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【神ノ槍】  作者: 黒崎蓮【原作:みなぎゆう】
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【第八話】疑似能力者

 目を開けると丸い窓から差し込んだ日の光が眩しかった。

 いつの間にか寝てしまっていたらしい。かけた覚えの無い毛布がかけられていた。くるりと寝返りを打つと微かにエルウィンの匂いがした気がした。昨日は確か、エルウィンの寝顔を見ていて、それから……そのままエルウィンが寝ていたベッドで寝てしまったのだろうか。


「……」


 それを意識した途端になぜか心臓がいつもより速く鳴り始めた。顔も火照ったような熱くなり始める。そんな身体を落ち着けるように、ゆっくりと起き上がる。


「あれ、エルウィンはどこに行ったんだろ……」


 自分の中で大きくなっていく恥ずかしさを紛らわすために、私はわざと声に出して呟いてベッドからのそのそと降りる。

 ふとテーブルを見ると、紙の切れ端が置いてあることに気が付いた。どうやら置き書きのようだった。


 ‘先に研究所で待ってるよ!’


 エルウィンたちは先に起きて、ルールポルカの研究所に向かったようだった。

目をこすりながら部屋を出ると、太陽は高く昇っていて、少し湿った暖かい風がそよいでいた。

 船はルールポルカの港に着いたらしい。人の賑やかな声が聞こえてきた。


「で? で? エルはもうグンちゃんには告っちゃったの?」

「それは……言わなきゃダメかな?」

「だ―め! グンちゃんが寝てる今なら……あ」


 船から外に出て、人混みの中を分けて進む。もう手を繋がなくても、一人でこの波の中を歩くことができた。

 その中で聞き覚えのある声の方に行くと、エルウィンとプリルが何やら話していた。仲の良さそうに話しているところから、いつの間にか打ち解けあっているようだった。楽しそうな様子だったけれど、残念ながらこれだけ多くの人が集まってそれぞれ話している中で、内容まで聞き取るのは難しかった。


「おはよう!」


 私は努めて明るく挨拶をする。と言っても、今日はなぜか無理をしなくても明るい気持ちでいられた。


「グ、グンちゃんおはよー!よく眠れた?」

「うん、すっかり寝過ごしちゃったみたいだけどね」


 小さな手を大げさに振って言ったプリルに笑顔で答えて、それから横にいたエルウィンに視線を移す。


「おはようグングニル。……なんだか、少し見ない間に変わった気がするんだけど、気のせいかな?」


 エルウィンと会わなかったのは一日だけだけど、私もその間にいろいろと考えたり、悩んだりした。それが私を、エルウィンに違った風に映したのかもしれない。自分でも少しだけ心が入れ替わったように感じるし、気のせいではないのかもしれない。


「そう、かな? でもエルウィンもなんだか頼もしくなったみたい」


 逆に、いつもの笑顔を向けてくれたエルウィンにも、どこか一回り成長したような安心感があった。私と同じように、いろいろあったのだと思う。ヴァルハラが昨日何か言っていたけど、たぶんそれとも関係あるはず。自分よりも大きな相手と戦っていたエルウィンを思い出して、一層そう感じた。


「本当? そう言ってもらえると嬉しいな!」


 私の正直な言葉に、エルウィンの笑顔が増した。


「でも、グンちゃんが言ってた大事な人って、もっと強そうな人だと思ってたのに、子どもじゃない!」

「こ、子ども?! プリルには言われたくないなぁ!」

「だって子どもでしょ~!」

「あははっ!」


 茶化したプリルに反論するエルウィンの表情がどこか可笑しくて、思わず声を上げて笑ってしまう。


「グングニルまで笑わないでよ~! 僕は子どもじゃないよ?」


 困ったような顔をするエルウィンを見て、なぜかもっと見たくなってしまう。


「ふふっ、エルウィンは子どもよ~」

「こっども、こっども~!」


 私が鼻歌交じりに言うと、プリルもそれに合いの手を入れるように歌い始める。


「どうしたのさグングニル、今日はすごくテンションが……うわっ!」


 気付けば私は無意識に、エルウィンの手を引いて、走り出しそうな勢いで足を動かす。


「研究所に行くんでしょ? 早く行こう!」


 自分でも、なんでこんなに陽気な気持ちになっているのか分からなかった。でも、今私はとても楽しんでいる。それだけは確かだった。


「分かった分かった、そんなに急がなくても研究所は逃げないって!」


 ——急がないと置いて行っちゃうぞ!


