
美枝子が言うと台所へと戻っていく。
「えぇー、私料理苦手ぇ」
「別に良いわよ。将来好きな人に手料理作ってあげないなら苦手なままでもお母さんはぜんぜんかまわないんだけどぉ」
「ふん!それで何を手伝えば良いわけ?」
「そうねぇ。お茶碗とお皿を運んでちょうだい?」
「それ料理じゃないじゃん!」
あんな報告を聞かされてなお、いつも通りに振る舞おうとする家族の団欒に癒されながら、今日あった幼女のことを思い出した。
どんな仕事が待っているか皆目検討もつかないが、今はこの家族の時間が守られた事実を噛み締めながら食べた鍋焼うどんは最高に旨かった。
***
「いってらっしゃい。はいお弁当」
今日は例の平屋のお屋敷への初出勤日だ。朝からピシッとスーツを着込み、美枝子に見送られながら家を出た。
御屋敷までは少しだけ距離があるため、今日から軽自動車で出勤することにした。そういえば給料について何も話し合っていなかった事を思い出した。
考えれば考えるほどどうしてあんな簡単に怪しい雇用契約書に署名してしまったんだろう。いくら自棄になっていたとしても今思えば不用意すぎる。
「犯罪に関わるような仕事ならすぐにでも逃げれば良いか……」
一昨日と同じように金属で細工の施された門をくぐり抜け、敷地内に入る。
良く見れば広い庭に背の高い雑草が生えていて鬱蒼としていた。これは草刈りもさせられるかもしれない。
玄関前に移動してノッカーを三度叩き、しばし応答を待つが返答がない。
「あれ、おかしいな、今日から出勤するようにって話だったとおもったんだが……」
ドアノブを回せば、ガチャリと音がなり扉が開いた。
「ごめんください! 本日からこちらでお世話になります。 沖田と申しますが、どなたかいらっしゃいませんでしょうか?」
室内に向かって声を掛けたがまるで反応がない。
「留守か? しかし鍵もかけないで出歩くなんて不用心だな……っつ!」
辺りを見渡して見付けた物に戦慄を覚える。門からは生い茂る雑草で気が付かなかったが、白い足の裏が雑草の根本からこちらに見える様に生えている。
「人の足!?」
急いで駆け寄り雑草を掻き分けると、見覚えのある幼女を見付けて直ぐ様雑草のない場所まで引っ張り出した。
「おい!大丈夫か!?」
反射的にガクガクと揺さぶってしまい、脳の病気の可能性を思い出した所で、ぐぅぅぅーと大きな音が響いた。
「は、腹へった……」
薄く紫色の瞳を開け、小さな手をこちらに伸ばした幼女は、言うなりパタリと力尽きたように伸ばした腕が地面に落ちる。
「はぁっ!?おいっ!いったいいつからここにいたんですか?おいっ!おーい!ってしょうがないな……」
まあ、さっき盛大に腹の虫を鳴らしてたし、喋ってたから救急車を喚ぶまででもないだろう。
「よっと、うん?米袋より軽いなぁ。ちゃんと食事してないんじゃないのか?」
背中と膝の裏に手を差し入れると、なんの抵抗もなくふわりと腕の中に収まった。
良くて小学校低学年、悪ければ幼稚園児に見える程に幼い少女の腰まである長いストレートの金髪頭を自分の胸元に来るように持ち直しバランスをとる。
良く見れば睫毛や眉毛も金色だった。子供の幼い顔でも美しい顔立ちは、成長すればさぞかし美女となりそうだ。
玄関から室内に移動すると、空気が薄くなったような錯覚を起こしたが、とりあえず幼女を玄関に一番近い対面キッチン付きリビングソファーに横たえる。
一昨日は面接で使った部屋だったのでソファーとテーブルがあるのは確認済みだ。
ゴソゴソと今朝美枝子に作ってもらった愛妻弁当を取り出して広げる。
まだ冷めきっていなかったのか、蓋を開けるなりフワリと美味しそうな薫りが辺りに広がる。
「うっ?食べ物……?」
匂いに気が付いた幼女に弁当を差し出す。
今日の弁当はハンバーグだ。
「はい、召し上がれ」
「ほっ、本当に良いのか?」
ごくりと生唾を飲み込んで弁当箱の中を凝視する幼女はまるで待てを貰った犬のようだった。
三毛の尻尾がパタパタとソファーを叩いている。
「特別ですよ?私の妻の傑作ですから。残さないでくださいね?」
渡してやるなり貪るような勢いで弁当箱の中身が口の中に消えていく。
「ふぐっ、いぁぁたぶかっかった!ひふがとおぼっつ、げほっ!」
食べながら話していたと思ったら急にむせ込み始めたので、持っていた麦茶入りの水筒を渡してやる。
「はぁ、助かった!貴殿には二度も命を救って頂いた」
「それはそうとなんであんなとこに転がっていたんです? 風邪引きますよ」
綺麗に間食して口許を拭う幼女にことの顛末を問いただすことにした。
「ふむ、沖田殿が来る前にせめて雑草だけでも何とかしようと思ったんじゃが、魔素酔いを起こして動けなくなったんじゃ。面目ない」
ん?マソ、ってなんだ。熱中症か?
「マソがなにか知りませんが、外で作業するときは帽子なり水分なり準備をしないと倒れますよ。」
「ふむ?魔素を知らないのか?」
「マソなんて初めて聞きましたがとりあえず休んでください。その様子なら少し休めば落ち着くと思います。庭はわたしがしておきますので」
幼女をソファーに横たえさせて、近くにあった布を引っぺがして幼女にかけた。
「そうでした。まだ名前を伺っておりませんでした」
「おう、そうじゃった!儂はタマ。タマ・ニャルダじゃ」
仰々しく名乗った名前に吹き出しかけて、タマの頭を軽く二回ほど叩くと背広を脱ぎネクタイを外して草取りをするべく外にでた。




