【第二十一話】切り札はその手の中に
――帝都ルバヴィウス。
ラグナロクによる巨人の進軍はすでに帝都にまで迫っていた。
先日の能力者同士の戦いにより政府本部の建物はほぼ壊滅。臨時で建てられた政府緊急避難棟の最上階で、男は震えていた。
燃え盛る街や人。これが自分が望んできた答えか。恐怖か、満足感か、男――ラーサー自身でも判断がついていない。
ただ壊されていく。鈍色の巨人が無機質に、冷酷に、その長い手でアバンの街を握り潰し、目のような部位からは灼熱が降り注ぎ人々を焼いていく。
街も、文化も、人も動物も感情も知識も。機械仕掛けの化け物には区別などない。
この破壊の末に何が残るのか。残るのは鉄と血肉の残骸だけだろう。新しい世界など、正義など作れるはずがない。
分かり切っていたはずだ。分かっていたはずなのに、その引き金を引いたのは間違いなく自分だ。
この破滅を願い、ユミルに最後の神ノ力を投げつけた。
「私はただ、研究を続けられればそれで良かったのだ……」
穴の開いた風船のように、空気にも似た腑抜けた声が口から洩れる。
未知が既知へと変わることに心を動かされた。自分の理論が正しいと証明されることがただ嬉しかった。
研究が進み、分かることが増えるたびに、神ノ力という強大な力が自分のものだと、支配できるものだという錯覚にとらわれてしまった。
そんなものは驕りだ。こんな埒外の力を自分が、人間がコントロールできるはずがなかった。
助けを求める声、苦痛に恐怖に喉が裂けんばかりに叫ぶ声。建造物が崩れ、肉骨が砕かれる音がすぐそばで聞こえてくるようだった。
自分が彼らを殺したのと何も変わらない。スヴェントの青年――ラルクと言ったか、彼を手にかけた時は自分の誇りを取り繕うことに躍起になっていた。
けれど今はあの時とは比べ物にならない後悔と罪悪感がラーサーを支配していた。
あらゆる感情による恐怖が、明けない夜の暗闇とともに身体を震わせる。破壊の音が、次はお前の番だと鳴り、身体を飲み込まんとしていた。
「わた、私は……」
誰に届くわけでもない言い訳も、音になる前に消える。救いを求めるように周りを見ても、何もかも消滅していくこの状況で何が、誰がこの状況を――。
「あれは、」
ふと窓の外、目線の下から政府緊急避難棟に向かう人影が目に入った。
凄惨な光景を背に近づくその影は、朝日が昇るとともにだんだんとはっきり姿形を視認できるようになった。
元科学者とは思えない筋肉隆々の巨躯。短く刈り揃えられた白髪交じりの金髪とサングラスが、朝日を映して眩しい。
もう二度と顔を見たくないと思っていた。できることなら自らの手にかけてやろうとすら思った男の顔。
だが心の底から出たのは安堵と期待。その感情を認識する間もなく、ラーサーの足は無意識に階段を駆け下りていた。
*****
政府緊急避難棟中央官邸。
避難棟にはそぐわない豪奢な長椅子に、オーディニア現首相ガーフォードが腰かけていた。
六十を超える高齢のはずだが奇麗に整えられた銀の短髪は衰えることなく艶を放ち、金縁の片眼鏡の奥には深緑の瞳を覗かせている。
「わざわざ死にに来たのかな、ビドー・スヴェント。こんな緊急事態でなければ即刻首を斬り落としていたが」
「死にに来たんじゃねぇ。生かしに来たんだよ」
外は阿鼻叫喚の地獄と言っても良い。ここからでも十分に悲鳴や崩壊の音は聞こえる。にも拘らずガーフォードの声は落ち着き払っている。その温度差に沸騰しそうな怒りを抑えて、護衛の兵士の制止を振り切ってたどり着いたビドーは言う。
「あんた以外はみんな分かってる。こんなところで暇してる場合じゃねぇってな。俺が生きてここまで来れてるのがその証拠だ」
いくら臨時棟と言えど政府本部。顔の割れている反政府組織の頭が、無傷でここまで来れるはずは無かった。抵抗ももちろん覚悟のうえだったビドーは、自分の顔を見た護衛兵士たちの安堵とも取れる表情をどう捉えたら良いか、最初は分からず混乱した。