 苦笑いをして言うエルウィンの横顔に、私は船の上でも聞いた空耳とともに既視感を覚えた。

 なぜ? 私は、今までこんな風に、エルウィンとはしゃいだことはないはずだけど——。


「もー、イチャイチャしちゃってさー!」


 私の違和感を、プリルの陽気な声が掻き消した。プリルは駆け足で、私たちが繋いだ腕の間を通り抜けて先に走って行った。



*****



 ——ルールポルカ研究所客間。


「よ―し、みんな帰ってきたみたいだな!ご苦労だったな!未確認船がこっちに近づいてるって聞いた時にはスヴェントの奴らかと思ったが、まさかお前らだったとはなぁ!」


 研究所の中にある大部屋の長テーブルにラシュガン、エルウィン、グングニル、、プリル、少し遅れてヴァルハラと遠征に行った兵士達が着席した。


「ヴァルハラに聞いたが、頭を倒したのはエルウィン、お前だってな!こんな短い間に何やったんだか知らねぇが、あっぱれだぜ!よし、俺たちが知ってる情報を全部やるよ!持ってけドロボー!」


 ラシュガンは一人立ち上がって興奮気味にまくし立てる。


「このおじさん、うるさい」

「ま、まあまあ……」


 ラシュガンの大声にプリルは小声で呟くのを、グングニルが宥める。


「まぁ、何はともあれ今日はまずはここで飯を食って休んでくれ!兵士達もご苦労だった!給料は弾むぞ!なっはっはっ!」


 兵士達の‘おぉ!’という歓声を背にラシュガンは部屋から出て行った。

 それから部屋はその雰囲気を保ちながら賑わい始めた。


「ヴァルハラ、いろいろとありがとう。おかげで僕は一回り大きくなれた気がする」


 スープを一口運びかけていたヴァルハラに、エルウィンは言った。


「なに、俺はただ……きっかけを作っただけだ。実際に動いて、戦ったのはお前自身だ。最後は自分の力で前へ進むことができたんだ」

「そ、そうかな」


 エルウィンの目をまっすぐに見てヴァルハラは言った。エルウィンは照れ隠しのようにパンを一口かじって食事を始める。


「うーん、やっぱりあたしが作ったスープの方がおいしいわね!」


 その横でプリルがスープを一口食べて言った。


「えっ、プリルは料理ができるのかい?」

「もっちろん!グンちゃんが泣くほど喜んで食べるくらいなのよ!今度エルにも作ってあげる!」

「へぇ、楽しみだなぁ」


 喋っていくうちにもパンをリスのように口の中に貯めていくプリルに、エルウィンは笑いながら答える。


「別に泣いてないんだけどな……」


 グングニルもその中で笑みを浮かべて、ボソッとつぶやいた。


「ヴァルくんにも作ってあげるね!」

「……ヴァルくん?俺のことか?」


 ヴァルハラはその名詞が自分に向けられたものだと分からなかったらしく、一瞬ティーカップを持つ手が止まった。


「そう!短い方が呼びやすいでしょ?」

「まぁ、好きに呼んでくれたらいいさ。スープ、楽しみにしているぞ」

「とっておきのをみんなに作るから!」


 それからしばらく同じ調子で食事の時間が続いた。いつになく長い昼食だった。



*****



 ——サイドバリー研究所。

 サイレンの音がけたたましく鳴り響く部屋。その中で、膨大な文字の羅列が並ぶディスプレイを見てキーボードをカタカタと打ち鳴らしながら、眼鏡をかけた茶髪の男― ロラドは大きなため息をつく。

 ——はぁ、本当に面倒くさい。

 現在、サイドバリー研究所は反政府組織スヴェントの軍隊に攻め入られていた。ただ数が多いだけでも所長である彼にとっては面倒であった。しかし、研究所所属の兵士たちが奮戦しているにもかかわらず、およそ三十分で内部にまで潜り込まれてしまったのだ。

スヴェントの頭であるビドー=スヴェントは、武力による支配を好まないと風のうわさに聞いたことがあるので、これはおそらくどこかの過激派支部による行動だろうと予想を付ける。ビドーは元々、政府の研究所、それも帝都ルバヴィウスの重要な場所の研究員だった。その好か、彼直属の部下たちは無残に研究員を殺すような真似はしない。しかし、今ロラドの目の前に映し出されている監視モニタ―の映像からは、死に怯え、苦痛に歪むその表情が生々しく映し出されていた。


