【第二十四話】死闘に捧ぐ一滴
巨人兵の沈黙を確認した後、プリルたちは船着き場に戻った。
幸い、全員が船に乗ることができ出発する直前だったためその船体の後ろ姿を見送るだけの形になったが、どこにも傷は無く守り切れたことが確認できた。
ヴェルの話では、次に来るトラックがサイドバリーからの最後の避難民を乗せているらしい。
次はどこを助けるべきか。
人気のなくなった港でそんな話を進めていると、フラフラとした足取りで見覚えのある顔の兵士たちが歩いてくるのが見えた。
その中にラシュガンの姿を認めて、プリルはほっと一息つく。
ラシュガンもプリルが目に入ったのか手を振った。
「次のトラックで最後だ。この護送を以て我々はパルテミアから撤退して、ルバンナや他に支援の必要な街へと向かう」
ヴェルは彼らに近づきながら事務的な口調で、簡潔な報告をする。
今まで魔法使いと軍が衝突したのは一度や二度ではない。目の前にいるのがたとえ研究者で代理の指揮官だとしても、憎しみを隠すのは難しかった。
それでも今は未曾有の非常事態。
こうして同じ現場に立ち会い、人々を少しでも危険から遠ざけるという正義が成されるのであれば個人的な感情を奥底にしまうことはできた。それは他の魔法使いも同じで、各々訴えたいことの一つ二つ持っていたが口にも行動にも出さない。
そもそもラシュガンがスヴェント本部まで船を出すという独断が無ければ、今の計画は実行されていない。
「協力、感謝する! ビドーとは研究者時代の馴染みでな。本当に勝手ながら、あいつを信じて良かった」
にっ、と煤だらけの笑みを見せながらラシュガンは言う。
少なくとも目の前にいるこの男から、ヴェルは悪意の欠片も感じ取ることはできなかった。
「あなたたちも早く避難したほうが良い。もうこの地に守るものもないでしょうから」
周りを見渡しながら言うヴェルに釣られるように、プリルも目を向ける。
無情にも聞こえたが事実だった。見える限りは荒廃しきってしまった港町。最後に暴れた三体の巨人兵が決め手になったのか、形を保った建物は見当たらなかった。
勝利の高揚を押しのけるように胸の奥から寂寥感がせり上がってくる。
どれだけの人が暮らしを、大切な人を失って泣いたのか。想像するだけで視界が涙に歪む。
「そうだな。逃げ遅れた人がいないかを確認したら、次に来る船に我々も乗せてもらうつもりでいる。俺たちにできることは……ここまでが限界だ。魔弾も残数が残り少ないらしいからな」
言って、ラシュガンはきつく口を閉じる。
撤退を決断したラシュガンを責めることはできない。それはプリルも分かっていたから、今自分たちにできることを必死に考えていた。
彼らにできないのであれば、魔法を扱える者として巨人兵の数を減らすことが自分たちが続けられる唯一無二のもの。
だんだんと倒し方を把握してきた今なら、より早く被害を減らせるかもしれない。
体力は確実にすり減っていたが、身体を巡る魔力は杖のおかげか十分にある。
「ラシュガンおじさん、あとはあたしたちに任せて。スヴェントに行って避難してる人たちと、あとはエルの助けになってあげて。この戦いを終わらせるための薬を作ってるみたいなの」
一歩前に出て、プリルは言う。
ウィザードリキッドについて詳しいことは分からないし何の根拠もない。それでもこれまで共に戦ってきたし、神ノ力にも完全に呑まれずに起き上がったエルウィンのことは信じて疑っていなかった。
「ほう、あのボウズそんなもんを作ってんのか。同じ科学者として、俺も期待してやらないわけにはいかないな。ありがとな嬢ちゃん! この残弾はあのボウズのために取っとくぜ」
親指を立てて笑うラシュガンに、プリルも同じ仕草で返す。無理やりにでも笑っていないと不安で押しつぶされそうだった。
それが合図かのように、兵士たちは敬礼で、魔法使いたちは一礼してそれぞれ踵を返し始める。
「それでは私たちはサイドバリーに向かう。武運を」
ヴェルの別れの言葉で、プリルも振り返って杖にまたがる。
とりあえずはこれでサイドバリーの避難も一区切りつく。後のことはヴェルやビドーの指示を待って、自分ができる最大限のことをするしかない。
——。
考えて、深呼吸をした直後にそれはやってきた。
兵士たちのどよめき声と、遠くから爆発音が耳に入る。
気を抜いたつもりだったが身体は臨戦状態だったらしく、すぐに振り返って杖に魔力を込める。
目に入ったのは、中空に浮いた船だった。
「なっ……?!」
あっけにとられたようなラシュガンの声に、船が浮き上がり、空を破るように進む重々しい音が重なった。
あまりに非現実的な光景に、やけにゆっくりと時間が進んだような気がした。
だんだんと頭上に近づいてさらにプリルたちの後方へと飛んでいく船は、一瞬だけ視界を暗くする。
あれはサイドバリーからの最後の避難民を乗せるための船のはず。
何かの見間違いか、夢か、幻か。
その現実逃避の思考は爆発音と大きな鉄塊が軋む音、兵士や仲間の魔法使いの悲鳴にも似た叫び声で破られた。
「なんだ、あいつらは……」
船が地上に落ちて、爆音と火柱を上げる。
背後から音に遅れて吹いた嫌な熱さの風とは別の、重苦しい空気を感じて海の方へ目を向ける。
