さとり様は今日も平常運転 (語り手:アマネ)
午前五時〇三分、予定通りに目覚める。
昨夜の就寝予定は〇時〇分。実際の入眠時間は+二分。
誤差としては、許容範囲内。
私は、問題なく“わたし”だった。
部屋に漂う光は、中央塔の管理照度。
淡いグレーと薄金の中間色。
KANONの言うところの「集中に適した非感情色」だ。
……だが、私は密かにこの照明が嫌いだ。
「KANON、今朝の照度を2.1ポイントだけ上げて。0.2秒後に。」
「了解しました。理由の記録は?」
「不要。個人的嗜好。」
KANONが小さく処理音を鳴らし、照度がわずかに跳ねた。
ほんの一瞬、影の角度が変わる。
私は、誰にも見られていないことを確認して──小さく笑った。
「さとり」には、こういう遊びも必要だ。
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洗面。水温、適温。顔の緊張感、標準。
表情チェック、完了。
「おはよう、今日の私。」
鏡に映る自分は、いつも通りだった。
目元も口元も、乱れなし。心拍も平常。
ただ、頬のあたりにほんの僅かな熱感がある気がして、私はKANONに尋ねた。
「今朝、何か異常感知波形の件数、増えてる?」
「本日午前四時台、観測数7件。平常範囲です。」
ふうん。
私はタオルで顔を拭きながら、“平常範囲”という言葉が一番危ういことを知っている。
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朝食。栄養素は最適設計。見た目は…白い。非常に、白い。
咀嚼しながら、私は思った。
「この食感、記録されてないけど、“もちもち”って言葉で合ってる?」
KANONは0.2秒黙った。
「“もちもち”は旧感性語に分類されます。適応変換候補としては“弾性食感”です。」
「……弾性、かあ。なんか美味しくなさそうね。」
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そのあと私は、逸脱波形の報告に目を通し、
午前八時に管理室へ向かう。
すべての数値は完璧。
でも私は、ほんのすこしだけ照度を調整し、
ほんのすこしだけ鏡に向かって微笑む。
KANONが気づいていないようで、
本当は全部、知っているんじゃないかと思いながら。
今日も、私は“さとり様”を演じる。
平常運転でいることが、
一番、異常なのかもしれないと思いながら。
⸻
(完)
さとり様シリーズとしてまとめました。
本篇のスピン・オフ的な感覚で作りました。
「感情バグってます」もここにまとめます。