ラグナロクが発生してから、政府から出された公式広報は「正体不明の敵撃退のために遠征中のウォーリアを至急招集済み」のただ一回。国民への避難も、兵士への明確な指示対応も無かった。避難は各街や研究所が主導で行っているだけに過ぎない。
これでは政府の機能を――目の前に座る男は国の長としての役割をまるで果たしていない。
「なぁ、このままじゃ世界は終わっちまう。あんたの築いてきたこの国も、そうじゃねぇものも全部無くなっちまうんだぞ! 元イザヴェル研究所所長のあんたなら、この現象がラグナロクであることくらい分かっているはずだ」
無残に死んでいく人々が頭をよぎり、ビドーは声を荒げる。
実際に起こってみるまで確証は無かった‛ラグナロク'という現象。神ノ力や能力者の研究を軍事技術に応用し、オーディニアを覇権国にする礎を作りそのまま首相という地位に上り詰めたガーフォードであれば、ビドーより広く深い視野を持ってこの現象の重大さを理解できているはずなのだ。
そんな男が黙って破滅を待つような諦めの良い人間のはずがない。何もしない理由がビドーには読めなかった。
「俺がわざわざここまで来て言うことでもねぇが、至急、ありったけの兵士たちを国民の保護と避難に充ててくれ。ウォーリアを呼んでいるのならそいつらになるべく近いところへ避難させて、守ってやるんだ。そのための神ノ力だろう!」
縋るようにビドーは叫んだ。かつては同じ研究者として憧れも抱いていた目の前の男は、国民を見殺しにするほど残酷な人間ではないと期待して。
しかし返ってきたのは憐れむような笑みと、冷たい声だけ。
「守る、か。違うなビドー。神ノ力は間違いなく人間を殺す力だ。我々を殺しに来るこの力を支配し続けて、オーディニアは覇権国となった。このラグナロクも、神ノ力の抵抗の一つ。この災厄を生き残れる人間こそが、オーディニア国民にふさわしい。非国民を助けるために遣わす兵はこの国にはない」
言っている意味がビドーには理解できなかった。それはつまり、いつ終わるかも分からないこの状況の終息をただ待てと、そういうことなのか。
「ラグナロクの中心に居るのはユミルだ。十の神ノ力を取り込んだ獣でいられるのは一瞬の、ただの蝋燭にすぎん。じきに自身に纏わりついた炎に焼かれて消滅し、同時にラグナロクという現象も収まる。ラグナロクは時間制限付きの災厄なのだ」
ガーフォードから発せられた情報は、ビドーも知らないことだった。
街を襲う巨人に気を取られていたが、一番の脅威は何より力が未知数のユミル。十の力を自在に操っていた彼を倒す。不可能に思われて無意識に避けていたその課題が、この災厄を振り払う方法ということに、ビドーは戦慄する。
そしてそれは、時間の経過で解決する問題だということにも。
「私とて元研究者。いずれは起こるであろうと言われていたこの現象も仕組みも解決方法も、能力者を作り、処分する過程の中で予測済みだ。あの巨人は強力すぎるユミルの神ノ力に、異界から半強制的に召喚されているに過ぎない。中心が消えれば、それに釣られて末端も消える。安心しろビドー・スヴェント。じきに収まるこの嵐に、お前たちの出る幕は無い」
ビドーにとっての、スヴェントにとっての最悪のシナリオは、ラグナロクの発生という形ですでに進行中だった。だがそれすらも、ガーフォードにとっては想定済みで、やり過ごせる程度のトラブルでしかない。
淡々と語られる事実に、根拠も確証もない。けれど、こうして余裕綽々と椅子に座るガーフォードの顔には偽りも、自身の敗北のシナリオも描かれてはいなかった。
本当に、このまま耐え忍べば終わるのか。確かに国外へ出て、戦場を蹂躙し続ける‛ウォーリア'と呼ばれるタイプの力であれば、ユミルに勝てるのかもしれない。
けれど――。
また、悲鳴が聞こえた気がした。ここで立ち尽くしているだけで、何人の命が踏みにじられるのだろうか。