そこには異形がいた。
具体的には今まで相手にしてきた巨人兵を、そのまま人間サイズに縮小したような形をした存在が海の上に沈むことなく立ち、歩を進めていた。
その数は目算十体。
軍隊のように足並みをそろえて、無感情にこちらに向かってきていた。
「魔弾、構え!」
ラシュガンの鋭い声が逃避しかけていたプリルの意識を戻す。
反射的に敵だと判断し指示を出したラシュガンは間違っていなかった。
対抗するように数体の個体が跳躍し、距離を詰めようとする。
「各自、自身に防壁魔法を! どんな攻撃が来るか分からないわ!」
「ちくしょう、巨人の次は何だ、神兵とでも呼べば良いのかよ。敵の本丸か? とにかく撃てぃ!!」
銃声が響き跳躍した個体――神兵のうち数体に直撃する。
身体から青白い火花を散らしながらのたうち回るが、その活動を停止させることなく立ち上がろうとする。
魔弾は効いているが、致命傷には至らない。きっとまた眼を撃ち抜かなければ倒せない。
神兵の姿かたち、特徴からこの場にいるほとんど全員が瞬時に察した。
しかし神兵はその一瞬の隙に甘えさせてはくれない。
一斉射撃を搔い潜ってきた神兵たちは射手の何人かを組み伏せ、その手に生えた鋭い爪を振り下ろさんとしていた。
「やめろぉぉぉ!!」
「少し火傷するが我慢しろよ——フレイムバレット!」
魔法使いの一人が組み伏せる神兵に向かって炎を浴びせる。火だるまになる神兵に巻き込まれて燃えかける兵士に、他の仲間が即座に水魔法で鎮火にあたる。
燃えた神兵たちは痛みを感じないかのようにゆらゆらと身体を起こし、再度近づこうと手を伸ばす。
「気をつけろ、後ろもやばい!」
プリルが燃える神兵の一体に狙いを定めようとしたが、上がった声に中断させられる。
後方で海を渡り終えた神兵の眼が赤く光っていた。
反射的に身体を視線の延長線上から逸らしてから、右手に雷をためる。
「魔弾部隊、遠方の奴らを狙え! 魔法使いたちは近づいてくる奴らを頼むぞ!」
「言われなくても! プリル!」
ラシュガンとヴェルの伝達に頷いて、プリルは雷剣を即座に発射させる。
炎を纏いながら近づく神兵の眼に突き刺さり、爆発した。
弱点を突ければ倒し方は同じ。
確信して次の狙いを探す。
乾いた銃声と怒号が響いて、人と神兵の位置が頻繁に入り乱れる。
味方の放つ様々な魔法や、神兵の放つ光熱弾がすぐそばを掠めていく。
箒に乗って空からの射撃を狙おうものなら敵か味方の攻撃に当たって死んでしまう。そのリスクがあるから仲間たちも迂闊にその選択肢が取れないのだろう。
――狙いづらい。
倒し方は分かっても、今回は仲間と敵が同じ大きさで、同じ距離感にいる。誤射は許されない。
「プリル、右に跳んで!」
仲間の声が耳に飛び込んで、意味を理解するより早く地面を蹴る。
一秒にも満たない瞬間に、背後から地面を砕く鈍い音が響く。
何とか受け身を取りながら転がって横目で確認すると、プリルのいた場所に神兵の腕がめり込んでいた。
視界にうっすらと緑色の光が見える。咄嗟に仲間が防壁魔法をかけてくれたことが分かった。
「ありがとう……!」
言いながら雷剣を投げつける。
腕を引き抜こうとしている神兵の頭部ごと吹き飛ばしたことを確認して、またすぐに周囲を警戒する。
一瞬も油断はできない。力のコントロールは時間が経つにつれてできている感覚はあるが、敵の動きについて行くにはさらなる時間が必要になる。
比較的距離があって、仲間と交戦中の個体を標的にしようと目を動かす。
直線状に障害の無い空間を見つけ、すぐさま雷剣を放る。
「助かったプリル!」
剣は神兵の真横から頭に突き刺さり、そのまま衝撃で海まで吹っ飛んでいく。対峙していた仲間の魔法使いは礼を言って、近くにいた別の巨人兵を突風で同じように海まで吹き飛ばした。
——次。
乱戦だ。紛れもなく戦場にいるのだと、興奮状態の頭でプリルは理解する。
血だまりに倒れる兵士、囲まれている魔法使い。弾が切れたのか剣で応戦しようとしている兵士。魔力切れか、離れたところで退避してうずくまる魔法使い。
敵を一体倒す間に、仲間が二人危険な状況に陥る。
こちらは相手に有利な武器を持っているし、有効な戦い方を見つけて実行できていた。だが戦いが続けば続くほどゆっくりと着実に、死を恐れずに飛び掛かってくる神兵に押されてしまうことがはっきりと想像できてしまった。
誰かを助けようとすれば、誰かを見捨てることになる。それは確実な戦力の減少を意味する。
「くそ、増援だ備えろ!」
ラシュガンの報告が、プリルの両肩に巨石のように重くのしかかった。
一心不乱に投げていた雷剣を止めて顔を上げる。
雷剣に貫かれて爆散した神兵の後ろ側——海の方から、さっきの場面の繰り返しのように神兵たちが行進する姿が見えた。
何体かはすでに目を赤く光らせ、こちらを狙っているようだった。
「もう、だめなのかな……」
弱音を吐くつもりは全くなかった。
精神状態はずっと、張りつめた糸のように動いていない自覚はあったのにまるで零れるように出てしまった。
構えていた手から、ふっと力が抜ける感覚。
