【第二十三話】守りたいもの
「エルウィンの作るウィザードリキッドが、ユグドラシルの代わりに神ノ力をこの世界から消してくれるかもしれない。完成まで、なんとか耐えてくれ……!」
無線連絡機を持つすべてのメンバーに向けて、ビドーは同じ言葉を叫び続けた。
最後の希望。
ウィザードリキッドによる神ノ力の乖離。
簡易的ではあるがエルウィンの説明を聞き、概ねの理論は理解できた。だがそれは研究者が最も恐れ、同時に克服しなければいけない’前例のない試み’だ。
今さら遅いのかもしれない。
ラグナロクの可能性や危険性については、自身の研究から予想がついていた。だからこそ研究者時代は上層部に掛け合って神ノ力の研究をこれ以上過激化しないように進言したし、研究所から追放されてからも反政府組織を作るという過激な手段を使ってまでその凶行を止めようとした。
その中でもたくさんの失敗があった。むしろ失敗ばかりだ。
スヴェントの一部過激派の暴走。彼らにとって組織は、ただ国への憎しみを果たすための場所になってしまった。
自分が作った組織の膨張を抑えられず、政府の暴挙を止めるという本来の目的も満足に進行できないまま、気づけば故郷の妻は死に、娘の心は離れていった。
挙句の果てにはラグナロクはすでに起き、無視できない街や人命が失われ続けている。
すでにスヴェントは、いやビドー・スヴェントの人生そのものが失敗と言っても良い。
「これが最後のチャンスなんだ。神の声でも、子どもが作る薬でも、何にでも縋ってやる」
ビドーはほとんど自棄になりながら、車窓を流れる荒れ地を見つめる。
乗っているバンはここまで来るのに燃料を半分以上使い切っている。予備燃料があるとはいえ、でこぼことした地面を走るたびに、ガタゴトと今にも四散しそうな音を出して揺れる。
ボロボロだ。
車も、国も、ビドー自身も。
だからと言ってここですべてを投げ出すわけにはいかない。
何のために覚悟を決めて一国の首相と直談判し、支援の約束を取り付けたのか。
残っている命を一人でも多く救うため。
この出来事が歴史に残り語り継がれるのなら、多くの犠牲者を出した災厄とみなされる。今さら一人救っただけではその事実は変わらない。
黙って待っていればこの悪夢も終わるのかもしれない。
「だが現実には、今も怯えながら助けを待ってるやつらがいる。どんなにボロボロだろうが、こんな地獄は一秒でも早く終わらせなくちゃいけねぇんだよ」
アクセルを踏む足に力が入る。
考えている一秒で最も失いたくない命——プリルの顔が浮かぶ。
自らの申し出とはいえ、今も娘は仲間と一緒にあの巨人兵と戦っているはず。
これ以上大切なものは失えない。
「そう、あいつだけは。あいつだけは何としても平和な世界に送り出さなきゃダメなんだ」
止めようとしても勝手に涙が溢れて来る。
最初の願いだ。
マルカと、プリルと一緒にいつまでも穏やかに暮らす。
世界を救うなどという大義は後からついてきたもので、ずっと心の奥底にあった原初の火はこれなのかもしれないと、流れる涙で実感する。
「すまねぇな。最後まで頼りねぇリーダーでよ」
次に浮かんだのは、この局面まで付いてくれたスヴェントのメンバー。
憎しみを乗り越えて、この国を神ノ力という呪いから解放するために尽力した仲間一人一人の顔。
「だけど俺も、一人の娘の父親なんだ」
呟いた言葉は、奮いあがったエンジン音にかき消される。
過ぎ去っていく景色の向こうから、故郷へとつながる海がかすかに見えた。
厚く敷かれた頭上の雲のせいか、その色は灰色に濁っていた。
*****
「一人ずつ順番に、落ち着いて乗ってください! 大丈夫、巨人が来たら私たちが対処します」
箒を片手に持った女性が、トラックの背に並ぶ人たちに枯れんばかりに声を張り上げて呼びかける。
パルテミア内陸部の避難誘導は魔法使いの村の比ではないくらいに時間と労力がかかっていた。
近場の政府関連施設にあるトラックなどの大型車両を浮遊魔法で持ってきて、できる限りの人を乗せて陸路で港を目指す。
ここから最短で着く港はルールポルカ港。かなりの距離があるが、スヴェント本部へ一度に大量の人間を避難させる方法は他にない。