「ふーむ、擬似能力者でもいるのかな」


 ——擬似能力者。ビドーがその研究所を離反する際に、反政府組織の戦力として使おうとしていたもの。普通、神ノ力は人に憑依させることで生物兵器―いわゆる能力者を生み出す。しかし、ビドーが手土産として持ち出した技術は、力を武器などのモノに憑依させ、言葉を当てはめるとすれば神器を生み出すもの。神器を持った者たちは、能力者に多少の戦闘能力が劣るところがあるものの、ほぼ同等の力を発揮することができる。力を使うにはそれ相応の‘覚悟’いると聞いたことがあるが、それはロラドも詳しいことは知らない。

神ノ力を憑依させた武器を身につけ、能力者とほぼ同等の力を持つ者たち。彼らがいるとすれば、このサイドバリーが落とされるのも時間の問題だった。


 ——そろそろ潮時か。


「所長!逃げてください!」


 一人の部下の声とともに狭い部屋の扉が破られた。

 現れたのは直前に自分を呼んだ声の主。ただし彼は、光をも吸い込んでしまいそうな漆黒の刃に貫かれていた。剣が抜かれ、おびただしい血を流しながら倒れる。当然事切れてしまっていた。

 次に現れた青年の顔に、ロラドは見覚えがあった。


「おや、どこかで見たことがあると思ったら、キミはエルウィンのお友達じゃないか?」


 ロラドが最後に見たときと変わり果ててしまった肩ほどまでの茶色の髪の毛を波のようにうねらせた青年が、瞳の奥を妖しく輝かせて、ロラドの声に顔を動かす。


「見つけたよロラド所長。ここに来たら、まずあんたを殺そうと思ってたんだ」


 何か特別な力、神ノ力が宿っているであろう黒い刃をロラドに向けて一歩踏み出した瞬間、ロラドの背後から赤い光が勢いよく発射される。

 青年は咄嗟に身を翻して二つの光弾を避ける。一つは青年の足元の床を焦がし、黒い煙を立たせる。もう一弾は、青年の頬を掠めて向こうの壁に穴を開けた。


「ずいぶんと物騒な歓迎じゃねえか」


 青年が笑みを見せて言った。頬の傷はすでに治りかけていた。


「わー、こわーい。……というかよりによってキミが疑似能力者かい——テリーくん」


からかうような物言いに、テリーと呼ばれた青年の額に青筋が立つ。


「うーん、キミみたいな三流見習い兵士なら、これくらいでくたばると思ってたんだけどね」


 そんなことはお構いなしとでもいうように、ロラドは同じ調子で言う。険しかったテリーの顔がさらに怒りで歪んだ。


「俺は強くなったんだよ。誰にも負けないくらいにな」


 テリーは低い声で、呻くように言った。

 ロラドは自らの危機的状況にもかかわらず、氷のような冷たい視線を眼鏡の奥から、青年、そして彼の手にある黒い剣に向けて、それから大げさにため息をつく。


「あんな負け犬みたいな顔していたキミが、そんなに強がっちゃって。ここにはキミの愛しのエルウィンはいないよ?」

「なんだ、‘また’逃げ出したのか?」


危うく剣を振ってロラドを斬り殺しそうになったのをなんとか抑えて、テリーが訊く。


「‘大成功’して、今は彼女と一緒にハネムーン中さ」


ロラドの言葉に、テリーが拳を怒りで震わせながら、何かを言おうとする。


「……だが俺だって」

「あのさ、そんなんで強くなった気でいるの?」

「なに?」


 言いかけたテリーに、そしてその手にある黒い剣に、氷のような冷たい視線を眼鏡の奥から向けて、大げさなため息交じりで言った。それにテリーは低い声のまま訊き返す。


「確かに神ノ力を憑依させた武器は強い。その使い手である擬似能力者も、能力者とほぼ同等の力を手に入れることができる。そう、瞬間的にね。でもキミはいつそれを手に入れた?どうせ、強くなりたいって剣も握らずに言ってた時なんじゃないの?」


 人に語りかけるような口調ではあったものの、ロラドの目は完全に‘物’を見ているそれであった。


「なぜ分かるって顔してるね。これはキミの愛しのお友達から聞いた話なんだけど、キミはよく彼を励ましてくれていたそうじゃないか。その度にキミは、『絶対に強くなれる』とか、『いつか報われる』とか言ってた。彼には励みになったんだろうけど、キミはどうなんだ?実際努力したのかい? 努力した上でその力を手に入れたのかい?そうだったのなら褒めてやるよ。僕はエルウィンでさえめったに褒めることはない。よくがんばったねーすごいすごーいって…」