魔力はまだ十分に残っている。まだまだ戦えるはず。
だが目の前に広がっている光景に、気力はどんどん吸われていく。
「軍人さん方、あんたらは撤退した方が良い! 上空から我々が一気にこいつらを殲滅する! 逃げる時間は稼ぐから!」
「何を言ってる! ここで引いたら今までの仲間の犠牲が無駄になる! 船はまだ後から来る! トラックが来るまでにこいつらを何とかすれば助かる命はあるんだぞ!」
「装備も不十分なんだろ、それこそ無駄死になる!」
あちこちから言い争う声が聞こえる。
冷静に考えれば巨人兵と対峙した時と同じように、魔法使いが適度な距離から狙撃をした方が効率が良いのかもしれない。接近戦では兵士も魔法使いも分が悪い。
だが兵士たちが引けない理由もプリルには理解できた。
避難用の船はあと数隻、港に向かってスヴェントから戻ってくる予定だ。それを待てば多少往復が増えることになろうが、サイドバリーからの避難民を乗せられる。
それもこの戦いを抜けられればの話。
もうすでに倒れて動かない兵士たちが何人もいる。ただでさえ少ない兵士たちから犠牲を出した上にこの戦場を放棄したとなれば、本当に犠牲が無駄になってしまう。
理屈で行動を選べないほどに戦闘も緊張状態も長引きすぎてしまった。
彼らも巻き添えにして神兵を一掃する。極限状態でも、そんな選択ができる魔法使いは一人もいなかった。
「……」
片手に込めていた雷の光が徐々に弱まり、代わりに視界が涙で歪む。
神兵たちは行進を止めない。
目前の兵士は無慈悲に鉄腕になぎ倒され、仲間の魔法使いの躯は無感情に踏みつけられた。
神兵の一体がこちらに視線を合わせた。
その一つ眼が、赤く光る。
次は自分の番か。
恐怖は自覚できるほどに心と身体を侵食しているが、嫌になるほど冷静な自分もいた。
何かできることは無いのか。
実戦に慣れないプリルに浮かぶはずもなく、脳内からあふれ出してきたのはエルウィン、グングニル、ヴァルハラ、仲間の顔や、母親の笑顔。
そして父親——ビドーの背中だった。
「こんな時に……!」
こんな時に幻覚か。
涙が一筋頬を伝うのを感じながら、声にならない声で唇を震わす。
鉄がひしゃげる音と同時に、巨人の赤い瞳は朱色の光に重なって飲み込まれた。
「逃げろプリル!!」
野太い声がプリルの耳から身体をてっぺんからつま先までを貫く。
屈強な身体に、プリルと同じ色に少し白が混じった髪、愛用していたサングラスは今の体当たりで吹き飛んでしまったらしい。
義手を振り上げて、男——ビドー・スヴェントが目の前にいた。
「まさか諦めたわけじゃないだろうなプリル! お前は生き抜くんだよ! 俺と一緒に!」
神ノ拳——テュールを、体当たりして組み伏せた神兵の顔面にめり込ませながら、ビドーは叫ぶ。
なぜ、どうして。
驚いて声を出せずにいながらも、視界の隅——神兵たちが行進してきた方から距離を置いた場所に小型の船を捉えた。
「ビドーさん?! スヴェントに戻る予定だったはずじゃ」
「娘が心配で来てみればこの有様よ。避難船がぶっ飛んだときは肝が冷えたぜまったく」
背後からのヴェルの声にビドーは鼻で笑って答える。
その笑みに、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
「ふ、ふん! お父さんなんて来なくてもプリルちゃんならこんな奴らぜーんぶ倒せてたし!」
「おいおい、さすがに強がり過ぎだ。何だよこの……巨人兵のミニチュアみたいな奴らはよォ!!」
プリルに答えながらビドーは振り向いて、真正面の空間に強烈な突きを放つ。
拳の衝撃は空気を震わせて朱色の波動を描く。空中を走る朱い波動は近くにいた神兵のみに反応し、その身体を吹き飛ばした。
ドミノ倒しのように後方の巨人たちも巻き込まれて、悪夢のような行進が止まる。
「がっはっは! さすが疑似能力者だな!」
「……久しぶりに顔を見たと思ったらボロボロじゃねーか、ラシュガン」
駆け寄ってきたラシュガンに、ビドーは目を細めて答える。
額からは血が流れ息も荒くなっていたが、そこには確かに戦意が残っている。目の前の男が研究者の同僚でありながら元軍人でもあったことを、ビドーは記憶の奥底から掘り返した。
「この絶望的状況で生きていることをまず讃えて欲しいもんだ! で、ここからどう巻き返す。お前一人でこの戦況を覆せるのか?」
「ふん、やるしかないだろ。どこぞのボロボロの中年をこれ以上酷使するわけにもいかないからな。それに……この力はこういう時のために俺たちが脳みそと寿命を削って作り出したんじゃねーか。戦争の道具ってだけじゃない、守るための力を」
ビドーは拳を握りしめて、神兵たちの方を睨む。
後方で行進をしていた個体が徐々にこちらに視線を向け始め、倒れていた個体も身体を起こし始めていた。
絶体絶命の中、疑似能力者の力は圧倒的ではある。
しかしたった一つの要素ですべてが好転するほど楽観できる状況でも決してない。
「ぱっと見た感じ、手負いの兵士や魔法使いにはこいつらは相性が悪すぎる。余力がある奴と命が惜しくない奴だけ俺の援護に回って、あとは逃げろ!」
振り返らずに叫んで、ビドーは駆け出す。