現状のメンバーではそれが精一杯の、最も効率の良い手段だった。
できるならばトラックを浮かせたまま港へ持って行きたかったが、そんなことをすれば魔力切れになるか、巨人たちの熱線の格好の餌食になってしまう。
「みんな、大丈夫だから! この防壁魔法ならあのでっかい奴らのビームなんてヨユーで防げるの!」
プリルの声は、我先に列へ割り込もうとする男の怒号、親とはぐれてしまったのか一人で泣き叫ぶ子どもの声で埋もれていく。
すでに本部のある小島にも巨人兵が現れたと情報は入っていたが、能力者もいない、逃げ場もない街に残しておくよりは良い。
良い、と誰もが信じるしかなかった。
叫ぶプリルの視界の隅では、青白く光る光の壁が真っ暗闇を仄かに照らしていた。
光壁の向こう側からは不定期に暴発音や炎が吹きあがって、巨人兵と仲間の魔法使いたちの戦闘が続いていることを知らせている。
魔法が巨人兵に対して優勢とはいえ、戦闘を担当する仲間たちの消耗が著しく激しいことはプリルにも感じ取れていた。
「エル、まだかな……」
通信機から入ったビドーの連絡——エルウィンが作るウィザードリキッドが最後の切り札になるという情報は、分隊長のヴェルを通じて共有されていた。
いつまでかかるかは見当が付かない。エルウィンならやってくれるはずだと思いつつも、プリルの不安や焦りはなかなか消えそうになかった。
「そろそろこの車両も満員だ。プリル、また一緒にルールポルカまで護送をお願いするよ」
駆け寄ってきたヴェルに、プリルはゆっくりと頷く。
出発前に仮眠を取ってきたとはいえ、度重なる緊張の連続は小さな身体には堪えていた。
だが四肢は動くし、魔力も母親の残してくれた杖のおかげか、いつも以上に余裕があるようだった。
弱音の代わりに、息を短く吐く。
「うん、行こう!」
杖を握り、小走りにヴェルの後を追ってトラックまで駆け寄る。
助手席に乗り込むと同時にエンジンがかかり、仲間の一人がアクセルを踏んで車体がゆっくりと動き出す。
窓の外を見るとヴェルと、数人の魔法使いが箒で飛びながら周囲を警戒していた。巨人兵が近づいてくればすぐさま迎撃ができる態勢にはなっている。
「守って、お母さん……」
杖を両手で握り、力を込める。トラックにも防壁魔法を貼って、不意の衝撃に備える。
母親——マルカが残してくれた杖は、プリルが今まで覚えていなかった魔法を授けてくれている。どうやらマルカが使用していた魔法の数々を記録として杖に封じ込めているのだということを、道中にヴェルから聞いた。
魔力も増強されているおかげで、かなりの頻度と長時間の魔法使用に幼い身体は耐えることができている。
それでも、これで幾度目の護送になるか、ここに避難誘導を始めてからどれだけの時間が経ったかは考えないようにしていた。
ただ、今は一人でも多くの人たちを助ける。
ビドーが、父が言った言葉のために。生きて、この世界を生かすためには、まずは人々を助けないといけない。
「ひでぇありさまだ」
独り言のように運転手の男が吐き捨てる。
走行音に紛れて爆発音、建物の軋むような音がかすかに聞こえた。悲鳴が聞こえないだけ良いのかもしれないと思いつつも、プリルは歯を食いしばる。
窓の外に顔を向けると、今まさに崩れ落ちようとしている家が目に入った。民家だろうか、何かの役所だろうか。プリルは思わず小さな手を窓に押し付けて、そのまま出て行きたい衝動に駆られる。
「見てらんないよ……!」
声を絞り出して、すんでのところで思いとどまる。
一人で飛び出して行っても必ず倒せるわけではない。仲間に迷惑をかけてしまうかもしれない。
今、自分がやるべきことは防壁魔法の維持。気を抜いた瞬間に攻撃を受けたら後悔してもしきれない。
後悔はしたくない。
まだ数年の人生だが、その気持ちはひと際強くプリルの中ではっきりと口にすることができる感情だった。
何もできないまま母親を失ってしまったこと。
文句の一つも満足にぶつけられず、父親を失いかけたこと。
やるべきことを迷って、間違えることで後悔するのはもう嫌だった。
「着いたぞ」