「黙れェ!!」


 いつまでも続きそうだったロラドの語りを、とうとう堪えきれなくなった怒りに任せてテリーは黒い剣で振り払うように遮った。その斬撃は容赦無くロラドの身体を切り裂いて後方の壁まで吹き飛ばした。

 ロラドの身体は、壁にぶつかった衝撃で一度揺れたきり、動かなくなった。ロラドが倒れて間を置かずに、主から離れ、無惨に形を変えた眼鏡が床に叩きつけられた。


「てめえの説教を聞くためにここに来たわけじゃねぇよ……」


 荒く息を吐きながら、吐き捨てるように動かなくなったロラドに向かって言った。


「エルウィン、次はお前だ」


 テリーはかつての親友の名を呼び、部屋に背を向けた。



*****



 ——高性能アーマーも、神ノ力の前では無力も同然ってことか。

 微かに意識を戻したロラドは、万が一の場合に備えて白衣の下に装備していた自身の発明品の評価をしていた。


 ——あれだけ人に言っておきながら、僕もあまり良い結果を残せそうにない……。

 短い評価を終えたロラドはポケットから無線通信機を取り出す。手は赤く染まって、笑ってしまうほど震えていた。


「あー、もしもし。サイドバリー研究所最高責任者ロラドだ。本研究所はたった今、擬似能力者による襲撃によって陥落した。あー、いちいちキミは声が大きいんだよ。うん、僕はもうダメみたいだ。げほっ。先に報告だけさせてくれ。奴が次に向かうのは恐らくキミがいるルールポルカだ。せいぜい用心したまえよ。あと、それから、」


 ——二人に謝っておいてもらえないかな?



*****



 ルールポルカ研究所所長室。


「サイドバリー研究所がスヴェントに落とされた」


 それは、痣に関する情報を求めて部屋に入り、エルウィンの耳に入ってきた最初の一言だった。


「どういう、ことですか?」


 エルウィンはその一言だけでは十分に内容を飲み込めず、聞き直す。

 サイドバリー研究所といえば、エルウィンがつい数日前まで勤めていた場所であった。それが今、襲撃を受けて落とされたというのだ。


「先ほど連絡があった。擬似能力者という、能力者に近い力を持った者を含むスヴェント百人余りが研究所に攻め入ったそうだ。生存者はゼロ」


 ラシュガンは今まででは考えられないほど感情を押し殺した口調で、淡々と事実だけを述べていく。後ろを向いたままでの報告だったため、表情は読み取れないが、エルウィンには微かに声が震えているように思われた。

 ——生存者はゼロ。ロラド所長も……。

 突然のことで混乱し、次の言葉が告げずにいた。先ほどまでの明るい雰囲気は完全に消し去られた。それは後ろにいる三人からも伝わる。


「ずいぶんと奴らも過激になりましたね」


 代わりのヴァルハラの言葉には答えず、ラシュガンはドン、と机に握りこぶしを一発打ちつける。それと同時にプリルの肩が少し震えた。


「次に奴らが向かうのはこのルールポルカかもしれんとのこと。……すまんがすぐにでも迎撃の体制を取って欲しい。研究所の兵達にも伝えておく。奴らはいつ来てもおかしくはない!」


 そう言って振り向いたラシュガンの涙の滲んだ目を見て、ようやく事実だということを認識させられてしまった。


「だが、研究所を一つ落とした後だ。すぐにこっちに向かってくるとは考えにくい」


 ヴァルハラがラシュガンの動揺ぶりを見て反論する。


「言っただろう。奴らの中には擬似能力者がいる。もしかしたらサイドバリーはほぼそいつ一人で陥落させたのかもしれない。もう一つ、すぐ近くの我々ルールポルカ研究所を破壊することも難しくはないはずだ」


 ラシュガンはいったんそこで言葉を切る。疑似能力のことはエルウィンも耳に挟んだことがある。スヴェントが技術を盗み出し、政府より先に実践に投入したことで話題になったことを思い出す。それがサイドバリー研究所を破壊した。


