借金を踏み倒すために狂言自殺した自称起業家の彼氏。「あっそ」と見捨てて法的手続きに入ったら、私を正当評価してくれるハイスペ上司に溺愛され始めました
「起業するから」と150万円を貸した途端、ハイブランドのアクセサリーを買ってきた彼氏。
問い詰めると、あろうことか赤ペンと整腸剤で『狂言自殺』を図り、返済から逃れようとして……。
「あ、もう無理。完全に冷めたわ」
経理部で培った几帳面さを武器に、すべての証拠を揃えて容赦なく法的手続きを開始!
自称・若手起業家の彼氏はSNSで大炎上し、サロン除名&実家からも勘当されてどん底へ。
一方、元彼から「つまらない事務職」と見下されていた私を、「君の誠実さが価値だ」と高く評価してくれたのは、社内でも有名なエリート法務マネージャーで――?
「あーあ、まだ出ねえのかよ。マジで最悪。二回目の天井だぞ」
悠真がスマートフォンの画面から目を離さずに吐き捨てた。
「あのさ」
私、篠原美咲は、冷めた紅茶の入ったマグカップをテーブルに置いた。
「ゲームもいいけどさ。今日が何の日か、忘れたわけじゃないよね」
悠真の指先がピタリと止まった。
「……何の日だっけ。俺、今メンタル最悪なわけ。少しは空気読めよ」
「百五十万円の返済期日」
私が短く告げると、悠真はあからさまに舌打ちをした。
「だーかーら、起業家には波があんの。今はたまたま下振れしてるだけだって」
「三ヶ月前、事業のシステム投資でどうしても必要だって言ったよね。三ヶ月後には倍にして返すからって、土下座までして」
「その投資がまだ回収できてないだけだって言ってんだろ!」
悠真が声を荒げた。
その首元で、大きなシルバーのネックレスがジャラリと鳴った。
私が百五十万円を振り込んだ翌日。
彼はその足でハイブランドの店舗へ向かった。
そして、この無骨なアクセサリーを買ってきたのだ。
私が問い詰めると、彼は悪びれずに言い放った。
『舐められないための自己投資だよ』
『お前みたいな事務職には、ブランディングの重要性なんてわかんねーよ』
『俺の才能に投資したんだから、黙って見てろ』
私が毎日お弁当を作り、節約して貯めた結婚資金だった。
それが、ただの銀色の塊に化けた。
それだけじゃない。彼は「起業家」の肩書きを使い、SNSで「うま確フード」と呼ばれる、若者向けのバズりカフェに通い詰めている。
デカドリンクの写真をアップしては、取り巻きからちやほやされる日々だ。
カフェの代金は、私にせびり続けている。
「そのネックレス、売って現金化してよ。今日中に少しでも返して」
「ほんっと、お前って金のことばっかだな!」
悠真は乱暴に立ち上がった。
ローテーブルを蹴り飛ばす。
「俺のプレッシャーも知らないで、追い詰めて楽しいかよ! お前みたいに地味で面白みのない女、俺以外誰も構ってくれないだろ!」
悠真は洗面所へ向かった。
ガサゴソと音を立てる。
戻ってきた彼の手には、赤いインクのペンと市販の整腸剤の瓶があった。
「そんなに金が欲しいなら、もう死んでやるよ!」
悠真は手首にペンの赤いインクを擦りつけた。
血に見立てているつもりらしい。
「これで満足かよ! 俺の命はお前が奪ったんだからな!」
さらに整腸剤の瓶を開けた。
三錠を取り出す。
大げさな身振りで飲み込む。
「致死量飲んでやった! もう終わりだ!! 全部お前のせいだからな!!!」
私は無言で、その茶番を見つめていた。
胸の奥が、すっと冷えた。
自分のバッグを手に、玄関に向かって歩き出す。
「おい! どこ行くんだよ! 俺が死にかけてるのに!」
背後から響く叫び声を無視した。
ドアを開ける。
もう、十分に待った。
未練はない。
* * *
マンションを出て、近くのカフェに入った。
スマートフォンを取り出し、親友の明日香にLIMEを送る。
【LIME】美咲 ↔ 明日香
美咲:また死ぬ死ぬ詐欺やってる
明日香:でたw 今回は何したの?
