『さとり様、感情バグってます!』 第4話「この命令、効かない」 (地獄道|戦闘施設)
戦場に情はいらない。 命令、制御、統率。以上。 感情なんて、視界のノイズにしかならない。
ここは非記録区画に隣接する第八戦闘訓練領域。 任務は対機動兵装訓練の中隊統率。 私は指揮官。制御済み。完璧のはずだった。
「第三区、突撃ライン維持。第七分隊は左右カバー。感情干渉値、抑えてください」
通信は明瞭。部隊は正確に動く。私の指令に、誤差はない。
なのに、なぜか。
耳障りな“何か”が混じった。
『風が走る。心が揺れる。だから、僕らは止まれない』
(今の……誰の声? 詩? いや、訓練中に詩は……あり得ない)
端末がざらついた音を吐き出す。ログには“感情共鳴波、異常増幅”の表示。 士気が上がりすぎて制御ラインが歪んでいる。
(抑制命令、発したよね? なんで士気の方向が逆流してるの?)
戦場で詩を叫ぶ。そんな無謀、誰が──
振り返ると、制式ヘルムを雑に被った新人兵が、満面の笑みを浮かべていた。 破綻した装備。無駄に跳ねる髪。妙に通る声。
「あなた、どこから入隊したんですか」
その言葉が口から漏れるまで、わずかに間があった。
「詩、響いてた? よかったー、さっき思いついたやつなんだ」
(いや、よくない。むしろ最悪。なにこの人、戦場だよ?)
「えっと、君が……隊長さん?」 私を見るなり、笑いながら手を振ってきた。 そして、ふっと目を細めて、こう言った。
「なんか、顔、硬くない? そんな戦場、寂しいじゃん」
その瞬間。私の中の指令ラインが、カチリと音を立てた。
(……バグ? いえ、違う。たぶん、これは──)
「詩的発言は訓練規定違反です。即時中止。再発の場合、制御措置を執行します」
私は明確に命令を発した。 それでも、目の前の新人兵──イツキは、まったく動じなかった。
「うーん……命令かあ。じゃあ、逆に聞くけど」
「……はい?」
「感情って、上官の許可がないと出しちゃダメなの?」
(いや、それ、どういう質問?)
彼の言葉に、周囲の兵がざわつく。 端末には“士気上昇、同調反応”と警告が表示された。 完全に“共鳴”が始まっている。
「あなたの発言は制御阻害です。再度行った場合、干渉波遮断措置を──」
「じゃあ、その前にひとつだけ」
彼は笑ったまま、声を張った。まるで訓練地の空気を切り裂くように。
『泣いていいんだ。 笑っていいんだ。 命令なんて、気持ちの足かせにならなくていい。』
その瞬間。周囲の空気が変わった。 兵士たちの足が止まり、呼吸の音だけが響く。
(いまの、詩──。音波じゃない。……心に、響いた?)
心拍数が増加している。体温もわずかに上昇。 だが、なによりおかしいのは、わたし自身が──
(……命令を、止めた)
本来なら、すぐに遮断信号を発するべきだった。 それなのに、ほんの一拍、ためらった。
「なんで……わたし、躊躇したの」
声が小さく漏れた。 イツキはそれを聞いたのか、聞かないふりをしたのか。 けれど、その目は、まっすぐにこちらを見ていた。
警報が鳴る。予想外の挟撃ルート。想定外ではない、だが――。
「全中隊、即時防御展開! 第三区、後方へ退避!」
号令は即時反映される。兵士たちは一斉に散開し、構えを整える。
ただ一人を除いて。
「おい、イツキ! お前は配置に──」
「うるさい、あとで叱られてもいいから!」
彼は制止を振り切り、私の正面に滑り込んだ。 次の瞬間、爆音。飛び散る土煙。私は地面に倒れ込んでいた。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
煙の中で、誰かが私を覆っていた。
「だいじょぶ?」 息を切らしながら、イツキが笑っていた。 その腕が、私の肩に軽く回っている。
「なにしてるの……訓練中の庇護行動は命令違反です」 言いかけた声が、震えていた。
(なんで、こんなに近い。なんで、あの時……)
「……この戦場さ」 イツキがぽつりと呟く。
「お前の涙が似合わないって思ったんだ。だから、守りたかった」
わたしは、返す言葉を探した。
(涙……? 私が……?)
でも、言葉は出なかった。胸の奥が、きゅう、と締めつけられて。 代わりに、視界がじんわりと滲み始めた。
煙のせい、風向きのせい、熱と汗と……。
(違う、これ、私が……)
端末のログが不安定になる。“感情制御波、応答低下”の表示。 心拍は制御不能ラインぎりぎりで跳ねている。
だけど。 それでも。 私は、その手を振り払えなかった。
演習は無事終了と記録された。損害なし。制御値安定。戦術評価は合格水準。
完璧な戦闘だった。数値上は。
けれど、私の記録端末は──何も記録していなかった。
(……あのときの心拍。感情変動。全部、ノイズ処理?)
風が吹いていた。戦場の煙はほぼ晴れかけている。 その中に立つイツキの背が、不自然に静かだった。
「さっきのは、ただの反射神経ね。個人的行動。評価に値しない」 そう言いかけた声が、わずかにかすれる。
(なにこの喉の引っかかり。粉塵? 咽頭炎?)
違う。
彼の言葉が、残っている。
──“お前の涙が似合わない”
なんでそんなこと言うの。 わたしは、泣いてなんか──
「……ちがう。泣いてない」
声に出すと、胸の奥がひどく締めつけられた。 こみあげるものをごくりと飲み込む。
「これ、熱。煙。水分バランスの問題であって、感情じゃ──」
でも、頬の上に流れたものだけは、ごまかせなかった。
汗ではない。涙腺刺激反応としても、想定範囲を超えている。
誰も見ていないと思っていた。
けれど、イツキはいた。
「……泣いてるじゃん。ほら、似合ってるよ」
その一言に、わたしの全システムが沈黙した。
ああ、もう、バカ。 そんなの、言わなくていいのに。
(涙って、こんなに……熱いんだ)
(第4話|終)