「ともかく、闇討ちの可能性もある。兵士達とともにルールポルカ南門周辺を見張ってくれ。俺は護衛兵たちとの連絡を取りにいく」


 ラシュガンが言って部屋から出て行ったが、扉が閉まった後も、しばらく動けずにいた。

 サイドバリー研究所を出発する間際に研ぎたての剣を渡してくれたロラドの顔が浮かんだ。


「エルウィン、行こう」


 グングニルに肩を叩かれ、埋れかけていた意識を戻す。振り向くと、ヴァルハラとプリルは扉から出ようとしているところだった。


「たぶん、ロラド所長も……」


 グングニルもすべては言わなかったが、曇った表情が微かな期待をも閉ざす。


「エル、サイドバリー研究所ってどこなの?」


 プリルがエルウィンの暗い表情を見て訊いた。


「僕がつい最近まで僕がいた場所さ。お世話になった人もいた……」


 プリルはその言葉を聞いて、ようやくこの雰囲気を察したのか、表情が沈んだ。


「そんな、ひどい……。やっぱり、お父さんのせいだ……。あたしも行く!」


 それからすぐに表情を反転させて、悲しみを吹き飛ばすような勢いで言った。


「また、危ない目に合うんだぞ?」


 隣にいたヴァルハラがプリルを見下ろして言った。


「こんなひどいことを指示した人があたしのお父さんなんだよ?あたしだって何かしないと、こんなモヤモヤしたまま部屋の中でじっとしてることなんてできないよ!」


 プリルは負けじと言い放つ。ヴァルハラは少し黙ってから言葉を返す。


「分かった。所長が言ったように、奴らはいつ来てもおかしくない。各自準備をしておいてくれ」


 その言葉をきっかけに、四人は外に出た。



*****



 いつもなら商人たちで賑わうルールポルカ南門。今はひっそりと殺気立っていた。

 その静けさも、破られる。

 研究所側の予想に反して、スヴェント勢力はサイドバリー陥落の報告からあまり間隔を経ずに攻めてきた。

 赤い大地の向こうから、数十騎の馬に乗った男たちが武器を片手に乗り込んだのだ。


「なんだあいつら!特攻隊か?!」

「それなら好都合だ!矢の雨をご馳走してやれ!」


 城のように街を囲った外壁から顔を覗かせて、兵士達は矢を放つ。

 甲高い音を鳴らし、数発が騎上の男たちを貫くが、ほとんどが盾で身を守った。それと同時に、前衛である彼らの後ろで待機していたスヴェントの銃撃隊が仕返しとばかりに銃弾を放つ。兵士側もまた、数人がその弾の犠牲になった。


「帝国兵並みの連帯感だな……!」

「これじゃあ、まるで戦争だ!」


 スヴェント側の陣形に研究所の兵士達に少しの動揺が走った。


「門を破壊する!」


 スヴェントの一人がそう言って、手の中にあった球形の黒いものを門に向かって投げつける。それが合図だったかのように、スヴェントの動きが一斉に止まった。


「伏せろ!」


 どちら陣営からか分からない男の声のほんの一瞬後、鉄の玉が凄まじい轟音とともに爆発した。

 しかし、爆煙の中から出てきた門は傷一つ無く、緑色の光が一瞬現れて消えただけだった。


「結界か!」


 爆弾を投げた男が苦々しそうに呟く。


「しびれろ―!」


 男がもう一つの爆弾を投げようとした時だった。小さい女の子の高い声とともに上空に黄色い幾何学模様が現れる。瞬間、そこから雷が轟音とともに降り注ぎ、前衛の男たちを掠める。


「ま、魔法だと?ここの研究所は守備系の能力者一人だと聞いていたが…!」


 男の一人が呻くように言った。


「そうよ魔法よ!これ以上みんなにひどいことするんだったら、この天才プリルちゃんがもっとすごいのお見舞いしちゃうんだから!」


 さっきと同じ女の子の声。男たちが声のした方を見ると、無傷の門の上に十歳にも満たないような女の子が立っていた。


「まさかあの子が……?」

「だろうな!だが子どもだろうと関係ない!撃ち殺せ!」


 男たちは標的を確認し、銃口が火を噴く。


「ひゃ―、怖い!」


 銃弾は門と同じく、少女プリルの目の前で緑の光が波打つだけだった。


「べーっだ!」


 プリルは舌を出してから壁の内側へと飛び降りる。消えたプリルはすぐにエルウィンとグングニルを乗せた箒とともに浮上した。


「エル、グンちゃん!後はよろしく!」


 プリルはそのまま二人を門の前に下ろす。


「行こう、グングニル!」

「えぇ!」


 互いに言葉を交わし、地を蹴る。


「ちっ!能力者か?!撃て!!」


 スヴェント勢の誰かの号令で数人が銃を構える。銃が火を噴く前に彼らの腕を矢が貫いた。間髪置かずにグングニルの手に握られた紅い槍が騎上の男たちを切り裂いた。


「馬から降りて戦え!いくら能力者といえども、この数の差には勝てんだろう!」


 この距離で銃は無意味だと思ったのだろう、男たちは馬を降りて剣を抜いた。そのうちの二人がエルウィンに向かって突進する。

 ——倒す!