それからどのくらいの時間が経ったか。疲れの滲む運転手の声で車が止まったことに気がついた。
考えを巡らせている間に、ルールポルカに着いていたようだ。
ドアを開けて外に出る。焦げた臭いと煤っぽい空気が鼻を通り抜けて思わず顔をしかめる。
前に来た時は賑やかな港町だった。人や建物がたくさんあって、小さな背丈ではエルウィンたちについて歩くだけで一苦労だったことを覚えている。
「なんにも、ない」
それが今は、元がなんだったのか分からない灰色の残骸と、かろうじて建っているいくつかの建物を残すだけになっていた。
数時間前に来た時は火の手も上がっていたが、仲間や現地に残っていた兵士たちの手で消火されていた。逃げ惑っていた人も、今は港に避難して無事に船に乗り込んでいると願いたい。少なくともここで戦闘が起きていないということは、港の方で仲間たちが待機しているのだろう。
「一応、周辺を見て敵がいないことを確認したら戻ってくる。それまでは動かず待機していて」
箒で飛んできたヴェルが言って、そのまま踵を返す。
一回目の護送の時は危なかった。一見敵がいないことに油断して、瓦礫に埋もれていた巨人兵に奇襲されたのだった。
あの時は守り切れたが、次もできるとは限らない。
「プリルの嬢ちゃん、疲れているだろうが防壁魔法は解けないようにしてくれよ」
「うん、分かってる」
車から降りずに声をかけてきた運転手の男に、プリルは周囲に目を配りながら答えた。
彼は魔法使いではなくスヴェントからの協力者で、以前までのプリルなら口もききたくない人たちだった。
父親を奪って、’反政府組織の指導者’として祀り上げた人たち。
何も知らなかった自分は、ただ顔も名前も知らない、よく分からない人たちに父親を取られただけだった。
対してスヴェントメンバーからプリルへの態度はさながらお姫様だ。
その感覚はしこりとして残って、スヴェントの人たちと話すときはぎこちなく、少し攻撃的になってしまう。
頭では分かっている。今はそんなことに拘っている場合ではない。世界の滅亡にも等しい状況だから、誰の手だって借りて解決に動かないといけない。
それに今のプリルなら分かる。こんな壊滅的な状況を起こさないために、ビドーに付いて尽力してきた人たちが、スヴェントという組織なのだ。
「ねぇ、あのさ」
「なんだ」
「今さらなんだけど、おじさんの名前って……」
だからと言って仲良くするつもりも、その必要もない。
だけど少なくとも今は一緒に戦う仲間の名前を知らないのは不誠実に思えて、自然に声をかけていた。
沈黙を埋めるためだったのかもしれない。緊張をほぐすためか、あるいはその緊張状態も限界で、疲れてしまったが故の無意味な行動だったのかもしれない。
「敵襲!!」
言いかけた言葉は、空を裂く雷と鋭い声によって遮られた。
飛び上がるように身体ごと音のした方を向くと、ヴェルを含む三人の魔法使いが、箒に乗って全速力でこちらに向かってきていた。
背後には巨人兵が見えるだけで四体。頭部の目のような部分から、絶え間なく光熱弾を三人に向けて発射し続けている。
「ダズ、車を出して! 全速力で港まで! プリルは防壁魔法を維持して車に乗って!」
ヴェルの声がすべて耳に入り切る前に、プリルは車に乗り込んでいた。
運転手の男——ダズもそれを確認してすぐにアクセルを踏み込み、車は大きく揺れながら発進する。
同時に聞こえた爆発音と、ヴェルの悲鳴。
振り向いてはいけない。本能は伝えていたが、身体を止めることはできなかった。
「そんな……」
最初は流れ星かと思った。
叫ぶヴェルの背後で、眩い白い炎が一筋ゆっくりと流れている。二人いたはずの仲間が一人見えなくなっているのに遅れて気づいて、今目の前で起こっていることの意味を理解する。
人が、一人死んだ。
あっけなさ過ぎて、実感はあまりにも乏しい。
悔しさも悲しみも湧いてこない、代わりに顔をのぞかせたのは真っ黒な虚無。
「気を緩めるな集中してくれプリルの嬢ちゃん!!」
深い暗闇に呑まれそうな感覚を、隣にいるダズの声が無理やりに引き上げる。
プリルの身体と魔力は無意識の中でも防壁魔法を組み上げ続けていた。