朱色の光を鎧のように身体に纏って、大木のような腕を振り回す。
腕は光熱弾に貫かれることなくそれらを弾き返し、神兵たちの頭をスクラップにし、身体に風穴を開けていく。
「……まったく、無茶苦茶な男だよ。聞いたねみんな! 私たちはみんな命が惜しい! なにせ私たちの任務は生きている命を救うことで、ここで死ぬことじゃないからだ! 負傷した者を担いで全員撤退!」
呆れたようにため息を吐いてから、ヴェルは声を張り上げる。
そしてその指示に異論を唱える者はいない。躊躇うように動いたものはいれど、魔法使いは全員撤退を選択したように動き始める。
「プリル、あなたもだよ。ビドーさんが一番ここから逃がしたいのはあなたなんだから」
「そういうヴェルだって、早く逃げないと」
「私はまだ余力があるんでね」
「嘘。魔力残量、そんなに無いじゃん」
「……ま、今のプリルにはバレちゃうか」
ヴェルは笑いながら頭を掻く。
杖を通じて様々な魔法が使えるようになっているが、その中の一つに対象の魔力量を測れるものもあった。
この中の誰も、余裕のある者などいなかった。唯一プリルには自覚できるほど魔力残量があったが、それでもこの状況を覆せるものではない。
「あたしは戦う。お父さんをここに置いてくなんてできない」
「……本当はここで怒鳴ってでも止めるのが私の役目なんだろうけど。私も同じ気持ちだから、強く言えないや」
一瞬だけ言葉に詰まりつつも、ヴェルは頷いて後ろを振り返る。
魔法使い五人とラシュガン含む兵士十余人が、覚悟を決めた表情で立っていた。もはやプリルにも見慣れた精鋭ぞろいは、結局この場所に戻ってきたようだった。
「あの奇襲でよくこれだけ残ったもんだ……。魔法組は防壁魔法と肉体強化魔法でビドーさんと軍人さんたちのサポート。プリルは遠距離追撃で神兵を倒すことに集中。防壁は私が貼ってあげる。軍人さんたちは魔弾も弾切れだろうから白兵戦になるだろうけど……良いんだね?」
「構わんよ。ここに残った者たちは覚悟を決めてる」
自らも剣を抜いてラシュガンは答える。兵士たちは答えないが同じように剣を抜き、口を堅く結んでただ頷いた。
ここが正念場だ。
失いつつあった戦意を、プリルは身体全体から絞り出す。恐怖は抜けない。それでも後ろで戦っている父親にそんなところは見せられない。
——お前ならできる。
そう言ってくれたビドーの信頼——生れて初めて親にかけてもらった期待に応えたい。
再び右手に雷の魔力が集まる。
「みんな、行くよ!」
無意識に喉から言葉が出た。本来ならヴェルが出す合図だったはずだが、その声に全員がほぼ同時に動き出す。
自分の言葉に弾き出されたかのように、プリルも杖に飛び乗って浮き上がらせる。同時に、緑光の壁が目の前を埋め尽くした。
壁の向こうでは淡い青色の光――肉体強化魔法に身を包んだ兵士が神兵に飛び掛かって剣を振るうところだった。
肉体強化魔法のおかげで恐怖が和らいでいるのかもしれないと、流れ込んできた知識でプリルは悟る。強い打撃や裂傷を身体に直接届きにくくする効果で鎧のような役割ができるこの魔法なら、光熱弾の直撃を食らわない限りは無事のはずだ。
魔力付与の魔法は、スヴェントのメンバーが神ノ力の能力者と戦うときに魔法使いにかけてもらっているところを見たことがある。魔弾と同じように剣に付与することで、神兵の弱点から魔力に触れさせることができるのだろう。
視線を移す。ビドーは一人だけ朱の光に身を包んで、変わらずに先陣を切りながら神兵たちの頭めがけて拳を叩きつけていた。
全体を見渡しながら深呼吸をする。
最初に神兵が現れた地点には相変わらず、光の柱とともに新しい個体が量産され続けていた。
しかし一番最初のような一斉出現とは違って、その量産スピードは少しずつ遅くなっているようにも見える。
向かってくる個体はこちらの攻撃を警戒する様子もなくひどく機械的に歩みを進めていた。
突然の不意打ちで乱されていた精神と呼吸が、徐々に落ち着いていく。
「慌てない、慌てない……的当てゲームみたいなもんだよ。落ち着いてやれば倒せる」
きっと最初からこんな風に冷静に役割分担ができていれば、ここまで劣勢になることはなかったのだろう。
ふとそんなことを思ったが、この未知の状況の中、それを咄嗟に判断して実行することがどれだけ難しいことかプリルには想像できない。
みんな恐怖の中で戦っている。
最善の選択がいつもできるとは限らない。
「だから諦めたらダメだ。選び続けなくちゃいけないんだ……!」
出現地点と前線の、ちょうど中間点に狙いをつけながら魔力を溜めていく。
敵の増加スピードが落ちているとはいえ、数が不利であることには変わらない。前線への到達を少しでも遅らせるために、プリルは新しい魔法を頭の中から選ぶ。
「ギガボルト・クレイモア!!」
呪文を唱えて、両手を真上に挙げる。
雷が扇状に頭上で広がり、バチバチと音を立てながら大きくなっていく。重圧を感じながら、それが徐々に形を成していくのを待つ。
神兵のうち数体は魔力の揺らぎに気づいたのか、プリルの方へと視線を移して光熱弾を放つ。当たれば灼け溶けてしまう弾丸は、緑のベールに当たってはじけ飛ぶ。