 エルウィンは男たちをまっすぐ見据え、戦う意志を剣に宿らせる。

 地を蹴って前に飛び込む。一人目の男の上からの斬撃を、左側から最小限の動きで受け止める。ウィザードリキッドで強化された筋力で男の腕を押しのけ、そのまま今度は右からの袈裟斬りで男を叩き切る。続く二人目の剣を弾いて突進するように腹を切り裂いた。


「……っ!」


 微かに痛みが走った右手を無視して、後ろを振り向かずに走り抜ける。

——生き抜いて、守るんだ!

エルウィンの持つ剣の切っ先に、もう迷いはなかった。勢いを殺さずに、次の敵へと向かって行った。




*****



 私は目の前に広がる紅い地面を、全速力で走り抜けていた。その勢いを利用して、次々と向かってくる兵士たちを紅い槍で斬り裂いていった。感情は、意識的に殺すことにした。

 あの時、エルウィンを助けるために、スヴェントのメンバ―を殺してしまった時も、その行動を起こそうと思い立った記憶がなかった。本当に、戸惑いとかそういう感情を挟む暇もないくらい咄嗟の行動だったのだと、今になって思う。だから、能力を使う決心をした今の私は、感情を殺して、向かってくる‘敵’を倒すことに決めた。

 私に殺到してきた男たちの群れの、最後の一人の腹に深々と突き刺さった槍を抜き、方向を変えようとした瞬間だった。目の前に黒い鉄球——それが爆弾だと判断するのに一瞬遅れた——が迫ってきていた。しかし、眩い光と轟音が目と耳を襲っただけで、予想していた痛みは来なかった。


「……?」


 目を開けると、緑色の光の壁が一瞬現れて消えた気がした。実際に見るのは初めてだったけど、これがヴァルハラの能力。何度かエルウィンも、この光の壁に助けてもらったらしい。私の出す槍とは対照的に、攻撃をする能力ではなさそうだ。


「ありがとう、ヴァルハラ」


 届くわけはなかったけれど、エルウィンのことも込めてお礼を言った。その刹那、嫌な気配を感じて勢い良く後ろを振り返り、私に向かって馬上から銃を構えていた兵へ槍を思い切り投げつけた。紅い槍は、まるで紅蓮の弓矢のように男の胸を貫いていった。



*****



「二人ともすごいなぁ!」


 箒に乗って上空から二人の戦いぶりを見ていたプリルが感心したように言った。


「え―と、あたしの役割はこ―ほ―しえん?だっけ。あ、エルが危ない!」


 プリルの目に、四人の男たちに囲まれたエルウィンの姿が映った。


「しびれろー!」


 プリルの声とともに黄色の魔法陣から放たれた雷は一人に当たって気絶させた。その一撃で他の三人に明らかに動揺が走る。エルウィンはその隙を見逃さなかった。正面の男に突進して足を斬りつけて動けなくし、すぐ隣の男を振り向きざまに斬り伏せる。背後の男がエルウィンの背中を取るより先に、プリルの雷が男の背中を撃ち抜いた。

 エルウィンは振り向いて上にいるプリルに手を振った。

 プリルも答えるようにVサインを送る。


「エルって意外に強いんだなー。この調子ならもうすぐみんな逃げ帰っちゃうはずなんだけど……」


 プリルが言って、あたりを見回す。

 しかし、残っている男たちは皆、エルウィンかグングニルに向かって一直線の様子だった。

 一人だけ、門の前に向かう茶髪の青年がいるのに気がつく。魔力でも、ヴァルハラたちから発せられるような神ノ力とも少し違うオーラを発していた。


「何か、嫌な予感がする。あれがギジノウリョクシャっていうやつかな?」


 呟いたプリルには、青年がその手に持つ漆黒の剣が、さらにどす黒く光ったように見えた。そして、彼が一閃、真一文字に壁に向かって振り切った。瞬間、ガラス細工が割れるような高い音が響いた。


