第二十六話 イルーシャンズスラム怪事件 中編
1週間後。
ヘンニーとダムドは、ハイリム王国国立魔法学院を訪れた。アルド・ウェイトリー教授の呼び出しに応じてである。
アルドの研究室へと通された2人は、壁を覆うほどの書物類や怪しげな道具の数々に居心地の悪さを感じていたのだったが、見知った剣士が入室すると小さく安堵のため息を吐いた。
エセルと言う名のこの剣士とは冒険者として知り合う事になったのだが、一種独特の雰囲気を身にまとっていた事から自分たちの追手なのではないかと勘違いした程だった。
見た目に反して実直な仕事ぶりに驚かされたヘンニーとダムドだったが、エセルが魔法学院に通う貴族の護衛騎士であると知って納得した。その伝で、貴族の護衛任務に着く事が出来たのも幸運だった。これは、後で悔やむ事になった。
「揃っておるな。それでは始めるとしよう」
最後に入って来たウェイトリー教授が、今回の呼び出しについて説明を始めた。
1つは、魔法学院内において重大な事件が起こっている事。それに、エセルの護衛する貴族の少年アルバートが巻き込まれており、一刻も早く救出する必要がある事。
もう1つは、ヘンニーとダムドが持ち込んだ水晶が今回の件に重大な意味を持っている事などを話した。
ヘンニーとダムドはお互いの顔を見合わせて動揺したが、それは知らぬ間にエセルを敵に回したのかと思ったからだった。
「あの水晶は、スラムの奥で拾った物だがよ……」
ヘンニーとダムドが水晶を拾った経緯をアルドとエセルに話すと、今度はウェイトリー教授とエセルが困惑した表情になった。
「あの水晶は、お前さんたちが倒したと言う死霊を封じていた壺の鍵だったんじゃよ」
1ヶ月ほど前、自由都市グレイヒルズの博物館から魔導器が1つ盗み出された。盗み出されたのは『イグナーツの壺』と呼ばれる物で、中には“処刑騎士イグナーツ・フューゲル”とその仲間の騎士たちの魂が封じ込められているとされる物だった。
壺についてはあくまでも伝説であったが、伝え聞く壺の形状と何かしらの死霊魔術が施されているのは事実だったし、強力な封印である事からおいそれと解く訳にもいかず現在まで確証の無いままだったらしい。
他の者たちが否定的だったのに対し、ウェイトリー教授は少し前に耳にしたイルーシャンズ・スラムでの奇妙な死体の発見と持ち込まれた割れた水晶、回収した空の壺の形状とエセルの報告から今回の事件を結びつけた。
「……恐らく、変死体は壺の封印を解く生け贄にされたのじゃろう。オリバーなる盗賊1人では、壺の封印は解けたとしても魔法学院の守りを破って塔に高度な魔術的罠を仕掛けるなぞ畑違いにも程がある。
協力者がいると考えるのが妥当じゃが、目的が何であれ詳細はオリバー本人から話を聞かねばならん。お前たち3人はオリバーを探すのじゃ!」
ウェイトリー教授は「用心のためじゃ!」と言って、3人の背中に特殊なインクで呪いの印を書き込んだ。ヘンニーとダムドは何も考えずに受け入れたのだったが、エセルは少し抵抗があったらしく表情が曇っていた。
一方、ハイリアの街では異変が起こっていた。イルーシャン川に野良犬等の小動物の死骸が多数流れてるのが目撃される様になったのである。
ハイリアの地下には下水道が通っており、それはハイリアの街と同じくらいに広くて複雑だった。
この下水道は新世界歴以前の魔法文明時代の遺物であるのだが、長い年月による劣化は見られるものの魔導器による浄化機能は失われておらず、魔法学院の管理の元、現在でも利用されている。
お陰で、ハイリアを横切るイルーシャン川の水はいつも清らかであり、綺麗な水にしか棲まない魚も見る事が出来た。
とは言え、異物混入を完全に防げる訳はなく、小動物の死骸が流れるなど日常茶飯事であり数が多かった事を除いては特別に珍しい事ではなかったせいか人々の関心は低かった。
流れて来る死骸が全て干からびていた事から尚更だった。
ところが、それから間もなくイルーシャン川を大ネズミの死骸が流れる様になると不安は一気に街を包んでいった。
体長1メートルを超え、洞窟や遺跡に棲む大ネズミはここハイリアの下水道にも多く存在する。
街中に現れる事はほとんど無かったが、時折、どこかから溢れる様に現れる事があり、その都度、新米冒険者たちの貴重な収入源となった。