車内の揺れに身体を打ち付けられそうになりながら、その小さい両手を魔力と集中力が切れないように固く、固く組む。
息が荒くなり、身体がカタカタと震えていたのが分かったが、どこか他人事のようにその認識を追いやって、港への到着を待ち続けた。
*****
悲鳴と怒号の中にいた。
トラックが止まるや否や、荷台から出てきた人たちは我先にと船へと続く港へと走っていく。その多くが他の人に押されて転んだり、倒れたり、踏みつけられたりしていた。
「慌てず、落ち着いて船まで向かってくれ! お前たちの背中は我々が守る!!」
混乱の中でも良く通る声に聞き覚えがあって、プリルは顔を上げる。
崩れた瓦礫の上で声を張り上げていたのはルールポルカ研究所所長——ラシュガンだった。
着ている白衣はすでにボロボロで、顔や腕には傷や血が見えた。
最後に会ったのはだいぶ前のような気がするが、そこには印象的だったカラッとした笑みは微塵も残されていない。
彼の機転でルールポルカの人たちは船を使ってスヴェント本部まで避難を始められたというのは、事前の作戦会議でも聞いていた話だった。
周りにいるのは二十人くらいの武装した兵士。銃を小脇に抱え、固い表情で周りを警戒しているようだった。
「ラシュガンおじさん……!」
「お、お前はエルウィンと一緒に居た!」
居ても立っても居られなくなって、プリルは人ごみをかき分けてなんとかラシュガンの元まで駆け寄る。
ラシュガンの詳しい仕事は分からない。でも研究所の所長ということはこんな最前線で命を張るような役割の人ではないことくらい分かっていた。
それに紆余曲折あったとはいえ、エルウィンたちを最終的には応援してくれた協力者の一人。
一瞬、流れ星が脳裏をよぎる。
力を持っている自分が守らないといけない。
「お前、一人か! エルウィンは、他のみんなは?」
「他の街でみんなを助けてる! 今のあたしには魔法使いの仲間が付いてるの!」
「魔法使い……そうか、避難を助けてくれていた魔法使いの連中はお前の仲間だったのか! 助かってたぜ!」
相変わらずのデカい声だったが、逆に今はそれに安心できて、そして嬉しくなる。
魔法が——神ノ力と同様に人々に恐れられてきて、嫌われていた力が役に立てていることを、やっと肌で実感できた。
「……だから、おじさんたちも逃げて。あいつらは魔力に弱い。あたしたちの魔法をあの目玉みたいなところに叩きこめばラクショーなんだから!」
湧き出てきた嬉しさを振り払って、プリルは言う。
言うほど簡単なことじゃない。狙うのが難しいのはもちろん、彼らが放つ光熱弾は軌道が読みづらく、不意を突かれて撃ち落された仲間も少なくない。
だけどここで強がらなくちゃいけない。声の震えは抑えられなかったが、いつもの気丈な自分のまま言えたはずだ。
「ガハハハッ! 小娘にあんなよく分からん機械の相手させて逃げるなんて、ルールポルカ研究所所長の名が廃るってもんだ。奴らの弱点は目だな? うちの兵士の銃には魔弾が仕込んである。あいつらが神ノ力に関係するってんなら、倒せるってもんよ! なぁ、お前ら?!」
ラシュガンの声に合わせて、後ろにいた兵士たちも気合を入れるように各々叫ぶ。
この絶望的な状況でも士気は高い。よく見ると見覚えのある顔がいくつかあって、思い出した。
初めてエルウィンと合流した時に一緒にいた兵士だ。後から、彼らはヴァルハラに鍛えられた精鋭たちだったという話も聞いた気がする。
「緊急時の兵の指揮権を持っているのは所長の俺だがな……お前らは誰に鍛えられた?! あの堅牢な壁を持つヴァルハラだろう! 民を守って、敵を倒す! 兵として当たり前のことだ、死なずにこなしてみせろぉ!!」
人々の怒号と悲鳴は止まない。
けれどラシュガンと兵士たちの雄たけびは、それを打ち消す勢いで増していく。
「……うん、分かった。一緒に戦おう。でも無理はしないで」
涙が滲んだ視界を拭って、プリルは言う。
不安で空いていながらずっと埋められなかった穴が、彼らの声で埋まった気がした。
ふっ、と息を吐いて振り返る。すぐに地響きのような揺れが、かすかに感じられた。