「えっ?」


 いくら擬似能力者の力といえども、一撃では壊れないだろうと思っていたヴァルハラの光の壁が崩されたことに、プリルは素っ頓狂な声をあげた。


「結界が解かれた!」

「さすがだ!レーヴァテインの破壊力は凄まじいな!」


 それが合図だったかのように、エルウィンとグングニルに向かっていた男たちは一斉に門に移動する。


「うそー……。こんな簡単に破られちゃうなんて……」


 プリルは信じられないといった表情を浮かべながら、表情の変わらないヴァルハラの姿をちらりと見て、壁内へと戻っていった。


「迎撃体制をとれ!あれが所長の言っていた擬似能力者だ!絶対に中に入れるな!」


 壁内の兵士たちも一人の号令に、一気に門の所に走る。

 しかし、兵士たちが一番警戒していた青年はその場を動かず、門へ突撃する男たちの流れの中で一人止まっていた。

 門の前にはスヴェントと兵士たちが、いつもの商人たちのようにごった返していた。


「まずい!グングニル、みんなの援護に行こう!」


 エルウィンは叫び、グングニルとともにその群れの中へと走る。


「よぉ、エル。久々だな」


 そんな言葉がエルウィンの耳をすり抜けた瞬間、黒い塊が目の前に迫る。反射的にそれを剣で受け止めるが、あまりの衝撃の強さに後ろへと吹っ飛ばされた。


「くっ……?!」


 すぐに起き上がって斬撃を放った相手を確認する。


「……テリー?」


 それはエルウィンがよく知っている、懐かしささえ感じさせる顔だった。


「覚えててくれたのか。寂しかったぜ~、急にいなくなっちまうんだもんな」


 エルウィンは青年の顔をもう一度まじまじと見つめる。取り巻いているオーラこそ違うが、それは紛れもなく、帝都兵訓練所で厳しい試練を共にした旧友、テリーの姿だった。記憶の中では短く切りそろえられていた茶色の髪の毛は、蛇のようにうねっていた。


「あんなに弱虫だったエルが、今じゃ立派に剣なんか持っちまって……」


 テリーの言葉が消え入り、姿がぶれたように見えた。


「笑えるなっ!」


 今度はすぐ間近でテリーの声が聞こえ、それと同時に右足に激痛が走った。


「ぐぁっ!」


 耐えきれずに悲鳴を上げて膝をつく。後ろにまわったテリーの上からの斬撃を、身体を捻って何とか防ぐ。のしかかった衝撃に今度は身体中が悲鳴を上げた。


「やるな。お前も何か特別な力でも手に入れたのか?」


 テリーは低い声で言って冷たく笑った。エルウィンはそれには答えられず、体勢を維持しているのに精一杯だった。


「俺もなんだよ。ビドーさんから授かった、このレーヴァテインの力!もう、昔の俺じゃないんだ!」


 エルウィンの腕にかかる圧力がさらに重くなる。


「エルウィン!」


 声がして、鈍い音がエルウィンの頭上に通過した。同時にエルウィンにかかっていた重みが消え、テリーが斜め後ろへと飛んだ。テリーがいた場所には紅い槍が突き刺さっていた。

 槍が飛んできた方を見ると、グングニルが長い金髪をなびかせて、二人の方へ疾走する。

 グングニルは右手から紅い槍を出現させ、それをテリーに向けて勢い良く振りかぶる。テリーはそれを漆黒の剣で受け止める。大きく重い金属音が周りに響いた。


「お前は……そうかよ、お前も、なのかよ……!」

「……?」


 得物を間に挟んでグングニルの顔を見つめたテリーが、憎しみのこもった声色で半ば呻くように呟いた。


 ——お前ら本当に仲良いよなー、結婚しちまえよ!


また、グングニルの耳を、この場とはあまりにも不釣り合いな陽気な空耳が掠めた。その音の意味を反芻する間もなく、両腕にかかっていた重みが軽くなる。次の攻撃を覚悟したが、予想していた斬撃は来なかった。