一瞬でも逃げようとした自分に、また怒りが沸き起こる。目の前の男のやり方では妻が、娘が笑って過ごせる世界はやってこないと判断したから抵抗した。このまま待ち続けて事態が収まったとして、どの面を下げて娘と再び会えるというのか。どんな言葉を、死線を潜り抜けてきたスヴェントのメンバーにかけてやれるというのか。
「この瞬間にも人は死んでる。あんたには、もう聞こえないのかもしれねぇ。神ノ力にしか見てなかったあんたには、この国のやつらがどんな顔で日々を暮らしているのかさえ見ていなかったんだろ」
言葉は続く。分かってもらえないことなど分かっていた。話し合いで解決できなかったから、今までお互い血を流しあってきた。
それでも今は言葉を尽くして、どんな手段を使ってでもこの状況を打破しなければならない。
「国だけが強くなったところで意味はねぇ。反乱分子を潰しておとなしくさせても、最後に残るのは‛国民'なんかじゃない。神ノ力の恐怖で支配されてるそいつらは、自分の意思で、足で生きているとは言えない空っぽの人形みたいなもんだ。そんな世界で、最後まで無事に生き残れるのがあんたっていう保証もないんだぜ」
この災厄を起こさないこと。起こってしまったのなら一秒でも長く続かせないこと。それが目的のはずだ。意を決して、ビドーはポケットから一枚のディスクを取り出した。
「今さらそんな退屈な挑発をされても聞き飽きたよ。それで、その手のディスクは何かね。余興にちょうど良い映画でも持ってきてくれたのか」
ガーフォードの皮肉に、ビドーは逆に確信する。おそらく、ガーフォードの描いたシナリオの中に、このディスクの中身は存在していない。
ユミルを倒す以外にこの災厄と、そして負の連鎖を終わらせる切り札。
「あんたが負けるシナリオで良ければ、この予告編で十分スリルがあると思うぜ――ユグドラシルの設計図だ」
ユグドラシル。その単語を聞いた途端、ガーフォードの顔から笑みが消えた。見開かれた眼は、まるで存在しない亡霊を見るかのようだった。
「馬鹿な。ユグドラシルは空想上の神ノ力だ。実証などできていない」
「はっ、やっぱり存在は認知していたんだな。すべての神ノ力を、異界に還す神の力。あんたの元部下が、水面下で研究していた代物だぜ」
反論を続けようとしたガーフォードは、さらに口をつぐむ。何かを思い出そうとするように顎に手を当て、はっと息を漏らす。
「ディラン。奴の最終レポートでは……」
「それは何年前の話だ。あれから十年経った。力に胡坐をかいていたあんたらとは違って、スヴェントは神ノ力の別の可能性をずっと探してきた。このディスクと、スヴェントの十年分は、空想を現実にできるんだよ」
ただ一つ、神ノ石さえ手に入ればビドーの言葉もハッタリではなくなる。ガーフォードがどこまでディラン――ヴァルハラの研究内容を把握しているかによっては博打だったが、なんにせよ最後の切り札に変わりはない。
「嘘だと思うならそれで良い。この騒動が収まった後に、俺たちはこの設計図でユグドラシルを完成させて神ノ力をこの世界から消す。もしあんたがこの状況から人々を救い出す手を貸してくれるのなら、俺はこのディスクを破壊しよう。もちろんこのディスクは複製不可のプログラムが施されていたからな、正真正銘、設計図はこの一枚だけだ」
たった一枚のディスク、というのは本当だった。これを手放すのは、スヴェントの悲願を諦めるのと同義。取引が成り立ったとして、ビドーのメリットはほぼないと言っても良かった。
だが、今必死に生き残ろうとしている人々に、いずれ平和が訪れるから死んでくれと、謝辞も懺悔もなく伝えることになる。そんな選択はしたくなかった。
二人の間に沈黙が流れる。
時が止まったような空気の中でも、破壊と絶望の音は途切れることは無い。あるいはここでガーフォードに殺されることも十分あり得る。気を張り詰めて、返答を待つ。
やがてガーフォードがふっと息を漏らして、胸のポケットに手を入れる。
警戒したビドーだったが、その手に握られていたのは無線連絡機だった。