その隙を縫ってビドーはまた数体の神兵の頭を潰していた。
「ぶちかませ、プリル!」
怒号と地鳴りが響く戦場の中、ビドーの声が確かに耳に入った。
扇は細く、厚みを増しながら三日月型の大剣に姿を変える。
狙うは神兵たちの足元。
「いけぇぇぇぇっ!!!!」
確かな質量を持って大剣が空を進む。
重い音を立てて空気を切り裂きながら、淡い緑光を潜り抜けて、神兵たちのいる地面へと吸い寄せられるように落ちていく。
轟音と、悲鳴のように響く鉄のひしゃげる音。
光熱弾による反撃をものともせず、大剣はスピードを緩めずに地面を、そして神兵たちの足を根こそぎ断ち切り、抉っていく。
足をもがれた神兵は、助けを求めるように手を虚空に振り回しながら、めちゃくちゃな方向に光熱弾をばら撒いていく。
「たたみこめ!」
ビドーの合図で神兵側の前線が崩れたことに気が付いた。
神兵の頭を殴り飛ばして、ビドーが走る。
後に続いて兵士たちが足をなくした鉄塊たちに飛び掛かっていく。ある者は馬乗りになって眼を突き刺し、ある者は残った数少ない魔弾で確実に仕留めるために構えていた。
「サンダーブレイド!!」
その兵士たちを囲おうと迫る神兵たちの頭上めがけて、雷剣を撃ちこむ。
頭頂部から文字通り雷に打たれたかのような衝撃を浴びて、神兵たちは爆散していく。
「まだ……!」
ビドーや兵士たちに寄せ付けてはいけない。
その一心でプリルは周囲に目を配らせ続ける。一見攻勢のように思えるが、数の上では負けていることに変わりないから少しの綻びが命取りになる。
雷剣を周囲に出現させ、視界に映った神兵に飛んでいくように念じる。
無意識に、前に進み続けて小さくなるビドーの背中を目で追いかける。
ずっと胸にある不安が戦いの中で大きくなっていくのが分かる。
「無茶しないでよお父さん!」
声を張り上げるがきっと聞こえていない。
きっと一緒に生きて帰れる。
心の中で絶えず自分に言い聞かせているものの、戦場に埋もれる父の背中が涙で歪む。
「負傷した兵士は浮遊魔法で避難させて!」
「分かりました!」
ヴェルの指示で仲間の魔法使いが返事をして腕を振り上げる。
その先には呻きながら地に伏している兵士がいた。周りから風が巻き上がり、その身体は浮かんで防壁魔法の内部まで移動させられる。
最大限の支援魔法をかけていても、相手にしているのは人外の機械。時間をかけてしまえばダメージや疲労は蓄積され、死には至らずとも力尽きる。
ビドーに纏われている朱色の光もきっと同じような効果を持っているのだろうということまでは今のプリルでも推測できる。しかし神ノ力由来のため、その強度や持続性までは予測できない。
いつ限界が来るのか。マルカの杖で全能になったような感覚ですら、その不確定要素でひびが入る。
「くそ、俺はまだ戦える! 回復魔法は使えねーのか!」
「こっちも魔力はギリギリなんだ。大人しく生きることを優先しろ!」
目まぐるしく乱高下する情緒を抑えるために、入ってくる言葉の意味をなるべく考えないように遮断する。
自分もまた敵を屠る機械なのだと言い聞かせて一心に雷剣を生み出して、放ち、穿ち続ける。
貫かれて爆散する神兵たちをただ流れる絵のように視界に収めていく。
爆音が、怒声が、豪雨や雷鳴のように耳を通り過ぎていく。
神兵の数は減っているが、同じように兵士も一人、また一人と倒れて浮遊魔法で運ばれていった。
数秒、数分、あるいは数時間。
どれだけの時間が経ったか分からない。
「ビドーさん!!」
ヴェルの悲鳴のような声が聞こえて、プリルはいつの間にか閉じていた目を開ける。
爆音がした方へ目を向けると、直前に上がったらしい黒煙の中からビドーが吹き飛ばされて、受け身を取りながら地に転がっているところだった。
「お父さん!」
「プリル、待って!」
身体に纏っていた神ノ力は消えていない。しかしその身体の傷はより多くなっていて、義手にいたっては上空から見て分かるくらいに所々が欠けてボロボロになっていた。
気づけば防壁魔法の外側——地獄へと杖を前進させて踏み入っていた。
雷剣を投げつけながら群がってくる神兵の首を飛ばして、ビドーに近づきながら瞬時に小規模の防壁魔法をかける。
「逃げよう、お父さん。もう十分やったよあたしたち!」
「く、はは。確かにな。だが、まだ敵は残ってるぞ。倒さねぇと」
「何自棄になってんの! 一緒に生きるんでしょ、もう、逃げよう!」
そんな姿を間近で見て、今までせき止めていた言葉が反射的に口からあふれて来る。
過酷な戦場に耐えられるはずなんて無かった。
いくら膨大な魔力を得て多種多様な魔法を使えるようになっても、自分は自分なのだと涙が溢れてくる。
浮遊魔法をかけようとする手を、ビドーの固い手が覆う。荒い息を吐きながら、ゆっくりと身体を起こして立ち上がる。
「辛いよな。怖いよな。分かってる。お前がそんな顔をしないような世界に、俺が連れてってやる。だから逃げて、待ってろ」
ビドーの身体から吹きあがった神ノ力が空気を揺らす。
可視化されたそれは炎のように揺らめき、闘志が熱としてプリルにも伝わってくる。