美咲:手首に赤ペン塗った
美咲:あと整腸剤を三錠飲んだ
明日香:整腸剤3錠www
明日香:致死量少なすぎでしょwww
明日香:お腹の調子良くなるだけじゃんwww
明日香の容赦ないツッコミに、私は少しだけ口角を上げた。
美咲:150万は当分返ってきそうにない
美咲:もう限界
美咲:完全に冷めた
明日香:やっと目覚めたかー。遅いよ!
明日香:さっさと回収して縁切りな
美咲:うん。法的手続きに入る
私はスマートフォンを伏せ、ノートパソコンを開く。
これまでの記録を整理し始める。
借用書代わりの念書データ。『貸主:篠原美咲』の文字が、今となっては虚しい。
振込明細のスクリーンショット。
悠真のSNSの投稿画像。
すべての証拠を、一つのフォルダにまとめた。
* * *
翌日。
オフィスは、期末の慌ただしさに包まれていた。
私は経理部で、各部署から上がってくる経費精算のチェックを黙々とこなしていた。
「篠原さん、少し時間いいかな」
声をかけられ、顔を上げる。
法務部のマネージャー、藤堂さんだった。
三十代前半。
高身長。
仕立てのいいネイビーのスーツ。
彼は社内でも若きエースとして知られている。
冷静な判断力と、誰に対してもフラットな態度。
経理の仕事を通じて、私は彼を深く尊敬していた。
「はい、藤堂マネージャー。契約書のリーガルチェックに不備がありましたか?」
「いや、逆だよ。篠原さんの仕事の正確さに助けられている」
藤堂さんは私のデスクの傍らに立ち、穏やかな声で言った。
「先週の大型案件の契約書、君が早期にリスクを指摘してくれたおかげで、未然にトラブルを防げたんだ」
「経理としての通常業務です」
「その『通常』をブレずにやり遂げられるのが、篠原さんの価値だよ」
藤堂さんのまっすぐな視線に、少しだけ戸惑う。
今まで、私の真面目さを正面から評価してくれる人はいなかった。
悠真はいつも、私の几帳面さを「つまらない」「融通が利かない」と鼻で笑っていたから。
「篠原さん、少し疲れているようだけど」
藤堂さんの目が、私の手元にある分厚い資料の束に止まった。
お昼休みに作成していた、内容証明郵便のドラフトだ。
隠そうとしたが、遅かった。
「……個人的なお金のトラブル、かな」
藤堂さんの声のトーンが少し下がった。
気遣うような、優しい響きだった。
「はい。少し、身辺整理をしていまして」
私は迷った末に、事情を手短に話した。
百五十万円を貸したこと。
狂言自殺で返済から逃れようとしていること。
藤堂さんは黙って話を聞いていた。
一切の感情を交えず、事実だけを抽出するように頷く。
「篠原さんの誠実さを逆手に取るような真似は、許せないな」
藤堂さんは静かにそう言った。
「僕の大学時代の友人で、債権回収に強い弁護士がいる。紹介しようか? 篠原さんが作った記録があるなら、すぐに動けるはずだ」
「えっ、でも」
「個人的にも、君の力になりたいんだ」
藤堂さんがふっと微笑んだ。
凝り固まっていた肩の力が、抜けていくのを感じた。
* * *
三日後。
私は藤堂さんから紹介された弁護士事務所を訪れた。
用意した証拠は完璧で、弁護士の先生は即座に法的手続きを開始した。
内容証明郵便の発送。
悠真の自宅と、彼の実家の両方へ。
百五十万円の返還。
遅延損害金の請求。
同時に、私は悠真が所属している『若手起業家オンラインサロン』の代表宛てにメールを送った。
彼が借金を踏み倒そうとしている事実。
狂言自殺のメッセージのスクリーンショット。
すべてを客観的な証拠と共に通報した。
信用が第一の界隈だ。
結果は目に見えていた。
【LIME】美咲 ↔ 明日香
明日香:ちょっと、あんたの元カレ大炎上してるんだけどw
明日香からLIMEが届いた。
美咲:炎上?