退治された大ネズミの死体は放置せずに持ち帰って処理するのが決まりで、その数で報酬額が決定される他、毛皮や牙は金に変えられる事から捨て置く冒険者はいなかった。また、例え放置したとしても、退治を免れた別の大ネズミや這い虫共によって適切に処理されてしまうために死体が残る事はあまり無かった。
にも関わらず、ほとんどミイラ化した、日増しに増える大ネズミの死体が川を流れる様は異常としか言い様がなかった。
冒険者の出入りする酒場の壁には『下水道調査』なる珍しい依頼が貼り出される事が多くなった。
大ネズミの大量死に伴う下水道内の調査なのだが、冒険者たちの反応は冷やかだった。
依頼主が『ハイリム王国騎士団』とあるのだが、実際には衛兵団である事が原因だった。
衛兵団はハイリム王国騎士団所属の団体であるのだが、一部の隊長職を除きほとんどが元冒険者や一般市民からの志願兵だった。その為、個人の士気の差が顕著だった。
下水道の管理は、浄化設備などの魔導的機能こそ魔法学院が担っているものの、いくつかある入口の管理は治安維持の観点から衛兵団が担っていた。
門番や街中の警ら時には士気の高い彼らも、下水道の見回りには士気が下がるらしく、本来なら何重にもある扉を1つずつ確認する必要があるのだが、入口付近の、たった1つの扉を軽く揺すって閉まっているかどうかを確認するのが関の山であり、ともすれば、足で乱雑に蹴るだけで帰ってしまう者さえいた。
また、報酬の低さも問題だった。
同じ下水道へ行くにしても大ネズミ退治の場合、基本報酬が低かったとしても大ネズミの素材利益が期待出来た。
ところが、この依頼においては下水道の調査がメインであると言う建前の元、せっかく狩り集めた大ネズミの素材は全て衛兵団に没収されてしまうありさまだった。
結果、いくら名誉を謳っても人は集まらず、たまにやって来るのは勇者志望の駆け出しか、大ネズミ退治が無くなって食い扶持の減った冒険者だけだった。
それから間もなく、大ネズミの死骸がイルーシャン川を流れる事は無くなった。代わりに、下水道調査へ向かった冒険者たちの中で行方不明者が出始めた。
冒険者の仕事は自己責任であり、参加していた者たちのほとんどが駆け出しか訳ありだった事もあって、衛兵が冒険者の捜索に向かう事は無かったし、自力で帰って来た者が半狂乱で何事かを叫んだとしても取り合う者などいなかった。また、大ネズミの死骸が流れなくなった事で詳しい事情を知らない住民たちの不安は取り除かれた様だった。
当然、経緯を知る者にとっては何も解決してはいないし、むしろ悪化しているとさえ言えるのだったが、金にならない事に動こうとする冒険者はいなかった。それよりも、未知の脅威に自ら挑もうなど無謀とさえ思っていた。
そんなある日、ハイリアの商業地区に住むランツ老人は早朝から日課の釣りをするためにイルーシャン川を訪れ、川面に浮かぶ人影を見つけて逃げ帰った。
発見されたのは瀕死の老人で、川から引き上げられた時、左腕は黒く変色しており意識はもうろうとしている状態だった。衛兵の声にもほとんど反応せず、切れ切れに「黒……い少女が……来る」とだけ呟いて事切れてしまった。
使い込まれた革鎧に短剣と言う軽装備に身を包んだ、およそ老人らしからぬ格好の男が“回収屋ワット”と呼ばれる盗賊だと判明したのは特徴的な蛇の刺青のお陰だった。
回収屋ワットは、主に洞窟や遺跡に潜った冒険者たちの“遺品”を持ち帰る事を生業にしているのだったが、回収した遺品が遺族の元に戻った事は1度も無かった。
ここ数日は下水道に潜っていたらしく、ほとんど傷の無い、あるいは使った形跡すら見つからない剣や鎧などを持ち帰っていたらしい。
30代半ばのワットは発見された時にはどう見ても高齢の老人にしか見えなかったし、顔色はどす黒く変色していた。小者だがそれなりに腕の立つ盗賊が変死した事、死ぬ間際に呟いた奇妙な言葉が生還したルーキーたちの物と一致したせいで、街の者はもちろんベテランの冒険者たちも笑ってはいられなくなった。
「黒い少女とは?」
「下水道には何かが潜んでいるのではないか!?」
そんな噂が囁き出されると突然、上級貴族の息のかかった冒険者や私兵たちによる下水道調査が行われる事になった。
当然、不審に思う者もいたのだが上級貴族の決定に声を上げられる者などいなかった。