「信じてくれたじゃん。もう置いて行かないって、言ったじゃん! 待ってるだけじゃなくて、あたしも一緒に行く。あたしだって戦えるんだから!」
その熱にあてられたようにプリルは叫ぶ。
冷静な判断なんてすでにできない状態だった。
ここでビドーを置いて逃げれば、生き残ったとしても前を向いて生きる自分を想像できなかった。
キッと、神兵の無機質な行進を睨みつける。
足を削いだ個体を踏み抜きながら進む神兵たちは、夢遊病者のように歩を進めながら目についた建造物を光熱弾で壊していく。
いくつかは防壁にあたって鈍い音を立て、解除と攻撃の隙を与えてくれない。
「絶対に……絶対に諦めないんだから……!」
震える手を前にかざして、目前に迫る神兵の一体に狙いを定める。
防壁を維持しながら雷剣を生成して、周囲に気を配る。タイミングを見誤れば待っているのは死だけ。
神兵の一部はプリルたちの姿が見えないかのように横を通りすぎて、光熱弾を吐き散らしながら港や残っている数少ない建造物を破壊する。
押し寄せる津波のような轟音が左右から入ってきて、他のすべての音を遮断していく。
「撃てぃ!」
その中でひときわ甲高い声が、確かに聞こえた。
一秒も経たないうちに目の前の神兵の眼が黄金色に光り、風穴が開く。
空気を震わす雷の弾丸。神ノ力を確かに感じるそれに、プリルは見覚えがあるような気がした。
「な、なに?!」
動揺の声は、背後から響いた無数の銃声に遮られた。
近くにいた神兵も次々とその眼を撃ち抜かれ、動きを止めていく。その数から、ラシュガンたちが連れていた兵士たちが放ったものではないことだけは分かった。
「あいつら……」
光熱弾の嵐が止み始めたのを確認して、プリルは防壁魔法を解きながら振り返る。
防壁の向こう側には神兵たちと鏡写しになるように、オーディニア帝国軍の鎧に身を包んだ兵士たちが並んで銃を構えていた。
数は、プリルの目算で百は下らない。その先頭にはカールさせた金髪をなびかせながら、一人の男が立っていた。
「借りは一つ、返したぞビドー! 後方に救護部隊を控えさせてある! 怪我人は一度退いてもらおうか!」
裏返った声で叫びながら男——ラーサーはその手に持った銃をもう一度構える。
銃口は次の獲物を見定めるように黄金色の雷をため込んで、バチバチと火花を散らしていた。
よく見ると震えている手を、もう一方の手で必死に抑えていた。
かつては斬り伏せた男の武器——神ノ雷トールが、それでも離さずに握られていた。
「そしてまた起き上がって、戦って、生き抜け! お前は私が越える男なのだからなぁ!」
銃口から雷が吐き出される。
爆音とともに光の柱になって天に伸び、花火のように四散して、また神兵たちの眼を貫かんと降り注いでいく。
「はっ、そんだけ言われりゃ引かざるを得ねぇな。だけどすぐ戻ってくるからそれまで耐えるんだぞ!!」
叫ぶビドーの身体を、プリルはすかさず浮遊魔法で浮かせて、自分も杖に乗って全速力で防壁の方へと飛ぶ。
なぜラーサーが、帝国兵士たちが駆けつけたのか考える余裕はなかった。
今はビドーの怪我を治せる場所に向かわせることが最優先。
まだ終わらない。
まだ、終われない。
きっと治したらまだ戦場に飛ぶ。そんなことは分かり切っている。それでも今は必死に、残っている魔力を撤退のために杖に流し込む。
風を切って空を駆けてようやく、いつの間にか昇っていた朝日が戦場を照らしていることに気が付いたのだった。
*****
傷を受けた足を引きずりながら、重い足取りで目の前の鉄の扉に目を向ける。
侵入者や事故を固く防ぐ鉄扉は今のグングニルにとっても大きな障害であり、身体全体を使って押し開けなければ開かない。能力者をここまで疲弊させるほどに戦いは長引き、多くの傷を負わせていた。
「くっ……!」
意識すると傷は痛みとなって身体全体を駆けまわるように反応する。
その痛みと引き換えに、小島に迫る巨人兵の影は一旦の終息を見せた。
終盤にはオーディニア国軍が参戦したようだった。神ノ力のない人間だけの戦力は、多くの犠牲を出しながらも殲滅速度の向上に寄与した。
それでもまだ完全に終わったわけではない。海の向こうでは依然として様々な地獄が続いている。
能力者であるグングニルには、空を、世界全体を分厚く覆うような異様な雰囲気、神ノ力がまだ残っていることが感じ取れて、理解できる。
つかの間の休息が許された。ただそれだけ。
「エル、進捗はどう?」
扉を開けると、白衣姿のエルウィンの背中が目に入った。
同時に、どこかで嗅いだことのあるような刺激のある臭いが鼻腔に刺さる。研究所での記憶が一瞬だけ頭の中で点滅して、無意識に顔をしかめる。
「もう少し……って、傷だらけじゃないか?! 待ってて、今の僕なら治癒の力だって使えるんだから」
「大丈夫、ありがとう。私のために力と時間を使っちゃうのは、勿体ないよ」
振り向いて駆け寄ろうとするエルウィンを手で制して、グングニルは近くの壁に寄りかかってそのまま腰を下ろす。
エルウィンも気持ちを汲んでくれたのか、動きを止めて素直に踵を返す。
一秒も無駄にはできない。エルウィンのウィザードリキッドが、神にも判断できない最後の希望である可能性が高い。