「邪魔が入ったな、エル!」


 テリーはそう言って再度後ろに跳んだ。


「明日、日が沈む方の門の前で決闘しようじゃないか。お互い力を手に入れたんだ。どっちが強いか勝負しようぜ」


 テリーはそれだけ言うと、腰にかかった銃のようなものを上に向けて発射する。発射されたものは空中で炸裂し、赤い煙になった。


「撤退だ!!」


 それを合図に、門の前にごった返していたスヴェントの男たちは一斉に踵を返す。


「明日の、十の時。逃げるんじゃねぇぞ」


 テリーはそう言い捨てて、馬に乗って男たちの中へと紛れて行った。グングニルはその背中をしばらく見つめてから、膝をつくエルウィンに駆け寄る。


「エルウィン、大丈夫?」

「……う、うん。ありがとう」


 グングニルの言葉に、顔を俯かせて答える。傷の痛みではない何かが、エルウィンの表情を曇らせていた。



*****



「彼は、テリー。僕の幼馴染で、訓練兵時代の友人だったんだ」


 ルールポルカ研究所医務室。

 ベッドに寝かされたエルウィンは、周りに座っているグングニル、ヴァルハラ、プリルの三人に言った。


「僕たち、正直言うとぜんぜん才能が無くて、いつも失敗ばかりだった。彼は落ち込んでる僕をいつも励ましてくれる良い人だったんだ」

「ヘェ~、エルってそんなダメダメだったんだ! あんなに強かったから意外だなー!」


 懐かしむように語ったエルウィンに、プリルが言う。


「うん、でもね、今の僕の力も、僕の力であって僕の力じゃないからさ……」


 エルウィンはそう言って右手を上にかざす。いつだったかの拳の傷はだいぶ癒えたが、それでも常人に比べると遅い。


「ともかく、明日の決闘とやらが目先の問題だな」


 黙っていたヴァルハラが口を開く。


「それは、僕一人で決着をつける」


ヴァルハラの言葉に、エルウィンはいつになく強い口調で答えた。


「でも、大丈夫なの?私、エルウィンに何かあったら、嫌だよ」


 それに対してグングニルが心配そうに言葉を紡ぐ。傷を負った状態で戦って勝てるかどうか、レベルの違いを見せつけられ、エルウィンにも不安はあった。


「これは僕がやらなきゃいけないと思うんだ。テリーが、どうしてあんなになってしまったのか、戦って確かめたい」


 エルウィンは強い口調を維持して言い切った。


「そうか。なら俺たちもギリギリのところまで手助けはしない。所長たちにも話はつけておいてやろう」

「ヴァルハラ……」


 ヴァルハラの言葉にグングニルが不安な表情のまま顔を向ける。


「こいつも、お前がいない間に成長したんだ。お前の中で、何かが変わったようにな」

「うん……」


 全てを見透かしたようなヴァルハラの視線から、エルウィンに向き直る。エルウィンは真っ直ぐに天井の方を向いていたが、それはどこか違う場所を見ているようだった。



*****



 ——夜、研究所の一室のテラス。

 ヴァルハラとプリルは鉄製の柵に身を預けながら、それぞれ酒とホットミルクが入ったカップを持っていた。


「エルがこんなにひどい目に合うのも全部お父さんのせいよ! テリーって人が、ビドーって口にしてたんでしょ?」


ミルクを一口飲んで、プリルの顔が怒りの表情へと変わる。


「あぁ、エルウィンの話ではな」


 ヴァルハラが答えると、プリルは唇を噛み締めた。


「ぜっったいに止めさせるんだから!」


 プリルは固く決心したような口調で言った。


「本当に、お前の父さんは間違っているのかな」


 ヴァルハラはプリルを見ずに、雲がかかった月を眺めながら言った。


「どういうこと?」


 プリルは目を丸くして訊く。


「ビドー=スヴェントは本当に間違っているのだろうかってことだ。ここに来るまでに多くの犠牲者を出した。彼の影響で疑似能力者になった者までいる。ここまでして何かをしようとするのは、はっきり言うと異常だ。彼の中で、そこまでして実現したい何かがあるのかもしれない」


 ヴァルハラは言い終えて、酒の入ったグラスを傾ける。


「ヴァルくん、やっぱり何か変だよ」


プリルはヴァルハラを真っ直ぐ見つめて言った。


「あの光のバリアだって、いくらギジノウリョクシャだからって一発で壊れちゃうなんて弱すぎる。所長のおじちゃんが言ってたよ。『ヴァルハラの壁は絶対防御だから大丈夫だ!』って」


 プリルは言葉を切ってヴァルハラの様子を伺う。ヴァルハラは答えない。


「あたしには、本気で戦ってないみたいに見える」


 プリルのその一言で、ヴァルハラはようやく顔を向ける。鋭い目も変わらず無表情だった。それから何も言わず柵から離れて、酒を一気に飲み干して、そばにあった木製のテーブルにグラスを置いた。

 ヴァルハラの右手がゆっくり上がるのを見て、プリルは無意識に身構える。


「子どもは寝る時間だ」


 ぽん、と優しく頭に手を置かれ、出てきたのはそんな言葉だった。そして踵を返して部屋の方へと歩いて行く。


「こ、子ども扱いするなーっ!」


 プリルは拍子抜けした感じと、怒りで顔を赤くして叫ぶが、ヴァルハラは手をヒラヒラと振ってまるで相手にする様子もなかった。

 怒ったプリルの背中、鉄柵の向こう側には、今にも雨が降り出しそうな、雲に覆われた空が広がっていた。

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