更には、生きて帰ったルーキー達が相次いで急死したり行方不明になった事で人前で囁く事すらはばかられる様になった。
同じ頃、イルーシャンズ・スラムを訪れたヘンニーとダムド、エセルの3人は真っ先に盗賊ギルドへとやって来た。理由は、オリバーの足取りを追うためである。
ギルドでは用心棒やギルド員たちがエセルに敵意剥き出しの視線を向けていたのだったが、エセルは一睨みでそれらを黙らせた。
「オリバーはまだ、見つかってないぜ? それとも、何か判ったのかい?」
カウンター越しのロブが、笑顔で3人に声をかけて来た。顔はいつも通りに思えたが、明らかにエセルを警戒しているのが窺えた。
「こいつは“エセル”だ。か弱い俺たちだけだと、この辺りは何かと物騒だからな。
それより、オリバーのアジトはどこだい?」
おどけるヘンニーとダムドとは対照的に厳しい表情を崩さないエセルが、ロブの目には暗殺者にしか思えなかったらしい。元々、隠すつもりはなかったのだがすんなりとオリバーのアジトを話した。
オリバーのアジトはイルーシャン川に近い位置にあって、スラムの中でも比較的、陽の光の入る場所の様だった。
しかし、実際にヘンニーたちが訪れると住民たちはひどく怯えていた。オリバーのアジトから、恐ろしい呻き声が聞こえると言うのである。
オリバーのアジトは、アジトと言うにはずいぶんと見窄らしい馬小屋の様な造りだった。入口では盗賊ギルドのギルド員たちが3人に声をかけて来たがヘンニーとダムドの顔を見ると何かを察した様に道を譲った。
元は整頓されていただろう部屋の中は、盗賊ギルドの手によって酷く荒らされていた。
大体の物は持ち出されていて、残されていたのは着古した服や役に立ちそうもない紙クズだけだった。
詳しい探索をダムドに任せたヘンニーとエセルは、外に立つ見張りのギルド員から話を聞く事に回った。
「目ぼしい物は、みんなギルドに持って行っちまったよ。俺たちはいつ帰って来るかも分からねえ奴を待ってるのさ。夜番じゃなくて本当に良かったぜ!」
住民と同じく、ギルド員たちも呻き声を聞いているらしい。それだけではなく、ギルド員の中にも行方不明者が数名出ているのだと言う。そのせいか、見張りのギルド員たちは少しでも物音がすると周辺を気にする様にキョロキョロと見回していた。そんなものだから、ダムドが2人を呼ぶために大声を張り上げると飛び上がって怯えていた。
部屋の中を探索していたダムドは、ギルド員による乱雑な仕事ぶりに苛立っていた。
壊された棚、破られたカーペット。とりわけ、紙の類いが丸めて捨てられている様は呆れてため息を吐くほどだった。
捨て置かれた紙のほとんどは、もちろん紛れもなく単なる紙クズに他ならなかったのだが、その中から破られた肖像画を見つけ出した。
髪の長い美しい少女を描いた肖像画は、不思議と見ているだけで吸い込まれる様な感覚に陥った。慌てて目を離すと、今度は言うに言われぬ不安が押し寄せて来る様な気がして身震いした。
絵を見て不安になるなどおよそ自分の経験に無かったダムドは、思わず大声を上げて外の2人を呼んだ。
呼ばれたヘンニーとエセルも、絵を見せられるとダムドと同じ様な感覚を訴えた。
「……“ルーナ”と読むのか?」
肖像画の隅にあった文字は上から炭の様な物で黒く塗り潰されていたのだったが、文字は角度をつける事で辛うじて読み取る事が出来た。ヘンニーがそれを読み上げると、いくつかの文字が滲み出る様に浮かび上がった。
「……何だこりゃ??」
驚きに声を上げたヘンニーだったが、浮かび上がった文字を読む事が出来ずに押し黙った。それは、エセルも同じだった。
「盗賊が使う暗号文字に良く似てるが、入れ替えられてるな。……ああと、“我が 愛しの娘 ルーナ に 捧ぐ”?」
浮かび上がった文字をダムドが読み上げた瞬間、3人は身体から力が抜けて行く感覚に襲われた。それが“魔力”だと気づいた3人は、ほとんど同時に足元へと視線を落とした。
3人の足元から抵抗が消えて行った。最初は黒い泥の中に足を突っ込んだ様な状態に。その直後、黒い泥は瞬く間に3人の身体を駆け登った。
3人の内の誰かが何事か声を上げたが、それは音にはならずに3人と共に吸い込まれる様に消えた。慌てたギルド員たちがアジトに飛び込んだ時には、引っ掻き回されたオリバーのアジトとくしゃくしゃに丸まった紙があるだけだった。