ゆっくりとはいえ巨人兵は確実に近づいている。
何度か戦闘を見てプリルにも分かったことはある。彼らには見た目通り感情は無く、ただ機械的に破壊行動を繰り返しているだけ。
何かが憎いとか、壊してやりたいとか、そんな感情は一切ない。
スヴェントのように政府への憎しみを糧に戦うような黒々とした炎も、いつか魔法使いを排斥した政府の役人たちのような恐怖と狂気の入り混じった表情も、何も見えない冷たさ。
それがただ怖かった。
「今さら、分かったのかも」
声は喧騒に呑まれるが、それでもプリル自身にはしっかり返ってきた。
戦いに臨むラシュガンと兵士たちを見て、そして自分で口にした言葉にも既視感めいたものを覚えた。
あれはスヴェント本部で作戦会議をしていた自分たちと同じだ。
戦いを前に鼓舞して、心配して声を掛け合って。
政府の人間だろうとスヴェントの人間だろうと、自分たちの人生を生きて立ち向かっている。
泣いて、笑って、戦って、憎んで。
当たり前に、同じなんだ。
「同じみんなを、お父さんとお母さんは守りたかった」
理不尽な恐怖と混乱から、皆を守りたい。
言葉に出してみると、今までざわついていた心は嘘のように静まり返った。
音が遠くなる。
同時に、掴んでいた杖が徐々に振動を始めた。
バチリ、バチリと胸の奥の方から迸る雷鳴が駆けて来るような感覚。同時に身体を蝕んでいた緊張と疲労が消えて、代わりに力が湧いてくる。
「雷よ……剣となって貫いて」
滑りだすように口から勝手に言葉が流れ出す。
杖から右手、頭、そして脳内にイメージと言葉が駆け巡る。雷が光の剣となり、巨人兵の目を貫く映像が鮮明に浮かび上がる。
これが呪文だと、プリルは意識の隅で認識する。魔法使いは呪文を唱えて自身の魔法をより確実に、強力なものとして形作っていく。そして名前を付けることで、固有の技となる。
プリルは呪文を知らないし、自分の技も持っていない。
得意な雷の攻撃魔法も、幼い頃に護身として母親に教えてもらったものを身体が覚えるまで懸命に練習して会得したものだった。
「一緒に戦ってくれているんだね、お母さん」
プリルは杖に目を向けて言う。
杖は——母親は答えない。それでも映像と言葉は常にプリルの頭に流れ込んで、巨人兵を倒すための魔法を提案し続けている。
今はヴェルも、他の仲間もいない。
これまでのように雷の攻撃魔法で支援をするのではなく、自分が巨人兵を倒すために魔法を使わなければならない。
「……サンダーブレイド」
頭の中に並べられた言葉の羅列を一つを選んで、読み上げる。
小さな手を、ちょうど視界に入ってきた巨人の頭に合わせて向ける。重低音を響かせて雷が集約し、ロングソードほどの長さの青白い光の剣を形成していく。
気を抜くとその光に自分の身体ごと吸い込まれそうになる。振動で手元がブレるが、確実に目を狙い撃つイメージを頭から離さないように狙う。
「……!」
ふっ、と右手が重い枷を外したように軽くなる。
雷の剣が手元を離れ、矢の如く巨人兵に向かって飛んでいく。
同時に反動で軽く身体が後ろに飛んだが、近くにいた兵士が受け止めてくれた。
「あたった! が、惜しかったな」
ラシュガンの声と、遠くで重いものが地面に落ちるような地鳴りがほぼ同時に聞こえた。
雷の剣が飛んだ咆哮を再び見やると、巨人兵の一体が片膝をつくような形でうずくまっていた。
ヴェルたちが倒した時のように、目の部分は破壊されていない。当たったのはどうやら胴体上部、人間で言うと首に当たる部分に近かった。それでも確実に動きを鈍らせることはできている。
「よおし、俺たちもあいつの眼玉に向かって集中砲火だ。総員散開! 光熱弾でまとめて焼かれたら笑えねーからな! あとは間違っても奴らの攻撃が船に飛び火しないように注意しろ! 第一と第二分隊は魔弾で奴を狙え。第三分隊は逃げ遅れた人がいないかを……」
ラシュガンの号令で背後にいた兵たちが一斉に動き出す。
振り返って確認すると、兵たちの向こう側には依然として船に群がる人たちの姿があった。
あそこに光熱弾が直撃する可能性を考えると身のすくむ思いだった。