気を抜いたその一秒が最悪の結果を生むかもしれない。
だったら自分も邪魔するべきではないとグングニル自身も思うが、どうしてもエルウィンの姿を見て、声を聞きたかった。
深く息を吐いてから、周りを見渡す。
外の喧騒が嘘のように、エルウィンが何か作業する音と、ガラス容器の中で液体が泡立つ静かな音が響いていた。
様々な薬品や道具、設計図らしきものが長机に所狭しと並べられていて、エルウィンを囲んでいる。
こんな戦いに巻き込まれていなければ、きっとエルウィンはその才能を認められて、もっと潔白な、人のためになるような実験をしていたのかもしれない。
そうしたらもっと自然に、あの柔らかい笑顔で笑っていられる人生を歩んでいたのかもしれない。
疲労が身体全体を巡っているせいか、普段は考えないようなことが頭をめぐる。
「やっぱり、だめだ」
振り返って、エルウィンが再びこちらに速足で向かってくる。
自分のことに集中してほしいと頼もうとするが、自分が思った以上に疲労が蓄積しているのか咄嗟に声が出ない。
結局エルウィンも同じように腰を下ろして、両手でグングニルの手を取る。
温もりと、神ノ力を使った治癒術による心地よさが、握られた手から身体へと伝わっていくのを感じた。
「放っておくなんて無理だよ。こんなになるまで戦ってくれたんだ。時間なら大丈夫。もう後は待つだけだから」
優しい声色が、隣で心地よく耳に入り込む。
もう完成まであとわずかなら、この心地よさに甘えても良いのかもしれない。隣に座るエルウィンの温度が、寄り添い合う肩、腕から感じられる。
「もうすぐ、完成するんだね。ウィザードリキッドのことを嬉しそうに話してくれたのが、ずいぶん昔のことみたいだよ」
「うん、そうだね」
サイドバリー研究所から逃げ出す前日だったか、エルウィンが見せてくれた薬品とレポート。あの時は何のことだかさっぱり分からなかった。ただエルウィンが嬉しそうだったから、なんとなくグングニルも嬉しかった。
けれど今は、答えるエルウィンの声が沈んでいた。
次の言葉が思いつかないまま、しばらく二人の間に沈黙が流れた。
「あの頃はさ、この薬にこんな力があるなんて知る由も無かった。単純に、これさえ完成させれば、誰もが誰かの大切な人を救う力を手に入れられるんだって信じてた」
エルウィンは言って、テーブルの上、フラスコの中で沸騰するように泡立つ緑の液体をぼんやりと見つめる。
厚い鉄の扉を壊して手を差し伸べてくれたあの日。
グングニルからすれば、研究所という檻から助けてもらったのは間違いない事実。
あの日からグングニルの世界は一変した。
ヴァルハラ、プリル、ラシュガン、ラルク、様々な人に出会って、知らなかった物を、景色を、感情を数えきれないほど知ることができた。
「でも、この薬を作るために名前も顔も知らない多くの人たちの血——命が消費されてきた。馬鹿なことに、僕は今の今までそのことに無自覚でさ。作りながらずっと考えてた。誰かの大切な人の犠牲を利用して、僕はこの薬を作ったんだって」
拳を握りしめて、悔いるようにエルウィンは言葉をゆっくりと零す。
ウィザードリキッドの製法は、簡単にではあるがエルウィンがここで作り始める前に聞いていた。グングニルにもその意味と残酷さは理解できる。
数えきれない誰かの命。
その中にわずかに眠る魔力が、ウィザードリキッド完成のカギになっていたこと。
守る力を得るために、誰かが犠牲になっていたという矛盾。
「……それは、だけどエルが直接手を下したわけじゃない。自分の意思でその血を作り出したわけじゃないんだから」
「分かってる。だけど僕は、この犠牲を見て見ぬふりしてきた。実験のために集まってきた血の意味から、目を背け続けてきた……正確には夢中になりすぎて考えが回らなかっただけなのかもしれないけど」
沈んでいくエルウィンの声に、グングニルの胸は少しずつ締め付けられるような感覚に襲われる。
結果的には同じことで、エルウィンが今感じている苦しみは、誰かが否定したところで癒えることは無いのかもしれない。
そして同時にグングニルの中から湧き出た感情もきっと、エルウィンが口にした後悔や苦しみと似ていて、そしてほんの少しだけ違うもの。
「私だって、ここに来るまでに立ちはだかってきた人たちを殺してきた。殺されないように……違う、生きるために。最初は他の人の命を天秤にかけて得られる命なんていらないって思ってた。自分の命なんてどうでも良いって思ってた私が、だよ?」
無感情に神ノ力を測る実験の日々。化け物と蔑みの目を向けられる毎日。
本当に’その日’が来るのはいつでも良かった。
「今もその気持ちは少しだけ残ってるし、諦めかけたこともあった。だけどね、エルがあの鉄の扉を開けて、連れ出してくれて変わっていけた。生きたいって思ったの。’死にたくない’より、生きたいって」
生きていて欲しいと願うエルウィンの言葉。
守ると叫んで見せてくれた背中。
恐怖を勇気で誤魔化して必死に歯を食いしばる表情。
そのすべてがグングニルを意識的か無意識的か問わずに、自分の意思とは関係なく心を、行動を変えていった。
