最後に頭に浮かんだのは……。
それは、最近面接を受けた会社の一つ(しかも、まず断られると思っていたところ)のまさかの採用を知らせる電話で、私は最初、喜ぶよりも呆然としてしまった。
月曜日から来社するように言われて、必要事項を確認して電話を切った後、ようやく就職先が決まった実感が湧いてきた。
いつまでも過去の事を引き摺って、今日のように、良二くん達に迷惑をかけていてはダメだ。
自分は自分でちゃんと、新しい道を歩いて、いつか落ち着いた時に、今日の日の事をきちんと謝ろう。
気持ちを切り替えて、精一杯仕事を頑張って行こう。
そう思っていたのだけど……。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
「瀬川さん、久々の業務疲れたでしょう。ホラ、飲んで飲んで?今日は君の歓迎会なんだから」
「は、はい……」
週終わり、金曜日の夜――。
高級な雰囲気の居酒屋の個室で、上司の疋田実広報部長(35)に勧められ、私は酒を飲んでいた。
今週月曜日から採用された食品会社YASUIの広報部で働き出した。
同僚は全員男性社員の中で、気を張りながら、仕事を覚えようと奮闘して、確かに疲れはしていたし、広報部長の疋田実さんに週の終わりに歓迎会を開いてもらえると聞いて有難さも感じていたけれど、目の前の状況に私は困惑していた。
何故か他の社員は全員予定があり、歓迎会は私と広報部長だけで行う事になったのだ。
「まぁ、皆忙しいから、しょうがないね。歓迎会二人だけになっちゃったね」
疋田広報部長は、笑顔でそう言った。
いや、そういう場合は、皆の予定の合う別日にしたらいいんでは……。と思いながら、入ったばかりで文句も言えず、ここに来てしまったわけだけど……。
「瀬川さん、あの白鳥慶一と別れて2年でしょ?誰かいい人いないの?」
「い、いえ。そんな人はいません」
「そうなんだぁ……。でも、ルックスがいいとはいえ、君、もう32でしょ?親から結婚しろとか言われないの?」
「……。いえ、親とはそんなに頻繁に連絡をとっていないので……」
「えーっ! バツイチ独り身の上、実家と疎遠とか、将来の事不安に思ったりしないの?」
「しょ、将来に不安があるからこそ、今は仕事一筋で頑張っていきたいと思います!」
嫌なニヤニヤ笑いを浮かべた疋田広報部長にズケズケとプライベートに突っ込んでくる質問をされ、何度も怒りと屈辱が込み上げた。
職場ではいい上司に見えた広報部長がこんな人だったなんて……と幻滅しながらも、私はそれを顔に出さないように応対していたけれど……。
「ハハッ。仕事一筋かぁ……。面白い事言うね」
疋田広報部長は最後の私の返答を小馬鹿にするように笑い出した。
「大した資格も技能も持っていないのに、君が採用された理由教えてやる。俺が特別に口添えしてやったんだよ! 少しぐらい見返りをくれてもいいだろ?な?」
「な、何するんですか!」
疋田広報部長に強引に肩を抱かれ、キスをされそうになり、私は必死に抵抗して顔を背けた。
疋田広報部長は、私を凶悪な形相で睨んで来た。
「新入社員のくせに、上司に恥をかかせんのか?」
「い、今のは、セクハラです! 会社に言いますよ?」
立ち上がり、震え声で叫ぶと、疋田広報部長は下卑た笑みを浮かべた。
「ハッ。これを見てもそんな事言えるか?」
「え?」
疋田が、スマホの画面をこちらに向けて来た。
「……!!!||||||||」
そこには、上半身裸の女性の後ろ姿の画像が映っていて、それをみた瞬間血の気が引いた。
女性の耳のピアスに見覚えがあった。
こ、これ…も、もしかして、私!?
「ハハッ。以前、白鳥くんと仕事で一緒になる機会があってね。仕事を取る代わりに、君の画像や動画をもらったんだ」
「う、嘘っ!!」
「嘘だと思うなら、白鳥くんとお前があられもなく絡む動画を再生してやろうか?これ、広報部の皆見てるんだぜ?」
「……!!!!|||||||| そ、そんな……」
「どの道、一夫多妻制で……しかも、あんな鬼畜夫の妻だったお前が世間からまともな女だと思われるわけないだろ?
俺の愛人になるなら、仕事も優遇してやるし、これ以上は画像や動画も広めないでやる。
だから、大人しく言う事を聞けっ」
「あっ……!やっ!!イヤーーッ!!」
バンッ!!
「いてぇっ!!」
疋田に無理矢理抱きすくめられ、私は近くにあったカバンで彼を殴りつけ、やっとのことで奴の手から逃れた。
そのまま走って、店を出て行く私の背中に向かって鼻血を出した疋田が叫んでいた。
「このクソ女! 覚えてろ!! 画像と動画、拡散して二度と表を歩けねーようにしてやるぞ?」
「はぁっ……。はぁっ……」
私は、駅まで全力疾走で走り、女子トイレに飛び込んで、ガンガンする頭を抱え込んだ。
疋田の言葉が響いていた。
『ハハッ。以前、白鳥くんと仕事で一緒になる機会があってね。仕事を取る代わりに、君の画像や動画をもらったんだ』
嘘っ……。嘘だっ……。何かの間違いだ。慶一だって、いくらなんでも、そこまでっ……。
でも、さくらちゃんを良二くんを奪おうと画策した時には、私を不倫相手として良二くんにけしかけようとしていた。
鞄の中にボイスレコーダーも仕掛けていた。
もしかして、気づかぬ内に盗撮もっ……?!
『嘘だと思うなら、白鳥くんとお前があられもなく絡む動画を再生してやろうか?これ、広報部の皆見てるんだぜ?』
「う、うぐうっ……。うええっ……」
酸っぱいものが込み上げ、私は洗面所で嘔吐した。
『どの道、一夫多妻制で……しかも、あんな鬼畜夫の妻だったお前が世間からまともな女だと思われるわけないだろ?』
絶望を噛み締めながら、私は悟った。
もう、私がまともに生きていける場所など、この世界のどこにもないのだと……。
もう、疲れてしまった……。絶望するのも、束の間の希望を抱くのも。
自宅に帰り着いた私は、もう、ただ、楽になりたい一心で、風呂場で手首を切った。
意識を失う直前に頭に浮かんだのは、高校時代の彼との思い出……。彼の笑顔……。
『私は特にイケメンでも運動部エースでもなくても、優しい石藤良二が、大好きなんだからね?』
『……! ///あ、ありがとう香織。でも、そんな俺でも、これからは、香織の事精一杯守るから……』
『……!!う、うん……。///期待してる。今日みたいにずっと私の事、守ってね?』
夕焼け空の下、家まで二人、固く手を繋いで帰った。
ああ、あの時は幸せだったな……。
そう思いながらゆっくりと目を閉じた。