少なくとも彼らが全員乗り切って、船が出港するまでは戦わなくてはならない。
杖に跨って、光熱弾の射線が通らない場所が無いか辺りを見回す。
「武運を祈るぜ、プリル……だったか。子どもとは言え魔法使いだったな。立派な戦力に数えさせてもらうからな!」
場所にめどをつけて飛び立とうしたところで、ひとしきり指示を終えたラシュガンが声をかける。
立派な戦力。
今まで戦闘はヴァルハラやグングニルの領分だった。
だが今は自分が戦うことで有利に、そして多くの人を助けられるかもしれない。
「うん、任せなさいって!!」
声はまだ震えていたが、いつもの自分に少しは戻ってきたような気がした。
跨っていた杖に力を込めて浮かび上がる。
倒しきることはできなくとも、巨人兵の動きを止めることができれば十分。人々が逃げられる時間を作ることが最優先。
無理はしない。
心の中で自分に言い聞かせ、杖と一体になり風を切って前進する。
プリルの動きに合わせるように、先ほど雷の剣の直撃を受けた巨人兵が身体を向けたような気がした。
「狙われちゃったか」
巨人の眼に、まるで銃口を突き付けられているような錯覚を覚える。すぐさま近くにあった建物の残骸に身を隠すために着地して、一息つく。
空に上がった数秒で敵の数は確認することができた。プリルを狙っている巨人兵含め三体。トラックで逃げる直前に四体以上はいたはずだから、ヴェルたちが数を減らしてくれたに違いない。
「みんな、無事かな」
最悪のケースが一瞬だけよぎるが、無線連絡機を持っていないから確認のしようがない。
巨人兵たちは刺激を与えれば反撃をするものの、一定時間経過するとまた別の人間や物を破壊の対象にする傾向にある。三体がこちらに前進しているからと言って必ずしも仲間の魔法使いたちの全滅を意味しているわけではない。
瓦礫から顔を覗かせながら、右手に魔力を集中させる。
巨人兵はゆっくりと近づきながら、まだかろうじて形を保っている建物に向けて無機質に光熱弾を発射して破壊していく。
暮らしが、人生の跡が消えていく。
一度その考えが頭に浮かぶと、今度は怒りが込み上げてくる。
また倒しきれないかもしれない。でもこれ以上好き勝手にはさせたくない。
「ふざけないでよ……!」
飛び出して、右手を巨人兵のいる方へと向ける。
さっきより魔力を安定させながら狙いを定められるようになってきた。震える腕をもう片方の手で抑えながら、対象を十分に破壊できる魔力が溜まるのを待つ。
次は当てる。一秒でも早くこの破壊を止めたい。
遠くの方からは怒号と乾いた破裂音がまばらに響いていた。ラシュガンたちの魔弾による援護射撃だと頭の片隅で認識する。
「——」
空気を伝って、それらとは別の異質な音が耳に入る。
低い機械音、ともすればくぐもった男の声に聞こえるような音。それは微かに言葉としてプリルの耳に届いたが、その意味を解読するよりも身体は魔力の充填を優先していた。
「マリョク、ケンチ。センメツスル」
狙っていた巨人兵の瞳が赤く光った。
今、確実に見られている。
光熱弾が来る。
理解すると同時に雷の剣を解き放っていた。
鈍い音を立てて空気を切り裂いて飛んでいく剣とすれ違う形で、巨人兵から吐き出された光熱弾がやけにゆっくりと近づいてくるのを感じていた。
当たれば死ぬ。
分かっている。分かっているのに身体が石にされたように全く動かない。
逃げなくちゃいけない。頭にへばりついていたのはその思考だけで、あとは真っ白だった。
「一人でよく頑張りました!!」
空白を破ったのは、ここ数日の戦いでもはや聞き馴染んだ仲間の声。
同時に上空からカーテンのように、淡い薄緑色の光の壁が瞬時に覆いかぶさっていった。
目前数メートルの距離で迫っていた光熱弾が、時が止まったかのようにその場にとどまり、爆音を上げながらすぐに霧散する。
衝撃で生じた熱風が吹きすさび、それがようやく防壁魔法だと言うことに気が付く。
「……」
それまでのすべてが一瞬で、まるで夢でも見ているかのような感覚だった。
視界の隅でヴェルと、見覚えのある村の魔法使い三人が箒から降りて駆け寄ってくる。