明日香:サロンのメンバーにSNSで晒されてる
明日香:「女から金借りてアクセ買ってる詐欺師」だって
明日香:しかも実家から勘当されたっぽい
明日香:親から「二度と敷居を跨ぐな」って言われたんだってさ
内容証明が実家に届いたのだろう。
彼の両親は厳格な公務員だ。
息子の借金と狂言自殺を知れば、激怒するのは当然だった。
私のスマートフォンには、悠真からの着信履歴が何十件も残っていた。
『どういうことだよ!』
『サロン除名されたんだけど!』
『親父から勘当された!マジでヤバい!』
私はすべて無視した。
彼がSNSで自慢していた「起業家の日常」は、そこにはなかった。
* * *
それから一週間が経った。
会社から帰ると、私のアパートの前に、薄汚れた人影が立っていた。
悠真だった。
ボサボサの髪。
ヨレヨレのシャツ。
自慢だったハイブランドのシルバーアクセサリーは、首元になかった。
質屋にでも入れたのだろう。
「美咲!」
私に気づいた悠真が、駆け寄ってきた。
私は無言で一歩下がる。
「悪かった、俺が全部悪かったから!」
悠真は必死の形相で叫んだ。
「家賃も滞納してて、もう追い出されそうなんだ! 親からも見捨てられた!! サロンの連中も誰も電話に出てくれない!!!」
私は何も答えなかった。
ただ、冷たい目で彼を見下ろした。
「美咲がいなくなって初めて、お前の偉大さが分かったんだ!」
悠真が地面に両手をついて、私を見上げる。
「お前がいないと、俺、本当に生きていけないんだよ! やり直そう! な? な!?」
涙と鼻水を流す。
すがりつこうと手を伸ばしてくる。
私はその手を、持っていた傘の先端で冷たく払いのけた。
「最初から無理だってことは、分かってたのよ」
悠真が息を呑んだ。
「あなたみたいに言い訳ばかりの男が、起業なんてできるわけないって。中身はただの、寄生虫なんだから」
私が彼自身の言葉をそのまま返すと、悠真の顔が絶望に歪んだ。
「ち、違うんだ、あれは強がりで……!」
「未払い分は一括でよろしく」
私は悠真の言葉を遮った。
「無理なら、給与と口座を差し押さえるから。日雇いでも何でもして、全額返してね」
私はバッグからスマートフォンを取り出した。
悠真のLIMEのトーク画面を開く。
ブロックし、削除ボタンを押した。
「じゃあね」
背を向ける。
「待ってくれ! 美咲! 頼む、見捨てないでくれ!」
背後で哀れな叫び声が響く。
私は一度も振り返らなかった。
夜の冷気が、火照った頬に心地いい。
足取りは、羽が生えたように軽かった。
* * *
明日香からの情報によれば、悠真はマンションを追い出されたらしい。
今は日雇いのアルバイトを掛け持ちしている。
弁護士からの督促から逃れることはできず、細々とだが返済は続いているそうだ。
彼の現状を聞いても、私の心には何の感情も湧かなかった。
もう、何の関係のない人の話だ。
「お疲れ様。新しいプロジェクトの進行、完璧だったよ」
ホテルの最上階にあるレストラン。
向かいの席に座る藤堂さんが、グラスを傾けながら微笑んだ。
私は先月から、会社の新規事業のリーダーに抜擢されていた。
藤堂さんの強い推薦があったと聞いている。
給与も待遇も、以前とは比べ物にならないほど良くなった。
「ありがとうございます。藤堂さんの的確なサポートのおかげです」
「篠原さんの実力だよ。僕はきっかけを作っただけだ」
藤堂さんは優しく目を細めた。
仕立ての良いスーツ。
落ち着いた物腰。
私を一人のプロフェッショナルとして対等に扱ってくれる態度。
「あの厄介事も、綺麗に片付いたみたいだね」
「はい。藤堂さんにご紹介いただいた弁護士の先生には、本当にお世話になりました」
私が頭を下げると、藤堂さんは少しだけ身を乗り出した。
「篠原さんのそういう、どんな時でも冷静で芯が強いところ」
藤堂さんの真剣な視線が、私を真っ直ぐに捕らえた。
「ずっと、惹かれていたんだ」
胸の奥が、温かいもので満たされていく。
「これからは、公私ともに、君を支えさせてくれないか……美咲さん」
窓の外には、都市の眩い夜景が広がっている。
私はグラスをそっとテーブルに置いた。
「喜んで」
奪われるだけの時間は、もう終わった。
これからは、私自身の価値を認めてくれる人と一緒に、新しい人生を歩いていこう。
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