「愚かだなビドー。貴様ほどの男ならわかるはずだが。助ける価値のない命に、ユグドラシルを賭けることも無いということに……私だ。至急全兵舎へ連絡を。全兵力をもって民の避難と保護を指示せよ。それから被害の少ないルートを探し、ありったけの物資を早馬やトラック、乗せられるものに乗せて各地へ飛ばせ」
身構えていたビドーだったが、次々と連絡機で指示を送るガーフォードの姿に全身の力が抜け、代わりに安堵感が染み渡っていく。
「ガーフォード、あんた……」
「勘違いをするなよ。簡単な天秤にかけたまでだ。貴様の言葉の真偽がどうであれ、ユグドラシル存在の可能性など限りなくゼロにするべきなのだからな」
交渉と言うにはお粗末な、脅迫というには不安定な取引が成立した。ビドーは不機嫌に顔をしかめるガーフォードに、深く頭を下げてディスクを手渡した。
「確かに民なくして国は成り立たん。貴様の言葉は正しいが、正しいだけの理想論だ。仮にユグドラシルを完成させ神ノ力を消したとして、その後に何が残る? 他国への優位性をなくしたオーディニアなど、すぐに喰われる。隣国ではすでに神ノ力を使わず、人間の身体能力を飛躍的に向上させる技術が確立されつつある。神ノ力なくして、この国は生きながらえることなどできないのだぞ」
神ノ力を消したところで何の解決にもならない。至る所で争いの種がまかれ、鮮血の花を咲かせるこの世界で、無力になるのは死を意味する。反政府組織として活動していく中で常に考え続けなければいけない課題だった。
数多の犠牲を払いつつも神ノ力を研究、軍事転用しオーディニアをここまで強力な国にしたガーフォードの手腕は、為政者として正しい在り方の一つなのだろう。今回のラグナロクは彼の想定通りだったかもしれない。けれど未知の部分に足元をすくわれ、破滅へと向かったとき、犠牲になった人々への償いを誰もすることができない。
そしてスヴェントも同様。神ノ力の事件によって犠牲になったものの家族、度重なる軍事拡張による重税で生活を追われた者たちがメンバーとなり、ビドーが統率しきれなかった一部は暴徒となり血を流し合った。
「戦って殺しあう連鎖を断ち切る。力に頼らない生き方を探していく。今は叶わなくても、理想は掲げ続けるべきなんだ。それが見つかったとき、犯した罪は裁かれるべきだ。あんたの罪も、俺の罪も」
甘ったるく気分が悪くなるくらいの理想論だと分かっている。頭に浮かんだのは娘の顔。すでに十分苦しませてしまった彼女の未来を、これ以上の血と悲鳴で染めることなどあってはならない。
「掴める見込みが極めて低い理想を、研究者らしくもなく身体をぼろぼろにしながら掴もうとしている男を俺は知っている」
愛するものを助けるために自らの身を顧みず力を手にした男。
身体も意識も、文字通り自らのすべてを犠牲にしながら彼が手にしてきた数々の力を、ふとビドーは思い返す。
真っすぐ見据えるビドーの瞳の先にはガーフォードと、気の遠くなるほどの理想。
そして微かに、理想を形にする光が差し込み始めていた。
*****
生きて外に出られることは無いだろうと思っていたビドーは、避難棟の扉を開けてすぐに馴染みの顔を見て懐かしさを覚えた。
最後に会ってからまだ数日もたっていないはずだが、やつれきったような顔に思わず噴き出してしまう。
「なんだ、ラーサー。お前のことだから安全な場所でブルブルと震えているかと思ってたぜ」
安堵からか、この危機的状況からか、研究者時代と同じような口調で語り掛けてしまったが、いつものようなラーサーの鼻にかかったような声は返ってこなかった。
「ビドー。あの巨人はどうすれば消える」
代わりに弱弱しい、けれど真摯な声が返ってきてビドーは笑みを消す。
「どういう風の吹き回しだ。これがお前の望んだ結果だろう。思い通りにならない世界を終わらせて新しい世界へ行く、だったか?」