「でも仲間がいることを忘れてもらっちゃ困るよ」
ヴェルの厳しくも優しく諭すような声に、ようやく身体の力が抜ける。金縛りが解けたような感覚と安心感で、視界が涙に歪んだ。
「みんな、もうだめかと……」
「勝手に殺してもらっちゃ困るぜ。無線で呼ばれて飛んできたんだからよ!」
おどけたように言う仲間の一人の声に、プリルは自分の気持ちが思っていたよりずっと逸っていたことに気づく。
深呼吸をして、頭の中を支配していた怒りを吐き出していく。
「こういう時こそ落ち着かなくちゃいけなかったのに……ごめん」
「良いんだ。気持ちはよくわかる。あいつの気を引いたらすぐ逃げるのが正解だった。と言いたいところだけど、見てみなプリル」
肩を落としながらも、ヴェルの指さした方へ顔を向ける。
そこには壊された建造物に混ざるように、鉄塊——瞳の部分に風穴を空けた巨人の残骸がそびえ立っていた。
ぼうっと見つめてから、徐々にその光景の意味が理解できてくる。
「これって……」
「そう、プリルが倒したんだよ」
自分が倒した。
その言葉を反芻して、無意識に固く握っていた拳を開く。
喜びに似た高揚感は少しずつ自信になって、緊張と恐怖と疲労で消耗した身体に再び力を湧き上がらせる。
「注意を引いて逃げるだけでも良いし、その方が賢明だと思う。でも仲間たちがやられてるんだ。少しくらい反撃したって良いよね」
気丈に振舞っているように見えたが、その声にさっきの自分より深く強烈な怒りが滲んでいるのが感じ取れて、プリルは静かに頷く。
傍に居た仲間たちも目を合わせながら、ぞれぞれの杖や手に炎や氷、雷といった様々な魔力を滾らせていた。
「どのみちここが避難民にとって唯一の港で、逃げ道だしね。次のトラックが来るまでにここを掃除する。行くよ!」
ヴェルの掛け声で魔法使いたちは一斉に箒に跨って一気に上空へと上がる。
プリルも負けじと、杖に跨って追いつく。説明は無い。大人たちも見た目ほど冷静でいられなくなっているのだと分かった。
仲間のうちの二人が矢のように飛んでいく。その先には、二体の巨人兵。一体は四方八方に光熱弾を飛ばしながら、狙いを決めかねているように見えた。
「あっちは兵士たちがやってくれているみたいだから、私たちはこっちをやろう。まずは距離を取って、一体ずつ確実にやれるようにするよ」
指示が伝え終わる前に先行していた仲間が攻撃を仕掛ける。
二人が操る炎弾と氷柱が、左右から食らいつくように巨人兵の鉄の身体を、両腕を削っていく。抗うように光熱弾をばら撒いていくが、器用に避けながら空中を旋回する。
「目を狙えば倒せるよ二人とも!」
「あいつ、弱点を狙われているって分かるとバリアを貼るんだよ。だからまずは注意を引くんだ」
叫ぶプリルにヴェルは首を横に振りながら補足する。
ずしり、ずしりと重い足取りで巨体を動かして、もう片方の、兵士たちと対峙している個体との距離を離していく。
「それから、どうするの?」
「こいつらの倒し方は、もう把握済みよ。夜通し戦ってきた仲間が見つけ出した戦法……サシなら負けないはず。大丈夫、助っ人に来てくれたみんなはもうプロだからさ」
すでに巨人兵の侵攻から数時間は経っていた。朝日が何度か昇って数日経っているのかもしれない。目の前のことで必死になりすぎて今のプリルにはもう分からなくなっていた。
ヴェルやプリルは避難誘導やトラックへの防壁魔法に注力していたが、周囲を警戒し必要な時は巨人兵と相対して戦わなければならなかった仲間は確かに存在した。
少なくない犠牲が出ていることも知っている。その中で、倒せる方法が編み出されたというのなら、生きている自分たちが実践しなければならない。
「二人とも、足を落として! プリルはその間に魔力充填、さっきみたいに目を狙って!」
短い気合とともに、先陣を切っている二人が旋回して動く鉄塊に近づく。
近寄るハエを叩くかのように襲い掛かる大振りの腕は、当たれば間違いなく身体がバラバラになる。その動きを読みながら軽快に、二人は炎弾と氷柱を的確に腰、足に向けて発射していく。
その間にプリルの視界は薄緑色——ヴェルのかけた防壁魔法に染まっていく。