「ヴァルハラが言ってた生きる覚悟が、私にもできた気がしたんだ。エルの言葉が、姿がそれを教えてくれた。私のためにしてくれたこと、本当に感謝している。ありがとうを何度言っても足りないくらい。世界がなんて言おうと、どんなに重い罪だろうと、エルの行動は私の命を救ってくれたんだよ」
生きる覚悟。
エルウィンの心の奥底に突き刺さり、ずっと抜けずに鼓動している言葉。
生きていく中で、人は何かしらを犠牲にしている。毎日誰かの屍を越えている。何か大きな選択をしなくてはいけない時なんて、だいたい大切なものと引き換えだった。
失ったものはもう、どうしたって戻らない。
でもその向こう側で、やっと得たいものに手を伸ばせる。
ウィザードリキッドを打ち込んだ影響で傷の治りが遅くなった。
レーヴァテインを手にする代わりに、友——テリーが命を落とした。
神ノ王を憑依させる代わりに、その神の助けなしでは歩けないほどの状態になってしまっている。
でもまだ、グングニルは生きている。
「だからウィザードリキッドは、エルが創り出した、大切な人を救う力だよ。きっとこの世界を救う切り札にだってなれる。だから——」
——一緒に戦おう。
いつの間にかエルウィンの手を強く握りしめて、グングニルはほとんど叫ぶように言葉を吐き出していた。
息を呑んで、目を丸くして聞いていたエルウィンは深く息を吐く。
それからもう一度息を吸って、ため息を吐くと同時に静かに笑った。
「……やっぱり似てる」
「え?」
エルウィンの一言にグングニルの心臓が跳ねる。
そこから先の言葉はまだ、ここで聞いてはいけない気がした。
何を言われるのか。耳をふさぐ前に、エルウィンが少し言いにくそうに口を開いた。
「昔、僕には女の子の幼馴染がいたんだ。仲が良くて、ほとんど毎日一緒に遊んでいた。たぶん僕はその子が好きだった。ある日、その子は——僕の不甲斐なさが原因で姿を消してしまった。あの日から永遠に。僕に力が無いばかりに、彼女を守ることができなかったんだ」
震えた声が、そのままグングニルの精神を震わせる。
そんなことはない。否定したい気持ちがせり上がるが声は出ず、ただエルウィンの震える手を固く握りしめることしかできない。
「今、ちょっと分かっちゃったんだ。こんなことを言うのは本当に失礼なことだと分かってるんだけど、僕はグングニルと彼女——イオナを重ねてしまっていた。キミを助けることで、イオナを助けられなかった自分を許してもらえないかって」
言葉が鉛のように重く、重く圧し掛かる。叫びだしそうになる声を飲み込んで、グングニルはただ頷く。
エルウィンを許すことができるたった一人の人間として、ここで声を上げるべきなのかもしれない。
でもまだきっとその時ではない。自分の中のもう一人が、必死に口を閉ざそうとする。
エルウィンは自分自身で背負った罪に苦しんでいると同時に、それを最後まで背負い切ろうともがいている。
余計な言葉はきっとエルウィンの思考や意思を鈍らせてしまう。
「でもこれはきっと許されることじゃない。誰も、僕の中で眠る神だって許す権利もない。許されたところで、僕はこれから自分のできることで償い続けなくちゃいけないんだ」
エルウィンの声が、徐々に芯を取り戻していく。
その声に安堵と自責の念が綯い交ぜになった感情が押し寄せて、グングニルは目を細めて口元を上げながら俯く。
「うん。その子の代わりでも良い。助けてくれたことに変わりはない。私が生きたいって思ったことも、ここで覚悟を決めて戦ってるのも、全部私の意思だから。その償い、私もついて行くよ。世界を救おう」
——それが私の罪滅ぼしにもなるから。
エルウィンに背負おうとしている罪があるように、グングニルにも背負わなければならないものがあるし、伝えたい言葉はたくさんある。
ただそれは胸に隠して戦うつもりだ。
この戦いが終わったら、もっと素直な気持ちで伝えられる。
「正直なことを言うと、ウィザードリキッドが完成したら真っ先にキミに投与しようと思ってた。だけど……」
「気持ちは嬉しいけど、それはダメ。前にも言ったでしょ。私だって守られてばかりじゃいられない、一緒に戦いたいんだって。エルのために、世界のためにこの神ノ力を振るえたら、私はもっと生きたいって思えるようになる」
グングニルの言葉にエルウィンは照れくさそうに、申し訳なさそうに笑う。
ここに来て自分だけ逃げるなんて選択肢は、頭の片隅にも無かった。
「それを聞けて嬉しいよ。隣で戦ってくれるなら、グングニル以上に安心できる人はいない。……その、さ。こんな時に言うことじゃないんだけど、この戦いが終わっても——」
エルウィンの言葉は、唐突に部屋に響いた、か細い電子音に遮られた。
連続的な高音は、警報のようでもあり無線連絡機の着信のようにも聞こえた。
覚悟はすでに決まっているのに、心臓が無意識に早鳴りする。
エルウィンは慌てて立ち上がってその音の出所——フラスコがならぶテーブルの傍で止まる。
「ウィザードリキッド、完成だ」
深く深呼吸をした後に、エルウィンの声がやけに大きく聞こえた気がした。
それは完成の合図であり、最後の戦いが始まる合図でもあった。