ラグナロクは遅かれ早かれ起こっていた。意地の悪い返しだと自分でも思ったが、最後のピースを早めたのは間違いなくラーサーの行動だった。思い返して、殴ってやりたい気持ちが声と拳を震わせた。
「新しい世界などできん。当たり前のことだ。私は取り返しのつかないことをしてしまった。未来のあったはずのお前のところの若造も殺して、その未来すらもめちゃくちゃにして、償っても償いきれない罪を犯してしまった! なんでも良い、命だってくれてやる! この馬鹿げた破壊を、あの巨人を消す方法を教えてくれビドー! 昔から優秀だったお前ならすでに分かっているのだろう?!」
涙を流して子どものように喚くラーサーはまるで別人だった。
研究一筋、その他のことは些事と見下して軽んじて来たような男の取り乱しようを、ビドーは苛立ちを覚えつつも冷めた表情で見つめていた。
ラーサーの命一つで済むなら自分は迷わず彼を殺していたかもしれない。そんな考えが浮かんで、ビドーは首を振る。それは本質的にガーフォードの考え方と変わらない。死ではない、生の連鎖を考えなくてはならない。
ビドーは胸ポケットから【神ノ雷】トールを取り出して、その銃身をラーサーに向ける。
「それはあの若造の……は、ははっ。そうか、私が憎いか。それはそうだよな。私もあんな訳の分からん巨人に殺されるくらいなら、お前に殺される方が幾分ましだ。さあ、一思いに――」
「最後の最後まで勝手なこと言っていい加減にしやがれ。誰が殺すって? お前にはこれから何百、何千人も生かしてもらわねぇと困るんだよ。それとな、うちのアホを勝手に殺すな。あいつはまだ生きてる」
「なん……だと」
一転、呆けたような表情になったラーサーに苦笑しつつ、銃身を一回転させ持ち手を向ける。
ラルクの持っていた【神ノ雷】トール。
あの一件以降、この神器とラルクの‛契約'は解除されていた。今までのケースでは疑似能力者が先に死ぬか、‛神器の契約'を遂行できずに制裁を受けて疑似能力者が殺されるだけだった。
身を挺してスヴェントメンバーを守ったことで契約が成立したのか、ラルクと【神ノ雷】の契約内容も、【神ノ雷】の認識も定かではなったが、今この神器に契約者は不在だった。
「戦う気があるのなら受け取れ。ないなら安全な場所に避難しろ。すぐに選んでくれ、時間がないんだ」
ラーサーは一瞬沈黙したが、震える手で持ち手を握った。
元々は道中でスヴェントメンバーの誰かに運良くめぐり合えれば引き継ぐ予定だった。それがまさかラーサーに渡すことになるとは奇妙な運命だと思いながらビドーは手を放す。
「皮肉なことだ。能力者を作り続けていた私が、最後には疑似能力者か」
「やるべきことを心に誓え。扱い方はトールが教えてくれる」
ビドーはそれだけ言って、ラーサーの横を足早に通り過ぎる。
本当に時間は限られている。一刻も早く人々を少しでも安全な場所に避難させ、一体でも多くの巨人を倒さなくてはならない。
「すべてが収まった後、私を生かしておいたことを後悔するが良い! 生きて、生き抜いて、必ず貴様を超える研究成果を打ち上げて見せる! 首を洗って待っていることだ!!」
背後からはラーサーの叫びと、馴染みのある【神ノ雷】の気配と轟音が響いた。
いつもの鼻にかかった声にも、こんな状況になってまでの契約内容にも安心している自分に、ビドーは自分が心底お人よしなのだと実感したのだった。
*****
海を渡る巨人の数は減るどころか勢いを増して増えていっていた。
エルウィン――の中に眠る神オーディンの力で疲労や傷を回復したグングニルだったが、止む気配のない猛攻に辟易していた。先に進もうにも、この数の巨人を無視してこの場所を離れるわけにはいかなかった。
「少しでもここを離れればみんな壊されてしまう」
おそらく神兵に人間も建物も区別はない。あるとしたら神ノ力を持っているかどうかだけ。あとは老若男女問わず、破壊されるだけ。
砕けた建造物の残骸に隠れながら、グングニルは息をつく。