光の壁は外側からの衝撃を防いで、内側から撃つこちらからの攻撃は通すことができる。今度こそ確実に、安全圏から狙撃する。
目の前では魔法と光熱弾の応酬が目まぐるしく繰り返されている。少なくともプリルは、他の魔法使いがこんなに激しい戦闘をしているところは見たことは無かった。
意識を集中させていくうちに、鉄が焦げたような臭いが鼻を掠める。臭いの方へ視線を向けると、巨人兵の足の付け根辺りから黒い煙が細く上がっていた。
「いい加減、倒れろってんだ!!」
炎を纏わせながら炎弾使いがしびれを切らしたように叫ぶ。短期決戦のために膨大な魔力を高速で消費しているから、限界が近いことは声で分かった。
氷柱で極度に冷やされた部位に、容赦なく炎弾が雨のように降り注ぐ。ゴンゴンと厚い鉄板が打ち付けられるような鈍い音とともに、少しずつではあるが損傷が目に見えるようになってきた。
その間にも光熱弾が同じくらいばら撒かれ、防壁魔法に当たっては光の波紋と、魔力と魔力がぶつかるときに生じるガラスが割れるような音を立てる。
光熱弾が氷柱使いのすぐ横を掠めて、中空でバランスを崩す。頭を地面の方に向けて落ちていきながらも、彼女が氷の魔力を帯びた右手を伸ばしているのが見えた。
「落ちろ」
炎弾使いと氷柱使いの声が重なって聞こえた。
同時に、同じ部位に向かって飛んでいった炎と氷は混ざりあって、一つの渦のような形で巨人兵の右足の根本へと吸い込まれていく。
全身の魔力が右腕に集まってきているようで熱かった。バチバチと迸りながら雷光の剣が形成されていく向こうで、巨人兵の身体から右足が離れていくのを確認できた。
上を向いた形で巨人兵が徐々に高度を落としていく。光熱弾をはるか上空に打ち続けながら、地面へと落ちていく。
地鳴りとともに仰向けに倒れた鉄塊の眼に、ゆっくりと右の手のひらを合わせていく。
「プリル!」
「痺れて眠れ、サンダーブレイドォッ!!!!」
身体の中のすべてを吐き出す勢いで叫ぶ。
瞬間、熱が引いたように魔力が抜けていった。
足先から頭のてっぺんまで駆けた雷は剣を形作り、真っすぐに風を切って飛んで行った。
光熱弾は明後日の方向へ飛び散り、鉄の腕は建物の残骸に埋まって動かない。邪魔するものは何もない。
剣が琥珀色の瞳に触れた瞬間、抉るように風穴を開けながら花火のような暴発を起こす。
鉄が擦れて軋むような不気味な音を上げる。悲鳴のように鳴り響いた後、巨体はゆっくりと塵になっていった。
綺麗だ。
そんな感情が浮かんだ後に、ようやく自分の力で巨人兵を一体倒したのだということが理解できた。
「やった……」
肺の中の最後の酸素を吐き出したかのように掠れた声が出て自分でも驚く。
一息、深呼吸をしてまず頭によぎったのは攻撃を受けて落ちていった氷柱使いのことだった。
慌てて下を見ると、風のクッションのような魔法で中空に浮きながら汗を拭っているところだった。
「あっちもやったみたいね」
ヴェルの声に隠れて、遠くの方から歓声のような雄たけびが聞こえてきた。
あたりを見回すと巨人兵の姿がどこにも見えなかった。その代わりに地上では兵士たちが両手を上げて喝采を上げているのと、上部に穴をあけた鉄塊が横たわっているのが目に入った。
その意味を理解して、涙が勝手に込み上げてくる。
「おじさんたちも、すごいね」
震えた声でプリルは言う。
人間は神ノ力に打ち勝てる。
考えもしなかったことだ。神ノ力は政府に制御され、支配と侵略の手段として人々に恐れられる存在だった。
その常識を破って、新しい時代に進もうとしているのかもしれない。
神ノ力が無い世界。
エルウィンが作るウィザードリキッド。
「お母さんが見たかった世界、もう少しでできるかもしれないよ……」
拳を強く握る。
かつてビドーが語った、マルカの言葉を思い出す。
プリルのために危険な世界は放っておけない。
その意思をプリル自身が受け継いで、形にしている最中なのかもしれない。
自分のためだけは無い。この世界に生きる人たち、みんなのためだ。
小さな身体から漲る魔力を感じながら、何度目かの覚悟を決めるのだった。




