『さとり様、感情バグってます!』 第1話「ツンデレ委員長は、恋なんてしない!」 (畜生道|学園ラブコメ編)
「さとり様」――それは、感情を捨てた者への称号。 静かで、完璧で、誰にも心を乱されない存在。
「感情なんて、いらないと思ってた。」
午前六時。 無音の部屋に、機械音声がやさしく割り込んでくる。
『本日も平穏な心で一日を始めましょう。感情制御モード、起動します』
身体が微かに重くなる。瞼の裏がわずかに霞むのは、抑制波の副作用。 でも、それが心地よいとさえ思うようになった。
私は、静寂学苑の風紀委員長。 感情の制御は日常であり、誇りだった。
朝の登校路。すれ違う生徒たちは目も合わせない。 談笑する声がない代わりに、制服の擦れる音と靴音だけが通りを満たす。
(この静けさが、秩序。感情なんて、いらない)
校門に立ち、胸ポケットの検知端末を確認。 今日も“逸脱者”の記録がはじまる。
手をつないで登校していたカップル。 廊下で叫んでいた男子。 そして、教室の窓辺で、空に向かって詩を口ずさんでいた女子生徒。
「詩的発言は、記録対象です」
静かに声をかけながら、彼女のIDを登録する。 (……何を見ていたんだろう。空に向かって、何を)
そのときだった。
「やあ、委員長。君がアマネさん?」
聞き慣れない声が背後から飛び込んできた。 振り返ると、制服のリボンを逆に付けた男子生徒――転校生。 彼は、笑っていた。感情が、顔に出ていた。
「うわ、目合った。好きかも」
(は?)
ぴっ、と端末が反応する。心拍数、上昇。 未登録感情の反応、表示:『興奮?』
(いや、いやいや、落ち着け。これは一時的なエラー)
「そのような発言は、規則に反します。抑制波の範囲で感情を管理してください」
「へえ、そうなんだ。じゃあ申請しよっかな、恋愛感情ってやつ」
(なんでそんな真顔で言えるの、バカなの?)
タカト――その名前をHRで聞いたとき、私はさらに動揺した。 隣の席。それが彼の定位置だった。
「はい、います! アマネさんの隣です!」
(いちいち強調するな!)
授業中、彼は普通にノートを取り、普通に先生の話を聞く。 ただ時々、ページの隅に小さな詩のようなものを書いている。
「言葉って、風景を閉じ込められるから好きなんだ」
「私語は禁止です」
(……でも、ちょっと、分かる気がしてしまった。やだ)
昼休み、購買で手に入れたらしいコロッケパンを差し出してくる。
「委員長もどう? サクサクで美味しいよ。たぶん、アマネさんの心みたいなやつ」
「意味不明です」
(なにそれ、どんな心よ。……バカ)
中庭を通り抜けると、グラウンドでボールを追いかける彼の姿が見える。 笑って、転んで、立ち上がって。 (……なんで、そんなふうに動けるの)
下校時。 階段で端末を取り出そうとして、バランスを崩す。
「危ない!」
彼が腕を引いて、支えてくれた。 その距離、約30cm。
(ちょ、ちょっと近い! 顔、近いってば……)
彼は照れるでもなく、さっと離れた。 ポケットから落ちた小さなメモ帳。 思わず拾って、開いてしまった。
『君の瞳に、今日という風が立ち止まる』
(……なんなの、この詩。意味わかんない。でも……きれいだった)
その夜、端末がまた通知を鳴らす。 『未登録感情:「ときめき」らしき反応を検出しました』
(ちがう。ちがうってば……)
翌朝。
「アマネさん、また明日ね」
彼は笑って、軽く手を振った。
(……名前、呼ばれただけで。このざわめきは、なに)
「……バカ、うるさい。明日も来なさいよ」
(第1話|終)