「お前を散々苦しめた人間どもを今さら案ずるとはどういう心情なのか、我には到底理解できんが」
嫌味のように、エルウィンの顔をしたオーディンが言う。
彼なら絶対に言わないその言葉に不快感を覚えながら、グングニルは口を開く。
「残酷な人と同じくらい、素敵な人もたくさんいる。私はエルたちのおかげで、そのことを知ることができたの」
「ふっ、すまんな。なんせこの男、我がいなくては無意識の底に沈んでしまうほど弱り切っているからな」
グングニルの心情を察したのか、オーディンはこの場所にそぐわないほど穏やかに笑んで返す。
姿かたちがエルウィンだからなのか、自分が目の前にいる神ノ王とやらの存在にやけに馴染んでしまっていることに戸惑いを覚えていた。
「どうしてあなたは、そうやって意識を表に出せるの? 他の神ノ力の能力者も、疑似能力者だって、そうやって神自身が意識を表しているところを見たことがない」
戸惑いを誤魔化すように、グングニルは今更ながら湧いた疑問を口にする。
ひとまずは協力関係にあるのならば、目の前にいる存在をより知っておいたほうが良いと、直感が働いた。
「確かに、本来の人間の技術で力を降ろした場合は我のように意識まで表すことはできん。だが今回は降りた先が特別で、我自身も特別だった。この男の体の中には魔力が宿っていて、我が神の王だった」
そういえば、とグングニルは思う。元来、魔力と神ノ力は相性が悪く反発しあうと聞いたことがある。
オーディンの意識が現れるという現象以前に、エルウィンの身体に神ノ力が宿ること自体が異常なことだった。
「本来なら魔力と神ノ力は反発しあいお互いを食い合おうとするが、我は魔力ごときに屈しはせん。その結果、こやつの中に活性化した神ノ力が残り、時が経つことで我の意識も覚醒した」
言っていることはめちゃくちゃな力技だったが、現実に神ノ王は目の前で尊大な言葉を吐き続けている。
本来は不可能なことを可能にする力を持っている証拠だった。
「さらに小生意気なことに、こやつの中にある魔力はなかなかにしぶとく、そして特殊だ。この魔力の亜種のようなものは、ゆっくりとだが着実に我を追い出そうとしている。時間制限付きの顕現というわけだ」
聞く機会がなくて詳しい仕組みは聞いていなかったが、エルウィンの身体に魔力が宿った原因は間違いなくウィザードリキッドだった。
エルウィンが作成し、グングニルを助け出す際自らにも打ち込んだにウィザードリキッド。
神ノ王にすら特殊と言わしめる薬品が、ここにきてこんな奇妙な邂逅をもたらすことになるなんて、グングニルには予想のつけようがなかった。
「追い出されたら、あなたはどこに行くの?」
「我らのいる世界に帰る……と言うより、帰らされる」
神のいる世界。
それはもはや伝承やおとぎ話のレベルで、神ノ力に精通している研究者や能力者以外、ほとんどの人には浸透していない知識。
神ノ力は異世界からの産物。研究所やエルウィンとの旅の中でたびたび耳にした情報で、すでに常識のような感覚になっていた。しかし改めて神本人から’異世界がある’という事実を聞かされると、グングニルの中にあるわずかな世界への常識が揺らぎ始めた。
「反発するだけじゃなくて、異世界へ帰すことができるの?」
揺らいだ常識はさらにもう一つ。
神ノ力と魔力の関係。
反発するべき二つの力が短期間ながらも共存し、さらには力の所在が変動する。
「意図したものかは分からないが、奇跡的な確率だ。’反発’などという生ぬるいものではない。神ノ力に触れた瞬間、この特殊な魔力は次元の壁を開けて本来あるべき場所へ帰そうと機能する。それは――」
言いかけて、オーディンの言葉が止まる。口を開けたままのエルウィンの表情に、一瞬驚愕と戸惑いが現れたように感じた。
「それは……?」
聞き返したグングニルを、オーディン――エルウィンはまっすぐに見つめ返して、口を開いた。
「それは、グングニル。キミを助けるたった一つの方法かもしれない」
紛れもなくそれはエルウィンの声だった。グングニルは混乱しかけるも、声とその柔らかい表情から、目の前にいるのがエルウィン本人だと確信した。
「エル、意識が戻って」
「正直、こうやって立って喋っているだけで限界だけどね……。だけど、それどころじゃない。この神がヒントをくれた! 最初から僕たちは答えを持っていたんだグングニル! ウィザードリキッドだよ!」
興奮気味に叫んだエルウィンは、よろよろとした仕草で自分のズボンやシャツのポケットを漁り始める。
「荷物は、スヴェント本部の部屋の中だっけ……。グングニル、ビドーさんに連絡を付ける手段ってあるかな?」
「一応、連絡用に無線連絡機があるけど」
「貸して」
エルウィンにしては珍しく、やや乱暴に無線連絡機をグングニルの手からもぎ取って、ビドーにつながる番号を打ち込む。
程なくして、連絡機からビドーの重々しい声が応答した。
「ビドーさん、時間がないので手短に言います。僕はこれからウィザードリキッドの作成に取り掛かる。グングニルを助けるため。そして、ユミルを止めるために」
早口でまくし立てるエルウィンに、ビドーが何事か言葉を返す。くぐもっていて、内容まではグングニルの耳に届かなかった。ただその声が少し明るさを取り戻したような気はした。
「今まで僕は、ウィザードリキッドは対象に魔力を与える薬品として研究と制作をしてきた。数々の実験結果からそう信じて疑わなかったし、そういう薬品として完成したんだと思ってきた。だけど、どうやら少し違っていたようだね。そうでなければ神ノ力をこの身に受け入れた瞬間に死んでいた。ラーサーはもしかしたら、このことに気が付いていたのかな……魔力であると同時に、少し異なる性質を持っているんだ」
半ば独り言のように、エルウィンは説明を続ける。
徐々に専門的な用語が飛び出して、グングニルの理解は追いつかなかったが、ウィザードリキッドによってもたらされる魔力が通常のものとは違うという部分だけは把握できた。
まるで何かに取り憑かれたかのように考えをめぐらし、言葉を紡ぐエルウィンの姿を、少なくともグングニルは見たことがなかった。
研究所ではいつも優しく身体や精神の状態を確認しに来てくれた。
旅では怯えながらも勇敢に戦ってくれた。
けれど研究者としてのエルウィン=ラックハイムは、ここにきて初めて見ることができたような気がした。
「僕の身体で起きていることが何よりの証明だ。同じことを、ユミルとグングニルにも行う。ウィザードリキッドを注入して、神ノ力をすべて異世界に戻すんだ」
それは神ノ力に頼らない、もう一つの可能性。
人間が作り上げた、仄かな希望。
「二日間、猶予をください。必ず完成させてみせます。それまでどうか、生きて戦ってくれませんか!」
懇願するような。託すような。
そんな心からの叫びを聞くことができて良かったと、場違いながらグングニルはそんな思いをゆっくりと噛み締める。
自分の命も助かるかもしれない。そのことに意識が至ったのは、だいぶ時間が経った後のことだった。
*****
「もうすぐ新しい世界が始まるよ、ミリィ……」
彼の周りで、少なくとも視界に収まる範囲で息をしている者は私と、彼の目の前にあるほんの少しの空間に存在する草花だけだった。
生きている人間の命は散り、自分の力で呼び出したはずであろう鉄の巨人も、近づくものは粉々に破壊された。
うわ言のように同じ言葉を繰り返す彼の手には、一輪の白い花。
うつろな視線の先には、ひっそりと佇む墓石。
刻まれている銘は――ミリィ。
「もうすぐ……」
彼は瞳を閉じて、祈るように花を添えた。
もうすぐ、何が始まるというのだろう。終わりを作り続けているだけではないのか。
まぁ、終わるのならそれでも良い。戦闘人形に身体を改造された時点で私の人生は終わっている。
ならばせめて刺激的な終わりを。
目の前で膨張し続ける異形の力の結末を、この目で最後まで見届けよう。




